土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

バッキンガム宮殿からトラファルガー広場へ

2010-01-26 00:51:19 | U.K(London)
 セントジェームズ公園のウエストミンスター大寺院側=右下側=東側の政府庁舎の角にこの案内地図があります。地図の右側が政府庁舎で、その公園側がChurchill Museum & Cabinet War Roomsです。その北側に外務省、首相官邸と後述するホースガーズHorse Guardsとホース・ガーズ・パレードHorse Guards Paradeがあります。反対方向の左端側=西側がバッキンガム宮殿です。バッキンガム宮殿前のヴィクトリア女王記念碑のロータリーから、つまり公園の北側を 東方面にびる通りが「THE MALL」です。東西で約800mあります。英国人はザ・マルと言ってるようです。英語と米語で同じ物の単語や発音が違ったりします。



 公園の案内地図のある遊歩道の前からバッキンガム宮殿方面=西側を撮っております。紅葉が落ちた初冬のロンドン風景です。



 ロンドンにある多くの広大な公園は自然をそのままに残しております。よってこのような野生のリスや鳥類も沢山見かけられます。



 初冬の公園に落ちた紅葉の絨毯が未だに残っております。紅葉の季節はさぞかし絵になるシーンだった事でしょう。野生のリスや鳥達もきっと自然を楽しみこれからの冬篭りの時期に入ります。



 前述ホース・ガーズは近衛騎兵隊の司令部であり、ホース・ガーズ・パレードは騎兵隊司令部前広場です。毎年6月の第一土曜日の朝に行われるトルーピング・ザ・カラー(軍旗敬礼分列式)には以前は乗馬の名手であったエリザベスⅡ女王陛下自身が馬に騎乗して自身の誕生日祝典を、ここからTHE MALL通り経由、バッキンガム宮殿間で施行されていました。現在女王は83歳と高齢の為、馬車に変わっております。
 この写真の軍隊員は多分に近衛兵でこのように毎日欠かさず訓練を実行しているものと思われます。



 セントジェームズ公園の西端からバッキンガム宮殿を望んでおります。宮殿の前はロータリーになっておりその中の広場の宮殿側は近衛兵交代式を見る人々で開催日(冬季は隔日)は観光客で混雑します。広場の中央にある像は1837年にここに初めて移り住んだヴィクトリア女王記念碑です。



 同上バッキンガム宮殿のほぼ正面から撮っております。建物の屋根の上に「王室旗」が揚がっているときは女王陛下は在宮で、「国旗」が揚がっているときは不在のシルシです



 バッキンガム宮殿の正面ゲートです。飾りはエリザベスⅡ女王陛下の紋章であります。上部と左側にはイングランドの象徴「金色のライオン」です。右側はアイルランドの象徴「伝説の一角獣ユニコーン」です。中央の盾の4部分には左上と右下にそれぞれ「3頭のライオン」、右上は「立ったライオン」及び左下は「竪琴」です。全てに深長な意味がありますので割愛させていただきます。



 THE MALL通りから「ヴィクトリア女王記念碑」と「バッキンガム宮殿」を撮っております。黄金色の「はばたく勝利の女神像」の下部の台座に女王のの坐像があり、それを取り囲んで「母性愛」「正義」及び「真実」を象徴する寓意像があります。



 上記、黄金色に輝く「はばたく勝利の女神像」の大写しです。



 「THE MALL」通りからヴィクトリア女王記念碑及びバッキンガム宮殿を撮っております。
 


 この馬車は何の目的で居るのかは不明です。「THE MALL」通りを東につまりホース・ガーズ方向に向かって居りました。多分一日何回かはデモを行って観光客のサービス及び訓練を行っていると思いますが、真相は分かりません。



 「THE MALL」通りの中央付近北側にあるこの2つの像は誰でしょうか? 
 下方がエリザベスⅡ女王陛下の母親エリザベス王太后で Queen Elizabeth The Queen Mother と言います。その上方が父親のジョージVI世 King George VIです。王室紋章の下にはQUEEN ELIZABETH 1900-2002 の銘板があります。101歳まで存命したのですね。KING JEORGE VI 1895-1952 の銘板があります。従って1952年以降エリザベスⅡ女王陛下は今日まで58年間即位されていることになります。



 「THE MALL」通りの遊歩道沿いにある白亜の建物。古時に王室の人々が住んだ宮殿と言われております。右側の樹木の右側が「THE MALL」です。



 上記を過ぎたところに在りました。ヨーク公記念柱 Duke of York's Columnです。英国でDuke of York と言うのはその時の王or女王の2番目の息子=次男の名称です。現在のDuke of Yorkは次男のアンドリュー王子です。



 でもこの記念柱の銘板には FREDERIC DUKE OF YORK 1763-1827と書かれていました。
 その下には Second son of GeorgeⅢ Commander-in- Chief of the British Army 1795-1809 and 1811-1827 と書かれていました。つまりジョージⅢ世の次男 英軍の司令官 多分に記された年代に歴史に残る活躍をされた方だと考えます。



 「THE MALL」の終点です。何でしょうか? 建物の中に3つの通路があります。



 更に近づいて見ました。3つの通路の内、中央の物は格子のシャッターで通行不可能です。が両端の2つの通路は車両が通行して入る様に見えます。



 ここをアドミラルティ・アーチと言います。ヴィクトリア女王の即位10年(1911年)を記念して建設された記念建造物(モニュメント)です。ここから数分の所にかつての海軍省があったことからその名前が由来しています。アーチは石の緞帳のようにこの舞台にかかっているように見えます。また中央の通路は王室専用です。



 アドミラルティ・アーチをくぐり出て左側に高い像がそびえている場所があります。像の四隅には大きなライオン像がガードしております。広場は美術館や教会に囲まれ多くの人々の憩いの場所になっており「ロンドン市のへそ」=中心部と言われております。美術館は「国立美術館」で教会はロンドンでは珍しい白壁に青い時計がある「セント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会」です。



 高さ51.5mある円柱の上に立っているのはネルソン提督の像です。1805年にナポレオン率いるフランス軍との戦い(トラファルガーの海戦)での勝利を記念して建造されました。



 ネルソン提督の大写し。アカンサスの模様が飾られたコリント式の円柱です。ネルソン像の高さは5.5mあります。



 トラファルガー広場の北にコリント式の列柱に支えられた玄関のファサードを持つ「国立美術館」 THE National Galleryです。展示品数約2万点は世界最大級の美術館です。イタリア・ルネッサンス期から20世紀初期までのヨーロッパ絵画が中心に展示しています。ダ・ビンチ、モネ、ルノワール、ターナー、フェルメール、レンブラント、ゴッホ等、ヨーロッパ絵画の巨匠の名作を年代ごとに収めております。無料です。


時計台(BIG BEN)と国会議事堂近辺

2010-01-14 01:11:08 | U.K(London)
 タワーブリッジの東側(下流)を渡り終え、西側にある国会議事堂へ歩き始めた時に、ロンドンでは珍しい赤色系でしかも車体に文字が書かれたタクシーが来ましたので、つい乗車してしまいました。以前はロンドンのタクシーと言えば全て車体は黒色のオースチン社の物でした。ロンドンは約30年振りです。時代の変遷を感じます。後方がウオータールー駅側です。



 後方の座席はお見合い式で運転手側は折り畳み式の2席で、後部に備え付けの3席の5人用です。前後の間のスペースは広くゆったり座れます。車の中は以前の「ブラックキャブ」と相違は無いように感じました。



 ちなみに、このタクシーが従来からの黒塗りの「ロンドンタクシー」です。
が、運転手にオースチン社の車?と聞くと、何とエンジンはNISSANのを搭載していると聞きここでも時代の変遷を感じました。



 降車した場所はテムズ河を挟んだウエストミンスター橋とウオータールー駅の間で、テムズ河の東岸側です(タワーブリッジ側)テムズ河畔西岸にそびえる時計台=BIG BENと、その対面がウエストミンスター地下鉄駅がある建物です。これからウエストミンスター橋を渡り西岸のWestminster地区に行きます。



 同上。午前8:50です。議会発祥の地、イギリスのシンボルである国会議事堂の北側にそびえるこのBIG BENの高さは約96mあります。時計の文字盤の直径は7mあり、13.5トンある大きな鐘がヘンデルのアリアをアレンジした音で時を告げます。



 ウエストミンスター橋の手前側(東側)の対面です。英国王室の紋章であるライオンの像があります。二階建てバス(デッキ=床が2つあるのでダブルデッカーと呼びます)の向こうが前記のウエストミンスター駅の建物です。その横や裏は官公庁街になっております。



 ライオン像がある建物が旧ロンドン市庁舎です。新ロンドン市庁舎は前回投稿しましたタワーブリッジの南岸に新築されました。旧市庁舎の向こうに見えるのがB.A.ロンドン・アイの大観覧車です。前述したように高さは135mあります。開場は10:00a.m.からで、乗車料金は15.50ポンド=約2,200円です。ロンドンの物価は多分NYCやTOKYOと同等かそれ以上と感じます。



 ウエストミンスター橋の途中から上記テムズ河東岸にあるB.A.ロンドン・アイと旧市庁舎を見ております。



 ウエストミンスター橋です。径間(橋脚間及び両端は橋台と橋脚間)は7つあるアーチ式の鋼製(鋳鉄製)の美しい橋です。



 上記同様ですが、国会議事堂全景とBIG BENを撮っています。左側の塔は高さ約104mのヴィクトリア・タワーです。ゴシック建築では世界有数の規模です。



 前記、官公庁街を撮っています。



 英国王室の教会であるウエストミンスター寺院のBIG BEN側=北側にあるゴシック式の大扉です。王室行事の舞台となり故ダイアナ妃の葬儀もここで行われました。



 CITYの西に位置するため、西の大寺院の名前がついたと言われています。写真はその西側から撮っております。国会議事堂のBIG BENとヴィクトリア・タワーも見えております。



 更に西側のセント・ジェームズ・パーク側から撮っています。この公園(日比谷公園の約2倍の広さ=38万m2)の西端にバッキンガム宮殿があります。


タワーブリッジ近辺

2010-01-12 18:01:09 | U.K(London)
 セントポール大聖堂を南下しテムズ河に来ました。この写真の向こうに見えるのがロンドン橋です。ロンドン橋の東側(本写真を撮っている側)に、跳ね橋で有名な「タワーブリッジ」があります。ロンドン橋から北側(左岸側)に税関があり、その前の桟橋の拡張工事を南米パタゴニアで掲載しましたSEP(Self Elevated Platform)の作業台船が稼動していました。ロンドン橋の更に向こうに見える大観覧車は高さ135mのB.A.ロンドン・アイと言う2,000年を記念して建造された大観覧車です。


 
 SEPが居る南側(右岸側)に古風な大型の外観的には軍艦風の船舶が繋留されております。何でこんな所に居るのでしょうか?



 船尾にはBELFASTと船名があります。第二次世界大戦から朝鮮戦争に掛けて活躍した巡洋艦です。全長187mで約12,000tonで6インチ3連砲塔を4基搭載しています。現在は帝国戦争博物館の別館として有料にて開放されております。



 更に東側=「タワーブリッジ」側に行くと北側(左岸側)に「ロンドン塔」があります。11世紀に塔が建設されて以来、かつては王室の居城となったこともありますが、もっぱら投獄、拷問及び処刑の場として血生くさい歴史を刻んで来た所です。ここが城への出入口です。



 テムズ河方向から撮りました。この中には世界最大530カラットのダイヤモンド見られる宝物館もあります。



 同上。



 ロンドン塔がある北側(左岸側)から「タワーブリッジ」を朝陽を隠したシルエットで撮りました。



 「タワーブリッジ」の下側に来ました。床版の鋼板の接合には何とリベット形式が使用されています。そうですね建造が1886年から1894年の約8年間ですので。当時としては画期的な橋でした。橋長は240mあります。



 中央の2つの主塔から両岸に張られた主構に吊られた上記の床版、主塔間上部の歩道橋及び船舶の航行時は主塔間の下部の歩車道路の床版約1,000tonが「跳ね橋」となり開きます。本当に美しい形の橋です。左側の主塔の向こうに見える丸い段上のガラス張りの建物が2002年完成のロンドン新市庁舎です。この地域をテムズ河の南岸と呼びSOUTHWARK=サザークと言います。



 主塔間をつなぐ高さ約45mのガラス張りの歩道橋です。ロンドン市内が一望できます。



 上記ガラス張りの歩道橋の大写しです。英国皇室の紋章の「獅子と伝説の一角獣ユニコーン?」の徽章が中央に飾ってあります。



 「タワーブリッジ」の北側には船舶建造用のドックがあり、また船舶も停泊しているため、そこを横切る道路は全て「跳ね橋」になっております。



 同上ですがこちらは現在使われていないようです。古い街並みに溶け込んだ橋造りがなされております。



 上記を下流から見ました。可動堰があり水量の調整をしてると考えます。



 古い街並みに停泊中の小型船舶です。遠くはCITYです。



 再度「タワーブリッジ」のネオゴシック様式の主塔及びそこから張り出された主構及び床版の吊りロープ(金具)です。写真の左側にラグビーボールみたいな建物が見えます。何でしょうか?



 2004年に建設された、その形がキューリの酢漬けに似ているので「ガーキン」と呼ばれている、5,500枚の菱形のガラスに覆われたSWISS RE ビルです。CITYのランドマークになっております。現在はテロの怖れののため、一般公開はなされてないそうです。蛇足ですが、新宿センタービルの駅側にも、これを真似たビルがあります。


冬のロンドン

2010-01-07 18:58:06 | U.K(London)
 ドーヴァー海峡上空は広範囲に雲に覆われておりました。時刻は15:00頃です。



 ロンドン市内に近づくにつれ雲は黒く大きくなって雨模様です。冬のロンドンの特徴です。



 雨が一旦止んだヒースロー空港に到着しました。15:30頃です。もう空は次第に暮れかけておりますし、ロンドン市内方向には黒い雲で覆われております。



 イミグレーション後、機内預け荷物を受け取り、空港から約25kmのロンドン市内のホテルに着いたのは16:30で道中は雨が降っていました。冬は空に雨雲がかかり、外を見るともう薄暗くクリスマスのイルミネーションが輝いておりました。



 翌朝7:00に街歩き開始しました。最寄のUNDERGROUND(地下鉄でSUBWAYは米語)の長ーい階段を下りてホームまで行きます。このようなラセン階段も健在です。ロンドン市の地下鉄は世界で最初に1863年に開業しました。その後の戦争時に防空壕に利用されたために、この様な深さになったと言われております。



 上記のラセン階段を下りたら今度は直線の長ーい階段が何処までも続きます。



 最近このようにエスカレーターに改修されつつあります。勿論、バリアフリー用のリフト(エレベーター=英語)もあります。



 トンネルの形はカマボコ型をしており、電車もその形状に合わせて造られています。その形から地下鉄の電車をTube(チューブ)と呼びます。



 電車の架線は天井にはなく軌道に走行レールの中に1本と、よーく見ると壁側にさらに1本のレールがあります。この2本が架線用です。走行レールを入れると4本のレールが見えます。



 Tube(カマボコ型電車)の車内です。日本の地下鉄よりも0.5~1.0m程、幅が狭く窮屈です。まだ朝の7:15分でラッシュアワーでは無いのですが混んでいます。



 ロンドン市のウオール街のCITYのBANK駅の一つ手前のセントポール駅を降りました。



 地下鉄の階段を上り、そこにはイギリスの様々な国家行事が行われる、世界最大級のキリスト教教会であるセントポール大聖堂の勇姿がありました。こちら側は北側(City側)です。



 セントポール大聖堂の南側(テムズ河側)です。中央のドームの高さは約110mあります。



 上記大聖堂の尖塔の黄金の飾り。



 英国国旗のユニオン・ジャックと2階建てバスです。



 この冬空に2階部分の屋根の無い観光バスも見受けられます。



 2階建てバスの一階部です。中ほどに2階に上がるステップがあります。以外と幅が狭いと感じました。


ペトラ遺跡(No.5)

2010-01-04 15:15:24 | ヨルダン(ペトラ遺跡)
 エル・ハズネは断崖を削り彫られて造られた神殿風のファサードを持つ霊廟と言われております。(真相は今でも解明中ですが霊墓説が有力です)前方のコリント式の円柱は良ーく見ると4本+2本で構成されています。前方4本の円柱はその上部の装飾されたアーキトレーブ(梁)とその上にペディメント(屋根の三角形の部分)を支えております。先回掲載しましたが、発見当時にはこの内の一本が折れていました。どれだかお解りになられたでしょうか。



 上記を「縦」に撮りました。先回記したように、この調和の取れた美しいファサードは高さ約40mX幅30mありコリント式の豪華な装飾に飾られております。



 上記2枚の写真とほぼ同じ場所から撮っております。が時間の差があり、太陽の位置により、壁や柱の色が変化します。



 「宝物殿」の右側の部分です。



 更に右側の部分です。右端に岩をくり貫いたところがあります。その前がシークになっております。



 ペトラ遺跡を観光するには3日間必要です。この地点より約250mのシークがあり、ここが2日目の出発点となります。シークの幅は次第に広くなっておりその先にはないとの事です。(筆者は行かなかったので事実は不明です)



 ファサード上層の中央にはトロス(周柱円形堂)と呼ばれる円形の建物が置かれ、その両脇にある半分のペディメントが乗った2柱式のパビリオンがあります。



 トロスの中央の彫刻は幸運の女神の「イシス女神」であり豊饒の角と杯を左右の手に持っております。これも諸説あり、BC2世紀のアレキサンドリアの壺に描かれたトトメス3世の妻ベレニス妃と言う説もあります。



 左側のパビリオンの彫刻です。これも諸説ありますが胸をさらけ出した勇壮な女性狩猟民族の「アマゾーン族」と言われています。



 右側のパビリオンの彫刻。同上。



 トロイの上部に乗っている「エル・ハズネ」=「宝物殿」の由来である壺とその台座。



 壺の大写し。長い間この中に宝物が隠されていたと言われてきました。インディ・ジョーンズの映画の「木の杯」同様この「あばた」だらけの壺の中に宝物があったのでしょうか?



 エル・ハズネのファサードから階段を上がった所の大広間にいます。三方に開口部があり、生憎、立入禁止のロープが張られ中には入れませんでしたが、奥行き、幅とも約10mの小さな部屋でした。この写真は大広間を入って正面の壁です。「インディージョーンズ最後の聖戦」の入口から中を期待していたのですが残念でした。現在(2009年11月)正面入口の地下の発掘作業がなされ立入禁止ロープが張られています。あと数10年以上は続くと思います。



 大広間の右側の壁。



 大広間の左側の壁。



 復元前の エル・ハズネです。円柱は1本折れています。


(This photo is quoted from Casa Editrice Bonechi)