を願ってつけられた名前なのか。
という書き出しで始まるのが、結城昌治さんの「志ん生一代」。
2冊1円で手に入れた、中古の文庫本。
送料が357円だったか。
哀しいくらい安いでしょ。
そう、美濃部孝蔵、というのが、戸籍上の本名という、古今亭志ん生の一生を書いた本だ。
明治23年生まれ、というから、わが祖母、おすえさんの生まれた明治28年とそう変わらない。
10歳の頃から、酒と博打、というんだから、いい時代だった、というのか、社会人とはかくあるべき。
みたいな規範、縛りが、今と違ってぼんやりしていたのか。
そりゃそうだね、国民が全員、戸籍に登録されたのが、それからずっと後の。
昭和の24年、というんだから、時の権力機構からしたら、有象無象が、そこかしこに満ち溢れ。
なんて状態だったんだろうね。
15歳で家を出て、10年経って気がつくと、父親も母親も、この世からは去っていて。
なんて話を、ヤクザも舌を巻くくらいの、人を助けるためなら火の中水の中、という兵隊寅さんから聞くわけだ。
いずれにしても、まだ、死神、というあだ名さえ付いてない頃の、駆け出しも駆け出しの時代を。
昨夜は、味わったんだけどね。
桂文楽や三遊亭円生が、名前さえもらっていたかどうか、くらいの時代が活写されていて。
ドサ回りのね、いろんなエピソードが語られる。
志ん生の噺の、そこかしこに、この時代から培われたエキスが隠し味としてあるわけだ。
仕事と私生活のハーモニー、なんてアマゾンのベゾスが言っている以上の、なんていうのか。
生きることそのもの、息をすることそれ自体が、噺だった、とでも言えるか。
いや、まだ、何銭のゼニしか稼げない時代の話だ。
ようやく4分の1を読み終わったくらいか。
ところで、こんばんは、わが社の新入社員の歓迎会。
まだ、成人前の歓迎をするのに、既社員たちは、ビールやら日本酒を聞こしめし、って感じかな。
来週末には、指針の発表会を設定していて、何かと、気ぜわしい時節なんだよね。
そんな中でも、若き日の志ん生に触れる、というのも、なかなか、乙なものでしょ。
さて、そろそろ、骨ストレッチの世界に入るとするか。
これ、筋肉を鍛える、なんておこがましい話じゃなく、言ってみれば、骨たちへの、骨に絡まる筋肉たちへの。
日頃の無料貸出への感謝、ご挨拶、とでも訳すことができるか。
やがては地の肉となり骨となり、するわがカラダではあるけれど、当分の間は、お借りする、というのか。
共同創造の相方、相棒、同志なんだから、というわけだ。
というわけで、始めるとします。