この直径約60cmの2つの丸い石は何だったのでしょうか?ハイラム・ビンガムが発見した時に随行の子供が「石臼」と言ったのでつい最近まで「石臼」説でしたが、長い間の研究の結果「天体観測をする為の石」説が有力になってきました。では、どうやって観測したかは次の写真を見てください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/03/f5a4fd6180bce3f0bd0ee691815de26d.jpg)
この石の輪の中に水を張り、夜に月や星の軌道を観察したと言うことです。
では何で2つあるのか?と言うと インカの考え方の二元性に拠る物です。例えば「太陽と月」「老と若」「父と母」「大地と空」のように 太陽の神殿があれば月の神殿 や 老いた峰(マチュピチュ)があれば若い峰(ワイナピチュ)等々がある事からと、長い研究の結果からそのように解釈されております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/87/7af7111035493fbf6591a1a6c5ed0a39.jpg)
この場所は「コンドルの神殿」と呼ばれております。ロープで囲まれた手前の先端部分の石がコンドルの頭とくちばしで、この頭の場所で生贄のリャマを捧げた儀式の場でありました。 ではコンドルの羽はどこかと言いますと 次の写真を見てください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a5/77a82bb3136b2b7f73f0143a35600b1b.jpg)
自然石で出来た左右の石がコンドルの羽です。これも長い間の研究の結果の解釈ですのでご理解おきください。羽の付け根の部分から中へ入れる半地下構造になっており、外部や上部への出入り口になっております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/69/877fae01006865aaa51021f82e75477b.jpg)
ここは牢獄だったと言われております。罪人は地下に幽閉され、その後コンドルの羽の上部の写真のイスのようなくぼみの場所で体罰が与えられ、それから上部のへこみに罪人を座らせ、両側の丸い穴で手かせをしたそうです。余程の罪悪人の処刑場だったのでしょうか。
この説も長い間の研究の結果 コンドルを表現している場所なので 「大地と空(天)」の世界を結ぶ神聖な場所であったのではと言う説が浮上してきております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/4b/ccc2e616ea8f6ae39e0c7c594e4f0741.jpg)
これでマチュピチュのガイドは終了します。今でも建造物自体の存在が謎であり多くの専門家が研究を続けています。個人的には謎が解けない方が、また そのように解釈されていますという表現が夢がありそうな気がします。 マチュピチュの建設は約1450年頃第9代パチャックティクの時代に始まり、約90年後の1540年頃にここマチュピチュを捨ててどこかえ消えてしまったのです。それから約370年後にハイラム・ビンガムにより発見されるまで長い眠りに着いていました。ここマチュピチュを見下ろす高台にアンデスの高山に生息するリャマと共に座しているとインカの人々の技術や文化の高さに見とれてしまい暫し時の流れを忘れてしまいます。 が、列車の時間に間に合うようにと駆け足でバス停に向かいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/6a/14e005b0d603840640be5d71bb7dcd98.jpg)
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この石の輪の中に水を張り、夜に月や星の軌道を観察したと言うことです。
では何で2つあるのか?と言うと インカの考え方の二元性に拠る物です。例えば「太陽と月」「老と若」「父と母」「大地と空」のように 太陽の神殿があれば月の神殿 や 老いた峰(マチュピチュ)があれば若い峰(ワイナピチュ)等々がある事からと、長い研究の結果からそのように解釈されております。
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この場所は「コンドルの神殿」と呼ばれております。ロープで囲まれた手前の先端部分の石がコンドルの頭とくちばしで、この頭の場所で生贄のリャマを捧げた儀式の場でありました。 ではコンドルの羽はどこかと言いますと 次の写真を見てください。
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自然石で出来た左右の石がコンドルの羽です。これも長い間の研究の結果の解釈ですのでご理解おきください。羽の付け根の部分から中へ入れる半地下構造になっており、外部や上部への出入り口になっております。
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ここは牢獄だったと言われております。罪人は地下に幽閉され、その後コンドルの羽の上部の写真のイスのようなくぼみの場所で体罰が与えられ、それから上部のへこみに罪人を座らせ、両側の丸い穴で手かせをしたそうです。余程の罪悪人の処刑場だったのでしょうか。
この説も長い間の研究の結果 コンドルを表現している場所なので 「大地と空(天)」の世界を結ぶ神聖な場所であったのではと言う説が浮上してきております。
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これでマチュピチュのガイドは終了します。今でも建造物自体の存在が謎であり多くの専門家が研究を続けています。個人的には謎が解けない方が、また そのように解釈されていますという表現が夢がありそうな気がします。 マチュピチュの建設は約1450年頃第9代パチャックティクの時代に始まり、約90年後の1540年頃にここマチュピチュを捨ててどこかえ消えてしまったのです。それから約370年後にハイラム・ビンガムにより発見されるまで長い眠りに着いていました。ここマチュピチュを見下ろす高台にアンデスの高山に生息するリャマと共に座しているとインカの人々の技術や文化の高さに見とれてしまい暫し時の流れを忘れてしまいます。 が、列車の時間に間に合うようにと駆け足でバス停に向かいました。
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