ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

13年間の・・・・その1。

2008-01-22 04:06:54 | Weblog
私達の集落には小さな学校がある。
大正5年に開校して以来今日まで多くの卒業生を出している。小さな集落だけども長い歴史の中では、100名を越す児童が在籍していた時期もあったことが記録に残っている。

そんな学校が、いまから15年前に「危険校舎に指定されて久しくなり新しく建て替えてもらおう」という要請運動がおこった。しかし、同時に「13名の児童しかいない学校を新しくするのはお金の無駄ではないか」という議論もあった。
当時、先を見通しても子どもの増える見込みは全くなかったから当然の意見だった。

農村地帯の集落の学校は、集落住民のコミュニティの場として重要視されてきた。それだけに「学校を集落からなくしてはいけない。新しく建て替えてもらおう」とのことで意見の一致を見た。だが、このままの児童数ではダメだ。ということで試作がねられた。

そこで考えられたのが「山村留学」だった。
「集落活性化の為に学校をなくしてはいけない」「都市に住んでいる子どもたちにゆたかな大自然の中で健やかに成長して頂きたい」との2つの願いと目的をもって始めたものだった。

あれから13年の月日が流れた。
この13年間にのべ150名超える児童が全国から山村留学した。親子留学した方や家族全員で移住した方は5家族になった。まさしく学校の灯は守られ、地域は息づいた。

しかし、決して良いことばかりではなかった。せっかく留学しても、地域や学校がなじまないといって戻られた方、契約違反して留学の解除になったかたがでたとき等は心で泣き送りだしたこともあった。問題が起きた時は住民一丸となって課題解決にあたってきた。

この13年間のうちで新しい留学生をむかえないで新年度を迎えたのは、昨年度が初めてだった。確かに色々な課題があったことも事実だが、ひそかに山村留学に陰りが見えたように感じていた。「少子化の時代か」などカッコつけて考えたりした。

毎年のように20名ほどの問い合わせがあったが、今年度は皆無に近かった。「なんとかしたい」との事から色々な宣伝戦略や留学スタイルも考えだされた。

年が明けた1月初旬。東京と神奈川から親子留学を希望している2家族からね資料の送付依頼のメールがとどいた。今年度最初の問い合わせだった。

この同じ頃、山村留学生を受け入れる集落の組織「北海道北オホーツクの大自然で学ぶ会」が「今後の山村留学の方向生を考える」重要な会議を開いていた。

13年間の・・その1。  まさしく今、小さな集落の13年間の集大成とも言える方向性を決めようとしていた。
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