土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

西洋と東洋の架け橋イスタンブル(3/4ボスポラス海峡遊覧その①)

2012-11-28 12:02:54 | Istanbul & Azerbaijan

 イスタンブル市街地のおさらいをします。(下記地図参照)



 ボスポラス海峡で西洋側と東洋側が仕切られています。

 そして西洋側は金角湾で更に旧市街と新市街に仕切られています。

 金角湾のボスポラス海峡の出入口がガラタ橋です。

 ガラタ橋の左岸はガラタ塔がある新市街で右岸がブルーモスクがある旧市街です。

 その左岸や右岸の橋の上下流に観光クルーズ船の乗り場があります。

 右岸の橋の下流側はオリエント急行の終着駅のシルケジ駅があります。

 そして桟橋=埠頭の入口にはあの流線型の美しい路面電車、トランヴァイの

 エミノニュ駅があります。

 
 港と鉄道駅が背中合わせにあるこの地域は世界各国から訪れる観光客に取っては

 何とも言えない哀愁や郷愁の漂うノスタルジックな場所なのです。

 ・・・・・・・・・・

 観光船は行き先により乗船場所が違います。

 ここガラタ橋の桟橋からは通船とクルーズ(観光船)が発着しています。

 遠くは黒海とマルマラ湾の島々までです。

 エーゲ海や地中海方面の長距離船はここからは発着していません。

 ボスポラス海峡クルーズ船は所要時間1.5時間で第一、第二ボスポラス橋(ファティフ・メフメット橋)や

 海岸に点在するビザンツ(395-)・オスマントルコ時代(1299-)の瀟洒な建造物を見ながらの遊覧です。

 その中でもオスマン時代に建造されたドルマバフチェ宮殿(下記写真参照)は美しい建造物で

 当時は6人のスルタンの宮殿として使用され、共和制になってからも初代大統領トルコ建国の父

 アタテュルクもここを官邸とし、現在は歴史的建造物として一般公開されています。

 アタテュルクは1938年11月10日に執務中にここで亡くなり、その部屋は保存されています。

 宮殿内には285の部屋、43の広間、6つの浴室とテラスがあり、中央の儀式の間を挟み

 左側がセラムルクと呼ばれる女子禁制、右側がハレムと呼ばれる男子禁制の建物で構成されています。
 

 宮殿中央の儀式の間



 海岸沿いは今でもその古の趣を感じさせ、世界各国から乗り入れた人々の別荘の前には

 自家用ヨットが停泊しており、優雅な世界を垣間見ているようです。

 どうしてこのような豪勢な暮らしができるのか?

 余りにも次元が違う世界なので想像がつきません。が、

 美しい建造物を見るのは心を癒し、気分をリフレッシュさせてくれます。

 ・・・・・・・・・・
 
 何はともあれボスポラス 1.5時間クルーズに出発しましょう。



 ガラタ橋の上流を見ています。クルーズ船が橋を潜り遊覧に出かけています。 

 同上、下流側です。

 下流側の右岸側(旧市街側)から出発のボスポラス遊覧船。

 同上。桟橋上の人々。

 上流右岸側の桟橋。

 上流左岸側の桟橋。ここは対岸からの通船専用です。

 さぁーガラタ塔を後に出発します。

 新市街のランドマークのガラタ塔です。

 同上、大写し。
 沢山の観光客が塔最上階のテラスにいます。

 クルーズを終えて帰港している船。 

 今まさにガラタ橋を離れようとしています。

 同上。

 多くの観光船で混んでいます。大型船はエーゲ海クルーズ船です。

 本投稿ではボスポラス海峡の新市街つまりヨーロッパ側の沿岸を紹介します。
 そして次回でクルーズの戻りにてアジア側の沿岸を紹介します。

 ボスポラス海峡に出て、新市街のタクシムの丘を見ています。

 左側の建物が現代美術館で中央がトプハーネ・ヌスレティエ・ジャーミイ。

 タクシムの丘の中腹にあるチェレビー・イルヤス・エフェンディ・ジャーミイ。
 
 ドルマブフチュモスクと時計台。
 二塔のミナレットはイスタンブルで最も細い物です。

 同上、モスクの横には対岸との通船のカパタシュ桟橋。
 タクシムの丘からここまでは先回記した一駅間の地下ケーブルカーのフニクラがあります。

 同上。

 時計台の下はレストランになっておりボスポラスを見ながら
 沢山の観光客であふれています。観光客の入り口が時計台の山側にあります。

 同上、遠景。

 セラムルク棟と中央の儀式の間を見る。

 宮殿 西門。

 上記、中央の儀式の間。

 右側のハレム。



 ここからは名前は分かりませんが海岸に建つ瀟洒で美しい建造物です。





 第一ボスポラス大橋が見えてきました。

 橋のヨーロッパ側に建つオルタキョイ・モスクは修復中でした。
 完成予想図のシートが貼ってありました。

 全長1,560m,主塔の高さ156mの吊り橋です。

 中央スパン長は1,074mあります。因みに本州と九州を結ぶ関門橋の全長が1,068mで、
 中央スパン長は 712mです。ゆえにボスポラス大橋は関門橋の約1.5倍の大きさあります。

 橋げたから海面までの高さは64mで橋面の車道幅は39mです。
 関門橋は海面までの高さは 61mで、車道幅は26mです。
 どちらも航行船舶の大きさは船長約150m強の10,000トンクラスも可です。

 上記の車道風景です。

 第一ボスポラス橋から第二ボスポラス橋(ファーティフ・スルタン・メフメット橋)間、約3kmには
 別荘、レジャー施設、住居や漁港が広がります。





 洋上に浮遊式の施設があります。何でしょうか?

 プールを持ったレジャー施設です。
 ここには通船できます。

 ヨーロッパ側の海岸線の景色。









 第二ボスポラス橋が見えてきました。
この付近の海峡幅は約700mで最狭部です。

 橋の袂に何やら円筒形の建造物があります。何でしょうか?

 前記したようにこの場所は海峡の最狭部です。
 ルメリ・ヒサルと言われる要塞です。

 同上。




 全長1,510mで主塔高及び水面までの高さはそれぞれ105m,64m1で
 第一ボスポラス橋と同じです。この橋は我が国の有償資金で1988年に造られました。


 中央スパンは1,050mです。スパン中央の上げ越高(中央の盛り上がり)は約100cmです。

 橋を潜って黒海側を見ています。ここでU-ターンします。

 橋を潜ってアジア側を見ています。赤い旗があります。何でしょうか?

 ルメリ・ヒサル要塞のアジア側対岸のアナドル・ヒサル要塞です。



 誌面の都合でアジア側は後日の掲載予定になります。
 

西洋と東洋の架け橋イスタンブル(2/4新市街)

2012-08-28 11:10:05 | Istanbul & Azerbaijan
 前回ご説明しましたようにイスタンブルはボスポラス海峡

 によって西側のヨーロッパ側と東側のアジア側とに分かれます。 

 ヨーロッパ側の旧市街と新市街との境界は「金角湾」であり、

 その両方をつなぐ架け橋が「ガラタ橋」です。(他にも架橋はあります)

 新市街からガラタ橋越しにみる旧市街のジャーミー群

 旧市街からガラタ橋越しにみる新市街のガラタ塔やビル群

 どちらも東西の交易点として栄えたイスタンブルを反映しています。



 ガラタ橋(金角湾)左岸(新市街側)から丘を登りタクシム広場までの地域が

 観光客にとって、一般的に言われている新市街です。

 ガラタ橋から坂道をケーブルカーで登り、そこから

 新市街の目抜き通りのイスティクラール通りをさらに登り

 その登りつめた所がタクシム広場です。

 イスティクラール通りは歩行者天国で、今でもアンティークな

 路面電車が走っています。

 
 
 タクシム広場周りはバス、タクシー、地下鉄等の要所で、

 また世界でも有名なホテルやそこには市民の憩いの泉水公園

 (タクシム公園)が有り観光客や地元市民で終日にぎわっています。


 タクシム広場からボスポラス海峡へはケーブルカー(=フニキュレル)で下りて行き、

 そこが旧市街へ行く路面電車=トラムヴァイの始終点カバタシュ駅であり 

 ここからボスポラス海岸沿いをガラタ橋経由で行けます。

 
 今回の訪問で、ガラタ塔のナイトクラブでベリーダンスを見ました。

 南米でサンバやタンゴを見ていますので、感激は今一歩でした。

 ヒジャブ(顔のスカーフ)をしていない女性が肌を露出して

 腰をくねらせて踊るこのダンスが、イスラム圏では珍しくて

 このように残ったのではないかと想像しています。(違っているかもしれません。)

 
 また、友人の紹介でボスポラス海峡の下の海底トンネルの工事現場を見せて

 頂きました。トンネル延長13.6km、4つの駅舎があり、世界でも最難関のPJを

 日本の技術陣が日夜休みなく精進されている様子を垣間見て胸に打たれる思いでした。

 あと数年で海底トンネルは開通と聞きました。安全第一で世界一の難関PJを成就されん

 ことをお祈り申し上げます。



 それでは新旧市街の架け橋のガラタ橋から新市街へ出発します。



 赤線で囲んだ部分が新市街でも観光客が特に多い場所です。
 南側のガラタ橋から丘の上にあるタクシム広場までの区域です。

 旧市街のシュレイマニエ・ジャーミーから新市街を見ています。

 新市街のランドマーク「ガラタ塔」です。
 高さは67mあります。9階部分にナイトクラブがあり、そこが展望台になっています。

 旧市街からガラタ橋とボスポラス海峡を見ています。

 橋の中央部がアーチ橋になっており船舶の通行が可能です。

 歩道部分は太公望たちの憩いの場です。旧市街→新市街を望む。
 歩道、車道及び鉄道の併用橋です。

 上記に同じ。新市街→旧市街を望む。

 釣り道具のレンタルもあります。

 新市街のランドマーク「ガラタ塔」を見ています。

 橋の下はレストランです。

 同上。

 橋の上から「シュレイマニエ・ジャーミー」を見ています。
 前回、暑さに負けて見忘れたモスクです。

 上記、大写しです。
 4本のミナレットが美しいモスクです。
 ドーム高は53mあります。

 内部です。ステンドグラスが美しいです。
 採光用のステンドグラスも目をひきます。

 同上、天井のドームです。採光用のステンドグラスきれいです。

 同上。

 旧市街から新市街へ渡る通船のガラタ橋桟橋です。

 新市街の中心地は約1km先の丘の上にあります。

 よってこのテュネル(=ケーブルカー)が市民の足です。

 テュネルの車内。

 トンネル断面。

 新市街の丘の途中までの一駅区間の運行です。

 テュネルの次はこの路面電車に乗り換えます。
 朝8:00に撮ったものです。まだ人通りはありません。

 同上、横道はレストランやカフェです。

 同上。昼間の風景。

 同上。

 同上、夕方の風景。

 同上、夕方から夜にかかる風景。

 同上。

 同上。

 イスティクラール通りは高級ショッピング店が軒を競っています。
 が、このようなキリスト教会もあります。

 同上。

 イスティクラール通りの丘の上のタクシム広場付近にある
 路面電車のメンテナンス工場。

 ちょっと路地を入ると花屋や果物屋を見かける。

 ここがイスティクラール通りの丘の上の
 タクシム広場です。

 平面的に見てみましょう。
 左下がイスティクラール通りから出てきてタクシム広場にぶつかった所です。
 新市街の中心地です。

 前記写真を右に振ります。
 手前がタクシム地下鉄駅でバスやタクシーの発着地です。
 大きな公園はタクシム公園です。

 公園の後方に聳える高層ビル群です。ここも新市街です。

 同上。

 上記写真をさらに右に振りました。
 右側がボスポラス海峡です。

 上記の右側の第一ボスポラス橋の大写しです。
 中央スパンは1,090mあり、橋長は1,510mの吊り橋です。

 タクシム広場は市民の待ち合わせ場所です。
 中央には独立記念碑が建てられている。

 同上。

 中央の人物がトルコを独立に導いた初代大統領
 ムスタファ・ケマル(=アタテュルク)です。

 ボスポラス海峡から上がる朝日。

 同上。

 ここが地下鉄の駅の路上です。出入り口は屋根では覆われていません。

 ごらんの通り屋根なしです。
 降雨はあるのに理由がわかりません。
 丘の上だから周りからの浸水を考えないからでしょうか?

 タクシム公園です。噴水があります。

 噴水の周りは花で囲まれていました。
 8月の中旬のこの時期、百日紅が満開でした。

 同上。

 タクシム公園からボスポラスまでは丘を下ります。

 タクシムのケーブルカー(=フニキュレル)の駅

 ケーブルカーの車内。

 トンネル断面。

 ケーブル。

 ボスポラス海岸駅カバタシュから
 旧市街へ行くトランヴァイ(路面電車)路線風景。

 同上。

 同上。




 ここからはオプショナル見聞です。
 まずはガラタ塔の夜景です。ベリーダンスは夜半に始まります。

 途中までエレベーターで上がり、最上階へはこのような木張りのらせん階段です。

 ガラタ塔の展望回廊から見るガラタ塔と旧市街。

 同上、シュレイマニエ・ジャーミー。

 同上、ブルーモスクとアヤソフィア。

 ボスポラス橋。七色に変わります。

 同上。

 ベリーダンスの前座です。

 これがベリーダンスです。

 これはコサックダンス?



 アヤソフィア前の参道も百日紅の花が満開でした。(2,012年8月中旬撮影)

 同上。きれいですね。Happyな気持ちにさせられます。



 グランドバザールも相変わらずの人混みです。

 ここがアガサクリスティのオリエント急行の「シルケジ駅」です。
 改修中でした。

 ホームです。

 これは何でしょう。ホームにある1,980開業の
 その名も「ORIENT EXPRESS」というレストランです。

 上記レストランの全景。(ホーム側)




 友人にお願いをして世紀のプロジェクトを見せて頂きました。
 ここはトンネル掘削機械を投入した立坑です。
 直径は25mあります。深さは約50mです。

 前記を下(坑内)から見上げました。

 ここはシルケジ駅からブルーモスクの脇をトンネルで抜いて西側に抜けます。
 円形のシールドトンネル(注1)の断面内径は7mです。上下線のメガネです。

 私は先回はこの旧市街のカフェでチャイを飲んでいました。
 この真下にトンネルが建造中です。観光客は誰も知りません。

 トランヴァイの軌道の下もトンネルが建造中です。
 先回は何も知らずにトランヴァイに乗っていました。

 ボスポラス海峡横断トンネルはアジア側のウスクダル駅から入ります。
 ボスポラス橋を渡り対岸からになります。

 同上、吊り橋です。

 ウスクダル駅です。
 アジア側の海岸にあります。ここで海面から約-50m下方です。

 駅舎から海底トンネルのアジア側入口です。
 トンネル断面の内径は7mあります。上下線のメガネです。

 シールドトンネル曲線部。

 同上、直線部。

 ここでシールドトンネルと沈埋トンネル(注2)がジョイントします。
 沈埋の最深部は海面より約60mあり、上層の海流が逆向きで2海流あり
 99m~135m/1函体 で11函体で沈埋トンネル延長1,387mの世界でも初めての
 沈設作業を無事に終え海峡下の海底トンネルは貫通していました。

 ここからが沈埋トンネル部分です。

遥か先にガラタ塔をみる、この海底約60mにトンネルがあります。

 ちょうど旧市街のブルーモスク方向が海底トンエルと地下部との軌道方向です。


 
 (注1)シールドトンネル:
    シールドマシンと呼ばれる円筒の掘削機で筒の先端にカッターを取付けて切羽を
    掘進し、それと同時に、機械背後は連続的にセグメントリングを構築していきます。
    モグラが土を掘って進んでいる様子を思い浮かべてください。

 (注2)沈埋トンネル:
    ドライドックで造ったコンクリート製の函体(B=135m)を海に浮かべて沈設地点まで
    曳航し、函体に注水をして所定の位置に沈設します。この作業を所定のトンネル長に
    なるまで順次繰り返します。 お風呂の中にペットボトルが浮かんでいる様子です。
ペットボトルに水を注ぐと沈んでいきます。
    そして海底に沈めたペットボトルを繋いでいきトンネルを造ります。
    

 世界を代表するすごい土木工事です。この工事に携われた土木技術者は様々な困難に
 立ち向かわれ、この様な後世に残る、立派な仕事を成し遂げようとしています。
 敬意を表しますとともに、残された工事期間も無事故で無事に世紀の海底トンネルが
 完成することを祈っています。



高原の街キジ(Xizi)へ

2012-07-30 11:41:52 | Istanbul & Azerbaijan
 先回投稿の北の都市ハチマスと首都バクーを結ぶフリーウエイの
 中間点から西方向コーカサス山脈に向かって山を登っていきます。
  

 今回はハチマスから行きました。

 道中、世界一大きな湖カスピ海を左手に見ながら、いつも立ち寄るドライブインで

 「忙中閑あり」を故意に作り、さながらドライブ気分です。

 あの美味しいレモン入りハーブティ(チャイと呼びます)がお目当てです。

 そしたら少年が茹でたてのトウモロコシを売っていました。

 粒は南米よりは小粒ですが、出来立てのそれは本当に美味しかった。

 美味しくて2つ食べました。0.2MANAT/ケで2けで約40円です。




 本日はドライブインにはいつもの牛や羊はいなく、代わりにニワトリが居ました。


 日本では牛や鶏は製品として出来上がったものを購入するので、それらを

 食するのに何も抵抗なく口に運びます。

 ここでは新鮮さを売り物にする為か、どうかは分かりませんが、

 店の前で解体(さばき)します。やっぱり新鮮さを売り物にしているのでしょう。

 日本でも客の目の前でマグロの解体をしますね。新鮮ですよね。

 ここアゼルの人は、それと同じ感覚だと思っています。


 肉がこんなに美味しいものであったと長年勤務した中南米で教わったのですが、

 アゼルではその解体を目の前で見せられて以来、肉は食べられなくなりました。

 中南米も肉文化ですが、目の前で捌くのはあまりお目にかかりません。
 
 キリスト教とイスラム教の違いでしょうか。

 イスラム社会と聞けばすぐに砂漠の遊牧民(ベトウイン)を思い出します。

 砂漠を獲物を追って捕まえ、それを、暑い故にすぐに捌いて食するのでしょうか。

 食文化が違うとはいえ、目の前で実演?(彼らは実演しているのではなく普段の姿)

 された物が出されるのには抵抗があります。

 いつかは慣れなければ生活していけないと知りつつも、目を逸らしています。

 話も逸れてきました。

 
 キジは何もない自然だけが豊かな街です。近年、首都バクーの暑さから逃れ

 ここに終焉の棲家や別荘地を持つ人、および、彼らを頼って人々が集まってきて、

 人口が増えてきています。

 それに伴いインフラ(特に上下水道施設)の整備が急がれています。

 200m位の目抜き通り?(一本しか幹線道路はない)は4,5軒の大きな(と言っても3階建て)

 建物が道路に面してあります。

 そこを抜けると空、山と緑の自然と牛とアヒルのそれしかない素朴な山裾に
 緑の草原が広がる街です。

 四方を山に囲まれています。

 同上。

 同上。

 優しい目を持った牛。カウベルはカランカランと大きな音がしていました。

 白樺の間を雪解け水が流れています。

 フリーウエイとキジを結ぶ道路の左右には
 この様な赤色の帯を巻いた山があります。

 水生植物です。花は忘れな草に似ています。

 ここは上記、白樺林の近くです。
 雪解け水の水たまり付近でアヒルが遊んでいました。

 以上プロローグです。


 なにはともあれ紹介します。

 カスピ海(海と呼びますが世界一大きな湖です)

 同上。ぶどう畑です。

 山側にはダムが見えます。

 大きなロックフィルダム(岩石、土砂の重量にて背面の水圧を受ける)です。
 堤体中心部(コア)には粘土にて浸透水を防ぐ壁=遮水壁を設けるのが一般的です。

 五本の指の岩石山(ドライブインの近くにあります)

 同上。大写し。

 ドライブイン。少年がトウモロコシを売っています。

 モスク越しに五本の指山を見る。

 フリーウエイを下りて右折し、先方の踏切を渡るとキジ行き山登りです。

 遊間が取れていないため、線路が歪になっています。
 まだ気温30度くらいですので、今後はグニャグニャになるでしょう。

 これはハチマスのものです。(気温34℃位)

 最初はこういうところです。

 上記の続き。

 山肌に赤い帯状のものが見られます。
 これは砂漠地帯特有の「ラテライト層」と考えます。
 アフリカはほとんどがこのような赤い土です。
 粒子が細かく一定で締固めできず、厄介な土です。
 乾季にはパサパサになり風に流され浮遊します。
 (コンゴ編を参照されてください)

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 緑が見えました。もうすぐキジの街です。

 キジの街の入口。

 山々に囲まれています。

 緑の草原。

 別荘地が点在します。

 キジの目抜き通りは写真下方の右手の赤い屋根から左手の国旗までです。

 キジの目抜き通りに入りました。

 目抜き?通りです。

 街路樹は白い花を付けています。

 何でしょうか。小さな可愛い花です。

 上記写真の国旗寄りに大統領の名前の公園があります。

 これが目抜き通りの突き当りです。この左手に軍隊駐屯地があり、大旗が揚がっています。

 別荘地。

 別荘の建設中。

 この砂利道を下って上ります。雪解け水を見にいきます。

 緑豊かです。

 同上。

 同上。

 同上。

 白樺並木が続きます。

 透き通った水が流れています。

 鬼アザミです。刺されたら大変です。逃げましょう。

 牛も優しい目でのんびりしています。

 同上。のどかです。
 アヒルが少ない水を飲んでいます。
 水源までは山登りで約7kmあるので、ヨチヨチ歩きではいけません。

 以上。


 おまけです。
 
 7月15日に5月末にはしぼんだハチマスのバラの花がまた咲き始めました。







西洋と東洋の架け橋イスタンブル (1/4旧市街)

2012-07-18 11:22:47 | Istanbul & Azerbaijan
 日本ではお馴染みのイスタンブール。

 日本人にとってはこの名前を聞くと、何とはなく、

 エキゾティックな雰囲気が漂ってくるようです。

 この名前は遠い?昔に流行り歌で聞いた事があります。

 なんだか歌詞が跳んでいるようでした。


 海外においてはイスタンブルと呼ぶのが一般的です。(ので今後はイスタンブルと呼びます)
 
 イスタンブルの街は、北側黒海から南側マルマラ海を経てエーゲ海とへ繋ぐ

 長さ約30kmのボスポラス海峡で仕切られています。

 またヨーロッパ側はGolden Horn(日本語では 金角湾)で仕切られており、

 その南側は歴史的建造物が多く建つ旧市街、北側はビジネスの中心地、新市街となっております。

 
 
 

 紀元4世紀初頭にローマ帝国のコンスタンティヌス大帝は

 ローマから都をイスタンブルに移し「新ローマ」と名づけ、

 ここをコンスタンティノーブルと命名しました。

 ローマに対してこの東のローマ帝国はビザンツ帝国と呼ばれ、

 コンスタンティノーブルは、その当時の世界最大級の都市であり、

 また、「絹の道」の終着駅としても栄えていました。

 その後13世紀の末期にオスマン朝が成立し

 旧市街には多くの歴史的建造物が建立されていきました。

 そして、オスマン朝末期の混乱の中、20世紀初頭の第一次世界大戦で敗れ、

 初代大統領ムスタファ・ケマル(アタテュルク)が革命を蜂起し、

 トルコ共和国を成立させて首都をアンカラに移すまでの、

 その間、約1,600年(弥生時代から大正時代)この美しい街イスタンブルを

 当時の世界の最高権力者が手にしていたのです。

 現在は、その往時の美しい街並み、ボスポラス海峡や海は、

 多くの観光客を魅了して止まない、人気のある観光地となっております。

 
 歴史的見どころが多く残された旧市街は

 「イスタンブル歴史地区」として世界遺産に登録されています。

 その中で特に目を惹くのが、ブルーモスクと呼ばれる世界でも珍しい

 6本のミナレットを待った「スルタンアフメット・ジャーミー」です。

 

 そのモスクの近辺には
 
 ・アヤソフィアや・シュレイマニエ・ジャーミーや・トプカプ宮殿

 そして世界最大級の屋根付きマーケット、グランドバサールもあります。

 ここは小さなお店が無数に集まる広大なマーケットで一歩足を踏み入れれば中は迷路です。

 そして、多くの日本人観光客を目にします。

 蛇足ですが、グランド・バサールの入口をくぐった途端に

「こんにちは」「安いよ」「まけとくよ」等の日本語が飛び交ってきて、

 少し違和感を感じます。それだけ日本人の観光客が多いと言う事でしょう。

 苦笑いしますが嬉しい思いです。

 これからも多くの日本人が海外に行き色んな事を知ったり、見たりすることは

 心を豊かにするものだと確信しております。蛇足が長くなりました


 一方、新市街には高級ホテル、銀行や商業施設があり、西に行けば

 ボスポラス海峡に行き当たります。ボスポラス海峡の両岸にも美しい建造物や

 歴史的史跡があり、遊覧船でそれらを見ることができます。 


 なんと素晴らしい街なんでしょう。もいちど飛んでいきたいなぁー。


 何はともあれ、さぁー行ってみましょう。先ずは旧市街からです。
 
 


 日本からはトルコ航空のダイレクト便があります。
 黒海を抜けるとそこにはボスポラス海峡が目に飛び込んできます。
 冒頭から余計なことですが、一日本人として嬉しく思うので紹介します。
 現在日本の有償資金・円借款にてこの海峡の地下鉄道トンネルを建設中です。
 設計施工は日本のスーパージェネコンで、夢をつなぐこの世界初の難関工事に挑んでおります。
 工事の安全と成功を祈っています。
 写真の上側がアジア側、下側をヨーロッパ側と言っています。

 ボスポラス海峡を通過してヨーロッパ側に空港があり、
 ここマルマラ海上にて左旋回します。

 アタテュルク国際空港です。

 空港内はイスラム社会です。
 定時には搭乗カウンター横で小さな絨毯を敷いて
 磁石でメッカ方向を確認し礼拝をしておりました。

 空港はヨーロッパ側(西側)にあります。今から東方向の旧市街に向かいます。
 旧市街まではマルマラ海を右に見て、空港からタクシーで約40分です。

 コンスタンティヌス大帝が紀元4世紀に建てた水道橋。(現在は未使用)
 アーチのきれいな石造建築です。

 同上。

 城壁が見えてきました。

 さぁ今からこの電車に乗ります。
 「トラムヴァイ」と言う路面電車です。
 JRの在来線の車内幅よりも約1m位狭い感じです。
 窓が開放的で見晴らしは良く、爽快です。

 新市街の外れ旧市街側の「トラムヴァイ」のカラキョイ駅から
 「金角湾」越しに旧市街をみています。
 それにしても旧市街は大きなジャーミイ(モスク)の多さが目につきます。

 旧市街の金角湾を渡ったエミノニュ駅から、上記カラキョイ駅を見ています。
 一際高い建物は「ガラタ塔」と言い新市街のランドマークです。
 とんがり屋根のてっぺんまでは67m(約22階ビル)建てあり、最上層の展望回廊までは53mあります。
 ここから新市街が360°見渡せます。金角湾に架る橋は「ガラタ橋」です。

 旧市街側ガラタ橋を渡ったところにあるトラムヴァイのエミノニュ駅です。
 電車が立ち往生しています。丘の上で車両との接触事故だと思います。
 軌道と車道が併用で、いつ接触してもおかしくない状況ですので。
 乗客の多くは平然として電車から降りてどこかに消えていきました。
 残された私はジート回復を待っています。まぁ急ぐ旅ではないのでいいか。

 エミノニュ駅から新市街を見ています。
 白い塀の湾岸側が遊覧船の桟橋になっています。

 電車が動き出しました。前方に見えるぶどう色の建物は
 国鉄シルケジ駅です。オリエント急行の終着駅です。
 アガサクリスティの推理小説でも有名です。
 名探偵ポアロはこの駅から乗車し、事件を解決していきます。

 路面電車は丘の上にある「ブルーモスク」の最寄りの駅
 チャンベルリタシュ駅を目指し登っていきます。

 路面電車の沿道は大半がお土産さんとレストンランで観光客用です。
 なぜなら歩いて登る元気者がいるからです。
 私も元気者を真似して一日目は歩きましたが6月の初めのこの季節、30℃位の気温があり、
 目的地に着いた途端に眩暈と足が痛くなって肝心の見学を放棄することになりました。

 城壁が現れました。
 この山の手にスルタン朝の支配者スルタンが居住した
 「トプカプ宮殿」があります。それの名残だと考えます。
 それにしてもこの若者の眉は両方がひつきそうなくらいでした。
 なんら関係もありませんが中東の人って眉がつながっていそうな人多いです。

 同上。
 私がいるこちら側が車道です。
 ここのガードレールはこの上がカーブになっているから設置されています。
 直線区間は見当たりません。

 同上。

 きれいな通りですね。これ電車通りですよ。

 着きました。お目当ての「チェンベルリタシュ駅」に。
 美しい車体の電車ですね。こういう路面電車はまた乗りたいと思います。

 三両編成ですね。この電車は新市街のカバタシュ駅から
 ボスポラス海岸沿いを走り上記の「ガラタ橋」経由でここまで来ます。
 何もなければ所要時間は30分位です。
 新市街の高級ホテルからカバタシュ駅までケーブルカーで約2分
 そして乗り換え2分位です。
 新市街のホテルから旧市街にくる観光路線なのです。

 ブルーモスクはここから軌道を戻ります。
 そこから見た軌道風景です。
 明らかに車道がないですね。接触事故は、さもありなんと思います。

 軌道と車道が併用なのです。この付近に庶民の生活必需品や食料品の
 大きなマーケットがあるので通行止めにはできないのでしょう。
 この車両は二両編成です。

 駅通りには、そうアゼルで食べたドナール(ここではドネル)がありました。
 これは本当においしいです。行かれた時はぜひ食してください。
 肉の切片と刻み野菜ををサンドウイッチに挟んで食べるものです。覚えていますか。

 駅方面北側から南東方面の「スルタンアフメット・ジャーミイ」を遠望しています。
 驚きました。その大きいこと。それと初めて見た6本のミナレット。
 (ここではミナーレと呼びます。見なーれと簡単に覚えられます)

 北側「アヤソフィア」の前の公園から南南西方向を遠望しています。

 同上。大ドームの高さは43m、直径は27.5mでそれを支えるように
 4つの副ドームがあります。それにしても何で尖塔(ミナレット)は
 4つではなく6つあるのでしょうか?4つの方がどこから見ても対称形で
 スッキリすると考えますが。きっと何か訳があったのでしょうね。

 同上。美しいです。

 さぁ、中に入りましょう。ここは中庭です。
 小さなドームも美しいですね。尖塔は上記写真の中央部のものです。

 ドーム内、礼拝堂に入りました。
 下足は入口で脱いでビニールの袋に入れます。
 女性は身に青い布を巻き付けます。
 ビニールも青い布も備え付けのものです。
 最初に、床に敷かれた絨毯の広さにはびっくりします。
 が、それ以上に広い内部空間とそこに張りつめられた
 ブルー主体の内壁タイルには驚きます。

 第一印象はガウディのサグラダファミリアを思い浮かべます。
 ステンドグラスや採光用の多数の小窓も目を惹きます。

 すごいです。

 ステンドグラス美しいですね。

 大ドームと副ドームです。ブルータイルがきれいですね。
 これがブルーモスクと呼ばれる所以です。

 上記、大写し。

 同上。

 現在、ブルーモスク」と「アヤソフィア」間の公園は改修工事が行われていました。
 (2,012年6初)

 このジャーミイは「アヤソフィア」と言います。現在は博物館になっています。
 もともとはローマ帝国時代およびビザンツ帝国時代はギリシャ正教の大本山で、
 コンスタンチノーブルが陥落する15世紀中にジャーミイに変えられたものです。
 その後初代大統領アタテュルクが博物館として一般に公開されました。 

 4本の尖塔は時のスルタンがそれぞれ作ったのでデザインがマチマチになりました。

 同上、大写し。

 同上。

 本日は時間キレですので内部見学はPASSしました。
 今から歴代スルタンが栄華を極めた「トプカプ宮殿」に行きます。
 と言ってもすぐ目の前ですが。(写真を撮ってる後方がそうです)

 ここがローマ時代のヨルダン編で載せました戦車競技場の跡地です。
 遠くのオベリスクはエジプトのルクソールのカルナック神殿から
 運ばれてきたものだそうです。 

 ここが歴代のオスマン朝のスルタンが栄華を極めた「トプカプ宮殿」の
 正門で「皇帝の門」と呼びます。

 皇帝の門はこのように高い城壁により囲まれています。

 門をくぐると第一庭園と呼称されている大きな中庭があります。

 この中庭の突き当りに送迎門があります。
 チケット売り場は右手で普段の日だったのですが沢山の人でした。

 上記送迎門をくぐるとさらに第二・三・四と庭園があり
 第四庭園を北側金角湾方向にこの「バーダット・キョシュキュ」、
 これはラマダン月に1日の断食を終えて、夕食の食事をするところで
 ここからは金角湾、新市街やボスポラス海峡が見渡せる絶好の場所でした。

 上記の庭園側にきれいなブルータイルを貼った外壁がありました。

 大写し。これタイルですよ。

 バーダット・キョシュシュから見る眺め。

 新市街と第2ボスポラス橋も見えます。

 上記写真を右に振りました。

 左側が金角湾の新市街「ガラタ塔」方向。
 この他にもここには「ハーレム」「宝物殿」等、見る物は
 多くあります。足が痛くて、本日はGive Upしました。
 次回をお楽しみに。

 世界最大級の屋根付き市場です。
 上記のトラムヴァイ「チェンベルリタシュ」駅のブルーモスクとは反対側にあります。
 出入口の写真のような門が20ケ所以上あります。
 初めての人はこの中の迷路で戸惑います。だからGATE NO.が打ってあります。
 どこに出て来たか確認ができるのです。それだけ大きいと言う事でしょう。

 上記、大写し。ここを「グランド・バザール」と言います。
 この出入口は GATE NO. 7 です。

 上記の左手はオープンエアーのマーケットになっており
 小さな露店が連なりあっています。

 GATE NO.7をくぐりました。
 絨毯屋、食器屋、貴金属屋がこの一角にあります。

 同上。

 香辛料や駄菓子屋や干し物の雑食料品店です。

 同上。

 これすべて香辛料です。

 幹線市場通路からの支線はこのように露店が並びます。

 入口が坂の上からでしたので坂を下って所定のガラタ橋の広場に見事出てきました。
 ここはまた違うマーケットの呼び名です。「エジプシャン・バザール」と言います。
 つまり「グランド・バザール」とは軒続きです。

 エジプシャン・バザールとガラタ橋の間にある大きな広場。

 その広場の横に建つイェニ・ジャーミイ。

 この階段はガタタ橋からからくる道路橋(鉄道橋併用)の下をくぐるトンネルです。
 このトンネルをくぐってトラムヴァイ駅や遊覧船の乗り場に行けます。

 ちょっと忘れていました。旧市街でも美しいこのジャーミイは
 シュレイマニエ・ジャーミイと言います。オスマン帝国のものです。
 次回いければと思っています。

 同上。大写し。

 旧市街と新市街をつなぐ「ガラタ橋」

 橋の中央は遊覧船がくぐり抜けるようになっています。
 潮の干満の差が少ないからできるのでしょうね。

 この船がくぐります。

 ボスプラス海峡巡り遊覧船です。

 このジャーミイ、ジャーミイが多くて、どこのか忘れてしまいました。



 後記:
 イスタンブル市内の案内は当地在住で私の友人の奥様がしてくださいました。
 観光ガイド顔負けの物知りな方でした。この誌面を借りてお礼を申し上げます。

 兎に角、見どころが多すぎて、また私がバテテ、見逃したところが多々あります。
 次回行く機会を作り行きたく思っています。

 投稿は:
 全4編です。他3編は追って掲載致します。


 

北の都市 ハチマス(Xachimaz)は田園いっぱい

2012-06-19 17:03:22 | Istanbul & Azerbaijan
 ハチマス、下の写真のようにXacmazの c の下にひげがついています。

 英語ではXachimazです。Xaを「は」と呼びます。



 ロシア街道の(土地の人々は、ロシアへ行く道路をそう呼んでいます。)

 アゼル国の最北端の都市です。

 モスクワ行きの列車も日に一本ここに停車をします。

 列車の旅は郷愁を抱かせます。

 突然に、蛇足ですが、

 私は列車が大好きです。学生時代は貧乏で故郷、筑豊へは

 帰れなかったのですが、社会人となって、飛行機があるにも拘らず、

 寝台特急でわざと想い出を辿りながら帰郷したものです。

 今もたまに新幹線で帰郷しますが、昔ほどの郷愁は感じられません。

 時代の進歩の速さに伴い、時間も短縮されて、思い出も瞬く間にさっていくようです。

 でも、故郷はいまでも変わりなく時がゆっくり流れ、人は優しく、自然がいっぱいに感じます。

 私は故郷に帰りたいといつも思っています。そして、楽しかったあの時代を浮かべます。

 そうすると元気が湧いてきます。

 そして、川遊びをした遠賀川の土手にいきます。

 中学時代の思い出の図書館の前の河川敷も今ではコンクリートの駐車場になっています。

 それでも故郷が好きです。そこには青春の思い出があるからです。

 ・・・・・・・・・・ 

 電車を見ると話がいつも脱線します。

 北国の素朴な風景を見ていると尚更に寂しくなり故郷を思い出します。

 ・・・・・・・・・・

 グサールと違い、大地は凸凹がなく、どこまでも続く広大な草原であり

 その緑の中には山羊や羊が草をはぐんでいて、その光景はさながら

 絵画や映画で見覚えのある、郷愁を誘う1シーンです。

 街の中の通りにも、牛や馬や羊や山羊やアヒルが散歩?をしております。

 道端や軒先には自分の家で採れる野菜を売っています。

 見るからに生活水準は高くはないのですが、自給自足で生活が為されている

 のどかで、のどかな田園都市の風景がここにはあります。

 ・・・・・・・・・・

 今は雨季が終わり暑い夏に向かっています。

 街中にバラの花が咲き、人々の心をいやしてくれています。

 日中の気温は30℃越していますが、夜は15℃前後で

 未だにガスの蛇腹ストーブを炊かなければ夜は寒くて寝れません。

 でも、7月からは本格的に夏に入り、ここハチマスでも40℃になると聞いています。

 ・・・・・・・・・・

 街は国境の様相であり、色々な形の厳めしい建造物や

 、それとは別にチャイに因んだ愉快な建造物もあり、

 総じて街の威厳を醸し出しておるように見えます。

 なにはともあれ、ご覧ください。



 絵画ではありません。が、絵のような風景です。

 同上。

 広々とした草原。

 同上。

 お馬の親子。

 牛の親子。

 あひるの親子。

 同上。

 はぐれあひる?

 山羊の散歩?
 草原があるにも拘らず、こういう場面に出くわします。
 何か他の理由があるのでしょうか。

 街の角にはこのようにつるされています。

 屈託のない少年。

 同上。

 同上。少年と少女。

 幼いころの君と僕?

 無邪気なこのころに戻りたい。

 将来はこうか?

 さぁ、ここからはバラの展示会です。
 一つ一つ表情があります。
 ゆっくりとご観覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは何の木でしょう?

 さくらんぼ です。

 街角の果物屋兼野菜屋さん。

 ハチマスのロシア街道の入口。

 同上。

 ハチマスのバスターミナル。

 同上。

 同上。

 ハチマスの市街地。

 同上。

 同上。

 ハチマスの駅。

 ハチマス駅の構内。

 同上。

 ロシア行の東北本線。

 ロシア行き特急?

 どうも職業病がでます。
 ロマンを欠きます。
 跨線橋の歩道部のコンクリートが割れています。

 同上。
 遊間の開きが上下で違います。
 遊間が同じ位置にあるので、ガタンゴトンはしません。
 大きくガタンで終わりです。

 街で一番大きなモスク。

 これ個人の住宅です。

 同上。正面玄関。テーマパークです。

 ロシア街道沿いにある、大統領の名前と写真がある公園。

 同上。

 同上。魔法のランプ。

 同上。チャイを飲む急須。

 上記公園の目の前にあるロンドン橋。

 街一番の3☆ホテル。

 同上。

 空を飛ぶ車。


取り敢えずここで完。
次回はイスタンブルを掲載予定。


北方向コーカサス山脈の街 グサール(Qusar),ハチマス(Xachimaz)&キジ(Xhiji)へ

2012-05-28 18:04:24 | Istanbul & Azerbaijan
 コーカサス山脈。私たちの学生時代はこう習ったと記憶しています。

 現地ではカフカス山脈です。(英語読みと現地読みの違いです)

 カスピ海から黒海までの約1,000km、旧ソ連のヨーロッパ部分の最南端に位置します。

 5,000m級の山がある大コーカサス山脈と4,000m級の山がある小コーカサス山脈があります。

 今回紹介する北の三都市はいずれも大コーカサス山脈のカスピ海寄り(南東端)に位置します。

 グサールとハチマスはロシア連邦国との国境付近です。

 また、コーカサス三国とは北西の黒海に面したからグルジア、内陸国アルメニアそして

 カスピ海に面したアゼルバイジャン(以下アゼルと呼びます)です。

 いずれも大コーカサス山脈の南に位置し、シルクロードの交易ルートでもあります。


 宗教(グルジアとアルメニアはキリスト教でアゼルはイスラム教)や民族が違います。

 宗教と民族が違うと言う事が、国家間において受け入れられなく、ここアゼルに居ても

 これ程までに、摩擦や障害やわだかまりを作ると言う事を、改めながら実感しています。

 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・

 前置きはここまでで、さぁーアゼルの北側、大コーカサスの南東端の3都市を訪ねてみましょう。

 騒然とした大都会バクーからここに来ると落ち着いた風情があり、自然を感じます。

 ・・・・・・・・・・

 コーカサス山脈の懐に抱かれたグサール(Qusar or Gusar)は眼前に4,000m級の万年雪を抱えた

 緑豊かな牧草地域です。ここには山羊、羊や牛がのんびりと草をはむでいます。

 果物も、今の季節、サクランボ、イチゴ、ウメノミ そして、なぜだかリンゴもあります。

 リンゴは大きさが不揃いで露店に並べられ、特に小さなリンゴは甘みがあり美味しいです。


 カスピ海寄りのハチマスは野菜の産地です。

 道路沿いにはトマト、キュウリやネギ等の露店が並び、のどかな田園風景です。
 
 アゼルの食事の前菜には、必ず、スライスされたキューリとトマトが出ます。

 大半がハチマス産です。

 それと今の時期、きれいなバラが咲いています。五月のバラは一段と鮮やかです.

 
 最も西寄りのキジは山の中にあり、バクーや南地域の人々の避暑地になっております。

 街としては上記2都市に比べ一番小さくこじんまりとしています。

 ここには、近年、別荘が建ち並び始めております。



 まずはグサールから紹介します。



 ハチマスから見たコーカサス山脈。

 同上。(前記の左側に続く)

 グサールから見たコーカサス山脈。

 同上。

 山脈にかかる大きな雲。

 草原の羊群。

 露店の果物屋さん。

 露店のりんご屋さん。

 三食に必ず出される前菜。これで一人前です。
 この後にヴォリュームたっぷりの主食(肉)が出てきます。
 私は前菜だけで腹いっぱいなので、途中からは、そうのようにしました。

 コーカサス山脈。

 以上、プロローグです。



 バクーからカスピ海沿いのフリーウエイを通りハチマス→グバ→グサールに行きます。

 軍用道路も兼ねています。 

 奇妙な形の岩山が見えてきました。

 この山の名前は「五本の指の山」と言います。
 5本の指に見えますか。

 中ほど100km地点に唯一のドライブインがあります。
 イスラム教ですから定時にお祈りします。
 
 ドライブインからの大写し。

 ドライブインには牛やヤギやヒツジが何故かしらいます。
 何のためかお分かりだと思います。

 五本の指の山とタンクローリ貨物列車。

 ドライブインで飲んだ「ハーブティ」
 レモンの切片を入れて飲みます。現地では「チャイ」と言ってます。
 美味しくて、はまりました。
 グラスの中央がくぼんでいるので、熱いハーブティを注がれても、
 上部を持てば熱く感じません。

 そろそろハチマスに到着です。 

 ハチマスのバスターミナル。
 
 ここからグサールに行きます。

 ポプラ並木です。

 ポプラ街道です。

 同上。

 このような柳の様なものもあります。

 同上。

 どこまでも続くポプラ街道。

 晴れた日のポプラ街道。

 グバの街に着きました。重厚な建物は博物館です。

 グサールへ登っていきます。

 同上。晴れた日の物。

 途中の景色。

 白い文字でQUSARはグサールと読みます。
 ここは軍隊駐屯地です。
 街の要所要所には大統領の写真があります。
 前大統領で今は息子が大統領です。

 曇っていてコーカス山脈がぼんやりと見えます。

 前記、晴れた日の、ほぼ同じ構図です。

 同上。

 同上。

 曇っていますのが、周りには緑が沢山あります。

 前記場所からのコーカサス山脈。

 ここからは未舗装道路です。

 前記のコーカサス山脈のほぼ同じ構図です。

 河岸段丘です。両岸が滑落しています。

 同上。 

 前記とほぼ同じ構図のコーカサス山脈。

 同上、右側部。

 同上。

 広大な河岸段丘。

 同上。

 いました、羊さん。丸々としています。

 さぁ。戻ります。

 グバ風景。

 同上。

 緑の大地。

 緑の並木道。

 またいました。山羊や羊は遊牧民に取っては宝です。
 車も一時停車します。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。


 

 

縁ありてバクー 3rd 人の命は重い

2012-04-29 22:43:11 | Istanbul & Azerbaijan
 先週に引き続き「炎のビル」の窓拭きが気になり行ってきました。

 本日の天気は曇りで霧がなく視界は良好です。

 ゆえに、窓をふいているのかなぁーと気になりました。

 ・・・・・・・・・・
 
 窓拭きの作業はやっていませんでした。

 きっと作業中止命令が出たんだなぁーと思い、うれしくなりました。
 
 ・・・・・・・・・・

 そしたら、トンでもないことをやっていました。

 風がある中、クレーンで荷物同様に人間を吊って上げているのです。

 驚きました。


 彼らは知らないのでしょうか?

 「人は荷物ではない。」

 「人の命は軽くはない。よってクレーンでは吊れない」 と

 

 車の運転や工事の状況を見ても、

 人の命が軽いように思われてなりません。

 お国の為に、命をも惜しまない勇敢さは認めます。 が

 命の大切さをもっと知ってもらいたいと思います。

 
 来週は行きません。私の命が縮まりますので。
 


 風速は3m/sで、外にでても心地よい風の強さです。
 「炎のビル」は本日も作業中です。
 本日は窓拭きは窓は拭いていません。良かった。

 アリャリャ。なんてことをやっているのでしょうか?

 上記。大写し。二の句が出ません。

 何たることか・・・

 これでびっくりは終わりです。


 ビル上方の2本ある黒い線を見てください。
 窓が開いているようです。

 大写し。
 この黒い線の階が荷物の搬入口で窓の開閉ができるのでしょうか?
 どうやって荷物を取り込むのでしょうか?
 それとも他に理由があるのでしょうか?
 屋内の荷物用エレベーターは作動していないのでしょうか?
 !!!あまり観光客に心配をかけないでください!!!

 「殉教者の道」から望む。

 カスピ海越に望む。



 ここからはおまけです。
 「殉教者の道」

 殉教者のお墓から市街とカスピ海を望む。

 同上。カスピ海。

 本日は彫刻が2つありました。
 噴水していました。

 世界遺産の「乙女の塔」

 銀座通りの「ニザミ通り」
 こちらも噴水していました。





縁ありてバク- 2nd

2012-04-28 17:08:39 | Istanbul & Azerbaijan
 このところ三寒四温ではなく三寒五温の気候です。

 そして風の街バクーにも春が来て、街路の草や木に鮮やかな花を付けています。

 先週はつぼみだったのが今週は花が咲き始めています。

 逆に、先週は花が咲いていたのがしぼんでいます。

 花の命は短いのですね。だからこんなに美しい花をつけるのでしょうね。

 何のためにでしょうね。昆虫を魅了するためでしょうか、それとも人を和ませるためでしょうか。

 それだとしたら、天空都市の美しい花を咲かせるサボテンは何でひっそりと咲かせるのでしょうか。

 ・・・・・・・・・・? ・・・・・・・・・・?

 自然の変化を知り、自然と共生し、自身の生命を守る為だと思います。
 
 
 今の季節、気温は最高が22℃前後で最低が11℃前後で夜は蛇腹のガスストーブを入れています。

 ここの夏は40℃くらいになるそうです。湿気が多く汗がでて街歩きが大変だと聞いています。

 蛇足ですが、アフリカは湿気がなく、40℃でもそんなに暑く感じません。

 し、余計なことですが、ヘルメットの上に乗せた卵で目玉焼きができます。

 閑話休題、

 街往く人も半袖の装いで、どことなくウキウキしているように見えます。

 やっぱり春は心が弾むようです。


 街に出てみました。経路は「炎の形をした建築中の高層ビル(以下「炎のビル」)」→「殉教者のお墓」
 
 →「旧市街」→「乙女の塔」→「市民の憩いの場所の泉水公園」です。約2kmあります。

 車優先社会で道路横断は大袈裟だけど命がけです。日本では高価なドイツ車もみられ、

 一様にスピードがかなり出ています。車道は広々しているのですが、歩道は小さく、工事中や

 歩道上駐車で狭くなったり、通行止めだったりで、車の通行を気にしながらの歩きになります。
 
 急激な経済発展を遂げ、それにモラルが追随していない大都市の光と影を見ているようです。


 「殉教者の道」の両側は墓石が建っています。隣国アルメニアとの戦争による犠牲になり

 1,992年に殉死した青年たちです。 大半が20代の若者です。

 「殉教者のお墓」はカスピ海と街を見晴らす一等地にあります。

 ここに葬られると言うことはとても栄誉なことだと想像します。

 ちょうど私が訪れた時に軍隊学校の生徒が教官に連れられ来ていました。

 記念碑の周りの壁に嵌め込められた戦没者の名札を一つ一つ手で触っていました。
 (教官がそうするように指示しているようにも見えました)

 隣国との停戦合意は成立したものの、その紛争は終結をみせていません。

 学生たちの、その仕草は、兵士であることを鼓舞しているように見えます。

 考えさせられます。

 ・・・・・・・・・・

 色んな要素(民族、宗教、政治や大国の思惑等)が絡みあい、

 それを解きほごすには時間が必要だと感じます。

 ・・・・・・・・・・

 ただ、我々にできることは、

 彼らが平和に暮らせるように、安心して生きていけるように、戦争はしなくていいように、

 その手段を草の根のように支援してあげることだと思っております。 

 
 2,012年4月28日、アゼルバイジャン共和国、バクー市にて、






 色彩々できれいなチューリップです。
 バクーは「チューリップの街」ではと思っています。
 
 日本ではポピーですね。

 先週の路傍の状態。路肩のチューリップは蕾でした。

 今週の路傍の状況。蕾が徐々に開いています。

 同上。先週の写真とほぼ同じ場所です。

 上記を逆方向から見ています。

 きれいなチューリップ。

 同上。

 同上。

 上から覗いてみました。

 同上。

 左側は花がいっぱいに開いています。

 同上。

 しぼんでしまいました。

 これは桃でしょうか。梅が散ったらこちらが咲きます。

 同上。きれいですね。

 同上。大写し。

 「炎のビル」の下にも咲いていました。

 これはオリーブです。

 同上。イスラム圏には多く見られます。

 この松ぼっくりは長さが10cm位あります。

 バクーはなぜだか噴水が多くあります。

 同上。

 同上。

 同上。泉水公園内。

 同上。写真手前の彫刻は何でしょう。

 あイスみません。

 この宮殿風の建物はなんでしょうか。工科大学です。

 歩道を占拠し街灯を交換していました。
 こちらも車優先でしょうか。

 大通りの裏は下町風景です。
 路上駐車が歩道をふさいでいます。

 同上。

 こういう露店の果物屋は沢山あります。野菜もおいています。
 色彩々で目を楽しませてくれます。

 クラッシックカーも現役です。
 バクーではあまりお目にかかりませんが、地方に行けば主役です。
 黄色の車は旧ソ連製のLADAと言います。多く見受けられます。


 さぁー「炎のビル」に到着しました。
 なんだか不安定に見えて落ち着きません。
 費用が掛かりすぎて「もったいない」と思います。
 上空は風速10m/sの風が吹いていました。日本では工事STOPですが・・・

 同上。炎の形とは言え、異様な造りです。

 同上。雲が下りてきています。
 そして海岸から霧が発生してきました。
 4人位で屋上からロープを垂らし窓を拭いていました。怖ーい。

 こちらは二人組です。風が強いので心配です。

 同上。自動窓拭機のガイドレールはあるのですが
 まだ設置されていないようです。
 窓拭き機も凸凹でやり辛いでしょうね。
 人間で吹いた部分は光っています。

 同上。4人組です。見ているだけで怖ーいです。

 霧が掛かってきました。
 早く下りないと。

 同上。ビル建設工事で歩道は閉鎖、右側も掘り返して歩行が困難です。
 人にやさしくないですね。

 「炎のビル」の海岸側に位置する「殉教者のお墓」の入り口です。

 ここを「殉教者の道」と称します。
 両側に墓地があります。

 「殉教者の道」の入り口に建つ、古いモスク。

 奥に入っていきます。
 突き当りにドーム状の建物があり、そこから、市街地やカスピ海が一望できます。

 ドーム。向こうはカスピ海です。
 炎は年中絶えないで燃えています。

 「殉教者の道」の入り口から「炎のビル」を見ています。
 この右手にモスクがあり、その横の坂道を下ると旧市街と海岸に出ます。
 窓拭きが気になります。早くおりて。

 軍隊学校の生徒が参拝に来ておりました。
 彼らは墓碑に掌で軽く触れ、会釈をしていました。

 整然としたお墓です。

 同上。

 1992年の没です。28歳の若さです。

 同上。23歳です。

 同上。25歳です。

 同上。22歳です。
 前途ある若者がお国の為に犠牲になったのですね。

 お墓の前から「炎のビル」を見ています。
 霧に隠れてきました。窓拭きが気になります。

 同上。

 同上。

 同上。

 旧市街とカスピ海方面も霞んでいます。

 同上。カスピ海です。

 再度、「炎のビル」です。
 まだ、窓を拭いております。
 安全意識が?です。

 同上。作業の中止命令は出ないのでしょうか。
 他人事ながら気にかかります。


 さぁー旧市街へ、この坂道を下っていきます。
 「炎のビル」の左側に「殉教者のお墓」があり、その先がカスピ海です。

 旧市街はこのように城壁で囲まれています。
 写真の下側がカスピ海で「乙女の塔」も城壁の一部でした。

 城壁の外側です。中に入ります。

 城壁の内側。

 同上。

 同上。建物の中の小路は迷路になっているそうです。

 同上。

 「乙女の塔」が見えています。工事中ですが本日は中に入れました。
 多分、昼からは開館と思います。

 最初のらせん階段は鋼製で人一人しか登れません。

 その次からは石段になっています。
 昇降でこの階段しかありませんので、すれ違う時は待ちます。

 「乙女の塔」の屋上からバクー市街を360度見てみます。
 まずは南側の「炎のビル」方面です。
 窓拭きはもう降りたでしょう。

 少し右側(西側)に、右回りで振りました。

 更に西側です。

 西側。

 北西側。

 北側。

 北東側。

 東側=カスピ海

 東南側。

 南東側。

 これで一回りです。

 上記の大写しです。

 30分くらいで霧が消えていきました。

 風が強くて旗がゆがんでいます。

 「乙女の塔」から前回みた「シェマハ門」です。



 

縁ありてバク-

2012-04-15 20:33:31 | Istanbul & Azerbaijan
 この時期日本では桜花が美しく咲き誇っていると聞き及びます。

 その他今年は梅も遅れて咲き、ツバキ、杏や桃の花も、晴れ姿を鼓舞し、春爛漫だと思います。

 今年は年初から嬉しいことがあり、その流れで、美しい日本の桜が見れると期待していました。

 が、さにあらず、神様はそんなに楽しいことばかりは与えてくれないようです。


 縁ありてバクーに来ています。

 バクーは東欧のはずれ、もしくは西アジアのはずれのカスピ海に面した

 アゼルバイジャン共和国の首都です。

 知る人は知る(当たり前ですが)シルク道路の中継点でもあります。

 北側には4,000m超のコーカサス(カフカス)山脈の万年雪を被った美しい容姿が見れます。

 西はアルメニアとグルジア、南はイラン、北はロシアと接しています。

 1、991年にソ連邦の解体と共に独立し、1992年に国連に加盟。

 カスピ海に埋蔵する豊富な石油資源やLNGのもとに、西側諸国の協力により

 油田採掘事業が行われ、2,006年から運用開始され、近年、急激に経済発展を遂げつつあります。


 一方、旧ソ連時代の社会主義社会統治国家であり、庶民の生活、特に地方は細々とし、

 地域格差の是正や地方のインフラ整備が喫緊の課題です。

 また、隣国アルメニアと、ナゴルノ・カラバフの領土(アゼル領土)問題は1994年に

 停戦合意が成立したものの未だに両国間の紛争はしこりを残しています。

 その紛争で約百万人の難民及び国内避難民が発生したと言われています。


 首都バクーには地方から職を求めて移住してきた人々等で溢れ、

 近代ビル建設中の隅っこで慎ましく生活をしてる人々も見受けられます。


 色んな生活水準や色んな民族の人々が住み多様な社会を作っております。

 前述したように「貧困削減」、「地域間格差の是正」や炭化水素系資源をもとに

 「持続的な経済発展」が望まれており、現在、実施にむけて徐々に歩み始めております。

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 バクーはカスピ海に沿って西側の丘陵地帯へと街が形成され、カスピ海からの強い風が年中、

 丘を駆け上がっております。それゆえバクーは「風の街」と形容されています。

 沿岸にはシルクロード時代名残の旧市街、旧ソ連時代の重厚なビルや石畳の通りが残っています。

 そこから山の手の方へ向かうと重厚なビルの横に、昨今は近代的なビルが建設されています。

 街には治安は良いように思われますが、多くの警察官が見張っております。

 多くの警察官が見張っていなければと詮索したくなります。何か他の理由があると思いますが不明です。

 蛇足ですが、公共施設をカメラに収めようとしたら注意を受けました。怖い警察官の印象です。

 小さいころ警察官と学校の先生が怖かったのを思い出しました。それはさておき、

 
 街を往く人たちはロシア系やイラン系の人々が多く見受けられ、

 彼らは概して長身で痩身で控えめでとても親切です。長身を除けば人々は中南米と似ています。

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 何はともあれ、バクーの街を歩いてみましょう。



 海峡をつなぐ吊り橋。関門海峡と見間違いますが、赤い瓦の屋根ですのでそうではありません。
 アジアとヨーロッパをつなぐイスタンブルの第一ボスポラス橋です。
 
 黒海→ボスポラス海峡→マルマラ海→ダーダネルス海峡→エーゲ海(地中海)とつながっています。

 文字だけでは位置がわかり辛いので地図をご覧ください。
 地図中央やや左の黄色のピンがボスポラス海峡です。

 アゼルバイジャン国旗

 カスピ海の岸から北側を撮っております。

 同上、北側の大写し。

 同上、東側のカスピ海を見ています。

 同上、南側を見ています。

 同上、南側、少しカメラを西側に振りました。
 高台に奇妙な建物が建設中です。この建物は街のどこからでも見れます。

 旧市街のカスピ海側の入り口に立つ、世界遺産「乙女の塔」です。
 この名前の由来には悲しい物語があります。悲しいので割愛します。
 らせん階段で屋上まで上がれますが、生憎、工事中で閉鎖されていました。

 上記、乙女の塔から南側を見ています。右側が旧市街です。

 炎のタワービルの大写し。
 正式名称は分かりませんがアゼルバイジャンの国章の炎を模して造っていると聞いてます。

 乙女の塔の西側から旧市街へと続きます。
 旧市街の中は迷路になっており、出てくるのは至難の技と観光書に書いてあります。
 よって、頂上までは遠回りになりますが周囲の城壁に沿って歩きます。

 旧市街の街並みです。  

 城壁門です。かつての隊商や旅人は必ずこの門を通って通行していたそうです。
 日本で言う関所です。名前は「シェマハ門」と言います。

 城壁にそって、このような土産物店が軒を並べております。
 絨毯が多いのが目につきます。小さなものは定時の礼拝時に足元に敷く布だと思います。
 イスラム信者は定時にどこにいてもメッカを向いて礼拝をします。

 城壁沿いに頂上の宮殿まではこういう坂道を登ります。
 猫が通りを闊歩?しています。犬はお目にかかりません。
 ヨルダン同様にイスラム圏は犬がいないようです。
 逆に中南米では黒犬がいて、猫は見当たりませんが。
 黒犬は三途の川の道案内をすると聞いていますが、猫はどうでしょうか。

 旧市街の頂上にある世界遺産「シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿」です。
 当国には3ケ所の世界遺産があります。その内の2ケ所が旧市街にあります。
 シルヴァン・シャフ・ハーンはかつてこの地域を治めた王様です。

 宮殿内の中庭です。城壁に囲まれカスピ海は見れません。

 上記、宮殿からの眺望。

 炎のタワービルとバクータワーの大写し。宮殿前の広場から撮っています。

 宮殿横の小路です。なるほど迷路で寂しく、通らない方が無難のように思えます。

 城壁の外側です。

 旧市街の門をくぐりと、そこには旧ソ連時代の重厚な建物が見られます。

 市民の憩いの場所、噴水公園です。南向きに撮っています。
 この公園の中には大小の噴水が多くあります。

 上記、噴水です。カメラアングルを変えました。東向きに撮っています。

 こちらは小さな噴水です。

 噴水公園のの隅にある「口紅を引く乙女」像です。
 これにも悲しい物語があるのでしょうか。

 噴水公園を抜けた通りです。重厚な建物が目を引きます。 

 この通りを抜ければバクーの銀座通りです。

 バクーの銀座通り「ニザミ通り」 北から南側を撮っています。
 道路中央に街灯とベンチがあり趣があります。 

  同上。

 同上、大写し。

 同上、南から北側を撮っています。遠くの建物は霧で霞んでいます。

 同上。

 ニザミ通りにある旧ソ連時代の重厚な建物。

 同上。

 国立オペラ・バレー劇場。現在は使われていません。

 同上。

 旧ソ連時代の重厚な建物とその後ろの近代的なビル。

 旧ソ連時代の重厚なビル。

 同上。

 同上。

 同上。

 この階段を降りたら大きな公園があり、大きな銅像が街を見下ろしています。(写真の右側)

 大きな公園には必ずこのような銅像があります。ナリマン・ナリマノフと呼ぶのでしょうか。

  バクー鉄道駅。

 モスクがありました。

 同上。

 躯体まで造って放置されたビルが処々に見られます。

 一方、ビルの裏に回ればこのようです。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 きれいなサボテンがありました。

 同上。

 これは紫陽花ですよ。

 全てチューリップです。

 4月初めのこの時期、濃い霧が街を包みます。山の手の中腹からの写真。

 同上、濃い霧が街を山の手を包みます。南向きに撮っています。
 地下鉄の建設現場も本日は休みです。

 同上。少し晴れてきました。

 霧がないときの風景。

 同上。西向きに撮っています。

 同上。少し晴れてきました。

 同上、霧がないときの風景。

 職業柄目に入ります。
 建設現場。ヘルメット着用は義務ではないようですね。

 スラブ(床版)の支保工材は鋼製や木製があります。

 街を行き交う人々。

 同上、親子連れ。

 南米で食べたこの串刺しの肉(チュラスコと南米では呼ぶ)は何でしょうか。
 
 これがファストフードです。このお店は多くあります。
 肉をスライスしてパンに挟みます。大きさは20cmX10cmです。

 イスラム圏にはオリーブの木が多く見られます。

 これは梅ですよ。4月の初旬に咲くのでしょうか。

 同上。

 同上。後ろには松と杉があります。

 噴水がある重厚な建物が見えます。
 
 同上。

 この建物は前記建設現場の隣にある地下鉄の駅舎 とバスターミナル(ストップ?)。

 旧ソ連時代の建物。

 同上、遠くにあの炎のタワービルが霧に霞んで見れます。

 大きな公園の中には移動式の遊園設備があります。

 何でしょうか。モニュメントがあります。

 少し近づいてみましょう。

 アゼル出身の有名な詩人フセイン・ジャビッドとの事です。
 前記のバスストップがある大きな通りの名前も同じです。

 

 (次回に続く)