土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

生きる(No.1)

2010-03-30 23:57:34 | コンゴ民主共和国
 タイトルは黒澤明作品ではありません。本当に「生きる」大切さを知らされる環境でした。
 縁ありて赤道直下の国に行きました。国土面積は日本の約6倍強ですが、長期に亘る内戦によりインフラ整備がなされていない陸の孤島です。GNI(国民総所得)の一人当たりは150US$(外務省データーを引用)つまり0.4US$(約40円)/日の所得です。世界一の貧困国です。 アフリカの他の諸国同様に西欧の列強国の植民地支配下にあり、民族とは別に、彼らが勝手に引いた国境により成り立たされた国々の一つであります。1908年ベルギー領になり1960年多くの他のアフリカ諸国同様に独立をしました。その後国内動乱を経て1965年にクーデターによりモブツ政権が誕生し1971年にはザイール共和国と改名し約32年間のモブツ政権長期支配を1997年5月ローラン・デジレ・カビラ議長率いるコンゴ・ザイール開放民主勢力同盟(ADFL)が首都を制圧し大統領に就任(モブツは国外逃亡)し、国名をコンゴ民主共和国に変更しました。1998年に同国東部で反政府勢力が武装蜂起し、隣国ルワンダやウガンダ等を巻き込む国際紛争に発展しました。その後各国の介入で停戦及び戦闘の繰り返しで政情不安になり、2001年1月にカビラ大統領が暗殺され、息子のジョゼフ・カビラが後継大統領になり国内和平交渉を進展させ2003年6月に暫定政権が発足しました。2006年2月に新憲法公布、同年7月に30日及び12月29日の2回の大統領選挙及び国民議会選挙が実施され独立後初の民主政権への移行が実現し、国連(UN)監視の下、国際社会の支援を得つつ、経済援助と平和の定着の実現に向け歩み始めております。世界一最貧国の人たちに少しでも生きる環境を造るための支援をしています。
 さてこの木は何でしょうか?ここの周辺にしか植生しないときいています。1mの幹の直径で約200年経ております。写真の木は約2mあるので約400年の樹齢を経たことになります。「バオパブ」と言います。





 近づいてみました。3本がくついて一本の木になっております。これに絡んだツル状の小枝があれば奄美や沖縄地方にみられる「ガジュマルの木」に似ています。



 こちらは当国一大きな「バオパブの木」です。見学は有料です。幹回りは約3.5mあり、数本の木から一本の大木がなりたっております。樹齢は約700年と記載されております。



 「バオパブの実」です。長さは約30~40cmあり「なすび型」をしております。



 年輪はありません。この様に中は空洞になっています。年輪がないのですが「バオパブの木」と呼んでいます。



 「バオパブの木」の中から空を見上げております。



 泣く子も黙る「交通警察官」です。信号機の微少なこの首都では、彼らの手旗(棒)の合図が信号機ですが、いい加減な構えをします。理由は推して知るべしです。



 一般の警察官です。ポーズを取ってくれました。上記警察官と明白に目つきが違います。



 当該所管のご達しにより「街歩きは全面禁止」ですので、車中から撮っております。レストランや宿泊ホテルも限られていますが、この小ぶりのフランスパンは本当においしかった。通常の長いフランスパンもあります。



 街を歩くファッショナブルな女性。履物はサンダルが主流です。荷物は頭の上に布で台座を作り運びます。黄色と青の車体の車両が乗合バスです。



 宿泊先に掲げられた絵です。地方に行くとこのような服装です。これは何かの儀式の時の礼装で普段着は多少違います。通常は一枚の布を巻いたワンピースです。首都の女性たちは洋装が目立ちます。



 大西洋から約600km内陸の首都にある「コンゴ河」です。ここで川幅が約1kmあります。流量は毎秒60,000m3=後楽園ドーム球場の外野フェンス4m(=52,000m3)強の容量に匹敵する水が一秒間に流れております。流域面積は西欧がすっぽり入る大きさです。



 このコンゴ河を隔て、写真の左側(右岸側)が「コンゴ共和国」で右側(左岸側)が「コンゴ民主共和国」です。



 コンゴ河に注ぎ込む無数の川はすべて赤色系のラテライト土層で川は周りの土と溶け合いこういう色をしております。今の時期(March,2010)は大体2回/日にシャワー(瞬間的な大降雨)がきます。