土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

高原の街キジ(Xizi)へ

2012-07-30 11:41:52 | Istanbul & Azerbaijan
 先回投稿の北の都市ハチマスと首都バクーを結ぶフリーウエイの
 中間点から西方向コーカサス山脈に向かって山を登っていきます。
  

 今回はハチマスから行きました。

 道中、世界一大きな湖カスピ海を左手に見ながら、いつも立ち寄るドライブインで

 「忙中閑あり」を故意に作り、さながらドライブ気分です。

 あの美味しいレモン入りハーブティ(チャイと呼びます)がお目当てです。

 そしたら少年が茹でたてのトウモロコシを売っていました。

 粒は南米よりは小粒ですが、出来立てのそれは本当に美味しかった。

 美味しくて2つ食べました。0.2MANAT/ケで2けで約40円です。




 本日はドライブインにはいつもの牛や羊はいなく、代わりにニワトリが居ました。


 日本では牛や鶏は製品として出来上がったものを購入するので、それらを

 食するのに何も抵抗なく口に運びます。

 ここでは新鮮さを売り物にする為か、どうかは分かりませんが、

 店の前で解体(さばき)します。やっぱり新鮮さを売り物にしているのでしょう。

 日本でも客の目の前でマグロの解体をしますね。新鮮ですよね。

 ここアゼルの人は、それと同じ感覚だと思っています。


 肉がこんなに美味しいものであったと長年勤務した中南米で教わったのですが、

 アゼルではその解体を目の前で見せられて以来、肉は食べられなくなりました。

 中南米も肉文化ですが、目の前で捌くのはあまりお目にかかりません。
 
 キリスト教とイスラム教の違いでしょうか。

 イスラム社会と聞けばすぐに砂漠の遊牧民(ベトウイン)を思い出します。

 砂漠を獲物を追って捕まえ、それを、暑い故にすぐに捌いて食するのでしょうか。

 食文化が違うとはいえ、目の前で実演?(彼らは実演しているのではなく普段の姿)

 された物が出されるのには抵抗があります。

 いつかは慣れなければ生活していけないと知りつつも、目を逸らしています。

 話も逸れてきました。

 
 キジは何もない自然だけが豊かな街です。近年、首都バクーの暑さから逃れ

 ここに終焉の棲家や別荘地を持つ人、および、彼らを頼って人々が集まってきて、

 人口が増えてきています。

 それに伴いインフラ(特に上下水道施設)の整備が急がれています。

 200m位の目抜き通り?(一本しか幹線道路はない)は4,5軒の大きな(と言っても3階建て)

 建物が道路に面してあります。

 そこを抜けると空、山と緑の自然と牛とアヒルのそれしかない素朴な山裾に
 緑の草原が広がる街です。

 四方を山に囲まれています。

 同上。

 同上。

 優しい目を持った牛。カウベルはカランカランと大きな音がしていました。

 白樺の間を雪解け水が流れています。

 フリーウエイとキジを結ぶ道路の左右には
 この様な赤色の帯を巻いた山があります。

 水生植物です。花は忘れな草に似ています。

 ここは上記、白樺林の近くです。
 雪解け水の水たまり付近でアヒルが遊んでいました。

 以上プロローグです。


 なにはともあれ紹介します。

 カスピ海(海と呼びますが世界一大きな湖です)

 同上。ぶどう畑です。

 山側にはダムが見えます。

 大きなロックフィルダム(岩石、土砂の重量にて背面の水圧を受ける)です。
 堤体中心部(コア)には粘土にて浸透水を防ぐ壁=遮水壁を設けるのが一般的です。

 五本の指の岩石山(ドライブインの近くにあります)

 同上。大写し。

 ドライブイン。少年がトウモロコシを売っています。

 モスク越しに五本の指山を見る。

 フリーウエイを下りて右折し、先方の踏切を渡るとキジ行き山登りです。

 遊間が取れていないため、線路が歪になっています。
 まだ気温30度くらいですので、今後はグニャグニャになるでしょう。

 これはハチマスのものです。(気温34℃位)

 最初はこういうところです。

 上記の続き。

 山肌に赤い帯状のものが見られます。
 これは砂漠地帯特有の「ラテライト層」と考えます。
 アフリカはほとんどがこのような赤い土です。
 粒子が細かく一定で締固めできず、厄介な土です。
 乾季にはパサパサになり風に流され浮遊します。
 (コンゴ編を参照されてください)

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 同上。

 緑が見えました。もうすぐキジの街です。

 キジの街の入口。

 山々に囲まれています。

 緑の草原。

 別荘地が点在します。

 キジの目抜き通りは写真下方の右手の赤い屋根から左手の国旗までです。

 キジの目抜き通りに入りました。

 目抜き?通りです。

 街路樹は白い花を付けています。

 何でしょうか。小さな可愛い花です。

 上記写真の国旗寄りに大統領の名前の公園があります。

 これが目抜き通りの突き当りです。この左手に軍隊駐屯地があり、大旗が揚がっています。

 別荘地。

 別荘の建設中。

 この砂利道を下って上ります。雪解け水を見にいきます。

 緑豊かです。

 同上。

 同上。

 同上。

 白樺並木が続きます。

 透き通った水が流れています。

 鬼アザミです。刺されたら大変です。逃げましょう。

 牛も優しい目でのんびりしています。

 同上。のどかです。
 アヒルが少ない水を飲んでいます。
 水源までは山登りで約7kmあるので、ヨチヨチ歩きではいけません。

 以上。


 おまけです。
 
 7月15日に5月末にはしぼんだハチマスのバラの花がまた咲き始めました。







西洋と東洋の架け橋イスタンブル (1/4旧市街)

2012-07-18 11:22:47 | Istanbul & Azerbaijan
 日本ではお馴染みのイスタンブール。

 日本人にとってはこの名前を聞くと、何とはなく、

 エキゾティックな雰囲気が漂ってくるようです。

 この名前は遠い?昔に流行り歌で聞いた事があります。

 なんだか歌詞が跳んでいるようでした。


 海外においてはイスタンブルと呼ぶのが一般的です。(ので今後はイスタンブルと呼びます)
 
 イスタンブルの街は、北側黒海から南側マルマラ海を経てエーゲ海とへ繋ぐ

 長さ約30kmのボスポラス海峡で仕切られています。

 またヨーロッパ側はGolden Horn(日本語では 金角湾)で仕切られており、

 その南側は歴史的建造物が多く建つ旧市街、北側はビジネスの中心地、新市街となっております。

 
 
 

 紀元4世紀初頭にローマ帝国のコンスタンティヌス大帝は

 ローマから都をイスタンブルに移し「新ローマ」と名づけ、

 ここをコンスタンティノーブルと命名しました。

 ローマに対してこの東のローマ帝国はビザンツ帝国と呼ばれ、

 コンスタンティノーブルは、その当時の世界最大級の都市であり、

 また、「絹の道」の終着駅としても栄えていました。

 その後13世紀の末期にオスマン朝が成立し

 旧市街には多くの歴史的建造物が建立されていきました。

 そして、オスマン朝末期の混乱の中、20世紀初頭の第一次世界大戦で敗れ、

 初代大統領ムスタファ・ケマル(アタテュルク)が革命を蜂起し、

 トルコ共和国を成立させて首都をアンカラに移すまでの、

 その間、約1,600年(弥生時代から大正時代)この美しい街イスタンブルを

 当時の世界の最高権力者が手にしていたのです。

 現在は、その往時の美しい街並み、ボスポラス海峡や海は、

 多くの観光客を魅了して止まない、人気のある観光地となっております。

 
 歴史的見どころが多く残された旧市街は

 「イスタンブル歴史地区」として世界遺産に登録されています。

 その中で特に目を惹くのが、ブルーモスクと呼ばれる世界でも珍しい

 6本のミナレットを待った「スルタンアフメット・ジャーミー」です。

 

 そのモスクの近辺には
 
 ・アヤソフィアや・シュレイマニエ・ジャーミーや・トプカプ宮殿

 そして世界最大級の屋根付きマーケット、グランドバサールもあります。

 ここは小さなお店が無数に集まる広大なマーケットで一歩足を踏み入れれば中は迷路です。

 そして、多くの日本人観光客を目にします。

 蛇足ですが、グランド・バサールの入口をくぐった途端に

「こんにちは」「安いよ」「まけとくよ」等の日本語が飛び交ってきて、

 少し違和感を感じます。それだけ日本人の観光客が多いと言う事でしょう。

 苦笑いしますが嬉しい思いです。

 これからも多くの日本人が海外に行き色んな事を知ったり、見たりすることは

 心を豊かにするものだと確信しております。蛇足が長くなりました


 一方、新市街には高級ホテル、銀行や商業施設があり、西に行けば

 ボスポラス海峡に行き当たります。ボスポラス海峡の両岸にも美しい建造物や

 歴史的史跡があり、遊覧船でそれらを見ることができます。 


 なんと素晴らしい街なんでしょう。もいちど飛んでいきたいなぁー。


 何はともあれ、さぁー行ってみましょう。先ずは旧市街からです。
 
 


 日本からはトルコ航空のダイレクト便があります。
 黒海を抜けるとそこにはボスポラス海峡が目に飛び込んできます。
 冒頭から余計なことですが、一日本人として嬉しく思うので紹介します。
 現在日本の有償資金・円借款にてこの海峡の地下鉄道トンネルを建設中です。
 設計施工は日本のスーパージェネコンで、夢をつなぐこの世界初の難関工事に挑んでおります。
 工事の安全と成功を祈っています。
 写真の上側がアジア側、下側をヨーロッパ側と言っています。

 ボスポラス海峡を通過してヨーロッパ側に空港があり、
 ここマルマラ海上にて左旋回します。

 アタテュルク国際空港です。

 空港内はイスラム社会です。
 定時には搭乗カウンター横で小さな絨毯を敷いて
 磁石でメッカ方向を確認し礼拝をしておりました。

 空港はヨーロッパ側(西側)にあります。今から東方向の旧市街に向かいます。
 旧市街まではマルマラ海を右に見て、空港からタクシーで約40分です。

 コンスタンティヌス大帝が紀元4世紀に建てた水道橋。(現在は未使用)
 アーチのきれいな石造建築です。

 同上。

 城壁が見えてきました。

 さぁ今からこの電車に乗ります。
 「トラムヴァイ」と言う路面電車です。
 JRの在来線の車内幅よりも約1m位狭い感じです。
 窓が開放的で見晴らしは良く、爽快です。

 新市街の外れ旧市街側の「トラムヴァイ」のカラキョイ駅から
 「金角湾」越しに旧市街をみています。
 それにしても旧市街は大きなジャーミイ(モスク)の多さが目につきます。

 旧市街の金角湾を渡ったエミノニュ駅から、上記カラキョイ駅を見ています。
 一際高い建物は「ガラタ塔」と言い新市街のランドマークです。
 とんがり屋根のてっぺんまでは67m(約22階ビル)建てあり、最上層の展望回廊までは53mあります。
 ここから新市街が360°見渡せます。金角湾に架る橋は「ガラタ橋」です。

 旧市街側ガラタ橋を渡ったところにあるトラムヴァイのエミノニュ駅です。
 電車が立ち往生しています。丘の上で車両との接触事故だと思います。
 軌道と車道が併用で、いつ接触してもおかしくない状況ですので。
 乗客の多くは平然として電車から降りてどこかに消えていきました。
 残された私はジート回復を待っています。まぁ急ぐ旅ではないのでいいか。

 エミノニュ駅から新市街を見ています。
 白い塀の湾岸側が遊覧船の桟橋になっています。

 電車が動き出しました。前方に見えるぶどう色の建物は
 国鉄シルケジ駅です。オリエント急行の終着駅です。
 アガサクリスティの推理小説でも有名です。
 名探偵ポアロはこの駅から乗車し、事件を解決していきます。

 路面電車は丘の上にある「ブルーモスク」の最寄りの駅
 チャンベルリタシュ駅を目指し登っていきます。

 路面電車の沿道は大半がお土産さんとレストンランで観光客用です。
 なぜなら歩いて登る元気者がいるからです。
 私も元気者を真似して一日目は歩きましたが6月の初めのこの季節、30℃位の気温があり、
 目的地に着いた途端に眩暈と足が痛くなって肝心の見学を放棄することになりました。

 城壁が現れました。
 この山の手にスルタン朝の支配者スルタンが居住した
 「トプカプ宮殿」があります。それの名残だと考えます。
 それにしてもこの若者の眉は両方がひつきそうなくらいでした。
 なんら関係もありませんが中東の人って眉がつながっていそうな人多いです。

 同上。
 私がいるこちら側が車道です。
 ここのガードレールはこの上がカーブになっているから設置されています。
 直線区間は見当たりません。

 同上。

 きれいな通りですね。これ電車通りですよ。

 着きました。お目当ての「チェンベルリタシュ駅」に。
 美しい車体の電車ですね。こういう路面電車はまた乗りたいと思います。

 三両編成ですね。この電車は新市街のカバタシュ駅から
 ボスポラス海岸沿いを走り上記の「ガラタ橋」経由でここまで来ます。
 何もなければ所要時間は30分位です。
 新市街の高級ホテルからカバタシュ駅までケーブルカーで約2分
 そして乗り換え2分位です。
 新市街のホテルから旧市街にくる観光路線なのです。

 ブルーモスクはここから軌道を戻ります。
 そこから見た軌道風景です。
 明らかに車道がないですね。接触事故は、さもありなんと思います。

 軌道と車道が併用なのです。この付近に庶民の生活必需品や食料品の
 大きなマーケットがあるので通行止めにはできないのでしょう。
 この車両は二両編成です。

 駅通りには、そうアゼルで食べたドナール(ここではドネル)がありました。
 これは本当においしいです。行かれた時はぜひ食してください。
 肉の切片と刻み野菜ををサンドウイッチに挟んで食べるものです。覚えていますか。

 駅方面北側から南東方面の「スルタンアフメット・ジャーミイ」を遠望しています。
 驚きました。その大きいこと。それと初めて見た6本のミナレット。
 (ここではミナーレと呼びます。見なーれと簡単に覚えられます)

 北側「アヤソフィア」の前の公園から南南西方向を遠望しています。

 同上。大ドームの高さは43m、直径は27.5mでそれを支えるように
 4つの副ドームがあります。それにしても何で尖塔(ミナレット)は
 4つではなく6つあるのでしょうか?4つの方がどこから見ても対称形で
 スッキリすると考えますが。きっと何か訳があったのでしょうね。

 同上。美しいです。

 さぁ、中に入りましょう。ここは中庭です。
 小さなドームも美しいですね。尖塔は上記写真の中央部のものです。

 ドーム内、礼拝堂に入りました。
 下足は入口で脱いでビニールの袋に入れます。
 女性は身に青い布を巻き付けます。
 ビニールも青い布も備え付けのものです。
 最初に、床に敷かれた絨毯の広さにはびっくりします。
 が、それ以上に広い内部空間とそこに張りつめられた
 ブルー主体の内壁タイルには驚きます。

 第一印象はガウディのサグラダファミリアを思い浮かべます。
 ステンドグラスや採光用の多数の小窓も目を惹きます。

 すごいです。

 ステンドグラス美しいですね。

 大ドームと副ドームです。ブルータイルがきれいですね。
 これがブルーモスクと呼ばれる所以です。

 上記、大写し。

 同上。

 現在、ブルーモスク」と「アヤソフィア」間の公園は改修工事が行われていました。
 (2,012年6初)

 このジャーミイは「アヤソフィア」と言います。現在は博物館になっています。
 もともとはローマ帝国時代およびビザンツ帝国時代はギリシャ正教の大本山で、
 コンスタンチノーブルが陥落する15世紀中にジャーミイに変えられたものです。
 その後初代大統領アタテュルクが博物館として一般に公開されました。 

 4本の尖塔は時のスルタンがそれぞれ作ったのでデザインがマチマチになりました。

 同上、大写し。

 同上。

 本日は時間キレですので内部見学はPASSしました。
 今から歴代スルタンが栄華を極めた「トプカプ宮殿」に行きます。
 と言ってもすぐ目の前ですが。(写真を撮ってる後方がそうです)

 ここがローマ時代のヨルダン編で載せました戦車競技場の跡地です。
 遠くのオベリスクはエジプトのルクソールのカルナック神殿から
 運ばれてきたものだそうです。 

 ここが歴代のオスマン朝のスルタンが栄華を極めた「トプカプ宮殿」の
 正門で「皇帝の門」と呼びます。

 皇帝の門はこのように高い城壁により囲まれています。

 門をくぐると第一庭園と呼称されている大きな中庭があります。

 この中庭の突き当りに送迎門があります。
 チケット売り場は右手で普段の日だったのですが沢山の人でした。

 上記送迎門をくぐるとさらに第二・三・四と庭園があり
 第四庭園を北側金角湾方向にこの「バーダット・キョシュキュ」、
 これはラマダン月に1日の断食を終えて、夕食の食事をするところで
 ここからは金角湾、新市街やボスポラス海峡が見渡せる絶好の場所でした。

 上記の庭園側にきれいなブルータイルを貼った外壁がありました。

 大写し。これタイルですよ。

 バーダット・キョシュシュから見る眺め。

 新市街と第2ボスポラス橋も見えます。

 上記写真を右に振りました。

 左側が金角湾の新市街「ガラタ塔」方向。
 この他にもここには「ハーレム」「宝物殿」等、見る物は
 多くあります。足が痛くて、本日はGive Upしました。
 次回をお楽しみに。

 世界最大級の屋根付き市場です。
 上記のトラムヴァイ「チェンベルリタシュ」駅のブルーモスクとは反対側にあります。
 出入口の写真のような門が20ケ所以上あります。
 初めての人はこの中の迷路で戸惑います。だからGATE NO.が打ってあります。
 どこに出て来たか確認ができるのです。それだけ大きいと言う事でしょう。

 上記、大写し。ここを「グランド・バザール」と言います。
 この出入口は GATE NO. 7 です。

 上記の左手はオープンエアーのマーケットになっており
 小さな露店が連なりあっています。

 GATE NO.7をくぐりました。
 絨毯屋、食器屋、貴金属屋がこの一角にあります。

 同上。

 香辛料や駄菓子屋や干し物の雑食料品店です。

 同上。

 これすべて香辛料です。

 幹線市場通路からの支線はこのように露店が並びます。

 入口が坂の上からでしたので坂を下って所定のガラタ橋の広場に見事出てきました。
 ここはまた違うマーケットの呼び名です。「エジプシャン・バザール」と言います。
 つまり「グランド・バザール」とは軒続きです。

 エジプシャン・バザールとガラタ橋の間にある大きな広場。

 その広場の横に建つイェニ・ジャーミイ。

 この階段はガタタ橋からからくる道路橋(鉄道橋併用)の下をくぐるトンネルです。
 このトンネルをくぐってトラムヴァイ駅や遊覧船の乗り場に行けます。

 ちょっと忘れていました。旧市街でも美しいこのジャーミイは
 シュレイマニエ・ジャーミイと言います。オスマン帝国のものです。
 次回いければと思っています。

 同上。大写し。

 旧市街と新市街をつなぐ「ガラタ橋」

 橋の中央は遊覧船がくぐり抜けるようになっています。
 潮の干満の差が少ないからできるのでしょうね。

 この船がくぐります。

 ボスプラス海峡巡り遊覧船です。

 このジャーミイ、ジャーミイが多くて、どこのか忘れてしまいました。



 後記:
 イスタンブル市内の案内は当地在住で私の友人の奥様がしてくださいました。
 観光ガイド顔負けの物知りな方でした。この誌面を借りてお礼を申し上げます。

 兎に角、見どころが多すぎて、また私がバテテ、見逃したところが多々あります。
 次回行く機会を作り行きたく思っています。

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 全4編です。他3編は追って掲載致します。