まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

「天涯の花」はキレンマショウガでもあり

2018年05月21日 | Weblog

剣山ネタです。

先々週に訪れた、徳島、阿波ですね。

宮尾登美子の表題の古本を手に入れ、昨日の日曜日は、母親を階下に感じながら読んでいた。

この写真が、表題の花。

って、こんな具合にアップすると、ベタすぎて、だけどね。

剣山の行場があるそうで、そこでしか咲かない、主人公が見たのは、8月なかば、と作品中には書いてある。

一つ一つの花が月光のように澄み、清らかに輝いて見えた、と宮尾登美子は書く。

水を差しちゃうと、彼女、体が弱くて、見ノ越までは行けたけど、頂上へは行けてなかった、とネタばらししちゃってる。

物書きの再現力の見せ所、ってわけだ。

ついこの間、訪れた地が舞台、ということで、1円プラス送料350円で手に入れた本なんだけど。

吉野川だったり、見ノ越、貞光町、穴吹、次郎笈、四国三郎、劔神社、大劔神社とか、ご当地で聞いた地名が現れ。

なんてこと、事細かく、御披露申し上げ、なんて気にもなったけど、行ったこと無い方には、ちんぷんかんぷんだろうから。

やめときます。

とにかく、そんなわけで、剣山を舞台にした宮尾登美子の小説、読みました、と。

ところで、話が変わり、舞台も変わりますが。

この間、北海道からやってきてくださった信頼する女史、彼女との話の中で。

いじめられる、という設定をしてきたんですね、と妻が言われたそうで。

しかも、その言葉、設定してきた、というのが響いたらしく、なるほど。

それはすごいな、と思った次第。

論評であったり、評論であったり、というのは、誰でも簡単にできるけれど、心の奥に響かせるのは。

そりゃ、なかなかの力技であり、心に響く音を創る作曲家にしたって、長い人類の歴史の中で、何人いた?天才と呼ばれる人。

くらいの話でもあるからね。

それはともかく、そんな具合に、日常の、ありふれたことごとのなかに、再発見をしていく、というのが。

まんま、この人間の幸せ、あるいは、もともとの普通の姿、とも言えて。

そのことへの目くらまし、だまし絵、擬制、人工物、などなど、言い方は数多あるけれど。

そこからの脱出が、ある意味、生きる意味、あるいは、生きる醍醐味、でもあり。

なんてことに、妻の話から気が付いた次第で。

ほんとに、心してみれば万物皆わが師なり、ってことにもなるね。

お月さんが地におりてきて宿っているような淡く輝いた黄、と写真の、キレンゲショウマを宮尾登美子は書く。

先達さんが滝行をする、おぐらい木漏れ日の中に咲く、というんで、写真では、ベタすぎちゃうのは。

そういうことで、やっぱり、リアルには勝てないんだろうな。

なんて思いつつ、こちらも、今日のリアルに入るとするか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする