小さい頃のクリスマスにタイガーマスクの人形とリングのセットを貰い、テレビアニメの最終回には涙した。
高校の部活の打ち上げでは片手にマイクを持ち片手腕立て伏せをしながらタイガーマスクの主題歌を歌い、筋トレではベンチプレスで50キロを上げ(一回だけ
)後輩からタイガーと呼ばれた。
カラオケに行って友達がアニメ主題歌を歌っているのを見て、調子に乗ってタイガーマスクのエンディングテーマ『みなし児のバラード』を歌ったらあまりの暗さに思い切り盛り下がり大いに反省した。
そんな私がここ数日、全国で沢山出没している伊達直人の名を耳にする事は懐かしさも覚える。
伊達直人に矢吹ジョー。確かに二人とも孤児院出身でドラマの中でも子供にプレゼントを渡すシーンが見られる。
しかし桃太郎とか赤胴鈴之助、星飛雄馬まで登場してくるとなんだか訳が分からなくなってくる。星飛雄馬は貧乏で母親は居なかったけれど、頑固オヤジと木陰で見守ってくれる姉ちゃんもいたんだから。
次はバカボンのパパあたりが出て来たら面白い。
それで考えてみるとタイガーマスクやあしたのジョーの時代の孤児院と、現在でいう児童養護施設とはかなり変わっているのではないだろうか。
昭和20~30年代の養護施設はまだ戦後の陰も引きずり戦争孤児や、貧困のために親がいない子供たちが多かったのではと思う。その後昭和から平成になり私自身、今頃孤児なんているの?なんて考えた時期もあったけれど、現在は親が居ながら児童養護施設や乳児院に入所する子供が確実に増えているようだ。
もちろん父母が死別したり離婚や親の入院などによる児童もいるだろうが、最近は親からの虐待を受けた子や、家庭環境が著しく悪いといった保護者に問題があり施設が預かるケースが増加している。
離婚により心的疾患になる親も耳にするし、祖父母がいても面倒を見る事ができないという話も聞く。
確かにこうした施設に寄附・寄贈という話は美談なんだろうけれど、その奥にあるものもしっかり考えなければいけないのではないだろうか。
先日の新聞には、あしなが育英会への寄付金や募金も年々金額が減っているという話を掲載していた。
昨年養護施設の見学に行った時、施設の方から文具や衣類など必要なものは、色々な所から寄贈をいただいていると聞いた。
また親の金銭的負担はないというので「虐待など明らかに親に否があるような場合でも親の金銭負担はないのですか?」と聞きたかったのだが、ちょっと言葉が出なかった。
その一方では税金の無駄遣いは一向に減らず、自治体議会議員による調査費の不適切な支出は改まらず。国民の側も給食費や保育費を払う能力があるのに滞納したり卑怯なこともまかり通っている訳で、こうした施設へ税金を使うことも考えなければならない一方、保護者の側も子供の養育を放棄するような人間は親になる資格はない、もう子供を作るな!と言ってやりたい。
それから未だに「エコキャップでボランティア」とか言ってる人は、マンガの主人公の名前でどんどん養護施設に持ち込んだらいかがだろう?
(迷惑ですから絶対にやめてください
)
あ…それから余談だが、漫画のタイガーマスクは富士山のすそ野にみなしごのための「みなしごランド」というレジャーランドを作る夢があり、すでに土地の一部は購入しシンボルである自分の銅像は着工済みであった。
ランドセルの前に自分の像を造っていたとは