なんて書いても、なんのことかわからないよね。
写真、貼り付けちゃいますか。
こんな具合。
たしか、石を削らずにそのままを積んだ、なんて解説、あったな。
その昔のまたその昔、西日本を征する、後来の「神武派」と当時のネイティブ「天照派」があったそうで。
天照派は、神武派に迫害され、東日本へ逃げた、というように解釈する説があって。
空海は、四国に八十八箇所の見張りを立てて、天照派を匿った。
なんてのね。
匿われていた場所が、上記、磐境神明社だった、と講釈師見て来たような嘘を言い、でもないけれど。
この方が、補陀落渡海を追いかけて、論を張ってる。
このところ、リンク張るの、多いね、手抜きともいうか。
ユダヤの神殿アラッドも、こんな造りらしい、ので。
すわっ、やっぱり、ユダヤ由来の云々カンヌン、ということにつながり、ってわけだ。
それにしても、2000年は前の話になるのか、今に残る、というのが、なんともね。
いわく言いがたい。
この地は、穴吹川沿いでもあり、宮内、という村落の方々が、いまだにお守りしているんだけど、この麓。
というのか、石段の下には、白人神社があり、石灯籠にうさぎが乗っかっていたな。
それなりの由縁が、あるんだろうね。
ここの境にも、さらに大きな石組みがあり、単なる石塀というには、謎すぎるものだった。
石工組合を、メーソンとかいうんだよね、フリーメーソンなんてのも、なんとなく。
関連付けちゃいたくなってしまう、そんな、石組みでもあったな。
あれよあれよという間に、皐月、5月の半ばに差し掛かり。
昨日なんか、社外温度30度、なんて数字が出ていたな。
40度前後の温度差の中を、みなさん、元気に生きているわけだ。
すごいものだね。
40度差を、例えば、風呂場で体感してみようか、となれば、ほとんど、不可能なんだけどね。
2度3度の違いで、熱すぎるね、ぬるすぎだね、なんて感想だから。
この人間の対応力、適応力ときたら、驚嘆するにあまりあり、って。
戦争や飢餓や風水害や失恋、裏切り、などなどに耐え、とね。
さて、今日も、そんなたくましい人間たちの一員として、この世を味わい尽くしてみるか。