美保の厨房日記

アルバトロスの日常に起こる小さな変化

ツバメ

2023-06-05 05:31:00 | Weblog
私が住むアパートのベランダに

なんと
ツバメが巣を作っている

昨日隣の方が
お宅のベランダに巣を作ってると教えてくれまして

本当、今まさに巣を作ってる

いや、どうすれば良いんだ?
頭に浮かぶのは糞問題

後、鶏美味しく食べるけれど
鳥系とカエルは苦手というか怖い

そして
我が彼氏達は大興奮







この頃鳥がよく来て外ばかり見ているなとは思っていたけど

彼等がいつもの定位置で外を見ている
なんと真上に巣を作ってる
ツバメさんは彼等の熱い視線を感じないのだろうか。

父に電話をしてみた

縁起良いなと笑う
1ヶ月やそこらだ洗濯や糞やいいにしてあげなさいと

という事で糞問題は父に委託

作りかけを撤去する人もいるみたいだけど
せっせと二羽のカップルが作ってる姿を見てると
やっぱり可哀想

糞問題と洗濯物問題は完全に拭えないけど
動物には優しくありたい
と暖かく見守ります

ただ
賃貸アパート、苦情が来ないことを願う

ま、被害は私のベランダだ
大丈夫と思いたい

心ない人にはなりたくない

そのうちツバメ観察が癒しになるのかな


…やはり閉めます!

2023-06-02 17:04:00 | Weblog
店に来ましたけど

どこそこ閉めてますね

やはり帰ります

台風にて
店今日は休みますね






台風

2023-06-02 16:12:00 | Weblog
今日はいつものように8.9時から仕事開始

この頃としては

今日は台風だと言うのに

久々に気分が悪くなく

コツコツ仕込みと掃除した

しかしやっぱりちょっとした
ヘマをしでかす。

しばし休んで
早めに出勤するかと家で休む

そして今
出勤しようと思っていた時間を今1時間ほど過ぎてしまっている。

この雨の中車に乗る気がしない。

5時から8時ごろまで天気予報は激しい雨らしい

来るのかなお客様。

と脳裏に浮かぶ。

他の飲み屋さんに問うてみた

休むってさ

そうか休むのか

…私も。と言いたいのだが

5月は半分以上休業してしまった。

自分の生活整えなきゃ。

仕事して30年
台風でも意外とお客様来たりする。

台風だからなに?って言われたこともある。

意を決して

さ、車に乗り込んでみます。

19時ごろまで店にはいますね。
やる事はいっぱいある。

その時間まで電話もならなければ
誰も来ないでしょう

きっと一番激しい雨の中帰ることになるのでしょうが。。

では!出陣!




どうにも私には
デブでちょっとブスな猫が

異常に可愛く見えるのであります
口開けて
目開けて寝ちゃったりすると
もう最高に可愛い

うちのマルコは最高


真夜中の風景

2023-05-31 01:44:00 | Weblog
父作る

娘と猫ら

無我夢中

ただのスルメ

父の喜び









伝わる?

2023-05-31 01:40:00 | Weblog
父作る

私とねこら

無我夢中

ただのスルメ

彼の喜び







最終回父ちゃんとの再会

2023-05-25 12:43:44 | Weblog
俊夫氏が死去2年ぐらい経った頃でしょうか

私がアル中になり始めの頃

今だから言えるけど
死去の悲しみと言うていでおりましたが
自分の生活を立て直すのに
非常に苦しくて現実逃避をして
酒を飲み、眠剤を飲み
グダグタのときがありました。

その頃、横地さんに会ってくれば?と
手のつけられない私をみかねて勧めてくれる方がおりました。
料理の話出来れば気持ちも落ち着くかもしれないよって。

で、紀尾井を訪れたのであります

酒を飲み美味しい料理を食べ

私富士でアルバトロスって言うのやっていましてと伝えましたら

あ!まって!と暫し間があり

美保さんだね?

となぜか私の名前を言う。

ほぼ初見なのに。知っていたのかと驚く。

どうもずっと私のこのブログを読んでいたとの事でした

俊夫氏の訃報も私のブログで知ったとの事

父ちゃんも俊夫氏を気にかけていた表れでしょう。

そこから

横地くん父ちゃんと親しくなるのに時間はかかりませんでした。

父ちゃんの話はよく聞いていたし
父ちゃんは1言うと10理解するような人でした。

何より料理という共通のしかも
元は父ちゃんなのですから

すっと受け入れてくれました。
それが居心地良く嬉しかったです。

当時は苦しくて苦しくて
いつも時間さえ見つけては紀尾井入りしていました

あそこはいつも必ず父ちゃんがいて
多分、紀尾井のお客様みんなそうだと思いますが

おー美保さ〜ん♥️
入り口を開けると熱烈な歓迎を受けるのです

それがまた嬉しくて
行く連絡をしないで突撃したものです。

父ちゃんはいつも私の来店を喜んでくれる
面倒な私の話を聞いてくれる
オアシス、パラダイスでした。


仕事終え
最終列車に飛び乗って行ったり

今日は紀尾井に行くぞと
酒を我慢して仕事終わって車で行ったものです。


初めはホテルに泊まっていましたが
仲良くなるにつれ
ドンドンあの紀尾井の畳の間が寝床になるのでした。
寝袋を押し入れに入れておいていつでも
あそこに泊まれる状態でおりました。
寝袋もドンドン父ちゃん臭に染まっていきました。

お客様がお帰りになり
二人カウンターで片付けをまとめて
飲みながらまどろみ

彼はそのままカウンターで寝てしまってたり
トイレで寝てしまっていたり
彼はいつもボロボロでありました。

私の悪戦苦闘と彼の悪戦苦闘は同じでした。
父ちゃんがそうならまだ私は甘いねって
頑張れたけど

まだ長く戦っている彼に
楽になりたかった私は苦しくも感じました。

でも
朝がくれば
コーヒーを淹れてくれて

帰るの辞めなよ
どうせ、店を開けてもお客様来ないだろ?と

悪魔の囁きを彼はいつも言い

それに私はいつも負けて
確かに来ないなと
当時ズル休みを良くしておりました。
すみません。

車で行った日は
買出し連れて行ってと
静岡の街を父ちゃんとぐるぐる回りました
ここがクレヨンハウスやっていたところだよとか
ここの店はいいよとか
道案内も独自なお茶目な指示で終始楽しく

道中
ミニストップでソフトクリームを半分こっつ
カップルみたいに食べて
これ父ちゃんだから出来るけど
他は無理ですみたいな事とか

今でも時々行く店があるし

楽しかったなぁ本当。

横地くんは面白い

よく聞かされていたとおりでした。
けど
それだけでなく

それ以上に温かく思いやりのある素敵な人間でした。
あんなにも多くの人に寄り添える人は彼以外私は知りません。


アル中だった私は彼とと接するごとに少しづつ楽しく過ごせるようになり

当たり前の普通の社会人になれてきたのです。

税金を払って
健康保険を払い
借金も減らして
少しづつ生活を整えられていくのでした。

真面目に生きていたのに
私は社会から外れた人間でありました。

非常に苦しかった時がありました。
これを通常に戻すことがとても大変でした。

父ちゃんに出会い
整えられてくると
俊夫氏に怒りしか感じなくなりました。


恥ずかしくて誰にも言えなくて
俊夫さんに洗脳されていた私もおりまして
そんななか唯一

何かあれば
父ちゃんには話せて
聞いてもらっていました。

何もなくても
よく電話しました

あんなに長時間電話で話す人父ちゃんぐらいでしょうか
こんな面倒な私によくもまあ付き合ってくれたものです

助けてもらった事
とてもとても書き切れないほどあります。
ちょっと彼は普通の人ではなくて
当たり前のアドバイスなんて聞いたことがありません

酷く困った状態になった事がありました
いの一番に彼に伝えました

彼の返答は拍子抜けしました。
なんだそんな事か
大丈夫だよそんなの
えーっとこういう事だからこうすれば良いだけだよって。

彼が居なかったら酒の量が増えるだけでした。
いつも気持ちを楽にしてくれる人でした。

そして彼のそのおかげさまで
やっと普通に生きられるステージに立てることになりました。

精神を支えてくれたのは
父ちゃんだけとは思っていません
周りにいた皆様と

そして最終的には紛れもなく父ちゃんであります。
最後の最後のところに父ちゃんは居てくれました。


最初に俊夫氏と訪れた20数年前から
父ちゃんは
ずっと紀尾井をやっていたと思っていました。

が、俊夫氏の訃報の際は何年か
紀尾井辞めていたそうです

私のブログで俊夫氏の死、それを知った時

人生なんて呆気なく終わるんだな
じゃ、やはり好きな事して生きようと

辞めていた紀尾井をもう一度と
再開したそうで

そしてそんなおりに
ふらりと私が通い始めるのでありました。

自分勝手に私と父ちゃんは俊夫氏をかいして
繋がるべく人物だったと
思わさせて下さい。
申し訳ないが、好き過ぎてそうありたいのです。


この三部作の初見の彼の投稿に書いてあるとおり

彼等、父ちゃん、俊夫さんが始めた一つの事が
残された私が終わる時

完全にこれは終わるのであります。



あんなことを書かれては

私は更に
アルバトロス辞められなくなりました。






ね、私の人生を変えた二人でしょ

たしかに選んだのは自分ですけども。

今のここに移転せざる得なかった時
パニックになった私に

父ちゃんが言いました

美保さんの頭の中に店辞めるなんてものはないんだろ?

じゃ、場所見つければ良いだけじゃんって

シンプルに応援してくれました。

ありがとうね父ちゃん。

先代の俊夫氏より

ずっとずっと父ちゃんの悲しみは長く重たいよ。

書いて整理されても

そう簡単に消化はできません。

今私がやっている
アルバトロス

それは俊夫さんと横地くんの二人の始めた事

それに魅了された私が終えた時

本当に一つの縁、輪が終わる時

大袈裟かもしれませんが

私は希望に満ちていただろうこの二人の青年の幕引きを

ちゃんと美しく終わりにしようと決めたのでありました。


プロシュート

2023-05-25 11:55:00 | Weblog
イタリアハムが入荷されず一年と半年

フランスを入れたものの
しょっぱいし脂少なくて

やっぱりなかなかお出ししていない

まだフランスの在庫はあるが

これは良いかもと思ったプロシュートを仕入れてみた






イタリア、サンダニエーレを使っていたので
フランス同様、妙に小ぶりに感じる

しかし、
切ってる側から脂を感じ
赤身も柔らかしっとり

期待が膨らむ

食べた

お!良いじゃん
脂甘いし
塩分も良い感じ

やったーと大喜び

ま、後味のこくみたいなものは薄く
香りがない

豚本来の味が薄いのかな

ま、パルマハムの豚は何せパルミジャーノ食べてるもんな
アメリカの豚肉だもんなぁ仕方があるまい

ただ、イタリアの会社が
アメリカで作っていると言うプロシュート

だいぶ近い
お値段も納得

これなら皆様にお出しできます!

久々にスライスしながら
自分の口にもパクパク入ります

素直にスペインに手を出せば良いのかもしれませんが
なかなかどうして価格的に手が出さずにいます。
それに堅いイメージが躊躇させます。


第二部その後のアルバトロス、そして私登場

2023-05-25 01:06:03 | Weblog
アルバトロスを作った二人が別々の道を進み


どれぐらい経ったのかは細かく分かりませんが

アルバトロスが1978年オープン

私がアルバトロスにバイトできたのが15.16歳ごろ

33、32年ほど前

今2023年
ま、ざっくり10年経った頃私がアルバトロスに入る。

私がアルバトロスに入ってドンドン料理を作ることになり

ドンドン元来怠け者の俊夫氏は働かなくなりました。

今思えばそのせいで、そのおかげで

俊夫氏が死去しても私が料理を作り働いていたので
昔からのお客様は今もなお私のそばにいてくれてると思っています。

話が恨みみたいになりそれました。失礼。

私がアルバトロスに入った当時、
その開店当時の横地氏のレシピ料理は作っていませんでした。

俊夫氏は完全にイタリアを目指していたので
ルチア流れの料理は封印していました。

店では出さなかったけど
ファンも根強くおり
当の本人俊夫氏も好きだったのでしょう

時折横地レシピを作って教えてくれました。

だから私は横地氏の痕跡を知っているのであります。
しかし結局何よりも
料理のベースは何も知らぬ俊夫氏が学んだ横地氏のものであるのです。

だから私のベースは父ちゃんのものなのです。

今思えば、私がアルバトロスに入って
俊夫氏を見送るまでの店は
趣味の延長みたいな、理想だけを追っていたような
商売ではなく思います

おかげで私は俊夫氏の死後10年ぐらい苦しむことになるのです。
ま、私は世間知らずの本当に子供でありましたがね。
あ、また話が憎しみにそれました。失礼。


私が20歳の時、運転免許を取得し

まず連れていってと俊夫氏に頼まれたのが紀尾井でした。

横地くんが紀尾井オープンしたのにお祝いも挨拶もしてないからと。

今思えば最初で最後の俊夫氏と横地氏、二人と過ごした僅かな時になります。
話ばかり聞いていたのに
初めて横地父ちゃんに会った日でもありました。

今でも覚えています

カウンターの入り口の一番端から2個目に座り

カニのサラダと牛肉のカルパッチョ、アンチョビニンニクのソース。

横地くんの料理はとにかく美味しいんだって

連れて行かれ

本当に美味しかった

父ちゃんが娘ほどの当時20のまだまだ顎があり痩せていた頃の私を俊夫氏が連れてきたことに
呆れていたのも覚えています。

父ちゃんの話は俊夫氏から時折聞いておりましたが

父ちゃんとはその後
俊夫氏が死去するまでお会いすることなく
時が流れるのでした。

俊夫氏は私に任せてドンドン働かなくなり
そしてドンドン身体を悪くしていくのです。

その間
変わらず横地父ちゃんとの思い出話をし

とぴっきり食堂でラーメンを作っていた
横地くんを発見した俊夫氏は

相変わらず美味そうなの作ってるなぁって

また行かなきゃなと言ったまま

俊夫氏は私にすこぶるマイナスを残したままこの世をさったのであります。

その頃は私も自分で精一杯でもう横地父ちゃんの存在を忘れておりました。

次回は、
父ちゃんとの再会、そして救い

と言うタイトルで行きますね





さて

2023-05-25 00:30:00 | Weblog
第一弾書きますか。

かなりな長編になると思います
要点をまとめて端的に話すのが不得意なので
赴くままかきます。

タイトル

「アルバトロスの始まり」

どれぐらい前は分かりませんが
富士市の吉原で俊夫氏(アルバの先代)が
くれよんはうす
と言う、喫茶店のようなロックハウスのような店を営んでいたそうな。

どれぐらいやっていたかも知りませんが
その後

吉原をたたみ、静岡市で

くれよんはうすツー2Ⅱを営む。

営むといっても内情は酷いものだったらしい。

その時に出会ったのが

心の居酒屋「紀尾井」の店主横地氏である。

共に20代の男二人。

横地氏は、当時

静岡の老舗イタリアン「ルチア」のシェフであった。

横地氏は有名な料理学校を経て
名の通るホテルのシェフを経て
地元ルチアのシェフで居た。

どのような経緯かは知らぬが

二人が意気投合して

俊夫氏の地元富士市でアルバトロスをオープンさせた。

俊夫氏がアルバトロスオーナーとして
レストランの全てのサポートを横地氏がやってくれたらしい。

俊夫氏から横地くんに飲食店を開くノウハウ、料理を教わったと聞いている。

故に、昔のアルバトロスのメニュー
そして
現在も私が作っている受け継がれたベースのいくつかは

横地氏から俊夫氏、そして私に伝授されたものである。

私の師匠の師匠が紀尾井こと横地氏と言うことになる。

ルチアさんのレシピが未だにここに少しあると言う変な感じである。


その男二人

私からすると
仲良くはなる要素は簡単に多くあるが

まるで違う感覚の人間である。

俊夫氏と横地氏の理想というか目的というか目指すものは

180度違うものである
それは最後まで見た私が思うのだから
間違いないはずだ。

お互いにお互いを悪くは言わないが

単なる相違で横地氏は

アルバトロスを去り自分の道を進んだ

んだと思う。

今作っている

マリネのベースのドレッシングも
ホタテのマリネも
アンチョビスパゲッティにたらこのスパゲティも

ポテトフライチーズも
オッソブーコも

昔のメニューは横地氏に教わったものなんだ。

二人別れて

そこから横地氏は色々何かをやり
静岡で居酒屋紀尾井をやり

アルバトロス俊夫氏は、どっぷりとイタリアにハマる事になる。

今日はここまで

また次回は

その後のアルバトロスそして私と言うタイトルかと思います








すみません

2023-05-24 15:20:00 | Weblog
一週間の仕事放棄のしわ寄せが酷く

なんとか
先週始めた金曜日もそこそこ忙しく
土曜日に至っては
うちの店14席なのだけど
回転してトータル18名と言う

おっそろしく忙しく

日々の積み重ねの仕込みストックでなんとかやり
ワンオペを理解してくださるお客様達で
自分達でワイン開けてくれたり
良くしてくれて。

毎日仕事帰りに美保ちゃん居るかな?
仕事してるかな?

元気かな?

と言う寄ってくれるお客様甘えて片付けをしてもらい
大助かりなのだが

それでも定休日の2日間を費やしても

通常に戻るまでなかなか難しく

昨日、14時ごろ。

あー無理だ。
仕込み間に合わないと諦め

臨時休業させてもらいました。
ごめんなさい。

今日、やっといつもの程度には整えられたと思うのだが

まだまだやる事は満載ですが

もう臨時の休業はしません。

頑張ります。


恒例の北海道グリーンandホワイトアスパラガス入荷してます。

山梨ヤングコーンも始まりました。

ほんのひと時ですが、
若草色の綺麗なグリーンピースのポタージュ作りました

野菜の豊かな季節になってきましたよ。

宜しく頼みます。


さて、先週
暫く休業の張り紙を店に貼っておりました。

来てそれを見たお客様が
あれどうしたんだろう?何かあったのかな?と
お客様同士で連絡しあい
近くを通ると店の前を毎日通りましたよとか

妹に、美保ちゃん何かあった?って
連絡をして下さったり

あ、今日はいる!って顔出して下さったり
手伝いに行こうか?って言って下さったり

素直にとても嬉しく思います。
ありがとう。

あぁ、私は店やってる限り
死後一週間1ヶ月発見されないと言う事はないなと、私の存在はちゃんとあるんだなって有り難く思っています。

で。
尚の事。

火葬の後
彼は最後まで紀尾井だったと言った
紀尾井お母さんの言葉のように

私も最後までアルバトロスしたいなと思いました。

悲しみを解決してくれるのは

時間しかありません。

そして彼の場合当分時間がかかります。

前に2回ほどちょっと書かせてもらいましたが

個人的な事ですから
紀尾井父ちゃんの事は今後書くことを
この公の場では辞めようと思っていました

普通にしていかなきゃって思っていた

しかし

昔、Facebookで私の事を彼は書き私を泣かせようとした投稿がありました

それを見たくてずっと探しているのですが見つけられません。

探しているものではないのですが

こんなこと書いてたかっていう
投稿を見つけました。

それを見たら

アルバトロスやってしまっている以上
書きたくなりました。

まあ、なんてこのブログの主は感傷的で弱い人間なんだろうと思う人もいるかも知れません。

現に確かに私の感情は子供みたいなところがあります。

私は今アルバトロスをやっている。

そして
アルバトロスを作ったのは

先代である俊夫氏と

もう一人、紀尾井の横地くんである

この二人が私の人生を変えたのです。

ことに紀尾井さんに関しては
わたくし、まだ先の人生はあると思いますが
多分、私の人生で一番苦しかった時を
かなり理解し、支えて、応援し
助けてくれた人物であります。

長くなりました

前半、後半と二部作になるか

はたまた長編になるかは分かりませんが

彼を偲び

書くことに決めました。

書けば私の気持ちも、もう少し落ち着くだろうと思っています。