じゃないかな、とこのところあたりをつけているんだけどね。
井上靖の「後白河院」の文庫到着だけど、まだ、読んでいず。
「梁塵秘抄」65円なりの岩波文庫も未だし、って状態ではあるんだけど。
くだんの法皇、平清盛とか木曽義仲、あるいは、源氏の鎌倉幕府などの中でうまく立ち回り。
天狗だったか、妖怪だったか、とにかく、そんな感じの部分と。
仏道へ帰心、帰依、ひと方ならず、で三十三間堂への1001体の仏像寄進とか。
もう一つが、遊女(あそびめ)への傾倒。
この三つが重なった人物だったようで。
と、沖浦和光さんが「「悪所」の民俗誌」で書いていた。
後白河院とネオコンと西欧文明と、なんて対比がこの先の日本、世界への、なんらかの指し示しになるのかも。
って見立てなんだけどね、当方としては。
論理に論理を積み重ねていくのは、そろそろ、終わりかな、ってね。
このあたり、まとまっておらず、ではあるけれど、たぶん、当たってるかも、だな。
バチカンもそろそろかな、とか、ついこの間は、天台宗の醜聞が漏れ伝わってきたり、だから。
宗教の名の下での様々な不具合から解放されて、ということだ。
これ、複雑なのは、宗教を揶揄すると無神論者、みたいな具合になっちゃう世情もあったりね。
ケネディ暗殺犯はオズワルドではない、は陰謀論、みたいな構造だ。
そうだ、昨日の出来事を書くつもりが、時間がなくなった。
いや、時間はあるけれど、だ。
この5月に同友会の県総会があり、そこでのパネルディスカッションのコーディネータ役を承り。
なんて仕儀の中の一コマ、打ち合わせがあり、それについて、だったんだけど。
またの機会に、ということで。