アルバトロスを作った二人が別々の道を進み
どれぐらい経ったのかは細かく分かりませんが
アルバトロスが1978年オープン
私がアルバトロスにバイトできたのが15.16歳ごろ
33、32年ほど前
今2023年
ま、ざっくり10年経った頃私がアルバトロスに入る。
私がアルバトロスに入ってドンドン料理を作ることになり
ドンドン元来怠け者の俊夫氏は働かなくなりました。
今思えばそのせいで、そのおかげで
俊夫氏が死去しても私が料理を作り働いていたので
昔からのお客様は今もなお私のそばにいてくれてると思っています。
話が恨みみたいになりそれました。失礼。
私がアルバトロスに入った当時、
その開店当時の横地氏のレシピ料理は作っていませんでした。
俊夫氏は完全にイタリアを目指していたので
ルチア流れの料理は封印していました。
店では出さなかったけど
ファンも根強くおり
当の本人俊夫氏も好きだったのでしょう
時折横地レシピを作って教えてくれました。
だから私は横地氏の痕跡を知っているのであります。
しかし結局何よりも
料理のベースは何も知らぬ俊夫氏が学んだ横地氏のものであるのです。
だから私のベースは父ちゃんのものなのです。
今思えば、私がアルバトロスに入って
俊夫氏を見送るまでの店は
趣味の延長みたいな、理想だけを追っていたような
商売ではなく思います
おかげで私は俊夫氏の死後10年ぐらい苦しむことになるのです。
ま、私は世間知らずの本当に子供でありましたがね。
あ、また話が憎しみにそれました。失礼。
私が20歳の時、運転免許を取得し
まず連れていってと俊夫氏に頼まれたのが紀尾井でした。
横地くんが紀尾井オープンしたのにお祝いも挨拶もしてないからと。
今思えば最初で最後の俊夫氏と横地氏、二人と過ごした僅かな時になります。
話ばかり聞いていたのに
初めて横地父ちゃんに会った日でもありました。
今でも覚えています
カウンターの入り口の一番端から2個目に座り
カニのサラダと牛肉のカルパッチョ、アンチョビニンニクのソース。
横地くんの料理はとにかく美味しいんだって
連れて行かれ
本当に美味しかった
父ちゃんが娘ほどの当時20のまだまだ顎があり痩せていた頃の私を俊夫氏が連れてきたことに
呆れていたのも覚えています。
父ちゃんの話は俊夫氏から時折聞いておりましたが
父ちゃんとはその後
俊夫氏が死去するまでお会いすることなく
時が流れるのでした。
俊夫氏は私に任せてドンドン働かなくなり
そしてドンドン身体を悪くしていくのです。
その間
変わらず横地父ちゃんとの思い出話をし
とぴっきり食堂でラーメンを作っていた
横地くんを発見した俊夫氏は
相変わらず美味そうなの作ってるなぁって
また行かなきゃなと言ったまま
俊夫氏は私にすこぶるマイナスを残したままこの世をさったのであります。
その頃は私も自分で精一杯でもう横地父ちゃんの存在を忘れておりました。
次回は、
父ちゃんとの再会、そして救い
と言うタイトルで行きますね