土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

南極寒流の楽園ヴィーニャデルマル

2012-01-22 13:54:59 | チリ
 サンチャゴ市から車で西方向へ約2時間、

 両側にブドウ畑を見ながら高速道路を行くと

 そこは180°果てしない水平線を持つ太平洋にでます。

 ここの海岸は南極からの寒流、フンボルト海流が北上し、

 チリ、ペルーそしてエクアドルまで一年中冷たい海が横たわっています。

 エクアドルは名前の通り赤道ですが、フンボルト海流の為に

 海にはペンギンやアザラシを見ることができます。

 チリやペルーも同様です。

 それでも夏の期間は太陽の日射しは強く、気温は

 35℃前後になります。

 ここヴィーニャデルマルは南米のアカプルコと呼ばれ

 一大リゾート都市になっています。

 南米各地から夏のシーズンをここで過ごす金持ちと

 世界各地からの観光客であふれかえります。

 海浜は約50mくらい砂が付いており、絶好の海水浴場になります。

 海岸通りは洗練された米国資本のホテルや別荘が建ち並び、

 落ち着いた佇まいを醸し出しております。また、

 海が冷たいため1年中美味しい魚介類が食べられるレストラン

 も多くあり、サンチャゴで食べた、山盛りのうにや海鮮スープは

 どこの店でも美味しく安価に食することができます。

 街は南米とは思えないほど清潔で、街路には花が生けられて

 歩く人の気持ちを和らげてくれます。




 サンチャゴからの高速道路の料金所。

 高速道路の両側には広大な「ぶどう畑」が広がります。
 日本でも発売されているコンチャ・イ・トロもここにあります。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 何の広告看板かわかりませんが、目立ちました。

 ヴィーニャデルマルは初夏で、まだ、ジャカランダが咲いていました。

 街灯にはこのように花が生けられています。

 さながらハワイ同様に高層のマンションが建ち並びます。

 同上。

 この建物は博物館ではありません。
 チリは博打はきんしされております。
 が、海岸沿いの主要観光地にはこのように市営のカジノがあります。

 カジノの周りは広大な公園になっています。

 同上。

 海岸沿いの小高い丘の上は瀟洒な別荘街で
 大統領の別邸もあります。

 上記住宅の海岸側には大きな「花時計」があります。

 同上。

 砂が付いた広い海浜。南側を見ています。
 平日の朝の為、観光客はいません。

 同上。

 同上。

 同上。日向ぼっこをする若い?女性。

 同上。少し年寄り。

 上記の反対側に米国資本のホテルが立つ。

 上記ホテルから北側を見ています。

 望遠で南側の軍港及びチリ最大の港町のバルパロイソ市を見ています。

 同上。

 港が混んでいるために沖待ちをしている船舶。

 上記のホテルからの景色。

 海岸からホテルを見ています。

 同上。

 海鳥(ペリカン)が翼を休めています。

 同上。

 同上。

 海岸通りの洒落たホテル。

 同上。

 同上、反対側の船の形をしたレストラン。

 海岸通り。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。観光馬車。

 同上。

 北側の海岸を見ている。
 どこまでも延々と海浜が続く。

 海岸通りから少し入ったところにあるマンション。

 ジャカランダの花。

 同上。

 教会。ステンドグラスが印象的です。

 サンチャゴに戻る際に見かけた教会。

 同上。中央のマリア様。

 同上。

 高速道路わきのユーカリの木。

 同上杉の木。

 同上。延々と続く「ぶどう畑」

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 この広告看板は目立ちます。
 何の広告でしょうか。

 高速道路、料金所に戻ってきました。



 ありました。耳のお化けのバックミラー。

 同上。

 同上。

 同上。このバスはアルゼンチンのワインの産地メンドーサに行きます。
 南米の庶民にとって国際間のバスは重宝です。
 陸続きだからアメリカ合衆国へも行けます。(ただし乗継です)

 同上。

 サンチャゴに戻ってきたバスです。

 バスターミナル。




スモッグが消えた街サンティアゴ市へ

2012-01-13 16:50:40 | チリ
 南北の長さは約4,400kmで、東西の長さは平均で約180km、

 例えて言うなら高さ10階建てのビルでその横幅がたった1.4mと

 マッチ棒みたいな国、南米チリ、その首都サンティアゴ市に来ています。

 南米の中でも、治安が良く、人々は勤勉で、親切で、なんだか

 日本人をみているような感じがします。

 そこから、車で約2時間、西に向かうと、そこは太平洋で、

 南極からフンボルト海流が北上し一年中寒い海岸があります。

 それゆえ、寒流で採れる魚介類は美味で、量も多く、入手も簡単で

 ここサンティアゴでも、たらふく食べても財布には全く影響を及ぼさない
 
 安さです。

 
 サンティアゴ市には10指では数えきれないほどに訪れています。

 良し悪しは別として、日本を見ているようで、街は年々開発されて

 東へと新市街が形成されています。そのために交通手段として

 環境を汚染しないクリーンな方法が選ばれました。

 地下鉄です。車輪はタイヤを使用しています。

 以前は、交通手段として乗合バスが利用され、

 客引きの為に、我先にと凌ぎを競っていました。

 割り込みや急発進は当然で、そのたびに無駄なエネルギーを

 消費し、平日の空はスモッグでどんよりとし、

 6,000m超級のアンデスの山脈を見ることができませんでした。

 それが、近年、地下鉄の開通及び延伸に従い、バスによる交通量が縮減され

 街は次第次第に以前の澄んだ空を取り戻しつつあるのです。

 サンティアゴ市民の熱い思いが街の環境を変えたのです。

 街を一望できる標高約900mのサン・クリストバルの丘からは、

 遥か遠くまで景色が見渡せるようになりました。

 頂上に立つマリア様も心なしか、笑みを見せておるようでした。


 
 

 天空都市とお別れします。標高4,850mの宝の山も見納めです。

 観光名所の植民地と支配者を分けるアーチ門も見納めです。

 天空都市から白い街へ下りる雲の上の道路です。

 同上。白い雲、青い空、茶色の山脈と水無川。

水無川に架かる橋も相変わらず元気でした。

 白い街の「レコレータ修道院」今年も紫色のジャカランダが満開に咲くでしょう。

 ラパス「イリマニ山」

 ラパスの印象は「崖の上に建つアドベの家」です。

 再度、美しい「イリマニ山」

 ラパスのランドマーク「サン・フランシスコ寺院」

 日向ぼっこをするインディヘナの女性たち。

 世界一高所のエルアルト飛行場から見た6,000m超の山々。

 エルアルト市上空からアンデスを望む。


 ペルーの玄関口リマ市のホルヘ・チャヴェス国際空港。

 同上。軍港を兼用しています。

 数年前に民間になり、空港自体が新しくなりました。

 北米、欧州と南米の中継地点でほぼ24H稼働しています。


 サンチャゴ市へは夜明けの刻に到着します。
 アメリカ大陸(北中南)で最も高いアコンカグア山(6,960m)の麓にあります。

 朝のサンチャゴ旧市街。

 同上。サンチャゴ市を一望できるサン・クリストバルの丘。

 ここの交差点から向こう側に新市街が開発されています。

 以前に掲載しました「チリ歴史の舞台」モネダ宮殿=現大統領府。
 こちら側を「自由広場」と呼び、反対側を「憲法広場」と呼びます。

 定時に衛兵の交代が行われます。

 反対側のオイギンス大通りを隔てて大きな国旗が掲揚されています。

 同上。

 「憲法広場」から見た、モネダ宮殿。

 旧市街の銀座通り「アウマダ通り」。騎馬警察官が巡視しています。

 同上。

 街の中心地、中央広場です。名前はアルマス広場です。
 ここにも騎馬警察官が居ます。必ず2人1組です。

 上の写真の左側にカテドラルがあります。

 同上。

 同上。

 この建物は何だと思われますか?
 郵便局です。

 カテドラル前からアウマダ通りを見ています。

 この建物は何だと思われますか?
 中央市場です。

 中央市場の中にはレストランがあります。

 寒流の為に一年中貝が見られます。

 「ばふんうに」です。

 魚も豊富にあります。

 市場に物を卸す荷車。風情があります。

 皿いっぱいに入った「ばふんうに」です。
 これだけあると圧倒されます。

 こちらは「海鮮スープ」です。

 上記「うに」と「スープ」です。
 なぜだか「しょうゆ」と「わさび」がついてきました。
 誰が教えたのでしょうか。多分、ここの駐在員の方だと思います。

 旧市街の路上風景。

 同上。

 同上。女性の交通警察官です。

 アウマダ通り。(銀座通り)

 アルマス広場。(中央広場)

 路上で高校生がルービックキューブをし小遣いを稼いでいました。

 路上風景。

 こちらは路上コンサートです。

 路上にある花屋さん。サンチャゴ市は真夏です。

 路上にあるキオスク。

 地下鉄。

 同上。天井には架線がありません。

 車輪はタイヤです。

 同上。掃除機見たいのが軌間(幅)を確保しています。

 車輪の大写し。

 地下鉄の駅付近でライブをしている青年。

 この階段は何のものでしょう?

 このように、ケーブルカーが停車します。

 ケーブル軌条上方を見ています。

 軌条中央で上下のケーブルカーが交差します。

 サン・クリストバルの丘の頂上。

 同上。

 同上。その脇に咲く紫陽花。

 マリア像の大写し。

 同上。像の下方が階段になっており、ここに座り、サンチャゴ市を一望します。

 マリア像の中のイエス・キリスト。

 マリア様大写し。

 マリア像の前から見たサンティアゴ市。
 スモッグが少しずつ消えています。

 同上。

 以前のサンティアゴ市



9月11日はNYC同時テロの日?

2008-08-27 17:54:24 | チリ
 さて、9月11日と言えば、世界中の人々が周知です。そうです2001年のアメリカNYCの同時多発テロ事件の日です。
 が、ここチリで9月11日といえば、クーデターの日でアジェンデの命日を意味します。この記事を作成中にロシアがグルジア領土内の南オセチアとアブハジアの独立を承認しました。大国の国益の為に多くの人々が犠牲になっていますし、大国のエゴで何度同じ事を繰り返し、再び世界に脅威を与えるのでしょうか。経済発展していくに従い地球を取り巻くさまざまな環境が悪化していくのは非常に残念な思いです。

チリ歴史の舞台モネダ宮殿

2008-08-27 01:19:11 | チリ
 サンチャゴ市の旧市街の中央広場=アルマス広場(Plaza de Armas)から歩行者天国のアウマダ通りを南へ4ブロック歩けば、黄色い車体のバスがしのぎ合いをしている幹線オイギンス大通りに当たる。その1ブロック手前のモネダ通りを右折して2ブロック行けば、写真のモネダ宮殿(Palacio de la Moneda)=大統領府に出ます。モネダとはお札(貨幣)の意味で昔は造幣局だったからです。
 さて標題、1964年の大統領選挙で得票を伸ばした社会党と共産党の連合である「人民行動戦線」の統一候補のアジェンデは、続く大統領選挙の1970年に労働者団体の支持を広げて「人民連合」から出馬しました。冷戦状況下の米国CIAやチリ内の反共勢力はアジェンデ政権の成立を拒み、反共派の多い軍部の陸軍司令官シュナイダーにアジェンデ潰し(クーデターを起こすという説が有力)を依頼するも彼はこれを拒否した為、シュナイダーは決選投票直前に襲撃され死亡させられました。(暗殺された)これに反発した各党はアジェンデを支持しチリ史上初の社会主義政権が誕生したのです。アジェンデは共産主義社会とも友好関係を進めたため、米国はチリ内の反共勢力をあおり経済封鎖やストライキを実行させ、社会混乱を起こさせたのです。が、逆に、国民の殆どを占める労働者に更に団結を強めさせることとなり1973年の総選挙では大統領選よりも得票率を伸ばす事になりました。アジェンデ失墜が不可能と考えた反対派は米国の支援と黙認のもとクーデターによる国家転覆を決断したのです。
 1973年9月11日ピノチェト将軍(陸軍総司令官)は軍事クーデターを起こし、ここモネダ宮殿を戦闘機と機甲部隊で砲爆し、降伏を拒否したアジェンデは炎上するモネダ宮殿内で死亡したのです。(自殺か他殺は不明。)その後ピノチェトが大統領に就任した軍事独裁政権は、数千人(数万人と言う説もある)の反体制派の市民を投獄や処刑にかけました。ピノチェトの独裁政治は1989年に民政移管しエイルウインが大統領になるまで約16年間の長きに亘った。その後ピノチェトは独裁政治による弾圧、虐殺行為や不正蓄財の罪で告発され、全ての特権は剥奪され、2005年9月にチリ最高裁はピノチェトの健康状態から裁判に耐えられないとし左派の活動家の罪状を棄却し翌10月にはピノチェトとその家族の全ての資産を差し押さえられピノチェトは終焉を迎えたのです。写真の白亜のモネダ宮殿=現大統領府は修復改装されたもので当時の戦跡の面影はありません。宮殿を挟んで南北は緑豊かな広場になっております。

霞たなびく青空は何?

2008-08-26 01:21:07 | チリ
 チリ国は南北が約4,330kmで東西は最長で約360kmで、(平均の東西幅は約175kmです。)鉛筆みたいな国です。 写真はその中間点に位置し、周囲に見えるのは5,000m超級のアンデスの連山で、その麓にあり、太平洋から約100kmにあるチリの首都サンティアゴ市です。 郊外にはワインナリーのコンチャイトロ=Concha y Toro があります。南米では超有名です。一般的にはカシジェーロデディアブロ=Casillero de Diablo(悪魔の蔵)シリーズが出回っております。日本でも欧州のワインよりも安価に入手できますので是非試飲をお薦めします。また、サンチャゴ市から約200kmアンデス(北東側)に向かえば米大陸(北中南)最高峰のアコンカグア山=6,960m があり、そこから約200km東側に行ったところにもアルゼンチンのワインの産地メンドーサがあります。メンドーサはアコンカグア山登頂の出発点でもあります。かようにこの地域は風光明媚でワインがとても美味しいところです。
 さて、写真の中ほどにかすんで見えるのは何でしょうか? ここサンチャゴ市は南米でも近代化が進んだ街で、タイヤ式の地下鉄も走っております。
 が、街中を車体が黄色で屋根が白色のバスが我先にと競い合いながら客を拾っております。バスの経営者は個人ですので、我先にと飛ばし割り込みをして客の奪い合いをしているのです。その為、日曜日以外は写真のようにスモッグが一面に漂っております。悲しいかな大都市の現実を垣間見せられます。政府も地下鉄の路線を延ばしたり等々の対策を講じておりますので、近い将来は眼前にアンデスの壮大な景色も見える事でしょう。

アンデス標高5,000mに宇宙観測基地プロジェクト進行中

2008-08-22 01:22:24 | チリ
 写真は、南米チリ北部の太平洋に面した都市アントファガスタから北東へ約200kmの世界最大の露天掘りチュキカマタ銅山のあるカラマ市を経由し、約100km南東へ(アルゼンチン側)に行った所に、サンペドロデアタカマと言う後楽園地区位の広さの町があります。ここは標高約2,450mあり、土(砂)漠地帯で、広大な塩湖や間欠泉等自然が未だに残され観光地となっております。そこからアンデスの標高5,000m超の山々を縫うようにアルゼンチン方面に行き標高約5,000m地点にある「道しるべ」です。左側はすぐボリビアの国境で未舗装です。(国力の違いを見せつけられます)アルゼンチン国境までは115kmです。チリ側とアルゼンチン側は舗装道路です。この地点の右側に日米欧共同で直径12mの超高精度パラボラアンテナを64基と、同じく直径8mのパラボラアンテナを16基、計80基と言う世界でも最大の壮大なプロジェクトが進行中です。星や惑星系の誕生や銀河の誕生、宇宙における物質の進化等、地球生命のルーツを探るプロジェクトです。土木技術者から見るとそれこそ天文学的な計画と感嘆いたします。(詳細は国立天文台HPのALMA計画をご覧ください。)
 さて、標高5,000mでの業務に体は徐々に順応はしていきますが、体の構成元素も100%順応(変化)していきます。小生もアンデスの4,000m超のプロジェクトで約2年間従事しましたが、低地に戻ってもしばらくは体調が回復しませんでしたし、クスコ(3,400m)に上ってもまた順応のやり直しです。体は順応するのに頑張っているのです。
 また話が逸れましたが、ここのベースキャンプのサンペドロデアタカマは観光以外は何も無く、当然、生活形態も現地化します。「衣食住足りて礼節を知る」と言う言葉はここでは使えません。救いは空気がきれいで、夜には満天の星や、天の川が見えることです。世界の優秀な天文学の科学者が2012年の供用開始を目標に日夜頑張っております。健康に留意され、無事なる完成と今後のご活躍をお祈り申し上げます。