啓蟄の次候の最終日。
桃は好きなんだよね。
あれは311の後、何月だったか、福島駅へ降り立ったことがある。
駅構内では農産物が並べられ、桃で有名な会津だ。
のだけれど、そこにあったのは山梨産と大書された桃だった。
あれは悲しかったな。
福島第一原発事故由来の放射線量高く、ということだな。
大都市で使う電気を賄うために、安全ですの原発がやってきた街。
かの地は明治の御維新でも割りを食ったんだよね。
会津藩。
ならぬものはなりませぬ、だったんだな。
世が世なら激賞される心持ちが真逆の顛末とあいなる歴史の悲劇。
あの時、会津藩は北海道へも飛ばされたり、で、雲散霧消だったんだよね、たしか。
桃といえば、霊力もあり、繁栄のシンボルともされていると七十二候の暦には書いてある。
そういえば、イザナギさんが黄泉路に向かって投げたのが桃だったか。
山口だっけ、桃太郎伝説なんてのも、それと関わりがあるのかも、だな。
温羅という鬼をやっつけた太郎、桃太郎。
やっつけたりやっつけられたりの世界を過ぎ越しが歴史と括られるものだ。
そこが風の時代へ突入し、はたして、新たなる様相を展開していくのかどうなのか。
というか、少なくともこちらはその勢いに倣い、ってことだろうな。
西欧由来の弁証法、っての、正反合だっけ、いや、なんだったか。
意見を対立させてそこから高次の結論へ至る、みたいな。
とにかく、やたらと小理屈をこねくり回し、正しさ競争をする。
あれも、そろそろ風の時代なんだからね、と終焉に向かうんだろうな、と勝手に思っている次第。
そんな時には、宇宙なのか守護霊なのか、とにかく、甘やかし放題のおじいちゃんに聞いてみるといいらしい。
すると、カラダもココロも緩み、ハワイのアロハ、あなたと一緒にいて幸せだ、という気分になる。
そうなったらしめたもので、内側から信じられない力、エネルギーが勝手に湧いてくる、って。
守ろうとしなくてもいい、傷ついでもOK、とね。