まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

「天涯の花」はキレンマショウガでもあり

2018年05月21日 | Weblog

剣山ネタです。

先々週に訪れた、徳島、阿波ですね。

宮尾登美子の表題の古本を手に入れ、昨日の日曜日は、母親を階下に感じながら読んでいた。

この写真が、表題の花。

って、こんな具合にアップすると、ベタすぎて、だけどね。

剣山の行場があるそうで、そこでしか咲かない、主人公が見たのは、8月なかば、と作品中には書いてある。

一つ一つの花が月光のように澄み、清らかに輝いて見えた、と宮尾登美子は書く。

水を差しちゃうと、彼女、体が弱くて、見ノ越までは行けたけど、頂上へは行けてなかった、とネタばらししちゃってる。

物書きの再現力の見せ所、ってわけだ。

ついこの間、訪れた地が舞台、ということで、1円プラス送料350円で手に入れた本なんだけど。

吉野川だったり、見ノ越、貞光町、穴吹、次郎笈、四国三郎、劔神社、大劔神社とか、ご当地で聞いた地名が現れ。

なんてこと、事細かく、御披露申し上げ、なんて気にもなったけど、行ったこと無い方には、ちんぷんかんぷんだろうから。

やめときます。

とにかく、そんなわけで、剣山を舞台にした宮尾登美子の小説、読みました、と。

ところで、話が変わり、舞台も変わりますが。

この間、北海道からやってきてくださった信頼する女史、彼女との話の中で。

いじめられる、という設定をしてきたんですね、と妻が言われたそうで。

しかも、その言葉、設定してきた、というのが響いたらしく、なるほど。

それはすごいな、と思った次第。

論評であったり、評論であったり、というのは、誰でも簡単にできるけれど、心の奥に響かせるのは。

そりゃ、なかなかの力技であり、心に響く音を創る作曲家にしたって、長い人類の歴史の中で、何人いた?天才と呼ばれる人。

くらいの話でもあるからね。

それはともかく、そんな具合に、日常の、ありふれたことごとのなかに、再発見をしていく、というのが。

まんま、この人間の幸せ、あるいは、もともとの普通の姿、とも言えて。

そのことへの目くらまし、だまし絵、擬制、人工物、などなど、言い方は数多あるけれど。

そこからの脱出が、ある意味、生きる意味、あるいは、生きる醍醐味、でもあり。

なんてことに、妻の話から気が付いた次第で。

ほんとに、心してみれば万物皆わが師なり、ってことにもなるね。

お月さんが地におりてきて宿っているような淡く輝いた黄、と写真の、キレンゲショウマを宮尾登美子は書く。

先達さんが滝行をする、おぐらい木漏れ日の中に咲く、というんで、写真では、ベタすぎちゃうのは。

そういうことで、やっぱり、リアルには勝てないんだろうな。

なんて思いつつ、こちらも、今日のリアルに入るとするか。

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今朝のパナマはやわらかい

2018年05月20日 | Weblog

って、このところ、珈琲オタクの薫り漂うブログになっちゃってるけど。

昨日、おじおば会。

朝霧のフードコートで、思い思いのビュッフェをいただき、残念ながら。

富士山は、その時には拝むことはできなかったけれど。

帰りがけ、麓っぱらにて、毛無山の隣の山から湧く水をいただいたので、今朝の。

表題に続く、わけだ。

麓っぱらには、猪之頭小学校麓村分校があって、今は、山の家、と名前が変わっている。

以前も書いたかも、だけど、そこに92歳の母親が、成人を少し過ぎたばかりの時、つまり。

昭和の2年生まれだから、戦後すぐなのか、それとも戦時中なのか。

友達と連れ立って、かぼちゃや米を担いで、夏の林間学校くらいか、何泊かして。

その時の先生のお宅へも、いつぞや、10年にはならないか、そのくらい前に伺ったことがあった。

という楽しい、懐かしい思い出が残っているはずなんだけど、このところは。

その記憶も、遠くの方へ投げ放たれているようでもあり、昨日も。

その分校前で、その記憶への糸を繋ぎとめようと、画策もしたけれど、力及ばず。

だったんだけどね。

昨日の土曜日は、そこでは、どこかの企業さんの、精神鍛錬的な研修の日だったようで。

30キロ、走りました、半分、脱落でした、みたいな会話を、タバコ吸いながら話し。

来週からは、気合い入れて仕事、営業マンのような仕事らしいけど、それ、頑張れちゃいますね。

くらいの、大人の会話をし、なんてしているうちに。

そこへ、歴史の旅の仲間の女史の、そのお姉さまが、バイクで駆けつけてくださり。

かくかくしかじか、お水のあるところまで、って、ご自分の住んでるところなんだけど。

そこまで案内してくださり、なに門、というのか、茅葺の門をくぐり、一挙に、一同。

ある時代へタイムスリップのような感覚になりそうな、そんなお宅へ。

大黒柱も太い、というより、柱でない何ものか、のような家で、出てきてくださったお父様が。

ちょうど、こちら、二番目のおばと同じ生まれ年で、昭和の一桁。

話は、あれやこれやと広がり、お茶までいただき。

母親は、鹿の剥製がお気に入りのようで、なにやら会話をし続け。

なんて時間、過ごすことができた次第。

家は、元禄2年築、だそうで、450年前。

その前に、大水が出たのか、山崩れで、この地区は大きな被害を受け、朝霧の方へ移住したそうだ。

んだけど、その地は、水が悪く、で、再び、この地へ、というのが、古文書によるとくだんの元禄時代。

なんてこと、昭和4年生まれのお父様と話し、さらに、彼、去年、股関節の骨折で、人口関節を入れたらしく。

大丈夫ですよ、ほら、この二人、と母親と二番目のおばを指し示し、同じようなリハビリもして、こんな具合に。

楽々歩いてますから、なんてことも伝え。

耳の遠い母親は、会話の中へも入りたいんだろうけど、相手の言ってることが聞こえないんだろうからね。

で、しきりに、自分の母親が先生をやっていて、なんてこと、言ってるんで、でも、ちょっと。

今話されているテーマと違うからな、なんて思い、うなづきながらもスルーしていたのが僕でしたが。

今朝になって思うのは、たぶん、その昔の麓村分校への旅は、先生繋がりでのものかも知れず。

彼女の記憶を、ほんの一つか二つのキーワードを頼りに、繋げようと苦心惨憺の様か、と。

早い話が、こちらが、誤解していただけ、とも解釈できるな、なんてね。

というようなところに、今朝は、きているんだけど。

いずれにしても、おばたちも妹も、いつもと違う体験、経験ができた次第で。

犬も歩けば棒に当たる、まんまの、おじおば会だったのでした。

朝霧フードコート、そこの酒屋さんでのツバメの巣作りの話も、つまり。

軒下の巣にやってきたツバメを見ながら、お店の女の子と、また今年もやってくる。

というのは、いい家だからなんだよね、なんての。

そりゃ、そんな言葉投げかけられれば、働いてる人も嬉しいよね。

とてもいい雰囲気作りの要諦でもあり、なんてシーンもあったり、ではあったけれど。

あんまり急激に環境が変わると、その変化への対応が難しいようで、気分は、怖れとか不安へ入り込む。

という、考えてみれば、どこでも誰にでも、思い当たるようなものだけど、そんなことも、気づかされ。

そりゃそうだ、なんてね。

というようなこと、などなど、豊穣な一日だったのでした。

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雨模様で始まったおじおば会の朝

2018年05月19日 | Weblog

待ち遠しい遠足当日のような、そんな思いで。

昨日も、おばから妻のところへ電話があったようで。

その一事は、まるで、運動会やお祭りの始まりの号砲、いや、花火みたいなものだ。

振り返りみれば、2004年からとすると、15年になるのか。

生まれたばかりの子が、高校生活も終わるかどうか、という年月だ。

夕べは、ほぼ、高校を出たばかりくらいの3人組の、歓迎会。

お酒を飲めるかどうか、微妙な年頃で、それでも、二次会では、スナックというような。

彼らがさらに成長していくうちには、死語となるかもしれない、そんなお店で、歌を歌っている彼ら。

チョイス、選曲、とても太刀打ちできず、もちろん、忖度なんて言葉すら浮かばない。

なんて時間を過ごし、当方は、今日の日の為に、そうそうの帰宅の途についたわけだ。

さて、今日は、西か東か山か、果たしてどうなりますことか。

今朝の巴川は、風に吹かれて上流に波打っているんだけど、夕べ、というのか、夕暮れになろうという時。

会場入り口に早くついた社員さんと、その川面を眺めていた。

会場というのは、昔からある、金田食堂。

川の中では、鯉がゆったりと泳いでいた。

このところ、カワウを見かけないので、彼らも、猜疑心なしに川の流れを楽しんでいたのかも。

なんて気分になりつつ、いつもは、屋上から、そのカワウの群の、漁の姿を。

やんやの喝采を心の中であげながら、なんだから、見る角度、見る方向で。

ものごと、変わるわけだ。

そうそう、上記の3人組ともう一人、一年先輩、の四人で、大滝巡りをしているらしく。

スマホの動画を見せてもらったんだけど、新録が美しく、この若さで。

その楽しさを味わっているんだ、なんてちょっと、驚きもし。

こちらの今日のイベントも、雨に濡れた新緑、ってのが、キーワードになりそうだ。

今日は、カーテン屋さんの方でも、イベントがあり。

雨が上がりそうで、よかったんだけどね。

僕は、かくかくしかじか、母親が、ということで、そちらには顔を出せないよ、とエクスキューズを入れてあるんだけど。

それぞれの持ち場で、それぞれの人が、それぞれの持ち味を出し切って、という風情。

さて、今日の務めを始めるとするか。

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孝蔵は蔵を建てるくらいの親孝行

2018年05月18日 | Weblog

を願ってつけられた名前なのか。

という書き出しで始まるのが、結城昌治さんの「志ん生一代」。

2冊1円で手に入れた、中古の文庫本。

送料が357円だったか。

哀しいくらい安いでしょ。

そう、美濃部孝蔵、というのが、戸籍上の本名という、古今亭志ん生の一生を書いた本だ。

明治23年生まれ、というから、わが祖母、おすえさんの生まれた明治28年とそう変わらない。

10歳の頃から、酒と博打、というんだから、いい時代だった、というのか、社会人とはかくあるべき。

みたいな規範、縛りが、今と違ってぼんやりしていたのか。

そりゃそうだね、国民が全員、戸籍に登録されたのが、それからずっと後の。

昭和の24年、というんだから、時の権力機構からしたら、有象無象が、そこかしこに満ち溢れ。

なんて状態だったんだろうね。

15歳で家を出て、10年経って気がつくと、父親も母親も、この世からは去っていて。

なんて話を、ヤクザも舌を巻くくらいの、人を助けるためなら火の中水の中、という兵隊寅さんから聞くわけだ。

いずれにしても、まだ、死神、というあだ名さえ付いてない頃の、駆け出しも駆け出しの時代を。

昨夜は、味わったんだけどね。

桂文楽や三遊亭円生が、名前さえもらっていたかどうか、くらいの時代が活写されていて。

ドサ回りのね、いろんなエピソードが語られる。

志ん生の噺の、そこかしこに、この時代から培われたエキスが隠し味としてあるわけだ。

仕事と私生活のハーモニー、なんてアマゾンのベゾスが言っている以上の、なんていうのか。

生きることそのもの、息をすることそれ自体が、噺だった、とでも言えるか。

いや、まだ、何銭のゼニしか稼げない時代の話だ。

ようやく4分の1を読み終わったくらいか。

ところで、こんばんは、わが社の新入社員の歓迎会。

まだ、成人前の歓迎をするのに、既社員たちは、ビールやら日本酒を聞こしめし、って感じかな。

来週末には、指針の発表会を設定していて、何かと、気ぜわしい時節なんだよね。

そんな中でも、若き日の志ん生に触れる、というのも、なかなか、乙なものでしょ。

さて、そろそろ、骨ストレッチの世界に入るとするか。

これ、筋肉を鍛える、なんておこがましい話じゃなく、言ってみれば、骨たちへの、骨に絡まる筋肉たちへの。

日頃の無料貸出への感謝、ご挨拶、とでも訳すことができるか。

やがては地の肉となり骨となり、するわがカラダではあるけれど、当分の間は、お借りする、というのか。

共同創造の相方、相棒、同志なんだから、というわけだ。

というわけで、始めるとします。

 

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無限の時間があるのに今朝は時間がない

2018年05月17日 | Weblog

悠久の世界に包まれているはずなんだけど。

言葉にすると、今朝は、表題のごとくで。

この後、町内のビン缶当番、ということで、6時半から現地へ。

なんだね。

なにせ、評議員と組長の兼務、ダブルワーク、ということなんで。

と言いつつ、今、Spring Blendという、イフニさんのブレンドを落としたところで。

まったりと、珈琲タイムを味わってもいるんだけどね。

悠久の、とまではいかないけれど、先の大戦、いや、剣山への旅、いまだに。

心のどこか、カラダのどこかにくすぶっている、いや、もう少し綺麗な表現で。

たゆたっている、か。

イスラエルの民、今で言えば、難民の目指した先は、東だ、という説もあって。

つまり、宗教なのか、神話なのか、思い込みなのか、共同の無意識なのか。

東に向かう、日に向かう、という性向があったようで、だから。

東の涯て、わが列島、しかも、阿波の地に、という論理が成り立つ、みたいなね。

と書きつつ、リアルの時間が迫ってきた。

ここらでよかろうか、by 西田敏行。

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磐境神明社はユダヤ神殿と同じ石組みに囲まれていた

2018年05月16日 | Weblog

なんて書いても、なんのことかわからないよね。

写真、貼り付けちゃいますか。

 

 

こんな具合。

たしか、石を削らずにそのままを積んだ、なんて解説、あったな。

その昔のまたその昔、西日本を征する、後来の「神武派」と当時のネイティブ「天照派」があったそうで。

天照派は、神武派に迫害され、東日本へ逃げた、というように解釈する説があって。

空海は、四国に八十八箇所の見張りを立てて、天照派を匿った。

なんてのね。

匿われていた場所が、上記、磐境神明社だった、と講釈師見て来たような嘘を言い、でもないけれど。

この方が、補陀落渡海を追いかけて、論を張ってる。

このところ、リンク張るの、多いね、手抜きともいうか。

ユダヤの神殿アラッドも、こんな造りらしい、ので。

すわっ、やっぱり、ユダヤ由来の云々カンヌン、ということにつながり、ってわけだ。

それにしても、2000年は前の話になるのか、今に残る、というのが、なんともね。

いわく言いがたい。

この地は、穴吹川沿いでもあり、宮内、という村落の方々が、いまだにお守りしているんだけど、この麓。

というのか、石段の下には、白人神社があり、石灯籠にうさぎが乗っかっていたな。

それなりの由縁が、あるんだろうね。

 ここの境にも、さらに大きな石組みがあり、単なる石塀というには、謎すぎるものだった。

石工組合を、メーソンとかいうんだよね、フリーメーソンなんてのも、なんとなく。

関連付けちゃいたくなってしまう、そんな、石組みでもあったな。

あれよあれよという間に、皐月、5月の半ばに差し掛かり。

昨日なんか、社外温度30度、なんて数字が出ていたな。

40度前後の温度差の中を、みなさん、元気に生きているわけだ。

すごいものだね。

40度差を、例えば、風呂場で体感してみようか、となれば、ほとんど、不可能なんだけどね。

2度3度の違いで、熱すぎるね、ぬるすぎだね、なんて感想だから。

この人間の対応力、適応力ときたら、驚嘆するにあまりあり、って。

戦争や飢餓や風水害や失恋、裏切り、などなどに耐え、とね。

さて、今日も、そんなたくましい人間たちの一員として、この世を味わい尽くしてみるか。

 

 

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ゲバラの国から届いた珈琲で始めた

2018年05月15日 | Weblog

そう、初めて味わうボリビアだ。

かの地で、ゲバラはこの世とおさらばした。

そんな彼が、野山、というより、山の中を革命という夢とともに駆け巡った。

そんなことを思いつつの珈琲は、甘みがあり優しい味だ。

そして、のちに苦味も広がる。

と書きつつ、ゲバラのこと、ほとんど知らず、お医者さんでもあったんだよね。

ボリビア。

行ったことないけど、遠い国だろうね。

そこで摘まれた生の豆が焙煎されて、僕の手元に届いているわけだ。

イフニさんの、パナマとともにオススメの一品だ。

そうだ、昨日のビッグニュースは、アマゾンのベゾスさんだ。

キャッチは、ワークライフハーモニー、っての。

これには、驚いた。

ワークライフバランス、という言い方が、どこか、違和感があったんだけど、それをズバリ、と解消してくれた。

仕事と私生活は、トレードオフじゃないんだ、つまり、どちらかが増えればどちらかが減る、みたいな。

そんなんじゃないんだ、というんだね。

ハーモニーなんだ、と。

せっかくだから、ここに貼り付けとくよ、ベゾスさんの話。

ワークライフバランス、という言葉は、人間を消耗させるフレーズだ、と来た。

仕事と私生活は天秤にかけるものじゃなく、一つの環をなすものだ、という。

史上最も裕福な人物、と言われる彼、考え方も裕福だ。

裕福ついでに、アマゾン・ゴー、という無人のレジ、あの発想が。

他の無人化レジと違うところが、省力化、というんじゃなく。

レジで待たされないように、という発想からのものらしく、なんて書いてくると。

よいしょブログみたいだけど、裕福は裕福の理由があるんだ、ということだ。

なので、僕らも、無限の豊かさを手に入れる。

そう、意識をシフトさせる、意識革命、ってところだな。

革命の夢に散ったゲバラを思い出すボリビア珈琲を傍に、次なる革命を、わが身に起こす。

それは、夢ではなく、現実そのものだ。

どうやら、2018年に入り、地球独自の、幽界ってやつが、消滅に向かっているそうで。

もう幽霊も出ません、と。

なので、アストラル界に直行できます、ということらしく。

なんて動画が、昨夜、届いたりしたので。

すっかり、その気になっているのでもあります。

さて、その気になって今日という一日をクリエイトするか。

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「ジュピター」にちょっとハマってる

2018年05月14日 | Weblog

平原綾香ね。

この高音質のが、いい

歴史の旅の仲間で、メッセンジャーグループがあって、余韻冷めやらぬ。

テンション高まった投稿があって、それに呼応して、思わず、アップしちゃったのが。

これなんだけどね、泣けるでしょ、と。

そういえば、秋田は、大曲の花火。

あの時に初めて知ったのが、このジュピターだった。

あそこの花火は、ストーリー性をもたせた15分間で。

しかも、雄物川の向こう岸から野太い読経が聞こえ始めた夕暮れから始まった花火大会の。

その極まりの頃に、この歌をバックにした花火が。

たぶん、僕の涙腺を刺激したのだったか、涙を流していたことを思い出す。

外を見ると、そんなセンチメンタルな心根とは打って変わった青空だ。

雨上がりの空は、いつもだけど、素敵だ。

情緒、豊かになるわけだね。

さらに、四季折々の花々、緑とくれないの応戦などなど、そこここに至福の瞬間が転がっている。

わが列島のね、豊かさに感謝、乾杯、ってところだ。

占星術的にも、この5月は変化の時らしく、メイグリーンの光を浴びながらの。

変化変容は、ふさわしくもあり、楽しくもあり、ということだ。

そうそう、昨日は、自治会の父親ソフトボール大会も無事終了し。

歴史の旅、個人セッションイベント、となんやかやの出来事が、押し寄せて来ていた。

というのか、自分で引っ張り込んで来ていた、のだけど。

それらも終了し、さて、といったところで。

今日からが通常営業、って、何を持って通常、というのか、が難しいところだけどね。

その都度都度の、わが身に訪れるイベントを、あくまでも主体的に、随所に主となせば自ずから。

皆真、というね、そんな具合に、ちぎっては投げちぎっては投げ、ってわけだ。

なんて考えてくると、いろんな次元の世界が存在する、ということが、リアルに感じもし。

一粒で、2度でも3度でも美味しい、このバカヤローの世界、by CMの宇宙人、みたいな気分でもあるね。

ところで、剣山の写真を、グーグルフォトへ共有してくださった女史、その中に。

オーブの写り込んだモノがあって、久々のオーブ写真に、懐かしくもあり、と。

そういえば、春野町の大光寺さん、舗装されてない山道を、コンピュータおやじさんと登ったこと。

思い出すんだけど、そこには、行基菩薩さんの修行場があり、そこへ降りていくと、巨大な。

春野杉。

での写真に写り込んでいたのが、最初の体験。

いかにも、という場所でのオーブに、それなりに興奮したことも覚えているんだけどね。

いずれにしても、精霊さんたちの歓迎の挨拶、連帯のご挨拶、って解釈だ。

そんなこともあった、旅のまとめもしなきゃだな。

さて、ルーティンの時間だ。

 

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船木石上神社のことを話そう

2018年05月13日 | Weblog

今回の歴史の旅、10社以上の神社を経めぐり、淡路島の最後に立ち寄った。

表題の神社、女人禁制の。

そこでの、女性陣の華やぎ、それを請けた男性陣の華やぎ、その立て札には。

 

 

とあり、境内はこんな雰囲気。

 

突然の華やぎについての、僕の解釈は。

日を迎える役割と日を追う役割が、男性と女性の無意識の中に落ち、深いところでうなづきが起こり。

それが、笑い、と言う表現になった、と言うものなんだけどね。

この感覚、言葉にしちゃえば、他愛ないものかも、だけど、その瞬間の、僕自身の驚き。

あるいは、気分の良さ、興奮、と言うのかね。

そんなものが、心だかカラダだか、どこかに残っているわけだ。

ちなみに、4人が女性、8人が男性、と言うメンバー構成だったんだけどね。

僕にとっては、事件だった。

ので、ちょっとね、熟成の真っ最中、とでも言っておこう。

表題で気張ってはみたものの、しっかり、じっくり、話してないんだけど、ま、それはそれでいいか。

ほら、この社会では、流行り言葉のように、女性の社会進出、労働力としての女性、みたいな大合唱でもありね。

そんな中での遭遇、女人禁制と謳った神社での華やぎ、がね、とても、気になっていて。

リクツでなし、頭偏重でない、五感、第六感、あと何かな、そんなところでの感受、か。

この神社のあと、明石大橋への道を辿ったんだけど、そこへ至る前の山道、そこに広がる風景は。

まさに、これが淡路島なんだ、と言うもので。

その前に立ち寄った、おのころじま神社や伊射奈岐神社の、いかにも現代風なアプローチを表とすれば。

裏の顔、と言うことになるんだけど、どちらが表裏でもいいとして。

旅の終わりの近くに、深く心に刻まれたのでした。

そうそう、書き忘れていたけど、上の写真の2枚目、あの前で手を合わせ瞑目したときに伝わって来た。

なんて言うのか、エネルギーとでも言えるか、それは、渦を巻いたような、同心円に広がるような。

そんな光のようなものを感じて。

とにかく、そんなわけで、女人禁制というのは、女性蔑視でもなく、男性優位でもなく、というような。

そんな思いの去来した神社なのでした。

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今朝はSpring Blendで始めた

2018年05月12日 | Weblog

いつもの定位置に帰って来た。

旅の終わった朝。

表題のごとくに、1日を始めた。

イフニさんのブレンドコーヒーね。

四国を離れる時の、ガイドさん、白地山地蔵寺のご住職と感謝と別れの挨拶。

何回も味わって来た、哀切、名残惜しさ、なんとも言えない、あの感覚を。

一同共有し、なんて瞬間。

もしかしたら、旅はあの瞬間に尽きる、なんて言い方も可能かも。

またお会いしましょう、また来ます、なんて言葉を出したくなっちゃう、あの瞬間。

まるで、生き死にの境を疑似体験するかのような、なんとも切ない瞬間。

そこから始める、振り返り、来し方を整理整頓し、と言うのが、この何日かのお仕事とも言える。

か、と思いつつ、竜巻のような、実務の現業が押し寄せても来るわけだ。

そのあたりの、通り過ぎ方も、長い年月生きて来ると、随分と上手にもなってもいて。

なんだろうね。

いずれにしても、今回は、ガイドさんが、上記のような方で、しかも。

地元愛、剣山がらみの、様々な伝承、事実などなどへの思入れのおありの方で、とにかく。

情報量が多くて、メモを片手に、なんてやっていたんだけど、しまいには。

それも追いつかず、こうなりゃ、体感を大事にするしかない、と言うくらいのもので。

濃密な数日を過ごすことができた。

テーマの一つに、剣山に眠る、失われたアークに絡む宝物の秘密の地に。

天孫ならぬ、市井の民が降臨する、があったんだけど。

深山の懐に入り込みながらの時間は、それ以外にも、新たなテーマに気づきもし。

書き出せばきりがないのかも、と言うくらいでもあって。

this is 旅、ってとこだ。

そんなことを考えている中、今も、現場へ走る社員さんが出社。

さまざま、出来事への対処を検討。

なんて時間もやって来て、ほら、すでに竜巻がやって来た。

それはそれで、それが、この世の定め、定法、デフォ、でもあって、そことの。

つまり、次元が違うのか、アナザーワールドを楽しみながら生きる、と言うのか。

なわけで。

なんて具合に、今日も、明日も、続いていくのが、世の習い、ってことだ。

さて、久しぶりの定位置での骨ストレッチに入るとするか。

 

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