が、始まっているんだろうな、辰野村。
先週お邪魔した信州の村なんだけど。
七十二候の第26候は、腐れたる草蛍と為る、だ。
なんとも素敵な文言だな。
腐った草の下で育った蛍が孵化し、光を発して飛びかう頃、とある。
コンビニで会ったり喫煙スペースで会ったりのジモッティが、今年の蛍は少ない。
と口々に言っていたのを思い出すな。
自然が残されている、という言い方がされるけれど、それほどに自然を侵食してきた文明というものがある。
とも言えるし、そのおかげで、便利さを手に入れたとも言える。
しみじみと感傷的に語ることもできるし、さらに、まだまだもっともっと、と物質や精神の「豊かさ」を求める。
なんてことも可能でもあるわけだ。
どちらが善で悪で、ということでもないんだろうな、人間の営為の結果、結実だ。
当方は、適度に制御された自然、ってのがお気に入り、ってところなのかもしれないな。
ベタな、原初的な自然なんてのに出会ったら、手も脚も出ない、かもしれないし。
ま、ご都合主義なんて言葉もあるか。
それにしても、このところ、自然というものの素晴らしさ、を思うよ。
朝イチに走っている時に見る富士山であったり、海や空の青さ、庭に伸びる草木。
今朝のわがベランダレストランみたいに、カラスに追い立てられながらも辛抱強く、朝食をめがける小鳥たち。
とかね。
気温が上がっているおかげで、珈琲豆をミルで粉にしながらのパタカラ体操が声小さく、だ。
窓開け放っているからね、隣近所さんへの遠慮で。
これも、季節のめぐりの体感でもあるな。
さて、そんな月曜日に出かけるとします。