小学校までの道のり、その昔、というのは。
50年以上前か、表題のような話題で喫煙スペースの時間。
昨日は、自治会のソフト・バレーボールの慰労会。
体育部長さんなので、オードブルからお酒からの段取りを一手に引き受け、という1日だった。
なにせ、不慣れなことをやるのは、一つ一つ、一手遅れになりがちで。
だったんけど、無事、宴もたけなわのなかの会話で。
毎年交代制だから、来年の担当になる方にも、こんな具合で、と言いながら。
引き継ぎをわかりやすく書面にしますから、なんて話やらの合間に。
この捨て川、って、もともとは、なんて呼ばれていたのか。
上流に、そのころは、場があり、何ヶ月かに一回、大量の赤い血が流れてきた。
何年か先輩の方の話では、まだ、丸太で殺していた頃で、なんてことも知ることになり。
ついこの間までは、野蛮も野蛮、だったわけだ。
もっとも、スマートに締める、のがいいのかどうなのか、とも言えるけど。
いずれ、命をいただく、という、敬虔な心持ちは大事なことだよね。
学校までの道のりが、一面の田んぼから住宅地に様変わりし、野焼きどころの騒ぎではなく。
バーベキューもままならない、というのは、その慰労会の前、わが家への来訪者、従姉妹二人で。
介護施設に入所しているおじを、一日お泊まりの日だったようで。
そんなことの感想などなど話しながら、日曜日の昼下がり前の時間を過ごしたのでした。
話は多岐にわたり、僕に筆力があれば、ま、例えば、志賀直哉、太宰でもいいか、堀辰雄か。
ま、とにかく、一つや二つの物語が、書き残されるような、そんな時間。
文章にはならないにしても、それぞれの中にそれぞれのストーリーが刻印され、みたいな。
そんな時間だったな。
そうそう、北朝鮮とアメリカの対談で、あれやこれやの物語が、テレビや新聞に踊るけれど。
あれ、眺めながら、それこそ、黒船が、どこだっけ、品川沖、ハリスさんがきたのが。
下田だっけ、下田のお吉の物語、か。
いずれにしても、あの頃の、わが列島の政権とアメリカの交渉に思い至り。
昨夜のせごどんでは、井伊直弼が、稲村弥二郎だっけ、薩摩藩士、それと水戸藩士のグループに。
暗殺されたよね、それに似たことが、北朝鮮内部でも、今、現在、起こっていても不思議じゃないし。
アメリカの内部でも、いろいろとあるんだろうね。
なんてことね、思い浮かべながらのニュース鑑賞、ってわけだけど。
今朝の風は、少々ひんやりもし、爽やかだ。
さて、骨ストレッチを屋上で始まるとするか。