濡れて行こう、だっけ。
そんな言葉が残っているのは、たぶん、どこかのドラマの中からの、だろうな。
テレビ隆盛を極めていた頃か。
それとも、映画か、または前世代の芝居小屋かなんかからの剽窃だったのか。
電車の中でよく言われる、最近はみんなスマホを眺めている、なんての。
たしかに、当方もX見たり動画を見たり、だから人様のことは言えない体たらくだけど。
それ見てて思ったのは、それぞれがそれぞれの世界に入っているんだよね、きっと、と。
人の数だけの世界があることをまざまざと見せつけられているわけだ。
当たり前と言えば当たり前なのだけれど、そんなことも気が付かずに、ということでもあったのかも。
なんて朝、夕方には、高校の後輩のお通夜だ。
僕の親しい友達がテニス部でそこの後輩でもあり、よく呑みもした。
そんな御仁が今頃黄泉路の入り口あたりで右往左往なのか、まだ、そちら側へ行きつつあることを自覚せず、か。
臨死体験じゃなく死そのものを体験真っ最中だ。
このところ、自分よりも年若い御仁がこの世を去っていく。
となると、それなりの人生観、人の世のある姿などなどに思いが至るわけだ。
それはそれで深みのある人格誕生というものでもあるのかも、ってことだな。
なにせ、縦軸の経験が増えるわけだから、深さがマスのも宜なるかな、だ。
横軸に関しても、それに影響を受け、ということだろうけどね。
ともかく、春雨じゃ濡れてまいろうか。