土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

「パリの空の下」

2011-11-06 03:39:49 | パリ(,France)
 「パリの空の下・・・・・セーヌは流れる。」

 美しいこのタイトルとその歌詞の響き!!なんとロマンティックなのでしょうか!!

 ・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・

 「パリの空の下、セーヌは流れる。」

 その歌詞に世界中の人々は、心躍らせ、胸が高鳴る。

 ・・・・・・・・・・

 冬は、長くて、日が短い。 8:30に陽が上がり、17:00には陽は沈む。

 深い雲が空を覆い、太陽はあたかも冬眠してしまったかのように

 顔を出さない。  寒い寒い漆黒の日が続く。
 
 ・・・・・・・・・・

 そして5月、

 ようやく厚いコートも脱げて、あちこちに、マロニエが咲く。

 春は白夜を思わせるように日が長い。

 陽は5:30に上がり、22:00まで沈まない。
 
 ・・・・・・・・・・

 春、春、春。

 春を待ちわびてたように、セーヌの川辺に恋人たちは集い、ロマンを語る。

 そして歌い、肩を抱き合い、踊る。


 路地の街角、セーヌの橋上、川岸のベンチ、モンパルナスの丘、

 花屋の坂道、メトロの階段、カフェテリア、サロンデティ、走っている車、船の中からも

 聞こえてくる。・・・この軽ろやかなメロディ。


 アコーディオンの3拍子のリズムに乗せて、流れるような軽快なメロディ。

 「シャンソン」・・・「恋の歌」・・・・・そして「愛の歌」・・・

 その軽快なリズムに乗せ、パリジェンヌ、パリジャン達の心は高揚し、
 
 夜明けまで、歌って踊っている。

 ・・・・・・・・・・
 
 長く待ちわびてた春。一斉に花開く春。


 花薫る巴里、
 
 芸術溢れる巴里、
 
 ロマンがめぐる巴里、
 
 恋が芽生える巴里、
 
 育まれる巴里、
 
 そして実る巴里、
 
 美しい街、巴里、
 
 世界中の人々に愛される巴里。
 
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・ 

 そして、そして、彼らを温かく、

 いつの日も変わらず無表情で 凛と聳え、

 パリの人々を、いつまでも、優しく見守ってくれる、

 ・・・「この巨大オブジェ」・・・「パリの空の上に」







 これは何でしょうか?上下・左右対称に精巧に仕上がっています。
 万華鏡?

 上記、夜のものです。

 上記の基礎の部分です。美しいアーチの梁で組みあがっています。
 下層部のアーチには模様が施されています。(後述します)

 部材に筋違をいれ三角形にした構造体を「トラス」と言います。(エクアドル編参照)
 鋼製の橋梁には一般的に「この三角形にした幾何学構造体」がよく見られます。
 それにしても見事な容姿です。
 柱脚は一階(地上から約60m)でその直線が屈折しております。
 機能性もさながら、その容姿にもこだわりを感じさせます。

 柱脚はさらに二階部分(地上から約120m)でも屈折しております。
 柱脚自体は直線ですが、外観を曲線に見させて、美しく描かれています。
 設計者の物造りへの気持ちが伝わってきます。

 三階部分です。(地上から約280m)曲線で途中まで組み上げ、
 最後は直線で力強く天まで伸ばしているように感じます。

 夜の全景。アーチと曲線と最後の直線。何という躍動感でしょうか。
 美しい。

 同上、昼。

 夜の全景。

 昼の全景。

 夜の全景。

 昼の全景。エッフェルタワーを撮るベストポジションはここです。
 シャイヨー宮のテラスからトロカデロ庭園→セーヌ川→エッフェルタワー→シャン・ド・マルス公園
 となります。

 夜の全景。

 以上、プロローグです。



 さぁー歩いてみましょう。
 前記したように、陽は22:00頃に沈みます。
 撮影時間はは21:20です。夜の9時過ぎで、こんなに明るいのです。

 同上。

 タワーの手前(セーヌ川上流)の「ドウビリー歩道橋」から撮っています。

 同上。 

 同上。

 同上。

 大きな遊覧船です。引っ切り無しに通過しています。

 上記、歩道橋から見た夜景。

 同上。

 同上。

 左岸側には目立たないように夜明けを待つ作業船が待機しています。

 土砂運搬船です。

 タワーの前のイエナ橋の左岸側(タワー側)上流に船着き場があります。

 上記、昼の風景。

 夜の23:00前。タワー周りには人が大勢集まります。
 理由は下記です。

 夜23:00にタワーが約5分間、点滅します。

 上記。

 点滅前。

 同上。

 点滅し始めました。と、同時に歓声が上がります。

 同上。宝石をちりばめた光景、
 ごゆっくり鑑賞ください。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。



 さぁー、ここからは柱脚の内部を見ます。
 画面中央やや右に赤い四角形ものが2つ見えます。

 夜の同上です。

 四角いものはここに停車します。
 斜面に対し水平に停まるのでこういう形になります。

 そうです。エレベーターです。

 エレベーターの下側に何か大きな長方形のものがあります。
 何でしょう?

 そうです。カウンターウエイトです。
 これがエレベーターを平衡に保ち、上下に動かしています。
 エレベーターが昇降するたびに、その逆の動作をします。

 こういう形をしています。

 同上。

 柱脚のアンカー部分です。
 多分に10階建てのビルが収まる容積で柱脚を支えていると考えます。 

 これは料金表です。昇降方法が記されています。
 左端は「すべてエレベーターで昇降します」
 その右は「二階までエレベーターで昇降します」
 右端は「二階まで徒歩で昇降します」
 その左側は「二階まで徒歩で最上階までエレベーターです」
 色んなチョイスができます。

 切符売り場です。
 写真中央右寄りに真鍮色の像があります。

 そうです。タワーの設計者「ギュスターヴ・エッフェル」です。

 切符売り場は、各柱脚の下にあり
 上記の昇降方法ごとに使い分けられています。

 黄色のエレベーターが見えます。
 アーチの中の模様はアカンサス?
 筋違は小さな部材を組み合わせて、一本の大きな筋違にしています。
 風の抵抗や部材の重さを極力抑えています。

 美しい鋼構造物です。

 同上。「角刈り」のシャン・ド・マルス公園。
 その向こうの建物は「旧陸軍士官学校」です。

 同上。

 同上、全景。

 同上。

 同上。

 同上。上記、ベストポジションから撮っています。

 同上。


 この建物は「アンヴァリッド」と言い、ルイ14世が負傷廃兵の収容設備として建てたもので
 廃兵院とも呼ばれています。
 ナポレオンの遺体はここに安置されています。

 同上。ドームは金色に輝いています。

 セーヌ川の夜景。白く輝くアーチ橋がドウビリー歩道橋です。

 同上、逆方向から前記ドウビリー橋越の、昼間の風景。

 タワー前のイエナ橋からシャイヨ宮を見ています。
 この右側に上記の船着き場があります。

 同上、夜景。

 イエナ橋を渡り上流河岸にJune Brideがおりました。
 セーヌとエッフェルタワーを背景に記念撮影だと思います。

 シャイヨー宮は上記しましたようにエッフェルタワーからみて右翼と左翼があります。
 その右翼にある海洋博物館と人類博物館を撮っています。
 階段を上り、左側にテラスがあり、左翼とつながります。
 このテラスがエッフェルタワーを見るベストポジションです。

 ドウビリー歩道橋を渡ったエッフェルタワーの横にある
 ケ・ブランリー美術館の外壁に植栽を施した「垂直庭園」がありました。



 また出会いました。耳のようなバックミラーです。

 同上。

 同上。

 同上。

 パリでよく見かけます。この小さな車。
 渋滞も避けて通れます。


 以上です。

栄華を尽くした「ヴェルサイユ宮殿」

2011-10-02 06:02:57 | パリ(,France)

                                                (ラトナの泉水)
 パリ市街地から南西方向に約25kmあり、車で約40分で行きます。
 電車で行く方法もありますが、最寄りの3駅から少し歩かなければなりません。
 ゆえに値段は高いのですが観光バスで行きました。

 宮殿の建物形状は 「凸」 になっており、
 それぞれ左側から 南翼殿、真ん中の突き出た部分を中央殿および北翼殿と呼びます。
 面積は800haでほぼ山手線の内側部と同じ広さです。

 建物内部はルイ14、15、16世および16世の王妃マリー・アントワネット
 により絢爛豪華に飾られ、それらの絵画、彫刻および家具調度品は、その当時、
 世界中から調達された最高級の材料および画家、建築家および造園技師により
 建造されました。

 また、宮殿前に広がる壮大な庭園(苑)には泉水、噴水、緑の絨毯のような芝生、
 数十万本の木々、庭園、運河および彫刻(像)があり、目を奪われるような光景です。

 中央棟の前から見るこれらの建造物は本当に素晴らしく一日そこにある階段に
 座り、眺めていても飽き足りないようです。
 ここに1日ボーとしていれば至福の時間が過ごせるようです。
 
 蛇足ですが、この文言もどこかで使いました。
 ペルーの「空中都市マチュピチュ」です。
 リャマの横でボーと眺めていました。 が、
 電車の時間があり(ホテルの数が少なく予約できませんでした)後ろ髪を
 ひかれる思いで立ち去りました。
 ・・・・・・・・・・
 造形美もそれはそれで素晴らしいのですが、
 やはり私は自然が、日々織りなす 山、川、天空、星、雲
 および 動、植物の 「自然美」のほうが、より感動を覚えます。

 閑話休題
 この壮大な庭園の自然も造られたものではありますが本当に素晴らしいものです。
 一方、宮殿の装飾品は贅沢の限りを尽くし、 以前に投稿したように、
 これらは国民の血税が使われており、この浪費がやがて1,789年7月14日の
 「フランス革命」につながって行き、王政は滅亡の道を招いたのです。
 同年10月5日暴徒化した民衆が怒涛のごとくヴェルサイユ宮殿に押し入り
 一切の傑作や調度品は持ち出されたいったのです。建物は残りました。

 さて、建造の歴史ですが
 1,623年 ルイ13世が狩猟用別邸として建造を命ず。
 1,661年 ルイ14世が最初の増築工事を着手。
 1,710年 宮殿内の礼拝堂の開会式。
 と、ここで主建造物は完成。それは、莫大な国費を注ぎ込み
 約半世紀に亘って造られたのです。
 そのごも修復作業は施工され1,966年ころいったん終了しました。

 私が訪ねたときは、ちょうど
 2,004年からさらに17年間かけての(2,020年までの予定)修復が行われていました。
 掲載写真は2,011年6月末のものです。

 
 なにはともあれ、ご覧ください。



 冒頭写真の大写しです。
 緑の絨毯、彫刻、運河および木々。
 「角刈り」および「左右を対称」に造るのは「フランス庭園」の特徴だと思います。
 著名なところはどこ行っても「角刈り」で「左右対称」です。


 上記写真の反対側に宮殿があります。
 外壁は落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
 建物内部は絢爛で豪華過ぎて、私はちょっと違和感を感じますが。
 今回で2回訪れました。3回目は庭園のみにしましょう。


 上記写真の南翼(写真右側)前に広がる「南の苑」


 同上


 中央棟の上記庭園に面した「鏡の回廊」
 長さ73m、幅10m、高さ12.5mあります。


 以上。プロローグ。 
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 さー中に入りましょう。
 正面入り口に鉄柵の門がまずあります。


 鉄柵門から反対側をみています。
 前に見える建物は厩舎です。
 往時は6,000頭の馬がいたそうです。


 上記鉄柵門をくぐると遠くに金色した門があります。
 舗道は石畳です。


 「王の格子門」と呼びます。
 何か崇高な外壁の建物とは調和してない感じがします。


 「王の格子門」をくくると「王の内庭」です。
 舗道は大理石張りに替わりました。修復中の建物が見えます。
 宮殿内建物の見学順路としては向かって右側の北翼→中央棟→南翼 or 庭園です。


 まず通されるのが「ヘラクレスの間」と呼ばれる
 15mx15mくらいの大きな部屋で、側面とや天井全面に彫刻や絵画が貼られています。
 柱はアカンサス模様のコリント様式です。その柱頭や柱脚は
 大理石や金箔の青銅が用いられています。
 天井画にも圧倒されます。


 円形浮彫には棍棒をもったヘラクレスが表されています。


 「ヘラクレスの間」次の間が礼拝堂の階上入り口で
 礼拝堂が見渡されます。
 ルイ16とマリー・アントワネットの結婚式はここで催しされました。
 当時ルイ16世は16才、マリー・アントワネットは14才だったと言います。
 この解説は無料のヘッドホーンを貸してくれ、
 日本語放送のダイヤルに合わせて聞いています。


 同上。天井画は目を見張る素晴らしいものでした。
 とにかく見学者が多く、彼らも写真を撮っていますので
 一所に立ち止れない状態です。


 礼拝堂から中央棟へ行くには先ほどの「ヘラクレスの間」を通ります。


 ここは「豊穣の間」とよばれ、奥に楕円形の円形浮彫の
 豪勢の像があります。


 豊穣の間の天井画です。


 「豊穣の間」の隣が「ウエヌスの間」です。
 ウエヌスとは「神々と精霊を支配に従える者」だそうです。
 ルイ14世の立像です。


 ルイ14世=太陽王の紋章です。


 「ウエヌスの間」の次が狩猟と航海の女神「ディアナの間」です。
  英語では「ダイアナ」です。


 ブルボン家の紋章アイリス=あやめ です。


 「戦争の間」の天井画。この位置が中央棟の北側端です。


 この赤い靴はいた人物こそ「ルイ14世」です。
 「アポロンの間」太陽神アポロンと同一化したといいます。


 上記からみた北の苑。


 同上 


 敵を打ち破り栄光の女神から冠を授けられる馬上のルイ14世の
 楕円形の浮彫。


 上記 鏡の回廊。


 鏡の回廊の中ほどにある「円窓の控えの間」
 下記「王の寝殿」の隣にあり、王の日常生活の延臣たちが
 起床の儀や就床の儀に参列すための部屋。
 ルイ14世はこのように細かなことでも儀式化したと言いいます。 


 「王の神殿」ルイ14世がここを寝所と改築しました。
 内庭と庭園に面した明るいところで、
 以前はルイ13世の、小さな城の大サロンでした。


 中央棟の左端=南翼側の「平和の間」右端の「戦争の間」と対をなしています。
 「戦争の間」は鏡の回廊中央部の「王の寝殿」への通路であり、ここは
 「王妃の寝殿」への通路をなしています。
 緑色大理石の暖炉の上の楕円形の絵の主は
 ヨーロッパに平和をもたらすルイ15世が描かれている。


 ここが「王妃の寝殿」です。
 カーテン、寝台・椅子の掛布は季節ごとに替えられたそうです。


 銀細工の食器が配された王妃の食卓。


 「王妃の貴族サロン」
 中央の肖像画はルイ15世。


 マリー・アントワネットと3人の子供たち。
 実際は4人で次女は1歳で逝去。長男と次男も7歳と10歳で逝去。
 残されたのは長女マリー・テレーズ王女のみでした。


 中央棟と南翼の接点が「載冠式の間」
 この絵画はナポレオン1世の載冠式であり
 これはルーブル宮にあるもののコピーです。
 この絵にはローマ法王ピオ7世に背負向けたナポレオンが描かれている。
 ナポレオンの支配力を示すものと言われている。


 上記の大写し



 さー庭園に出てみましょう。
 中央棟の左右に配置された池の内、左側のもの。


 手前は「ラトナの泉水」。前記しましたように、ここの階段に座り
 ボーとするのは至福の時です。


 同上。至福の時間を味わっている人たち。


 同上


 中央棟と北翼。


 中央棟と南翼。


 南翼の前面にある「南の苑」


 南翼前から「南の苑」の右半分を望む。


 同上、左半分。対称形です。


 同上、右半分の手前を見ています。
 建屋地面高さとは段差があります。


 南翼前の花壇


 同上


 同上。メンテナンスをする人
 
 
 ここで一応終わりです。


 見つけました。
 耳みたいなバックミラーの観光バス。


 同上


 同上


 ヴェルサイユの目抜き通り。


 同上
 中央分離帯の木は菩提樹だと思います。


 セーヌ川を見ながらパリに戻ります。


 セーヌ川を渡ります。


 生活河川なので積み込みようの建設資材が見られます。


 この写真のグルネル橋とこの先のビル・アケム橋の間は中の島になっており
 アメリカに贈った「自由の女神」縮小版があります。(写真中央に)


 上記、ビル・アケム橋です。
 2層構造の併用橋になっており、下層は車道と歩道
 上層はメトロ6号線が地上に出ています。


 上記の橋を過ぎるとエッフェル塔が見えます。


 オルセー美術館です。この橋の名はレオポール・セダール・サンゴールで
 歩行者専用になっています。


 これから観光バス終点のジャンヌダルク像のある交差点に向かいます。
 お疲れ様でした。

 

エトワール凱旋門ーシャンジェリゼーチュイルリー公園ーカルーゼル凱旋門

2011-08-06 13:05:20 | パリ(,France)
 標題は、パリにおける数々の歴史の舞台となった
建造物、記念碑、美術館や公園(以前は宮殿)が存在し、
清楚な佇まいを醸し出しており、歴史を感じさせる
パリならではの場所です。
・・・・・・・・・・
 それゆえ「パリの歴史の軸通り」とも呼称されています。
・・・・・・・・・・
 ルーブル美術館(以前は宮殿)の中庭「カルーゼル凱旋門」
→チュイルリー公園(以前は宮殿)→コンコルド広場
→シャンゼリゼ大通り→エトワール凱旋門(通常に凱旋門と
言うとここを指します)→大陸軍大通り→セーヌ川を渡り
近代都市ラ・デファンスのグランド・アルシュ(新凱旋門と言っています)
までの一直線で約8kmの区間です。
・・・・・・・・・・
 ルーブル宮は「コ」の字型に3つの宮殿からなり、
北側をリシュリュー宮、中央をシュリー宮で南側をドノン宮と呼ぶ。
 上記「歴史の軸」は一直線で、基軸の左右は対称の建築物が
配置されています。が不思議な事に「コ」の字型のルーブル宮は
歪になっています。
 正面から見ると分かりませんが、上空から見ると
中央棟と南棟は約6°20′南西に傾いており
北棟のリシュリューだけが基軸と平行です。
 きっと当時の測量のミスだと考えます。
 ゆえに西端のラ・デフェンスの新凱旋門を同角度に傾け
恰好を整え「歴史の軸」を帰結させたと考えられています。
 なんと「粋な計らい」なのでしょう。
・・・・・・・・・・
 閑話休題、
 シャンゼリゼ大通りは朝9:00から車の大渋滞で、
時代の急速な流れを感じます。 が、
道路の側道部分はマロニエの並木となっており、それを境に
大遊歩道が緩やかの勾配を持った車道の両側にあり、
そこには、カフェテラスや数々の有名な商業店舗が並んでいます。
・・・・・・・・・・
 この遊歩道は並木で隔離されているため、独特の優雅な環境を
造りだしており、そこにいるだけで気分が爽やかになるようです。
 それは古い建物のショウウインドウに陳列された洗練された商品や
(商品と言うより展示品のほうが的確な表現かもしれません)
歩道にせり出したカフェテラスで、ゆったりと飲むカフェや
その前を洗練された着こなしで歩く「紳士淑女」を見るにつけ
その優雅な雰囲気は、以前とあまり変わっていないように
感じ取れるからだと思います。また、
 屋根やテラスの色はフランス国旗トリコロールの赤、青と白に
統一されているのも整然差を感じさせます。
・・・・・・・・・・
 さて、パリは20区あり、元は王宮だったルーブルを1区とし
北側に2区とそれから時計回りに渦を巻きながら配置されています。
 凱旋門(高さ49.54m)より高いビルを建てるのは「条例で禁止」
されていると聞いております。
 それゆえ地形上丘の上に建てた凱旋門の屋上からは
パリ市街20区をすべて見渡すことができます。
・・・・・・・・・・
 なにはともあれ、まず、凱旋門に上り、市街地を360°見渡してみましょう。





 コンコルド広場から望むシャンゼリゼ大通りと
エトワール凱旋門。マロニエの木は「角刈り」されています。
 エトワール凱旋門のアーチの中に新凱旋門が見えます。

 
 エトワール凱旋門(以降「凱旋門」と呼ぶ)。エトワールとは仏語で「星」の意味です。
 現在12本の道路が放射線状に出ていますが、以前は5本の道路でした。
 そこからエトワール広場となずけられました。
 現在はシャルル・ド・ゴール広場と改名されています。


 ナポレオン(ボナパルト)の凱旋を記念し1、806年工事が開始され
 ナポレオン失脚後工事は中断し1,832年から再開し1,836に完成されました。
 ナポレオンは1、821年にイギリス領南大西洋の孤島セントヘレナで死去、
そのために凱旋門の完成は見ることができませんでした。
が、1,840年遺骨となり帰還しこの門をくぐったのです。


 高さは49.54m、横幅は44.82mあります。


 左右の柱には彫刻が施されています。それぞれに意味があります。
 1,810年の勝利で、勝利の女神から桂冠を授かるナポレオンです。


 これは「義勇軍の出陣」を描いており1,792年祖国の危機を救うため
 マルセイユからやってきた兵士たちです。
 兵士たちは「ラ・マルセイユ」を歌いながら行進してきたのです。
 この勇ましい歌「ラ・マルセイユ」がフランスの国歌となっています。 


 1,890年アブキールの戦いでトルコ軍に勝利したもの。


 「マルソー将軍の葬儀」ナポレオンがイタリア遠征時の将軍。1,896年戦死した。


 最上段に並ぶ丸型の模様の盾は、ナポレオンが勝利した戦いの名前が刻印されている。


 さあー、屋上に上りましょう。この螺旋階段は上まで284段あります。
 朝10:00から開門でもう100人前後の観光客が並んでいました。
 天空都市で鍛えた成果で休んでいる人を追い越し、
息せくことなく一気に上りました。


 凱旋門に向かって立つ建物は同じデザインの建築物にて統一されています。
 それゆえ一見するとどこの通りか迷ってしまいます。
 これは東側方向、シャンゼリゼ大通りです。
 遊歩道が広くカフェテラスがセリ出ており、
 遠くにコンコルド広場のオベリスクがみえます。
 シャンゼリゼ大通りは約2kmの長さです。
 朝の10:00ちょっとすぎですか車道は渋滞です。  


 オベリスクとルーブル宮を撮りました。


 右下のドーム状のガラスの屋根は1,990年のパリ万博のメイン会場として建てられた
グラン・パレ国立ギャラリーです。左がルーブル宮で右奥はノートルダム大寺院です。


 カメラアングルを右側(南東側)に振りました。
 左側の黒いビルは駅周辺再開発にて建てられたモンパルナス・タワービル。
 右側は(南側)はご存じのエッフェルタワーです。(後日詳しく掲載します。)


 同上


 モンパルナスタワーの大写し。59階建てです。
 金色に輝くドームはアンヴァリッドと言い、ルイ14世が負傷兵の
収容設備として建てたものです。ナポレオンの墓所としても有名です。


 エッフェル塔です。

 晴れた日に撮ったエッフェル塔。


 右に振りました。街路樹はマロニエとプラタナスで時々菩提樹も見受けられます。


 さらに右へ。フランスが生んだ大作家ヴィクトル・ユーゴ通りです。


 さらに右へ。フォシュ大通りです。突き当りが広大なブローニュの森です。


 凱旋門のシャンゼリゼ大通りとは反対側の大陸軍大通りです。
 遠くに見えるのが近代都市ラ・デファンス地区です。
 中央に見える大きな門がグランド・アルシュです。
 これは、新凱旋門と言っていますが、正確には
凱旋門ではありません。パリには他、4つの凱旋門があります。


 上記大写し。基軸に対して傾いています。


 凱旋門の下方から大陸軍大通りを見ています。この先にラ・デファンス地区が見えます。


 凱旋門を大陸軍大通りから撮っています。
 凱旋門に行く道はこの地下道と、反対側の地下道だけです。
 シャルル・ド・ゴール広場は車の往来が激しく横断は至難の業です。

 
 右に振りました。


 同上 

 
 遠くの小高い丘の上に何か見えます。


 モンマルトル丘にあるサクレ・クール寺院です。


 これで一回りです。


 凱旋門前の中央分離帯からコンコルド広場を望む。
 シャンゼリゼ大通りは渋滞です。


 同上、奥にはルーブル宮が見えます。


 同上


 同上。逆向きに撮っています。


 シャンゼリゼの大遊歩道。


 同上


 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上


 同上


 同上逆向き


 マロニエ並木


 マロニエ大写し。5月は白やピンクの花が咲きます。


 もうすぐコンコルド広場です。


 コンコルド広場のオベリスクが見えてきました。
 凱旋門から約2km地点です。


 上記の場所から斜向かいのグラン・パレ国立ギャラリーを見ています。


 同上シャンゼリゼ大通りを見ています。


 コンコルド広場からシャンゼリゼを見ています。


 コンコルド広場の中央にはエジプトから贈られた神聖文字が浮かび上がる
オベリスクがあります。先回掲載したようにフランス革命時は
ルイ16世やマリアントワネットへの斬首が行われた刑場でもあります。
 1,795年コンコルド広場と名づけられました。


 広場はオベリスクを中心に左右に噴水が設けられている。


 オベリスクからシャンゼリゼ大通りを望む。


 同上


 同上


 オベリスクから東側ルーブル宮を望む。
 池がある場所はチュイルリー公園。歴史の基軸を挟み
すべてが左右対称に造られています。


 チュイルリー公園。木も左右対称に植えられています。


 チュイルリー公園からオベリスクと凱旋門を望む。


 同上、ルーブル宮を望む。


 カルーゼル凱旋門からチュイルリー公園を望む。
 左右対称に配置されています。


 先回掲載したカルーゼル凱旋門の後ろ側。


 同上


 ルーブル美術館。左右対称に見える。ピラミッドが基軸上です。
 これも基軸からは同角度傾いています。


 北側リシュリュー宮です。


 南側のドノン宮です。左右対称に造られています。


 さて、コンコルド広場に戻ってきました。
 基軸に対して直交する道路があります。
 中央にはギリシャの神殿を思わせる建物があります。
 1,842年建造のマドレーヌ寺院です。


 同上


 2枚上の写真の左側の建物は改装中です。
 竣工図(絵)が描かれていました。


 マドレーヌ寺院とコンコルド広場を通して反対側=南側には
マドレーヌ寺院にそっくりなブルボン宮(国会議事堂)があります。


 同上。


 ブルボン宮の東側にはオルセー美術館があり
ミレーの「晩鐘」、クールベの「画家のアトリエ」マネ、
ルノワール、ゴッホやゴーギャン等の傑作が展示されています。


 コンコルド広場とマドレーヌ寺院の間に先回掲載したリヴォリ通りがあり
そこをルーブル美術館の北側棟リシュリュー宮=チュイルリー公園の北側へ歩いていくと
左側にブロンズ色の円柱の記念碑が見られる。


 同上。ここがパリでも特に美しい広場、ヴァンドームである。
 中央の記念碑はナポレオンがオステルリッツにおける三帝会戦の勝利を記念し
ロシア軍から奪った大砲133砲をつぶし造られたと伝えられている。
 頂上にはローマの方向を向いたナポレオン像がある。


 同上。ナポレオン像


 同上。台座


 同上。円柱


 広場の周囲は世界でも著名な高級ホテルや高級店舗で囲まれています。


 その高級店舗の壁にショパンが住んだ家があり
その壁に フレデリック・フランソワ・ショパン
1,810年2月22日 ポーランド・ジェラゾヴァ・ヴォラに生まれ
1,849年10月17日 ここの住居にて死す。(多分そう書いてあると思います)


 ヴァンドーム広場をさらに北に行く通り(平和通り)から
ヴァンドーム広場とチュイルリー公園を望む。


 上記をさらに北に行くとパレ・ガルニエ=音楽、舞踏の殿堂「オペラ座」に当たる。


 同上。


 同上。


 オペラ座の前のオペラ通りからルーブルのリシュリュー棟を望む。


 オペラ通りからリシュリュー棟への途中に奥行きの長い教会が
目についた。サン・ロック教会でなんと1,653年に工事が開始され
途中資金がショートし中断し1,719年に完工した。


 バロック様式の丸天井。


 天井の絵画が見事でした。


 リヴォリ通りのリシュリュー棟に出ました。


 リシュリュー棟の角はチュイルリー公園を横切りセーヌ川に続いており
そのコーナーに金色に光る騎馬像があります。


 何か女性のような容姿です。誰でしょうか?


 オルレアンの乙女=ジャンヌダルク です。


 
 

ノートルダム→パレ・ロワイヤル→ルーブル

2011-07-14 07:31:28 | パリ(,France)
 本日7月14日は「フランス革命記念日」です。
 ブルボン朝期=ルイ14,15,16世およびマリー・アントワネットによる
失政と国費の浪費により、フランスは疲弊し、王はそのツケを国民に回そうと
したため、一般市民が1,789年の本日、決起した日であります。
その結果、王政および王による絶対君主制が崩壊したのです。
日本ではこの日を「パリ祭」と呼んでいますが正確ではありません。

 本日はフランス各地で盛大な催しが実施されます。
 「エトワール凱旋門」から「コンコルド広場」の2km間=シャンジェリゼ大通り では
陸海空 三軍により最も盛大な軍事パレードが催しされます。
 ・・・・・・・・・・

 さて、
 往時を偲び、街を歩いてみました。



 セーヌ川はここシテ島とサン・ルイ島にて遮られ分流し、
下流(西側)のポン・ヌフ(新しい橋の意味だがパリで一番古い橋(1607年完工))
で再び合流する。シテ島には右岸側(下流を見て右側)に4橋、左岸側に5橋あり
どれも目を見張る美しい容姿を放っている。
 この橋はノートルダム大聖堂に行くノートルダム橋です。



 下流側からノートルダム橋を望む。
 両端は石造のアーチで中央は鋼製のアーチ橋です。
 セーヌ川は生活河川であり、近年においては観光においても主要な役割を担っている。
 中央の鋼製アーチ橋は近年の大型船に対応するため再構築されたもので
以前は5径間の石造アーチ橋だったと推測されます。



 上記ポン・ヌフ橋です。石造7径間連続アーチ橋です。
 橋脚の上の半円形のでっぱりはベンチ(休憩場)になっています。
 美しい橋です。レンガや石造りの建造物は温もりを感じさせます。



 橋を渡ってすぐに改装中のビルがあり、その壁にかけられた仮設の足場は
建物が透けて見え、さも出来上がっているように見受けられますが
これはなんと竣工図(絵)なのです。  なんと粋な計らいなのでしょうか。



 横から見ると絵であることがわかります。



 上記改装中のビルを通り過ぎると左手に「威風堂々」とした
美しい建造物が聳え立っています。1,163年から約160年かけられ造られた
「ノートルダム大聖堂」です。幅は40m、高さは69mで奥行きは128mあります。
 正面の3つの門(ポルタイユ)、その中央の門の上部にあるステンドグラスの「バラ窓」には
3体の像が見受けられます。ゴシック建築の優雅な造りに感嘆させられます。



 3つの門、バラ窓および28体の像(ユダヤとイスラエルの諸王)の正面の大写しです。



 ステンドグラスの「バラ窓」の前に立つ3体の像があり、その中央には幼いキリストを抱く聖母マリア像がいます。
 ノートルダムは聖母マリアのために捧げられた聖堂とも言われています。



 左側の門は「聖母マリアのポルタイユ」と呼ばれ、聖母マリアが永遠の眠りにつく場面が描かれています。



 中央の門は「最後の審判のポルタイユ」と呼ばれ、その下段は、すべての死者がよみがえり、
中段には、それら死者が、天使ミカエルと悪魔によって天秤にかけられ、天国と地獄行きに分けられ、
上段には、キリスト と ひざまずいているのは聖母マリアとヨハネが描かれています。



 右側の門は「聖アンナのポルタイユ」と呼ばれ、
下段にマリアの母アンナと父ヨアキム
中段にキリスト降誕が描かれています。



 ここは回廊になっており、「ガルグイユ」と呼ばれる奇妙な怪物の像がパリの街を
見下ろしています。



 左岸側から大聖堂の南側(正面は西側)を撮っています。
 バラ窓、尖塔および内部中空断面の柱を支えるバットレス(控え梁もしくわ壁)の
コントラストが絶妙で美しい建造物をかもしだしています。このバットレスを設けることで
内部の中空断面を大きくすることができます。ゴシックの特徴です。



 左岸側から東南側の美しい容姿を撮っています。



 上記バットレスです。内部中空断面はこれにて支えられています。
 開口部(窓)も大きく取れます。



 同上。



 さらに東側に行くと小さな橋があり、その欄干に何かが無数にぶら下がっています。
 何だと思いますか?



 錠です。結ばれることへの願掛けでしょう。



 右岸側=北側を撮っています。崇高さを感じさせます。



 上記中央部に複数の怪獣が壁から飛び出しています。
 雨水の吐け口です。



 レンガを組み合わせて丁寧に造られた職人の技には「スゴーイ」と言う脅威すら感じます。



 大聖堂の内部です。ゴシック特有のなんと大きな丸天井の中空なんでしょうか。



 ステンドグラスの窓も大きく取れますので、荘厳な雰囲気に圧倒されます。



 「バラ窓」を内部から見ています。美しすぎて二の句が出ません。



 同上。



 大聖堂から外に出ると雨が降っていました。
 この季節(6月末)は、一日の内で天気が二転三転します。
 まだ小降りですので、傘をさしている人や合羽を着た人や何も身に着けない人等、様々です。



 これなんだと思われますか。
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 これがパリの道路起点=0.000kmの基準鋲です。
 大聖堂の正面前の広場にあります。



 雨足が強くなりました。
 この正面の重厚な建物は警視庁です。
 上記の改装中のビルです。 



 雨足が更に強くなってきました。
 カフェテリアで一休みします。
 ここのデミカップのエスプレッソ本当に美味しい。
 


 この建物は宮殿ではありません。
 最高裁判所です。
 左側の大きな丸柱の建物はサント・シャペル教会。
 バットレスがない分、柱が太くなっています。
 これもゴシック建築です。
 警視庁の裏手でカフェテリアの斜向かいに位置します。



 とんがり屋根3つの塔を持つこの建物は「コンシェルジュリー」と言い
以前は王室管理府がおかれていました。多くの貴族や革命家たちがここで
最後の夜を過ごし断頭台へて引かれて行ったのです。
 1789年7月14日のフランス革命の後、1793年10月16日には
あのベルバラ、ルイ16世の王妃、マリー・アントワネットも
38歳の若さでここからコンコルド広場の断頭台へ引かれ
露と消えたのです。
 ここも改装中で上記同様の美しい絵で囲われた仮設足場がありました。



 対岸から「コンシェルジュリー」を撮る。
 この石造アーチ橋の手前の部分のアーチは
芸術的な「かまぼこ型」になっています。素晴らしい職人技です。
 


 上記を北側から撮っています。



 後記市庁舎の角から一際目立つ建造物があります。
 サン・ジャック塔です。
 以前はサン・ジャック・ド・ラ・ブッシュリー教会の鐘楼だったのです。
 教会本体はフランス革命時に破壊されました。
 この塔上でパスカルが気圧の実験を行ったことでも有名です。
 通りの名はリヴォリで西に行けばルーブルの横を通り
 コンコルド広場でシャンジェリゼ大通りとつながります。
 


 市庁舎と反対側から撮っています。
 下方にはパスカルの像があり、上方には気象観測台が設けられています。



 このルネッサンス様式の重厚な建造物はなんだと思われますか?
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 パリ市庁舎です。前の広場は冬季にはスケート場になりますが
 現在改装中でした。
 リヴァリ通りから見ています。ここが地下鉄1号線オテル・ド・ヴィル駅です。 



 同上。



 リヴォり通りを西(シャンゼリゼ方向)に行き、ルーブルの角を右に入り2筋めの右側に
 立つゴシック様式の「サントウスタッシュ教会」です。
 バラ窓のステンドグラスが美しいファサードです。
 工事中で立ち入り禁止でした。
 この教会の中には7,000本のパイプを持つオルガンがあり
 演奏会が催しされます。 



 上記「サントウスタッシュ教会」を西に進むと王宮パレ・ロワイヤルに出ます。
 その通りの教会寄りに美しいアーチを描いた建物がありました。



 リヴァリ通りを挟み南がルーブル美術館(王宮)で、北側にこの
 パレ・ロワイヤル王宮があります。
 ルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュが幼いルイ14世を連れて、
 ルーブル宮からここに移り住みました。このルイ14世こそ
 あの贅の限りをつくしベルサイユ宮殿を建造した王です。
 この建物は南側で中庭には黒いストライブのついた円柱形の無数のオブジェがあります。
 7月14日の革命記念日に合わせ、ここも改装中でした。
 


 パレ・ロワイヤル王宮の中にあるマロニエの並木が美しい「パレ・ロワイヤル庭園」です。



 同上。この独特の刈り方を「角刈り」と言うそうです。



 同上。



 パレ・ロワイアルからリヴォリ通りに出る交差点に車両が通り抜けできる
 建物があります。ここをぬけるとリヴォリ通りでその向こうに広大な
 「ルーブル美術館」があります。



 リヴォリ通りを渡ってルーブル美術館へ来ました。王宮でしたがルイ14世は
 ここを離れベルサイユ宮殿に宮廷を移したため、次第次第に美術館になっていきました。
 一般公開はフランス革命後の1,793年です。それ以来、その出展の質や量とも
 世界最大です。出展量は30万点超です。
 「マルリーの馬」「クロトーナのミロン」「ミロのヴィーナス」や「モナ・リザ」等
 数々の有名な作品が展示されています。
 以前は中央のピラミッドはありませんでした。最近に建てられたものです。
 少し・・・・・・・・。
 


 「ルーブル美術館」の西側にあるこの門は「カルーゼル凱旋門」です。
 ナポレオンの勝利を記念してエトーワ-ルの凱旋門(通常呼ばれる凱旋門)同様
 1,808年に建造されました。 



「カルーゼル門」の上方は馬車を御す女神像です。当初はナポレオンが御す4頭立てのものでしたが
彼の没後、このコピーに置き換えられました。



 ルーブルの前庭から「カルーゼル凱旋門」、コンコルド広場の「オベリスク」と「エトワール凱旋門」は
一直線に配置されています。



 「カルーゼル凱旋門」から「オベリスク」と「エトワール凱旋門」を撮る。
 凱旋門からコンコルド広場までは7月14日の革命記念日に備え、仮設の舞台や座席が
クレーンを用いて作られていました。シャンジェリゼ大通りはいつも車で渋滞しています。




ユトリロの街

2011-06-24 09:05:19 | パリ(,France)
 ここの所朝一番は陽が上がったり、降雨だったり、
また曇っていたりで、天気が不安定である。
 この季節大体において曇っております。
 以前はそうではなかったのですが、温暖化の影響でしょう。

 ゆえに天気が変わりやすく傘は必ず携帯しています。
 陽は22:30頃に落ち、5:15頃にはもう上がり、
一年でも日中が長ーい季節です。

 来週から学校は休暇に入り、バカンスを1ケ月は
楽しむので、商店はその前にバーゲンセールを行っています。

 機会があり「花の街」に来ています。

 マロニエやプラタナスの新緑は未だ彩いをみせており
窓にはあざやかな花々が飾られています。

 さすがに酸素が濃く呼吸が容易にできます。
 食べ物や飲み物の味が美味しいのも
酸素の影響があるのだと考えます。

 また天空都市と同じものを食べても美味しく感じるのは
コックの腕だけではなく、やっぱり気圧のせいで
上手く料理が炊けるからだと考えます。

 ここにきてまずすることは、以前もそうしたように
モンマルトルの丘へ歩いて行き、そこから、しばらく市街地を望み、
それから再び市街地へ向け歩き始める事です。

 途中にはユトリロや多くの画家たちに愛された通りがあり
そこをおもむろに、そぞろに、歩き、
下町の情緒風情を肌で感じ懐古したいがためです。

 でも、随分と様変わりしました。
 車や人のの多さはすさまじいほどです。
 街は車で渋滞し、それに替りバイクの数が
けた違いに増え、自転車が締め出されているようです。

 ここモンマルトルも昔からの家も希少になり
増築や改築がなされています。
 でも一歩通りを離れればわずかながら昔が偲ばれます。

 また、画家たちの広場「テルトル広場」は昔と変わらず
無名の絵描きであふれ、似顔絵 等を描いていました。

 坂の途中の八百屋や花屋はそのままに残り、
風情は以前の通りです。

 そこを下りて行くと地下鉄2号線の「クリシー大通り」に
ぶつかり、地下鉄ブランシュ駅の前にでます。
 
 ここの目の前にムーランルージュ(赤い風車)が
以前の風情と変わらず羽根を「クルツ クルツ」と回していました。