なぜか咳が出るようになって4〜5日。
やっと治ったようで。
まだ雪かきもしてないのに腰を捻るのがちょっと辛かった。
靴下を履くのも一苦労。
なんで? 筋肉痛のような感じなのだけれど特に何をした訳でもないと思うが、3年くらい前に起き上がるのもキツい腰痛になったことはあるがそれとは全然比べられない程度の軽い腰痛。
と、ちょっとストレッチやマッサージをしていたら4日ほどで治った。
湿布もあるよと妻に言われたが「自然治癒力で!」と、勝手に治った。
去年は遅れた頃にコロナかと思うような高熱が出たけれど病院へも行かず4日くらいで治ったし、インフルエンザもかかったことはない。思い返してもこの20年くらいで病院に行った事といえば左小指の脱臼で通院〜手術をしたくらいのように思う。
あ、あと歯医者に行ったのは〜15年くらい前が最後か。
かれこれ内臓系で病院にかかった事はないし、外傷はあっても病院に行くほどでもなかったし、整骨院も行ったことはない…。
小学6年生の頃に目に物が当たって角膜に傷がついて通院し、そのせいで結膜炎になってしばらく眼帯のお世話になった。
10代の頃は2月になると風邪をひいたが一人暮らしをするようになってそんなにひどい風邪になる事もなく。
頭痛で薬を飲んだ事もなく胃薬を飲んだ事も。肩こりもないので湿布を貼った事は打撲とかでか。
生まれてこのかた鼻血が出た事がないと言ったら皆んなに驚かれる。鼻の日生まれだけれどそんなに嗅覚は良くないかな。
しかし、ふくらはぎとか足の指はよく攣(つ)るし、自転車で長距離を無理して走った時には太ももまで攣って脂汗をかくことは〜最近ないか。そんなに走ってないし。
ま、怪我も自転車がらみが多くて2回ほど前のめりに1回転したことはあった。一度は6年生でホントこの時はかすり傷も負わずだったが、結婚式(自分の)の1ヶ月前に自転車に乗っていて、落ちていた空き缶を前輪で踏んづけたら缶がタイヤをロックさせてしまいやっぱり前に一回転。
どうやって転んだのかその時は眉毛を擦りむき(打撲もなく眉毛のみが)、結婚式当日までには治ったが少し毛がなくなっていたのでメイクで眉を描いてもらった。
そういえば30歳を越えた頃、疲れが溜まっていたのか黙ってるだけで辛かった事があって、その時やっていた業務の納期を伸ばしてもらったのはその時だけか。と言っても1日休んだくらいで楽になったんだっけ。
その前後で坐骨神経痛と思われる痛み…激痛に襲われる事があったり、突然の動悸で死ぬんじゃないかと不安になって病院に行って心電図を24時間とったが結局その時だけで、それ以来なんともなかった。
やっぱり30代は仕事も一人でかなりやっていたから無理もしていたのかな。
今でも一番辛かったなと思うのはやっぱり30歳を超えたくらいに風疹になったこと。
てっきり風疹には子供の頃にかかっていたと思っていたが、仕事をもらいに行く途中でちょっと熱っぽくなり、先方の会社に着く頃には腕にはブツブツができ始め、帰宅途中で病院に寄ったら二度目なのか初めてなのか風疹だと診断されて、帰宅した途端に関節全てが痛くてそれから2日半ほど動けず、真っ直ぐ寝ることも辛くて足を抱えて丸くなって寝ていた気がする。階段の上り下りも辛くて階下に降りられず食事もほんの少ししか摂れなかった。
大人になっての風疹や麻疹は大変なことになるとは言われていたが、あんなに辛いとは。
今思うと風疹も神経痛も動悸もその時に住んでいた家の時期だったので、その家(借家)のせいだったのかも? なんて思ったりして。
兎も角メチャクチャ身体が強いとも思っていないけれど、まあまあ健康でいられることに感謝しております。
山登りとかした時はこれ以上になったことがあっただろうか。
先日行った鎌倉〜江ノ島での歩数。この時は妻と次男夫婦も一緒だったので、みんな揃って38,000歩超え。
4人で152,000歩。
4人足す意味が分からん! と言われたがその通り(笑
私は翌日も37,000歩超えだったので良く歩いたものだ。次男の家に帰ってずーっと足のマッサージをしていたので次の日も歩けたかと思う。
昨夜母から札幌の伯母が亡くなったと連絡があった。
私が札幌に来る時にはアパート探しの時や、会社に勤めても父が来た時など何度も泊めて貰ったり、親戚が集まると呼んでくれたり沢山食事を作ってくれたり。
結納を入れる時には仲人ではなかったが伯父と共に妻の家に挨拶に行ってくれたり、結婚式の当日は沢山の親戚を受け入れてくれたりと、親戚の中でも最もお世話になっていたかもしれない。
しかし私も子供が生まれたり、伯母の方も孫やひ孫ができたりと遊びに行くことも少なくなり、近くを通った時にはたまに顔を出した方が良いかな〜くらいに思っていたが、結局十数年も会わずに逝ってしまった。
今日の通夜が終わって挨拶をしようと従兄弟の元に行くと、顔を見た途端にお互いしばらく言葉が出なくなってしまった。従兄弟は私よりだいぶん上でこちらに来た時はまだ車も持っていなかったので、中古のスクーターを安く手に入れてくれたこともあった。
伯父、伯母も葬儀に来ていたが随分少なくなったね〜と寂しさもありながら昔話で笑顔も溢れた。
駐車場から背丈もある草むらを掻き分けて川の横の道まで出たら、数時間後に首筋が赤いブツブツができてきた。
今まで草にかぶれる経験はなかったが何の草だったのか、やっぱり首筋は皮も弱そうだからなあ。
市販薬の過剰摂取のことだそうだが高校生の60人に1人の割でその経験があるという。
ホントかよ! と思うほどの数字に驚く。
東京のある一部で聞いた数字じゃないのか? とも思ってしまう。
歳を取ったら嫌でも薬に頼ることになるかもしれないのに、そんな若さで薬が好きとはなんと言って良いやら。
そんなに辛いことがあるとは。
昔のことを思うと今は不登校や自殺だったり辛いことへの対向性が弱いのかとつい考えてしまう。
とりあえず不登校の話だと私の中学生の頃も不良はいたけれど、毎日ちゃんと学校に来ていて授業にもちゃんと出て、イジメも知る限りそんなになかったように思うし…真面目だったよな〜(笑
それが今じゃ薬物だ薬の過剰摂取だ援交だなんだって…どうなっているのか。
日本大丈夫か。
熱があるのはあまり辛くなかったがいよいよ喉が痛くなる。
これで咳が出たら最悪だったが、幸い咳は出ず喉の周りを冷やしたり徹底的に体温を下げる努力を。
昨日の反省会から体が熱い! と言われ、帰宅して熱を計ったら38度以上上がっていて、シャワーを浴びてすぐにベッドに横になったが時すでに遅しといったところで、それからもう37度から38度をいったり来たり。
軽い熱中症かとも思われたが症状を考えると、身近な人で夏風邪が治らないと言っていた症状とピッタリでその人とも何度か近くで話したので完全に移されたようだ。
早速朝一番で受付をして母の腰の診察をしてもらいました。
まずはレントゲンを撮って診てもらいましたが、前に手術した場所も問題なくその周りにも骨折は見られず、手術も入院もしなくて済み良かったです。
治療的にはまず湿布薬で様子を見てリハビリテーションということになりますが、地元ではなかなか良いリハビリをしているところが少ないとか。
かと言って隣町までは30分以上…って札幌でも病院行くにはそれくらいかかったりするか。当然自分では行けないから家族に送り迎えして貰うにしても、腰に響いてかなり辛いらしい。
股関節も膝も痛い〜ってもう歳が歳なだけに色々痛んでくるのだろうなあ。
冬の間は特に動くことも少なかったから尚更体には良くなかったのかも。
やっぱり人間、動いてこそ健康を維持できるのでしょうかねえ。
私もコロナが流行してから自転車に乗って会議だ仕事だ〜っていく機会が減ったからやっぱり運動不足で、ちょっと動いただけで息切れしてしまいましたから。
そうそうその湿布薬というのが、湿布と言えば筋肉痛とか肩こりのイメージしかなかったけれど、先生が言われるのは飲み薬と同じような効果があるというのだから、聞いていても半信半疑。
薬剤師の人もまだあまり扱っていないと見えて、こういうのもあるんですねえ〜的な? 感じでした。
とりあえずホッとしたけれど、まだ痛みが和らいでる訳ではないからまだしばらく辛いことでしょう。
また母が腰の検査でこちらの病院に来ることになり、丘珠空港まで迎えに行きました。
千歳よりずっと近くて楽だ〜。
家から20分だもんなあ。
腰の治療で来たので車椅子に乗せてもらって搭乗したのですが、乗る時は3人がかかりで運んでもらい、丘珠空港では飛行機の後ろについている小さなエレベーターのようなものを機体に接続して降ろしてもらっていました。
それも6人がかりの設置で、大変お世話になりました。
風が強かったのとプロペラ機ということもあったのか結構揺れたそうですが、予定時刻より5分早く到着し私の家までは20分。
向こうの家を出てから女満別空港までは田舎なのでやっぱり20分もあれば着いたかな?
搭乗手続きなど余裕を持って考えても約2時間で札幌まで来られるというのはやっぱり早いなあ。
車で高速を飛ばしても今だと休みなしで4時間だろうか。
千歳空港だと駐車場に停めた車まで少し時間がかかるしそこから約1時間程度みるとしたら早くて3時間かなあ。
でも平日のせいもあるか搭乗客は20人もいなかった。運賃はちょうど安い期間だったけれど、いつもそのくらい安ければ…というところでしょうか。