AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

集合知の無知(2)

2016-09-02 19:47:23 | 今そこにあるメディアのリスク



今は既に誰もが世界中で繋がっています。先日のイタリアの地震にしてもCNN はライブで中継しておりました。2011年の「東日本大震災」を地震後直ぐに世界に配信したのはNewYork TimesのBreaking News(号外)でした。


( 画像は実際に配信されたBreaking Newsではありません。)

数分前の被災地の画像とタイトルに詳細もiPadやスマートフォンに登録していれば配信されたのです。マルクハーンの「グローバル ビレッジ」地球の村化は更に加速しているのも事実です。集合知の劣化と言う記事を引用させて頂きましたが、デジタル化が余りにも進ぎすぎて情報がオーバーフローで溢れかえっている事と誰もが苦になく情報をえられる。これがかえって自分の知識になっていないのでは、、。と思ってしまいます。






学校でも授業を休んだら、友人のノートを借りて「書き写し」ました。それがコピーの時代となり、スマホで撮影してそれをOCR(Optical character recognition・光学文字認識) のテキスト化も出来る世の中です。
仲畑さんではありませんが、「反省だけなら猿でも出来る」と持って行かれてしまいます。
今や集合知は既にタイムラインの過去の言葉のようですが、やはりデジタルになればなるほど
アナログにならないと、この大きな波に流されてしまいます。
今の時代 ちょこっとデジタル、でも大半はアナログの上流の上澄みで仕事をなさる方々と下流に数万尾の群がる鰡の様にデジタルに行けば行くほど集合知で表すのであれば下流となります。但し 恐竜の頭になるか、尻尾になるか?私も尻尾を齧っている一人です。ただその資質は集合知では測れません。実世界 (オフ)とサイバー世界(オン) この使い方が問われていると思います。