AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

集合知の無知(17)

2016-09-24 11:18:18 | 今そこにあるメディアのリスク



戦後の経済成長はCMで言えば、世界を股にかける猛烈ビジネスマン「24時間戦えますか」のリゲインが表現のシンボルでした。そしてバブルが崩壊し、リーマンショックが世界を覆い尽くし、そしてデフレとなり、アベノミクスに今やマイナス金利の異次元状態です。戦後の新自由主義経済が齎した、ダニエル・ピンク氏 のモチベーション2.0 低成長の経済で一体何処に向かっているのでしょう。





東京都の豊洲移転問題 これも今のモチベーション2.0の生き甲斐のない仕事ぶりと言えるかも知れません。
誰かが気ずいても、それを言えない都風とでも言いましょうか、、、。言ってしまうと「村八分」にあうのかも知れませんし、出世が遠のくのかも知れません。生き甲斐のある仕事を楽しみ、その対価として外発的モチベーションのお金を貰う。のですが、豊洲に建ててしまってから誰も責任の所在すら解らない。バブル崩壊後 そういう内発的モチベーション「やる気の生き甲斐」を奪ってきた末の大問題の例でしょう。全ての企業に競合させ安い入札を選ぶ。全てに於いて、モチベーションの劣化なんでしょう。明治は遠くなりにけり、、、。そして148年が経ちました。幕末くらい多くの主役級を生んだのも珍しい時期でした。



幕末から明治中期の日本人の生き様を日本を訪れた外人の書簡から探る「逝きし世の面影」ハリスにしても、一航海士も「この国に我々の持つ文明を強いてよいものだろうか?」その様な事が多く記されております。江戸幕府側も、薩長側も「誰もお金のために動いてはいない。そして各々義の為に若くして死んでいった。」私利私欲で動いた人間はいなかったのでしょう。そういう意味合いでは、欧米列強とも中国の当時の清国とも全く違った独自の鎖国路線が良かったと思います。この時代のモチベーションはもしかしたら3.0だったかもしれません。
但しその生き甲斐のモチベーションの第一期は明治、日清 日露戦争 日本の「武士道」精神が生きていた頃です。乾電池を作ったのも日本人です。実際 日露戦争でも使われたそうです。昭和初期まで。戦後焼け野原から経済でモチベーションの第2期をむかえ、バブルが弾けてその後「生き甲斐がなんだか解らなくなってしまった。」それが今でしょう。以前 国民を一言で表す表現があります。船が沈没する時に言う言葉「みんな海に飛び込んだぞ!」これが日本人を表した言葉です。そろそろ「日本人をやめませんか?」そうすれば、少しはモチベーション3.0に近ずくかもしれません。忘れてはいけない事、江戸幕府は凡そ260有余年です。今何が起きてもおかしくないのです。