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船木石上神社のことを話そう

2018年05月13日 | Weblog

今回の歴史の旅、10社以上の神社を経めぐり、淡路島の最後に立ち寄った。

表題の神社、女人禁制の。

そこでの、女性陣の華やぎ、それを請けた男性陣の華やぎ、その立て札には。

 

 

とあり、境内はこんな雰囲気。

 

突然の華やぎについての、僕の解釈は。

日を迎える役割と日を追う役割が、男性と女性の無意識の中に落ち、深いところでうなづきが起こり。

それが、笑い、と言う表現になった、と言うものなんだけどね。

この感覚、言葉にしちゃえば、他愛ないものかも、だけど、その瞬間の、僕自身の驚き。

あるいは、気分の良さ、興奮、と言うのかね。

そんなものが、心だかカラダだか、どこかに残っているわけだ。

ちなみに、4人が女性、8人が男性、と言うメンバー構成だったんだけどね。

僕にとっては、事件だった。

ので、ちょっとね、熟成の真っ最中、とでも言っておこう。

表題で気張ってはみたものの、しっかり、じっくり、話してないんだけど、ま、それはそれでいいか。

ほら、この社会では、流行り言葉のように、女性の社会進出、労働力としての女性、みたいな大合唱でもありね。

そんな中での遭遇、女人禁制と謳った神社での華やぎ、がね、とても、気になっていて。

リクツでなし、頭偏重でない、五感、第六感、あと何かな、そんなところでの感受、か。

この神社のあと、明石大橋への道を辿ったんだけど、そこへ至る前の山道、そこに広がる風景は。

まさに、これが淡路島なんだ、と言うもので。

その前に立ち寄った、おのころじま神社や伊射奈岐神社の、いかにも現代風なアプローチを表とすれば。

裏の顔、と言うことになるんだけど、どちらが表裏でもいいとして。

旅の終わりの近くに、深く心に刻まれたのでした。

そうそう、書き忘れていたけど、上の写真の2枚目、あの前で手を合わせ瞑目したときに伝わって来た。

なんて言うのか、エネルギーとでも言えるか、それは、渦を巻いたような、同心円に広がるような。

そんな光のようなものを感じて。

とにかく、そんなわけで、女人禁制というのは、女性蔑視でもなく、男性優位でもなく、というような。

そんな思いの去来した神社なのでした。

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