土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

ケンジントン・ガーデンズ付近

2010-02-26 16:34:58 | U.K(London)
 オックスフォード街とリージェンント街の交差点が地下鉄オックスフォードサーカス駅です。ここも長ーいエスカレーターがあります。この駅は3路線が交差し、東西を結ぶLineと南北に走りテムズ河を潜る2本のLineがあります。ロンドン地下鉄は1863年開業で世界最初のものです。この駅は1900年開業の約30m位の深さがあると考えます。通常、地下鉄は主要道路の下に開削工法(地上から掘って地下に鉄道を造る工法)で造られます。ロンドン都心も開業当時は開削工法でしたが、①蒸気機関車だったので石炭を燃やした排煙の処理の問題。②ロンドン市に集中する車の渋滞をさらに膨張させた。理由でシールド工法が必要となりました。(一か所だけ立坑=シールドマシーンの搬入出口で通常は駅舎部分)でモグラのように地下に居てトンネルを造って行きます。)当時のシールドマシーンは切羽での掘削は人力で炭鉱の坑内を掘進するように実施したのです。ただし炭鉱と違い、断面が大きいのでマシーンから切羽に向かい1~2段位の作業床(デッキ)を出し、また深くなれば地下水圧がかかり切羽や坑内の崩落防止に、その水圧に見合う分だけの圧縮空気が送られての工事だと考えます。ちなみに日本の地下鉄は1927年ロンドンから約60年後の、銀座線の上野~浅草間2.2kmです。地上鉄道は1872年(明治5年)汽笛一声 新橋~横浜間です。ロンドン地下鉄開業の9年後になります。



 トンネルの断面と車両との隙間が狭く、空調設備が取り付けられず、駅構内も暑く、多分にこの冬の寒い時期に、このような空調設備等の維持管理が行われているものと推察します。



 オックスフォード・サーカス駅です。駅ですからプラットフォームがありますが、トンネルの大きさは電車の大きさから推測しますと約4m位です。郊外に出ると日本同様に地下鉄も地上に出てきます。また路線によってはこの列車より一回り大きな電車も走っております。



 以前に掲載したロンドン地下鉄の4本のレールです。動力源(電力)はトンネル断面が小さいために天井に架線は設置できず、走行レールの間に1本と壁側に1本設置してあります。軌間(ゲージ)は標準軌(1,435mm)です。ちなみに日本の新幹線も標準軌1,435mmで(以前は在来線の狭軌に対して広軌と称していました。)その他JR在来線や私鉄は1,067mm(狭軌)です。軌間はレールの内幅です。レールの形は左右対称にできています。車輪はレールの内側に跨りますので内側角が摩耗しますし、レール面は光っております。年数が経てば逆にします。蛇足を言いますと、東京では京王線とそれに繋がる都営新宿線、や都電は1,372mmですのでJR在来線よりも乗り心地が良いように感じます。



 前記オックスフォード・サーカス駅から西へ2駅の場所にある「マーブル・アーチ」です。ロンドン市民の憩いの場所である「ハイドパーク」の北東端に位置しております。ハイドパークの広さは約110haで皇居115haとほぼ同じ広さです。この公園に隣接して「ケンジントン・ガーデンズ」140haがあります。両公園はほぼ中央の「ザ・ロング・ウオーター」及び「サーペンタイン湖」と言う接続した人工の池で区別されているだけで出入りは自由です。さて「マーブル・アーチ」はその名のとおり大理石でできた門です。当初はバッキンガム宮殿の正門に建てる計画でしたが、御覧のように幅が狭く、ここに移されたと言います。バッキンガム宮殿のあるバッキンガム・パレス・ガーデンズはここからハイドパークの約1km南東端に位置します。英国では公園(パーク)と庭園(ガーデン)を使い分け、庭園には草木、花が豊富にあるように感じます。



 前記「ザ・ロング・ウオーター」と「サーペンタイン湖」の中間点に橋が架かっており、マーブルアーチ駅=ハイドパークの北側出入口と次のランカスターゲート駅=ケンジントン・ガーデンズの北側出入口 の間にハイドパークを貫いて橋への道路があり、この写真がその出入口である「ヴィクトリア・ゲート」です。



 地下鉄のマーブルアーチ駅のにひとつ西側のランカスターゲート駅を降り「ケンジントン・ガーデンズ」に入ったすぐにある案内看板です。このゲートの名はマールボローゲートです。筆者はこの看板の赤丸印のYOU ARE HEREにいます。後ろがイタリア庭園です。庭園はザ・ロング・ウオーターの北端で右側(東側)が「ハイドパーク」です。



 上記看板の下側(南側)からイタリア庭園の4つの噴水を見ております。中央の建物は休憩所になっております。



 上記写真の大写しです。右側のカーブを描いた壁面が木製の建物は何でしょうか?



 案内看板には「Queen Anne's Alcove」と記されています。映画「ローマの休日」に出てくるアン王女ではありません。Queenですから1702年即位のアン女王と考えます。即位後この敷地の西側端の宮殿に居住され1714年にこの宮殿で逝去されました。お茶が大好きでこのあずまやにてアフターヌーン・ティーを飲まれ休息なされたと推測します。チャールズ王太子と故ダイアナ妃もここの宮殿に居住し、故ダイアナ妃は離婚後もこの宮殿に居住しておりました。
 ちなみに1953年製作の「ローマの休日」のアン王女は、現エリザベス二世女王の長女アン王女と勘違いしがちですが、1950年生まれなので違います。映画のアン王女はエリザベス二世女王の実妹、故マーガレット王女がモデルと伝えられています。1930年生まれで映画製作の時期的にも符合します。



 上記案内看板の位置から南側を望んでいます。まだ2:00PMですが、冬の時期は陽は短かく、このように低く覆われた雲に隠れています。あと約1時間で降雨の模様です。



 噴水のあるイタリア公園内から東側ハイドパークを望んでいます。



 同上、南側ザ・ロング・ウオーター(池)を望んでいます。



 同上、西側ケンジントンガーデンズの北側を望んでいます。ここから約1kmあります。上記したようにハイドパークとケンジントン・ガーデンズで約250haありますので東西約2km強、南北約1km強あります。ちなみに東京で一番広い立川の昭和記念公園で180haです。代々木公園と上野恩賜公園は約54haです。



 ザ・ロング・ウオーターとサーペンタイン湖の畔はこの様に遊歩道が整備されております。女性には失礼ですけど写真を撮りました。



 遊歩道の途中に何かの彫像があります。



 近寄ってみます。この笛を吹いてる子供は誰だとお思いでしょうか?このケンジントン・ガーデンズで乳母車から落ちて迷子になり永遠の少年であり、子供の象徴の「ピーター・パン」です。



 ピーター・パン像上部の大写し。ディズニーランドにいますが、こういう端正な顔をしていました?



 ピーター・パン像を過ぎて、北側(来た道の方向)を見ております。



 ピーター・パン像の前のザ・ロング・ウオーターには多くの野鳥や水鳥が生息しています。チェーンがついた木杭が等間隔に水中にあり、鳥たちの休息場になっていました。



 上記写真の対岸はハイドパークです。多分に以前はここに通路が有ったと思われます。人工池なので水位の変化は見られませんが、ボリビア編にて掲載しました潜水橋でチェーンの付いた木杭は欄干だったと考えます。



 この写真を撮った位置の横側に、下記に掲載された鳥の名前の看板があり、何の鳥かすぐに分かるようになっています。この鳥はCommon Gullと記されています。(一般的な) かもめ です。



 この鳥はGreylag Goose 灰色雁です。この鳥と姿は同一で頭の部分が青いのはCanada Goose カナダ雁 と記されています。



 上記、鳥の名前の看板です。





 更に南下しています。ちょうどここまでが大きな木々があり、この先は芝生になっており所々に木々があります。



 この遊歩道を 故ダイアナ妃をしのぶ記念歩道 と言います。



 木々の間にはセント・ジェームズ公園同様に自然のウサギが生息しています。餌は与えてはいけませんので鑑賞するだけですがその方が自然で癒されます。この公園には彼らが生きていく上の食料があるからでしょうね。そして水も。



 同上。


 同上。


 この歩道の他にも故ダイアナ妃をしのぶ記念碑、噴水や子供たちの遊び場等あります。向こうに見える橋がザ・ロング・ウオーター(池)とサーペンタイン湖を区切るサーペンタイン橋です。



 上記写真の西側の芝生からサーペンタイン橋を見ております。



 サーペンタイン橋を望む木々の上空に雲がたちこめて来ました。もうこぬか雨が来ていますがロンドンの人々は泰然としております。霧の街ですから慣れっこなのでしょう。



 大体、年間を通して雨の日が多いロンドンですが(降雨量はそんなに多くはありません。約750mm/年間=日本の約半分)それでも降雨量が大きい冬の時期は3:00PM頃から空が曇り雨になります。4:00PMには雨の為、うす暗くなってきます。夏は8:30PM頃まで明るく白夜?です。写真中央の左側の雲の下の飛行機はヒースロー国際空港に着陸しようとしております。


ロンドンの中心地ピカデリー・サーカス

2010-02-02 00:35:20 | U.K(London)
 トラファルガー広場の周りはダブルデッカーの発着地点となっております。し、夜行バスの発着地点でもあります。故に、週末は若者であふれます。(現在の事実は確認していません)この写真の右上が広場です。今からこの大通りをロンドンの中心地へと北西に約500m歩きます。



 ダブルデッカーが居たCockspur St.(THE MALLの北側の通り)を過ぎてHaymarket St.に入ってきました。この建物はTheatre Royal Haymarketです。この斜め前にオペラ座の怪人で有名なるHer Majesty's Theatreがあります。このファサードはヨルダン国のペトラ遺跡のエル・ハズネと同じコリント式の円柱の上に三角形のアーキトレーブとペディメントを持った美しい造りでした。このTheatre Royal Haymarketのファサードに気を取られ、写真を撮っているすぐ横のHer Majesty's Theatreの写真は失念してしまいました。



 Haymarket St.の突当りがこのHollywood Coventry St.です。と言っても分からないのでしょうが、この左側に東京で言う渋谷の「忠犬ハチ公」的な待ち合わせ場所があり、北側はSOHOと言う新宿の「歌舞伎町」的な歓楽街があります。SOHOの現在もどのように変化しているかは確認しておりません。



 上記を大写ししました。クリスマスの飾りがあり、その向こう側の通りは建物も曲線を描いて、以前と変わらない目を奪われる美しい街並風景が残っておりました。



 SOHO側のShaftesbury Ave.から突当たりのPiccadilly大通りを撮っています。バスに隠れて曲線の美しい通りがあります。いつから2輌編成のバスが運行されるようになったのでしょうか。アムステルダムは30年以上前から環境に配慮したこういう路面電車があったと記憶しております。都心にはバスやTAXI等は乗り入れてもらいたくはありませんが・・・。折角の景観や環境を汚しています。チリ編で掲載しましたが、サンチャアゴ同様に都市化が進み、「霧」のロンドンではなく「スモッグ」のロンドンにならないように願っております。



 これらの道路の交差点にある建造物(モニュメント)です。この交差点を「ピカデリー・サーカス」Piccadily Circusと言います。Circusとは円形の広場の意味です。このモニュメントを「エロスの像」と言います。エロスはギリシャ神話では美の女神の子供で恋愛の神です。ローマ神話ではキューピットなのですが、ここではキリスト教的慈愛を表す「天使」だそうです。その由来は、一生をロンドンの貧民救済に捧げた博愛の人で上記アベニューのシャフツベリー7代目のアンソニー・アシュレイ・クーパー伯爵を追悼して建てられたモニュメントであり、ここを「Shaftesbury Memorial Fountain」といいます。故に像の下方は小さな噴水になっております。



 「エロスの像」の大写しです。最新のファッションを身につけた人々や、宗教や文化の異なる多種多様な人々がここを待ち合わせの場所としています。



 エロスの像の一段と高くなった所からTHE MALL通りの「Duke of York」の記念柱と国会議事堂南側のヴィクトリア・タワーを望んでいます。ヴィクトリア・タワーまでの距離は約1.5km位あります。



 美しい曲線の通りです。その名前は「リージェント通り」と言います。この通りの終点はロンドンのデパートや各種の商店が立ち並ぶ延長約2.5kmある一大ショッピング街オックスフォード通りの、オックスフォード・サーカスです。ピカデリー・サーカスから約300mカーブしたこの街路をクアドラントQuadrant(四分円形)と呼称されています。



 同上



 REGENT STREETのクアドラントはこの有名な服飾店のある通りまでです。その後は直線で約700mオックスフォード・サーカズで続きます。



 上記写真の右側がREGENT STREETで、通りを越えて、つまり西側の通りに入ります。約100mのVigo St.それに続く約150mのBurlington Gardensとの突当りがこのロンドンでも特に有名なボンド通り(Bond Street)です。蛇足ですがVigo通りとBurlington Gdns通りの間に北に行くSavile Rowという高級洋服店が集中する通りがあります。 サヴィル・ロウと発音します。   気付かれたでしょうか?   「背広」の語源になっております。 
 閑話休題、駐車している車の位置がBurlington Gdnsとの三叉路です。ここより北側(上方)がNew Bond St.で、南側(撮影方向)をOld Bond St.と呼びます。



 同上で南側を撮っております。突当りがピカデリー大通りです。もうお解りだと思いますが、このボンド通りは世界中の超高級 服飾及び装飾工芸品のブランド通りです。ボンド通りではなくブランド通りにした方がよい様に感じますがー。



 ちょうど三叉路の突当りから北側対面を撮っております。携帯電話の世の中で「公衆電話BOX」があるのはきっと、ここを訪れる世界中からの観光客用でしょうか?ロンドン市内では所々に赤いBOXがあります。が形骸化されているように感じます。BOX内は張り紙やチラシが散在し使っている人はあまりみかけません。また同様に「ポスト」もそうでしょうか? 黒塗りのロンドン・キャブは飾りでない事を確認しました。



 「公衆電話BOX」側から撮っています。土木技術者とはちょっと or 随分無縁ですので店の中味には全く興味はありませんが、店の玄関や建物の造形は気になります。色々趣向を凝らして目を楽しませてくれます。or 客の目に付き易いように工夫されているのでしょうか。



 多分、その道の「通」の方々には旗の色やマークで店の名や品物が分かるのでしょうね。



 正面のアーチの模様が目を引きます。



 英国では老舗の店です。筆者でも知っています。ユニオン・ジャックの国旗だけで「英国王室御用達」を誇示しているのでしょうか? 否、紳士の国ですから質素をわざと表現しているだけだと思います。でも、それを裏付ける格があるからでしょうね。風格では無く品格の違いでしょうか。



 上記「英国王室御用達」の北側の角は十字路になっており、NEW BOND St.の道幅が約倍になります。この店は十字路を渡ってから撮っています。道幅が広くなっております。この広い通りが約500mあり、前述オックスフォード通りにでます。



 リージェント通りに戻ってきました。リージェント通りのオックスフォード・サーカスの地下鉄の入り口から南側を撮っております。突当りがピカデリー・サーカス方向です。ダブルデッカーだらけで喧騒と感じるのは超高級ブランド通りを歩いた後だからでしょうか。



 上記とは反対方向=オックスフォード・サーカスを見ております。赤丸で横線入ったマークが地下鉄駅です。


バッキンガム宮殿からトラファルガー広場へ

2010-01-26 00:51:19 | U.K(London)
 セントジェームズ公園のウエストミンスター大寺院側=右下側=東側の政府庁舎の角にこの案内地図があります。地図の右側が政府庁舎で、その公園側がChurchill Museum & Cabinet War Roomsです。その北側に外務省、首相官邸と後述するホースガーズHorse Guardsとホース・ガーズ・パレードHorse Guards Paradeがあります。反対方向の左端側=西側がバッキンガム宮殿です。バッキンガム宮殿前のヴィクトリア女王記念碑のロータリーから、つまり公園の北側を 東方面にびる通りが「THE MALL」です。東西で約800mあります。英国人はザ・マルと言ってるようです。英語と米語で同じ物の単語や発音が違ったりします。



 公園の案内地図のある遊歩道の前からバッキンガム宮殿方面=西側を撮っております。紅葉が落ちた初冬のロンドン風景です。



 ロンドンにある多くの広大な公園は自然をそのままに残しております。よってこのような野生のリスや鳥類も沢山見かけられます。



 初冬の公園に落ちた紅葉の絨毯が未だに残っております。紅葉の季節はさぞかし絵になるシーンだった事でしょう。野生のリスや鳥達もきっと自然を楽しみこれからの冬篭りの時期に入ります。



 前述ホース・ガーズは近衛騎兵隊の司令部であり、ホース・ガーズ・パレードは騎兵隊司令部前広場です。毎年6月の第一土曜日の朝に行われるトルーピング・ザ・カラー(軍旗敬礼分列式)には以前は乗馬の名手であったエリザベスⅡ女王陛下自身が馬に騎乗して自身の誕生日祝典を、ここからTHE MALL通り経由、バッキンガム宮殿間で施行されていました。現在女王は83歳と高齢の為、馬車に変わっております。
 この写真の軍隊員は多分に近衛兵でこのように毎日欠かさず訓練を実行しているものと思われます。



 セントジェームズ公園の西端からバッキンガム宮殿を望んでおります。宮殿の前はロータリーになっておりその中の広場の宮殿側は近衛兵交代式を見る人々で開催日(冬季は隔日)は観光客で混雑します。広場の中央にある像は1837年にここに初めて移り住んだヴィクトリア女王記念碑です。



 同上バッキンガム宮殿のほぼ正面から撮っております。建物の屋根の上に「王室旗」が揚がっているときは女王陛下は在宮で、「国旗」が揚がっているときは不在のシルシです



 バッキンガム宮殿の正面ゲートです。飾りはエリザベスⅡ女王陛下の紋章であります。上部と左側にはイングランドの象徴「金色のライオン」です。右側はアイルランドの象徴「伝説の一角獣ユニコーン」です。中央の盾の4部分には左上と右下にそれぞれ「3頭のライオン」、右上は「立ったライオン」及び左下は「竪琴」です。全てに深長な意味がありますので割愛させていただきます。



 THE MALL通りから「ヴィクトリア女王記念碑」と「バッキンガム宮殿」を撮っております。黄金色の「はばたく勝利の女神像」の下部の台座に女王のの坐像があり、それを取り囲んで「母性愛」「正義」及び「真実」を象徴する寓意像があります。



 上記、黄金色に輝く「はばたく勝利の女神像」の大写しです。



 「THE MALL」通りからヴィクトリア女王記念碑及びバッキンガム宮殿を撮っております。
 


 この馬車は何の目的で居るのかは不明です。「THE MALL」通りを東につまりホース・ガーズ方向に向かって居りました。多分一日何回かはデモを行って観光客のサービス及び訓練を行っていると思いますが、真相は分かりません。



 「THE MALL」通りの中央付近北側にあるこの2つの像は誰でしょうか? 
 下方がエリザベスⅡ女王陛下の母親エリザベス王太后で Queen Elizabeth The Queen Mother と言います。その上方が父親のジョージVI世 King George VIです。王室紋章の下にはQUEEN ELIZABETH 1900-2002 の銘板があります。101歳まで存命したのですね。KING JEORGE VI 1895-1952 の銘板があります。従って1952年以降エリザベスⅡ女王陛下は今日まで58年間即位されていることになります。



 「THE MALL」通りの遊歩道沿いにある白亜の建物。古時に王室の人々が住んだ宮殿と言われております。右側の樹木の右側が「THE MALL」です。



 上記を過ぎたところに在りました。ヨーク公記念柱 Duke of York's Columnです。英国でDuke of York と言うのはその時の王or女王の2番目の息子=次男の名称です。現在のDuke of Yorkは次男のアンドリュー王子です。



 でもこの記念柱の銘板には FREDERIC DUKE OF YORK 1763-1827と書かれていました。
 その下には Second son of GeorgeⅢ Commander-in- Chief of the British Army 1795-1809 and 1811-1827 と書かれていました。つまりジョージⅢ世の次男 英軍の司令官 多分に記された年代に歴史に残る活躍をされた方だと考えます。



 「THE MALL」の終点です。何でしょうか? 建物の中に3つの通路があります。



 更に近づいて見ました。3つの通路の内、中央の物は格子のシャッターで通行不可能です。が両端の2つの通路は車両が通行して入る様に見えます。



 ここをアドミラルティ・アーチと言います。ヴィクトリア女王の即位10年(1911年)を記念して建設された記念建造物(モニュメント)です。ここから数分の所にかつての海軍省があったことからその名前が由来しています。アーチは石の緞帳のようにこの舞台にかかっているように見えます。また中央の通路は王室専用です。



 アドミラルティ・アーチをくぐり出て左側に高い像がそびえている場所があります。像の四隅には大きなライオン像がガードしております。広場は美術館や教会に囲まれ多くの人々の憩いの場所になっており「ロンドン市のへそ」=中心部と言われております。美術館は「国立美術館」で教会はロンドンでは珍しい白壁に青い時計がある「セント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会」です。



 高さ51.5mある円柱の上に立っているのはネルソン提督の像です。1805年にナポレオン率いるフランス軍との戦い(トラファルガーの海戦)での勝利を記念して建造されました。



 ネルソン提督の大写し。アカンサスの模様が飾られたコリント式の円柱です。ネルソン像の高さは5.5mあります。



 トラファルガー広場の北にコリント式の列柱に支えられた玄関のファサードを持つ「国立美術館」 THE National Galleryです。展示品数約2万点は世界最大級の美術館です。イタリア・ルネッサンス期から20世紀初期までのヨーロッパ絵画が中心に展示しています。ダ・ビンチ、モネ、ルノワール、ターナー、フェルメール、レンブラント、ゴッホ等、ヨーロッパ絵画の巨匠の名作を年代ごとに収めております。無料です。


時計台(BIG BEN)と国会議事堂近辺

2010-01-14 01:11:08 | U.K(London)
 タワーブリッジの東側(下流)を渡り終え、西側にある国会議事堂へ歩き始めた時に、ロンドンでは珍しい赤色系でしかも車体に文字が書かれたタクシーが来ましたので、つい乗車してしまいました。以前はロンドンのタクシーと言えば全て車体は黒色のオースチン社の物でした。ロンドンは約30年振りです。時代の変遷を感じます。後方がウオータールー駅側です。



 後方の座席はお見合い式で運転手側は折り畳み式の2席で、後部に備え付けの3席の5人用です。前後の間のスペースは広くゆったり座れます。車の中は以前の「ブラックキャブ」と相違は無いように感じました。



 ちなみに、このタクシーが従来からの黒塗りの「ロンドンタクシー」です。
が、運転手にオースチン社の車?と聞くと、何とエンジンはNISSANのを搭載していると聞きここでも時代の変遷を感じました。



 降車した場所はテムズ河を挟んだウエストミンスター橋とウオータールー駅の間で、テムズ河の東岸側です(タワーブリッジ側)テムズ河畔西岸にそびえる時計台=BIG BENと、その対面がウエストミンスター地下鉄駅がある建物です。これからウエストミンスター橋を渡り西岸のWestminster地区に行きます。



 同上。午前8:50です。議会発祥の地、イギリスのシンボルである国会議事堂の北側にそびえるこのBIG BENの高さは約96mあります。時計の文字盤の直径は7mあり、13.5トンある大きな鐘がヘンデルのアリアをアレンジした音で時を告げます。



 ウエストミンスター橋の手前側(東側)の対面です。英国王室の紋章であるライオンの像があります。二階建てバス(デッキ=床が2つあるのでダブルデッカーと呼びます)の向こうが前記のウエストミンスター駅の建物です。その横や裏は官公庁街になっております。



 ライオン像がある建物が旧ロンドン市庁舎です。新ロンドン市庁舎は前回投稿しましたタワーブリッジの南岸に新築されました。旧市庁舎の向こうに見えるのがB.A.ロンドン・アイの大観覧車です。前述したように高さは135mあります。開場は10:00a.m.からで、乗車料金は15.50ポンド=約2,200円です。ロンドンの物価は多分NYCやTOKYOと同等かそれ以上と感じます。



 ウエストミンスター橋の途中から上記テムズ河東岸にあるB.A.ロンドン・アイと旧市庁舎を見ております。



 ウエストミンスター橋です。径間(橋脚間及び両端は橋台と橋脚間)は7つあるアーチ式の鋼製(鋳鉄製)の美しい橋です。



 上記同様ですが、国会議事堂全景とBIG BENを撮っています。左側の塔は高さ約104mのヴィクトリア・タワーです。ゴシック建築では世界有数の規模です。



 前記、官公庁街を撮っています。



 英国王室の教会であるウエストミンスター寺院のBIG BEN側=北側にあるゴシック式の大扉です。王室行事の舞台となり故ダイアナ妃の葬儀もここで行われました。



 CITYの西に位置するため、西の大寺院の名前がついたと言われています。写真はその西側から撮っております。国会議事堂のBIG BENとヴィクトリア・タワーも見えております。



 更に西側のセント・ジェームズ・パーク側から撮っています。この公園(日比谷公園の約2倍の広さ=38万m2)の西端にバッキンガム宮殿があります。


タワーブリッジ近辺

2010-01-12 18:01:09 | U.K(London)
 セントポール大聖堂を南下しテムズ河に来ました。この写真の向こうに見えるのがロンドン橋です。ロンドン橋の東側(本写真を撮っている側)に、跳ね橋で有名な「タワーブリッジ」があります。ロンドン橋から北側(左岸側)に税関があり、その前の桟橋の拡張工事を南米パタゴニアで掲載しましたSEP(Self Elevated Platform)の作業台船が稼動していました。ロンドン橋の更に向こうに見える大観覧車は高さ135mのB.A.ロンドン・アイと言う2,000年を記念して建造された大観覧車です。


 
 SEPが居る南側(右岸側)に古風な大型の外観的には軍艦風の船舶が繋留されております。何でこんな所に居るのでしょうか?



 船尾にはBELFASTと船名があります。第二次世界大戦から朝鮮戦争に掛けて活躍した巡洋艦です。全長187mで約12,000tonで6インチ3連砲塔を4基搭載しています。現在は帝国戦争博物館の別館として有料にて開放されております。



 更に東側=「タワーブリッジ」側に行くと北側(左岸側)に「ロンドン塔」があります。11世紀に塔が建設されて以来、かつては王室の居城となったこともありますが、もっぱら投獄、拷問及び処刑の場として血生くさい歴史を刻んで来た所です。ここが城への出入口です。



 テムズ河方向から撮りました。この中には世界最大530カラットのダイヤモンド見られる宝物館もあります。



 同上。



 ロンドン塔がある北側(左岸側)から「タワーブリッジ」を朝陽を隠したシルエットで撮りました。



 「タワーブリッジ」の下側に来ました。床版の鋼板の接合には何とリベット形式が使用されています。そうですね建造が1886年から1894年の約8年間ですので。当時としては画期的な橋でした。橋長は240mあります。



 中央の2つの主塔から両岸に張られた主構に吊られた上記の床版、主塔間上部の歩道橋及び船舶の航行時は主塔間の下部の歩車道路の床版約1,000tonが「跳ね橋」となり開きます。本当に美しい形の橋です。左側の主塔の向こうに見える丸い段上のガラス張りの建物が2002年完成のロンドン新市庁舎です。この地域をテムズ河の南岸と呼びSOUTHWARK=サザークと言います。



 主塔間をつなぐ高さ約45mのガラス張りの歩道橋です。ロンドン市内が一望できます。



 上記ガラス張りの歩道橋の大写しです。英国皇室の紋章の「獅子と伝説の一角獣ユニコーン?」の徽章が中央に飾ってあります。



 「タワーブリッジ」の北側には船舶建造用のドックがあり、また船舶も停泊しているため、そこを横切る道路は全て「跳ね橋」になっております。



 同上ですがこちらは現在使われていないようです。古い街並みに溶け込んだ橋造りがなされております。



 上記を下流から見ました。可動堰があり水量の調整をしてると考えます。



 古い街並みに停泊中の小型船舶です。遠くはCITYです。



 再度「タワーブリッジ」のネオゴシック様式の主塔及びそこから張り出された主構及び床版の吊りロープ(金具)です。写真の左側にラグビーボールみたいな建物が見えます。何でしょうか?



 2004年に建設された、その形がキューリの酢漬けに似ているので「ガーキン」と呼ばれている、5,500枚の菱形のガラスに覆われたSWISS RE ビルです。CITYのランドマークになっております。現在はテロの怖れののため、一般公開はなされてないそうです。蛇足ですが、新宿センタービルの駅側にも、これを真似たビルがあります。


冬のロンドン

2010-01-07 18:58:06 | U.K(London)
 ドーヴァー海峡上空は広範囲に雲に覆われておりました。時刻は15:00頃です。



 ロンドン市内に近づくにつれ雲は黒く大きくなって雨模様です。冬のロンドンの特徴です。



 雨が一旦止んだヒースロー空港に到着しました。15:30頃です。もう空は次第に暮れかけておりますし、ロンドン市内方向には黒い雲で覆われております。



 イミグレーション後、機内預け荷物を受け取り、空港から約25kmのロンドン市内のホテルに着いたのは16:30で道中は雨が降っていました。冬は空に雨雲がかかり、外を見るともう薄暗くクリスマスのイルミネーションが輝いておりました。



 翌朝7:00に街歩き開始しました。最寄のUNDERGROUND(地下鉄でSUBWAYは米語)の長ーい階段を下りてホームまで行きます。このようなラセン階段も健在です。ロンドン市の地下鉄は世界で最初に1863年に開業しました。その後の戦争時に防空壕に利用されたために、この様な深さになったと言われております。



 上記のラセン階段を下りたら今度は直線の長ーい階段が何処までも続きます。



 最近このようにエスカレーターに改修されつつあります。勿論、バリアフリー用のリフト(エレベーター=英語)もあります。



 トンネルの形はカマボコ型をしており、電車もその形状に合わせて造られています。その形から地下鉄の電車をTube(チューブ)と呼びます。



 電車の架線は天井にはなく軌道に走行レールの中に1本と、よーく見ると壁側にさらに1本のレールがあります。この2本が架線用です。走行レールを入れると4本のレールが見えます。



 Tube(カマボコ型電車)の車内です。日本の地下鉄よりも0.5~1.0m程、幅が狭く窮屈です。まだ朝の7:15分でラッシュアワーでは無いのですが混んでいます。



 ロンドン市のウオール街のCITYのBANK駅の一つ手前のセントポール駅を降りました。



 地下鉄の階段を上り、そこにはイギリスの様々な国家行事が行われる、世界最大級のキリスト教教会であるセントポール大聖堂の勇姿がありました。こちら側は北側(City側)です。



 セントポール大聖堂の南側(テムズ河側)です。中央のドームの高さは約110mあります。



 上記大聖堂の尖塔の黄金の飾り。



 英国国旗のユニオン・ジャックと2階建てバスです。



 この冬空に2階部分の屋根の無い観光バスも見受けられます。



 2階建てバスの一階部です。中ほどに2階に上がるステップがあります。以外と幅が狭いと感じました。