まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雪解雨(ゆきげあめ)というらしい。

2022年02月19日 | Weblog

今日から、立春に代わり、雨水の初候だ。

表題の、雪が解ける雨、っていかにも、なんだか、春が間近か、という気になるね。

ところが、ゆきげあめ、と入力すると、ちょっと、違う漢字が出てくるんだよね。

当たり前か、は、いいんだけど、iMacの、つまり、グローバルの成れの果て、みたいな感覚を覚えるんだな、いつも。

日本固有の、一太郎、だっけ、そんなのもあったんだけど、キーボードで叩いた文字が変換される時の。

あのなんともいえない感覚ね。

もちろん、何回も使うようになると、そのようになっていく、とも言えるんだけど。

というのも、夕べ、パラパラと読んでいた本に、神代文字、というのが、どうやら、ずいぶんと古いものらしく。

なんて記述に出会ったので、言葉、大切ぞよ、というのを感じもし。

よく話に出る、カレンダーね、暦ではなく、しかも、陰暦とか旧暦、さらに、そのもっと古い和暦、なんての。

あるいは、日常使う言葉の数々によって、人それぞれの価値観が知らぬ間に醸成され、とね。

黄色い顔した白人とかさ。

ドストエフスキーのなんの小説だったか、フランス帰りのインテリ、っての、描写されていたな。

鼻眼鏡で、フランス語混じりのロシア語を話す、というわけだ。

今でいえば、カタカナ語をふんだんに交えた会話、だな。

母語、なんて言葉があるように、自国語の中にある、精妙な感情、感性なんてのが、暮らしている自然の中から。

それこそ、自然に発生し、というの、あるんだろうしね。

主語を曖昧にする日本語、なんて言い方で、なじる帰国子女的な物言い、あるけれど。

ところで、このところ、指針作り、ってのが頭の片隅にあって。

それが、仕事、といえば、仕事で。

しかし、カラダを動かすわけではなく、誰ぞと会いまくるわけでもないので、傍目には、何もしてない。

ただ、ぼーっとしてる、みたいな姿かたちでもあって、彼我の差が気になるところでもあるんだけど。

ま、そんな感想はともかく、事業継承を見据えた指針作り、とでも書いておくか。

そんな中、時代は、横のつながり、とかの言説がヒタヒタとやってきてもいて。

組織とか集団とかの顛末のつけ方、とでもいうのか。

そのうち、もう少し、わかりやすくなったら、ご披露申し上げ、って次第です。

というわけで、今日は、ちょっと、西の方面へ出かけることにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする