剣山ネタです。
先々週に訪れた、徳島、阿波ですね。
宮尾登美子の表題の古本を手に入れ、昨日の日曜日は、母親を階下に感じながら読んでいた。
この写真が、表題の花。
って、こんな具合にアップすると、ベタすぎて、だけどね。
剣山の行場があるそうで、そこでしか咲かない、主人公が見たのは、8月なかば、と作品中には書いてある。
一つ一つの花が月光のように澄み、清らかに輝いて見えた、と宮尾登美子は書く。
水を差しちゃうと、彼女、体が弱くて、見ノ越までは行けたけど、頂上へは行けてなかった、とネタばらししちゃってる。
物書きの再現力の見せ所、ってわけだ。
ついこの間、訪れた地が舞台、ということで、1円プラス送料350円で手に入れた本なんだけど。
吉野川だったり、見ノ越、貞光町、穴吹、次郎笈、四国三郎、劔神社、大劔神社とか、ご当地で聞いた地名が現れ。
なんてこと、事細かく、御披露申し上げ、なんて気にもなったけど、行ったこと無い方には、ちんぷんかんぷんだろうから。
やめときます。
とにかく、そんなわけで、剣山を舞台にした宮尾登美子の小説、読みました、と。
ところで、話が変わり、舞台も変わりますが。
この間、北海道からやってきてくださった信頼する女史、彼女との話の中で。
いじめられる、という設定をしてきたんですね、と妻が言われたそうで。
しかも、その言葉、設定してきた、というのが響いたらしく、なるほど。
それはすごいな、と思った次第。
論評であったり、評論であったり、というのは、誰でも簡単にできるけれど、心の奥に響かせるのは。
そりゃ、なかなかの力技であり、心に響く音を創る作曲家にしたって、長い人類の歴史の中で、何人いた?天才と呼ばれる人。
くらいの話でもあるからね。
それはともかく、そんな具合に、日常の、ありふれたことごとのなかに、再発見をしていく、というのが。
まんま、この人間の幸せ、あるいは、もともとの普通の姿、とも言えて。
そのことへの目くらまし、だまし絵、擬制、人工物、などなど、言い方は数多あるけれど。
そこからの脱出が、ある意味、生きる意味、あるいは、生きる醍醐味、でもあり。
なんてことに、妻の話から気が付いた次第で。
ほんとに、心してみれば万物皆わが師なり、ってことにもなるね。
お月さんが地におりてきて宿っているような淡く輝いた黄、と写真の、キレンゲショウマを宮尾登美子は書く。
先達さんが滝行をする、おぐらい木漏れ日の中に咲く、というんで、写真では、ベタすぎちゃうのは。
そういうことで、やっぱり、リアルには勝てないんだろうな。
なんて思いつつ、こちらも、今日のリアルに入るとするか。