ローマ皇帝アントニオス・ピウスの時代(AD138~161年)に建設された、33列6,000人収容可能なヨルダン国最大の屋外劇場で、丘の傾斜(斜面)を利用して造られています。 ここは旧市街にあたり、先回掲載のキング・フセイン・モスクから徒歩で5分位に位置します。斜面は低所得者層が崖に張り付くように家が重なりあっております。この写真は後述しますが旧市街を見下ろすアンマン城から撮っております。名前は「ローマ劇場」と言います。
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上記同様で少し大写しいたしました。この写真では写っておりませんが、国王がしっかりから監視をしております。
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ローマ劇場の中へ下りてきました。色んなイベント会場になっており、本夕も音楽祭があり、マイクや照明の設置作業をしておりました。国王は探しえたでしょうか?
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旧市街を見下ろすアンマン城のヘラクレス神殿からローマ劇場を撮っております。古にはお城から劇場までの急斜面に階段があり容易にアクセスできたと記述されておりますが現在はこちら側も低所得者層住宅が林立し消滅したようです。
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三方が崖で、残りも細い尾根と言う地形から「城塞」が作られました。この柱はAD2世紀頃(161~180年)のヘラクレス神殿で、柱は青い空に向かってすくっと建っています。神殿ファサード(正面)にはかつては「下記復元図」のような4本のコリント式円柱が立っていましたが、現在は横石を乗せた2本の円柱のみです。
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同上
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同上、神殿ファサードの横石を乗せた2本の円柱です。横石と柱の接点部はモルタルにて接合されていました。
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その接合部の大写しです。円柱上部の彫刻はコリント様式の特徴だと考えます。 きっと当時の崇高なる動物や植物(アカンサス=アザミ)の彫刻があったと想像します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/bc/2a6df659c40eaea315351b9fbee63b50.jpg)
神殿の周囲は石塀で囲われたと考えます。崩壊した石がそのまま放置され歴史を感じさせる設定です。南米のクスコやマチュピチュ遺跡の石塀を見ておりますので、その相違は往時の緊迫感による早期完工が優先されたのでしょう と感じております。向かい側に見える丘の斜面に「ローマ劇場」があり、背後の斜面は住宅が密集して石林のようです。
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ヘラクレス神殿の仮想の「復元図」です。4本の円柱があります。横石は円柱2本に1本だったのでしょう。あくまでも仮想図ですから作者の思い入れもあると考えられました。どの様にこのような大石を(約3トン)を積み上げたかの説明が下記です。
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円柱の石の部材は柱1本に付き5乃至6本で組みあがっております。梁(横石)も、おおよそ柱部材の重量にしております。何とピラミッドとは違い「木製のクレーン」で吊り上げたのです。上げ下げは左右に長いテコが着いた巻き上げ機(回転ドラム)を使用しています。クレーンの移動は丸太のコロです。後方の2つの円柱はカウンターウエイト(吊荷重に対する重し)と考えます。素晴らしい知恵です。吊ロープの仕様は不明でした。
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同上。全景。
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AD6世紀頃に建造されたビザンチン教会跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d1/6a140596739fdccbd7e98bd8e8d5fca9.jpg)
こちらが教会の正面です。上記写真の左側通路方向からの写真です。
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教会の祭壇の位置方向と世界一大きなヨルダン国旗を撮っております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/9e/0d1e5bd06fee5e0e3a5b558c141313cb.jpg)
同上。アンマン城入口付近(右側)からの写真です。左側がヘラクレス神殿方面で、後方が「ローマ劇場」方面です。オリーブの木が一本だけ健気に立っていました。
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アンマン城の正面入口です。
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上記同様で少し大写しいたしました。この写真では写っておりませんが、国王がしっかりから監視をしております。
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ローマ劇場の中へ下りてきました。色んなイベント会場になっており、本夕も音楽祭があり、マイクや照明の設置作業をしておりました。国王は探しえたでしょうか?
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旧市街を見下ろすアンマン城のヘラクレス神殿からローマ劇場を撮っております。古にはお城から劇場までの急斜面に階段があり容易にアクセスできたと記述されておりますが現在はこちら側も低所得者層住宅が林立し消滅したようです。
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三方が崖で、残りも細い尾根と言う地形から「城塞」が作られました。この柱はAD2世紀頃(161~180年)のヘラクレス神殿で、柱は青い空に向かってすくっと建っています。神殿ファサード(正面)にはかつては「下記復元図」のような4本のコリント式円柱が立っていましたが、現在は横石を乗せた2本の円柱のみです。
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同上
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同上、神殿ファサードの横石を乗せた2本の円柱です。横石と柱の接点部はモルタルにて接合されていました。
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その接合部の大写しです。円柱上部の彫刻はコリント様式の特徴だと考えます。 きっと当時の崇高なる動物や植物(アカンサス=アザミ)の彫刻があったと想像します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/bc/2a6df659c40eaea315351b9fbee63b50.jpg)
神殿の周囲は石塀で囲われたと考えます。崩壊した石がそのまま放置され歴史を感じさせる設定です。南米のクスコやマチュピチュ遺跡の石塀を見ておりますので、その相違は往時の緊迫感による早期完工が優先されたのでしょう と感じております。向かい側に見える丘の斜面に「ローマ劇場」があり、背後の斜面は住宅が密集して石林のようです。
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ヘラクレス神殿の仮想の「復元図」です。4本の円柱があります。横石は円柱2本に1本だったのでしょう。あくまでも仮想図ですから作者の思い入れもあると考えられました。どの様にこのような大石を(約3トン)を積み上げたかの説明が下記です。
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円柱の石の部材は柱1本に付き5乃至6本で組みあがっております。梁(横石)も、おおよそ柱部材の重量にしております。何とピラミッドとは違い「木製のクレーン」で吊り上げたのです。上げ下げは左右に長いテコが着いた巻き上げ機(回転ドラム)を使用しています。クレーンの移動は丸太のコロです。後方の2つの円柱はカウンターウエイト(吊荷重に対する重し)と考えます。素晴らしい知恵です。吊ロープの仕様は不明でした。
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同上。全景。
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AD6世紀頃に建造されたビザンチン教会跡です。
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こちらが教会の正面です。上記写真の左側通路方向からの写真です。
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教会の祭壇の位置方向と世界一大きなヨルダン国旗を撮っております。
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同上。アンマン城入口付近(右側)からの写真です。左側がヘラクレス神殿方面で、後方が「ローマ劇場」方面です。オリーブの木が一本だけ健気に立っていました。
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アンマン城の正面入口です。
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