道草、より道、まち歩き。

思いつくまま 気の向くまま、街をぶらぶら歩いています。
ブログの内容もゆるくて、道草、より道ばかり。

一番良かった時代…

2009年04月30日 23時58分40秒 | 社会・経済
Img_8830北海道新聞・木曜日に連載されている「おじさん図鑑」というコラムがあります。
毎週おじさんが奥さんや別のおじさんとの会話からの話しとか、若者や社会一般についてのエッセイで、自分もおじさんになった頃からだろうか、面白く感じるようになりました。

今週はいつもと違い<現代という時代の閉塞感>なんてちょっと重いテーマで、文中に昭和30年代を「幸せに満ちた時代」として懐古するのが流行になったが、おじさんは昭和30年当時子供だったが、貧しく暗い時代で差別も厳しくて、幸せだった記憶がない。なんて断じていて、私も「Always 三丁目の夕日」を見て感動したが、良い想い出だけを集めると幸せだったと思えるのかもしれないと、ちょっと寂しくも感じました。
確かに誰もが幸せだったという事はなく、少年犯罪も今よりずっと多かったし、中には公害病や薬害なんて恐ろしい事件もあったし。

でも昭和40年代を過ごした私の子供時代は、30年代から比べると高度経済成長に入りテレビも車も家庭にあるようになっていき、物も徐々に増えていくようになり、確かに楽しくて、幸せだったな~♪と感じるのです。

当時はスポーツと言えば野球くらいなので、それぞれ町内会ごとに野球チームがあって、町全体では十チームを数えるほどあったのでは?と思います。
現代に戻って発寒にも野球チームが5チームほどあり、一時はサッカー人気に野球離れで人数も減ったようでしたが、昨日ブラブラ公園を見て歩いていると少年野球の春季リーグが始まっていて、試合を見ていると小さな子供も沢山いて、また野球人気が復活しているように思えます。

それにしても彼らの立派な姿と言ったらプロ野球並みといったら大袈裟ですが、格好良いユニフォームはもちろん、スパイクから、ヘルメット、バットはケース付き。一体一揃え幾ら掛かるんだろう?なんて余計な心配もしてしまいます。
それもまだキャッチボールもちゃんとできるのかなあ?と思えるような小さい子までみんなと同じユニフォーム。野球に限らずサッカーでもバスケットでもまず格好を決めないとというのはどうなんだろう?と考えてしまいます。

スポーツの面白さは道具でもユニフォームでもないのに。少年団やチームに入っていないとできないって面白くない。私の子供時代の学校は、野球をしたり遊具で遊んだり、自転車で走り回ったりと毎日子供で溢れていた。
どの世代も自分の子供時代が一番良い時代だったって思っているかもしれないけれど、小学生から小型ゲーム機やカードゲーム、携帯をいじってばかりいる子供達が親になった時、そのまた子供に何を語るんだろう。
うちの息子達も外で散々サッカーをやってきて、それでもTVゲームをしたがるというのはどうにかならんものか。

(写真:さすがに部活でこれだけ疲れりゃゲームもしないけれど)

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発寒散策

2009年04月29日 23時12分50秒 | まち歩き(発寒)
Img_8902
二日前の寒さがウソのような札幌。
午前中に「第1回札幌地区カブスリーグU-15?兼 高円宮杯第21回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会」という長~い大会名に出る息子の応援に隣の区の中学校へ。
前は車で行っていたが、今年はもう自転車全開!隣の区といっても自転車で10分程。軽い風が心地良いほどだ。
会場校から見えるまだ雪がかぶった手稲山が快晴の空が映える。

午後からは作成中である発寒地区のホームページに載せる写真を撮りに街をぶらぶら。発寒は東西に長く延び、東は琴似発寒川から西は区界の追分通りまで。JR函館本線によって連合町内会も発寒地区、発寒北地区と分かれてしまって、木工団地跡に2年前にできたイオン発寒ショッピングセンター周辺は、地下鉄宮の沢駅の完成以後人口も急増している。
住所は同じ発寒だけれど、私の住む古い地区とマンションが立ち並ぶこの地区では随分町並みも変わっているようだ。
しかし、そのイオンの横には昭和3年に作られたれんが造りのサイロが未だに残っていて、中は喫茶店として使われていて、札幌景観資産として保存・活用されている。

そんな感じで、発寒限定で街の歴史、団体、サークル、イベントの紹介。お店や食べ物、モノ作りなんかを載せていきたいと考え、制作中であります。

発寒便利帳(タイトル未だに仮)
http://hassamu.com/

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母と彼女

2009年04月28日 23時17分31秒 | うんちく・小ネタ
前に読んだ雑誌から…

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

彼女と道を歩いていると、後ろから母が自転車でやって来て、笑顔で言いました。

母 「並んで歩くと危ないよ~

彼女「うるせー ババア!!」

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その後どうなったのか…

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さむ~い

2009年04月27日 23時34分41秒 | なんもなし
四月も終わりだというのに、まさかの大雪。

特に帯広周辺は冬でも雪の少ないところだというのに、中札内村は67センチ、大樹町46センチ、帯広空港41センチであちこちで除雪に追われたというから、気の毒としか言いようがないです。

67センチとは雪の多い札幌でもそんな経験は1度か2度くらいじゃないかと思う。
さすがの北海道ももう夏タイヤになっているので、路外に逸脱する車が続出したそうで、大きな事故に繋がっていなければと願うばかりです。

札幌も昨日の夕方に雨から雪に変わったけれど、今朝にはもう融けてなくなっていたし午後には青空にもなりました。
しかし寒いのなんのって。
まだまだ桜や花見どころではない北海道でした。

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キタキツネの訪問

2009年04月26日 23時33分45秒 | 写真
Northfox
写真は今から19年前で、今はこんな事はないと思いますが、北海道美幌町の実家に現れたキタキツネ。この年は町のゴミをあさりに来たキツネが多かったとか、お正月に帰省した時、気が付くとベランダの外におりました。
立派なシッポに綺麗な目をしています。

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キャッチボールのススメ

2009年04月25日 23時51分50秒 | スポーツ
いつも暇そうにしている三男を引っ張り出しキャッチボールをした。

上の二人はサッカーの少年団に入っていたので、毎週土日は練習試合だ大会だと引っぱり回され野球なんてしばらくご無沙汰になっていた。年に何度か休みの日に家族で公園に遊びに行った時に妻も入れてキャッチボール程度をしたり、小学校のPTAでソフトボール大会があるくらいだった。
妻は中学生のときにソフトーボール部だったので、投げるのははっきり言って私より上手い。球も速いし、ちゃんと胸に返ってくる。しばらく受けていると手が赤くなる程いい球を投げる。
対して私は小学生の頃は毎日野球漬けだったのに、今は捕るのは全然問題ないどころか、かなり自信はあるが、投げる方は握り方が悪いせいかさっぱり上手く投げられない。昔はコントロールには自信があったのに、妻とキャッチボールをすると劣等感さえ感じてしまう。

そんな訳で私もちょっと投げられるようにと二人で基礎から(笑)
息子は野球経験は全くない。つくづく現代っ子だなと感じる。若い二十代の先生には男性でも野球経験がない人もいるから無理はないか。
でもやっぱりドッチボールなどはしているせいか、投げるのは案外上手。コントロールもそこそこあったりして。
しかし!捕る方は「なんだそれ!!」って言いたくなるようなグローブの出し方をしたりして、私も人に教えられるほどは上手くはないけれど見かねていちいち口を出す。

子供ができた頃、男としては子供と一緒にキャッチボールをというのが夢だったりしたが、すっかりサッカーばかりでパスやシュートの練習にはよく付き合ったが、野球は全然してなかったことを改めて感じる。
1時間近くやっている間に少しは上手くなっていたので、これからもう少し引っ張り出してみようかと思う。キャッチボールをしながら、あれこれ教えたり、ボールを逃げる格好に笑ったりと、親子のコミュニケーションにはいいなあ♪ なんて思ったりもした。

思い起こせば私が息子と同じ頃、仕事から帰って来た父とキャッチボールをしてもらった。グローブは一つきりだったので、父は素手だったが、毎日スコップを持って仕事をしていたので、分厚く硬い手は子供の私の球はなんなく受けていた。
息子とキャッチボールをしながら、昔野球をした頃を思い出す余裕は無く、ちゃんと捕れるようにと投げる事に精一杯だった。
明日は肩がいたくなりそうだ。

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THE APARTMENT

2009年04月24日 17時42分29秒 | 映画


YouTube test

いつの間にかブログの新機能にYouTubeの動画を貼れるようになっていたので、適当に思いついたもの試しに貼ってみたけれど…。リンクの表示だけでダメだなあ。なんでだ?

「アパートの鍵かします」って好きな映画で、ストーリーも好きなんだけれど、劇中で主人公のジャックレモンが風邪を引いて会社で鼻をかむシーンがある。1960年の映画なのにすでにボックスティッシュで紙をシュッシュと出す事に驚いた。自分が子供のころはティッシュなんかなくってちり紙とか、鼻紙とか?言ってたっけ。折り畳んでポケットに入れて、学校でハンカチ・ちり紙検査で出したりするともうボロボロで(^^;
あれ?俺だけ?ティッシュっていつから使うようになったっけ?

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洗濯機壊れる?

2009年04月23日 22時36分46秒 | 社会・経済
Nec_0009朝起きると妻の第一声が「洗濯機が壊れた!」
う~ん(--; ついこの間も洗濯機の底にある水流を作る部品を、はめ込んでいるところがすり減って交換したばかり。まいったな~。
電源は入るけれどウンともスンとも言わない。あ~あ、今度こそお陀仏かぁ? 洗濯機にもエコポイントは付くのか、でも買うとなると辛いなあ…などと思って、とりあえず妻が修理に電話すると明日になるそうで、その後も妻が色々いじくっていると、どうにか脱水はできたといい、どうやら風呂の水を汲み上げる附属のポンプがおかしいらしい。
それでもう一度サービスに連絡すると部品を量販店に注文すると時間がかかり、来てくれると在庫がありますとのことだったので、サービスセンターは車で10分程度の場所にあるので、早速購入しに行く。
購入は実費で3000円だったので、出張に来てもらって点検するとそれだけで3000円なので、半額で済んだのでちょっとおトクになった♪

車で待っていると、駐車場の目の前は配送センターのようで、フォークリフトで製品を運んでいたり、大型トラックが荷物を積み込みに来たりしている。
トラックの陰には大型薄型テレビがパレットに山積みされてあった。世界の亀山モデルのようで、あの一山で4~5百万円もありそうだな~なんて考えていた。
液晶テレビも売れ行きがちょっと落ちたなんて言われているようですが、こういう所を見る限りは景気が良さそうに思える。

とりあえずまた寿命が延びて良かった。

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コンビニ弁当なんかいらない

2009年04月22日 23時30分23秒 | 食べ物♪
「おくりびと」の滝田洋二郎が撮った「コミック雑誌なんかいらない」みたいですが。
かれこれ何年コンビニ弁当を食べてないだろう。コンビニの総売上が百貨店を抜いて、コンビニで売られるお菓子から総菜、弁当まで商品開発が繰り広げられ、価格競争ももの凄いことになっている。
お弁当はコンビニに限らず、スーパーでも400円以下とか、ほか弁も安い物が出たりして近頃は弁当男子なんて弁当を作る男性も増えてはいるようだけれど、すぐに買える弁当は独身男性には嬉しいことだろうか。

コンビニ弁当は食べてないとは言ったが、年に数回は納豆巻とかカップラーメンと一緒に食べていた。
しかしコンビニとかスーパーの弁当って、味はそこそこだし、レンジで暖めれば暖かい弁当も食べられるが、お昼に妻に作って貰ったり自分で炒飯の類やうどん、そば、スパゲティなどの麺類などできたてを食べることに慣れてきたせいか、随分前から買って食べようと言う気が全くなくなった。
それから食べた後のゴミが嫌で、プラスチックの容器にしょう油などの調味料、割り箸とどうしたってゴミになり、食後のゴミを目の前にするとうんざりする。

きさらさんから前記事で「すべてのゴミが有料になりますか?」の問いがあったのでお答えします。札幌の場合は「燃やせるゴミ」と「燃やせないゴミ」と「大型ゴミ」が有料で、他のビン・缶・ペットボトル、容器包装プラスチック、雑紙、スプレー缶、乾電池などは全て無料で回収します。ラーメンの調味料の袋なども分別していますね。
これらは分別してリサイクルできるから。というのが理由なんでしょうが、な~んか納得がいかない。

ゴミは生活してるとどうしても出るものだけれど、瓶やペットボトル、プラスチックや乾電池などは減らそうと思えば減らせるものだ。そういう物が出る商品を買わなければ良い事で、できないことではない。
また、もっと気になるのがコンビニの廃棄弁当問題。実際に捨てている所を見たことがないので断言はできないけれど、そういう告発本やネットでも話題になっている。なんでも賞味期限切れの弁当を捨ててもコンビニ本部は痛くも痒くもなく、安く売るよりずっと儲るように出来ているとか。
実際どのくらいの量が捨てられているのか、考えると恐ろしいが日本全国のコンビニ数がざっと4万店、1店舗が1日1つお弁当を廃棄したらそれだけで4万個。やっぱり恐ろしい。
私の住む発寒北地区は1万8千人の人口で、コンビニエンスストアは9店舗!どうしているんだろう…。

日本の食糧自給率が40%というが絶~対ウソだ。
弁当廃棄をやめられたり、作る事をやめれば一気に5%くらいはアップするんじゃないか?
昔はなかったんだからコンビニは。

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合ってないぞ~

2009年04月21日 23時35分05秒 | 写真
Img_7883
ウトナイ湖にて

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ガンバレ!夕張!!

2009年04月20日 23時43分31秒 | ニュース
未だに生キャラメルは味わった事のない私ですが、生ミルキーは食べました。美味しかった~♪こちらは売り切れとのことで生ミルキーも応援したいですね。

さて、夕張に花畑牧場の生キャラメルの製造工場が操業開始したとのニュースが流れました。場所は市が所有していた宿泊施設を花畑牧場が購入したそうで、それだけでも3400万円というから市にとっては大きな収入だし、今後正社員・パート計90人を雇用し、派遣の従業員も入れると200人規模となるというから生キャラメルさまさまじゃないでしょうか。

田中義剛は昔、バーリバリ!ゆ~ばり♪と、夕張のレジャー施設などのコマーシャルに出た縁もあり、恩返しの意味でも夕張に工場建設をしたようですが、コマーシャルの出演料以上の恩返しになったのではないでしょうか。
考えるとその出演料も市が多額の借金の中から支払ったものだから、夕張メロンが全国的になったのも、結局民間の力がなければ景気は回復しないのじゃないかなと思う。

それにしても最近夕張ではスポーツ選手が来て、小学生達との交流をして文房具を配ったりしているそうです。ちょっとした物でも嬉しいことでしょうけれど、その話しを聞いて国際貢献などでアフリカや途上国に文具を配ったりする事を思い出してしまった。
なんとなく、それはちょっと?と考えてしまいました。

確かに財政再建団体となってしまい、反面教師として道内の他の自治体も必死で経費削減の努力をしたりしています。鉛筆一本購入するにもお伺いを立てなきゃいけないという話しも聞きます。
でも私の机の中にも色んなスポーツ大会で貰った景品などが手付かずであったりして、日本中を見渡すと物はたくさん余っているよ~な。

ちょっと脱線しましたが、やっぱり自治体の財政格差で影響されるのは子ども達、教育の面かもしれない。学校がなくなったり、通学が大変になったり、ヘタすると耐震性に問題のある校舎で勉強しなければならない。
ま、でも私たちの子どもの頃は木造校舎で、石炭のだるまストーブで近くは暑いけれど、遠くの子はすきま風びゅーびゅーなんて環境でもちゃんと育ったし、そのまた昔は服だって質素でもっと大変だったでしょう。

生キャラメルも元々別な地域の人が作っていたものを、その製法を惜しげもなく公開したおかげで、今の花畑牧場の生キャラメルがあるのでしょうから、儲ったものはみんなで山分けできるような世の中になればいいな~なんて思います。
ガンバレ!夕張!! 今年は遊びに行きま~す♪

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ゴミ有料化の説明会

2009年04月19日 23時36分44秒 | 日記・エッセイ・コラム
町内会の総会の前に、市の清掃事務所から職員が来て、今年7月1日から家庭ゴミの有料化にともなって、分別方法、収集方法の説明会を行った。
最初にパワーポイントを使って変更となった点、新しくなった点の説明の後、職員からもう少し詳しく話してもらい質疑応答となった。
特に大きく変わった点と言えば、ビデオテープやポリバケツ、ビニール製品、皮革・ゴム類などが燃やせるゴミになったことと、雑紙と枝・葉・草の日が増えたこと。
ビデオテープは今まで何度か使えなくなったのを燃やせないゴミに出していたから、なんとなく抵抗があったりして。ポリバケツなどのプラスチックも燃やせるゴミにするとは、硬質のプラスチックはリサイクルできないのだろうか?
要はダイオキシンを吸収する装置が清掃工場に設置されたからということらしいけれど、あれだけ騒がれたダイオキシン騒動はどこへ行ってしまったんだろう。日本国内ではこれまで水田に大量の農薬を撒いていたが、中にはダイオキシンも相当量含まれていたと本にあったが、反論を聞いた事がない。
清掃事務所の方からは、廃棄ゴミは1日1人400グラム以下にしましょうとのことだったが、我が家は5人家族なので1日の合計は2キロ以下に。1週間だと14キロ。
計ってみないと分からないけれど、そんなには出してないような気もする。

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花壇整備

2009年04月18日 23時28分07秒 | 日記・エッセイ・コラム
Img_8821裏の庭はブロックを積んだり石を並べて花壇のスペースを作ったりしているが、表の方はあまり手をつけていないので、今年は少し綺麗にしようと考え去年の秋から土を掘り起こしたりして、まずは埋まっている石を取り除く。
これがまた(^^; この土地が以前資材置き場だったため、未だに石が多いしガラスやブロックの破片だとかが出てくる。
もう何年も手つかずで自転車置き場にしていたので、スコップも入らないほど硬くなってしまった。

家を建てる前に表面の土を一度取り除けば良かったが、住宅メーカーからはそういうアドバイスもなく、家の購入を決めてすぐに担当の営業が変わったのと、完成がメーカーの決算時期と重なっていたため、スケジュールに余裕が無く、土地の方までゆっくり考えなかったので、基礎部分以外はそのままの状態にしたのが失敗だった。
おまけに裏の方が低くて大雨が降ると大きな水たまりができ、なかなか水が抜けず後から暗渠工事をするハメになったり、建てて数ヶ月後に裏口のドアがなんだか使いづらいと図面を見直すと開け方が逆になっていた。こちらは無料で付け替えてくれたが、外回りに関しては減点が多かった。
満足する家造りは3軒建てないとなんていうが、確かにそんな気はする。

さて、土を起こしてブロックで土留めをするにもレンガでおしゃれにいきたいところだったが、お隣が去年ラティスで囲いを作ったので、不要になったブロックを再利用。足りないところは出て来た石を積んでみるかなあ。
(置いてある木は猫よけ…あまり意味はない)

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GWが16連休?!

2009年04月15日 23時35分35秒 | 社会・経済
yahoo!のトピックスに『大不況でGW「16連休」続出? ミクシィで「悩み告白」相次ぐ』とありました。
16日連続って…2週間と2日間。学生の頃の夏休み冬休みのようで、かれこれもう二十年以上そんな長い休みを経験していません。
会社を辞めて独立した時はまだ十分な仕事が無くて、半失業状態のようなものだったような気もするけれど、とりあえずやる事はたくさんあったし。

16日間というと、数えると4月25日から5月10日までだろうか?これで16日になる。
16日も休みがあって何しよっかな~♪ なんて呑気なことを言っている訳ではなく深刻な話でもあるようです。それだけ休んでも給料がそのままならいいんじゃないか?って思ってもいいけれど、今の大不況が背景にあるので、在庫調整の一時帰休も絡んでいるとか。すると給料はどうにかなっても賞与などには多分に影響が出てくるのではと思えます。

私も人の心配をしている余裕は無い訳ですが、あまり長期休暇に慣れていない日本人には長い休暇は不安にさせるだけで、ゆっくり旅行をしようという気持ちがおこるでしょうか。
休みが明けたら会社が無くなっていたりして(**)なんてことが起きなきゃいいけれど。

そういう事が実際にありました。
私が独立前に働いていた会社の事ですが、私が辞めて半年後の冬期休暇を迎えました。来年も頑張りましょう!と正月を越した訳ですが、年が明けて皆が出社したら社長から「会社をたたむことにした」と告げられ、当然ですが社員一同茫然となったといいます。
経営者としては倒産することは年末から分かっていたようですが、それを社員に告げるかどうするか。新年が明けて路頭に迷うというのも厳しいものがありますが、正月を不安な気持ちのまま迎えるというのもまた辛いものがあったでしょう。
社長としても苦渋の決断だったのでとは思います。

十数年前の景気も良くないと言われた頃ですが、それでも今よりずっと雇用もあり、社員同士はバラバラになったとはいえ、あまり時間がかかることなく再就職ができたようでした。
今は一度職を失うと同じ職種、同じ水準の所得をもらえる会社への再就職は非常に難しそうです。
贅沢しないでいいから、のんびり暮らせるだけの仕事があればな~なんて考えるのは甘いんでしょうか。

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うどん打ち機

2009年04月14日 23時35分01秒 | 食べ物♪
Img_8755
つきさっぷ郷土資料館で見つけたうどん打ち機。
多分これは、部品さえすり減っていなければ今すぐにでも使えると思う。
なぜならこれとほとんど同じ物が実家にあったからだ。亡くなった父はうどんが大の好物で、手打ちうどんを作った時は一気に3杯は食べたといううどん好き。子どもの頃は父のうどん好きのせいか、そばは年越しくらいしか食べた覚えがないくらい、うどんをよく作って食べた。
現在の私はうどんと、そばとどちらが好きかと言われると非常に悩む。

当時の記憶でこの打ち機で作るうどんの作り方をご紹介。
うどん打ち機と言っても、あくまで平たく延ばしてバラバラに切る機械なので、生地づくりはもちろん手(足)作業。手でこねると非常に大変なので、粉をある程度こねたら米袋に入れて足で踏む。私も手伝ったが重量が父並みにあった母の方が強いコシのうどんができた(笑)
コシが出て来たら適当な大きさに切って、打ち粉を振りながら平たいローラーの方に何度も通して延ばす。ハンドルをグルグル回すのが楽しくてよく回させてもらった。
綺麗に平らになったら、今度はハンドルを逆か、下の方の歯車に付け替えて、串状になった方のローラー生地を入れて、一本一本切り分けるが、こちらは母が子どもには危険だと思っていたのか、最後の仕上げは自分でやりたかったのか、私にはさせてもらえなかった。

エラい昔の記憶だけれど、うまかったなあ、あのうどん♪ その後部品がすり減って新しい打ち機を買っていたようだが、父が亡くなってからはほとんどうどんを作ることも無くなっているようだ。
昭和40年代だと当たり前だったのかもしれないが、戦前生まれで山育ちの母は沢庵はもちろん自分で漬けていたし、味噌も大豆を購入して自分で作っていた。
本当に今はコンビニまで数分歩けば、なんでも買えるようになって本当に便利になった。
数年前法事で実家に帰った時、客がみんな帰った後、食事を作るのも億劫になって、近くのコンビニでおにぎりを買う事になったが、母が食べ物が直ぐに食べられるというのは便利なものだ。としみじみ語った言葉が頭をよぎる。

うどん一杯食べるにも生地をこねて、延ばして切ってと、何時間かけてたんだろ。
それでもまたあのうどんが食べたい。

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