土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

ネボ山→死海 (2)

2016-07-20 10:00:25 | ヨルダン
 前回2009年と今回2016年の約7年間の遷りはどうでしょうか?

 縁があってネボ山、死海に行くことができました。

 今回もレンタカーですが、スマートフォンのグーグルアースを見ながらの道程です。
 (私は携帯は①電話を受ける ②グーグルアースで道を調べる ③音声で目的地を探す
 の3機能しか使えない為、メールを打つ時はスマホからテザリングしてパソコンで無線
 を拾うような、ややこしい事をしています。
 実に無駄な事と分かっていますが、生活には困っていませんので、そのままにしています。
 理由はスマホの字が小さくて見難いのと、キーが小さく誤打をするからです。

 閑話休題

 ネボ山へはアンマンからだと南下してマタバから行くのですが、今回は「ㇾ」=南下迂回 ではなく

 「/」=直線で行きました。 そして

 死海へはネボ山横の道路を下りて死海の北側先端にでます。

 そこから死海の湖岸道路(片側2車線)を南下します。

 ・・・・・

 死海の湖面の標高はー418m と、地球上で最も低い場所です。ここが大地溝帯になっています。

 最寄りの海面(紅海)より約400m 低いのですから流出水はなく、流入水はヨルダン川のみです。

 年間雨量が50-100mmですので、難民増加に伴う取水増と、

 水面の蒸発量が、ヨルダン川からの水供給量を上回っていますので

 水面は年々減少し、2050年には干上がると予測されています。

 世銀の融資で紅海からパイプラインで海水を引くPJが実施されていると聞いています。

 ・・・・・

 塩分濃度が海水(3%)の10倍(30%)ですから生物は生息しません。それゆえ「死海」です。

 またカナヅチの人も水中では浮きます。泳ぎが?上手な人は水中に浮いて新聞を読んだりしています。

 死海では通常状態(うつ伏せ)の泳ぎはできませんので(=塩を飲むので)、仰向きになります。

 大きさはほぼ琵琶湖と同じです。


 ヨルダンの舗装率は日本並みと考えます。そして道路が広いです。
 アゼルバイジャンも同様でした。多分に軍用車(機)が通るのではないかと考えます。

 ・・・・・

 それでは2016年と2007年を比較しながら見て行きましょう。

 と言っても差ほど変わってはいません。 

 個人的には、変わっていない方が思い出や懐かしさがあります。 

 ここは今でも、時がゆっくりと流れていました。


 ネボ山の入口前から北側を見ています。
 中央のオリーブに囲まれた集落はそのままです。

 2007年の同じ場所。

 上記の右上端の白い建物もかわっていません。

 
 上記の右側にあるアラビア語の「アイン・ムーサ」は「モーゼの泉」の意味です。
 モーゼが岩を杖で突いて、水を湧き出させた場所です。

 今回、この看板と見張り小屋ができていました。
 左側の道路を下っていくと死海です。

 ネボ山への入口

 同上、2007年の物。

 入口を潜りフランシスコ修道院へ行く参道。

 2007年のもの。

 ネボ山記念碑。街灯がついていました。

 2007年の物。

 上記から参道の入口を望む。ほぼ同じです。

 モーゼ記念碑。後ろがスッキリした感じはします。

 2007年の物

 フランシスコ修道院の裏側は壁と屋根の外装部分は完成していた。(内装部分は立入禁止です)
 周囲の崖も安全を考慮し手が加えられていた。

 2007年は土台の壁だけ。
 裏口から行く参道は未整備だった。

 裏門。

 2007年。壁と屋根は未構築。

 現在の上記。

 ローリングストーン。

 2007年の物

 モーゼの杖

 2007年は仮フェンスがあった。

 モーゼが目指したカナンの地

 2007年は字が見えなかった。

 上記から死海・イスラエルを見る。

 2007年の物

 未だに建築中の修道院

 同上

 2007年の、修道院の石造りの塀は無くなった。

 DEAD SEAへおります。
 2007年は修道院への手前のアクセスはなかった。

 2007年のもの

 ネボ山の標高は約800mでDEAD SEAの標高は約-400Mで
 その差1200mの岩石混じりの土漠の中を一気に下ります。
 周りの風景は2007年と同じ。

 右端上方がネボ山です。

 死海越にパレスチナ高原が見えます。

 上記の大写し

 死海沿岸はリゾート地であり、高級ホテルが立ち並びます。
 標高-400mですから酸素量が濃く体内が浄化されます。
 心臓病の人には効果があると聞きます。

 同上。世界中から治癒や観光で訪れます。

 同上

 同上

 上記ホテル内にはプライベートビーチはありますが
 セキュリティが厳しく、値段も高いので
 一般人はここの有料のビーチにきます。
 死海には大きな砂浜はなく海水浴=浮遊体験や泥パックの為のものです。

 この有料ビーチもロッカーやレストラン等により2クラスあります。

 砂浜へのエントランス

 エントランス脇の植栽

 同上

 海浜

 遊技場もあります。

 ビーチパラソル。休みの日は満員になるそうです。

 同上、下りて行った所が砂浜です。

 死海の水は減少しています。
 塩跡から推定できます。

 同上

 2007年の物

 湖岸道路を南下していきます

 死海南部は塩湖になっています。
 規模は違いますが南米ウユニの様です。

(参考までに) 南米ウユニの塩湖 です。

 同上、やっぱり大きいです。死海の約18倍の広さです。

 塩湖を過ぎると、死海道路から山岳道路に入ります。
 途中まではこういう土漠の中の道路です。
 片側1車線です。

 土漠を過ぎると山岳道路になります。
 尾根を越すとそこが目的地です。

 同上。今回は死海道路から最短距離で目的地に行きましたが
 山岳道路は一部山越えの部分が工事中で、あと5年位はかかりそうです。
 死海の塩湖から直角に左折しタフィーラ→→ショーバック経由が舗装道路で快適です。

 目的地入口に着きました。長かったアンマンから都合4時間です。
 

 次回をお楽しみに

 
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