土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

ロープウエイとコパカバーナ海岸

2008-10-30 00:45:00 | ブラジル
 ロープウエイの地上乗り場です。下りゴンドラが降りて来て上りが発車すると記憶していますが、途中で交差したような気もします・・。ガラスが反射し中は見えませんが、この中で1979年公開の007シーリーズ「ムーンレーカー」でロジャー・ムーアのボンドと敵役のリチャード・キール(2m18cmあるフランケンシュタインににた大男で鋼鉄の歯を持っている。前作でも敵役でしたが再登場する)のジョーズが激闘します。仕事の習性でメインケーブルの安全性を確認して乗る事にしました。


 ロープウエイの地上乗り場を見ています。ゴンドラがロープウエイの途中に見えます。花崗岩石の岩肌がむき出しの山が見え、吊りケーブルとゴンドラだけでもかなり怖いのに更に威圧感を倍増させます。リオはいたるところにこのような低い岩石山があり奇岩も数多く見られます。(ガイドブックの中には山塊と記述してるところもあります)コパカバーナとは海岸続きなのですが岩石山があり海岸線は通れず、海岸とは反対側からトンネルにてアクセスします。旧市街やコルコバードの丘も同様にトンネルを通ってこの海岸へはアクセスします。


 コバカバーナ海岸です。ここのホテルやアパート群は毎年2月頃のカーニバルには満室になり、カーニバルが終わった後に翌年の予約をしなければならないそうです。私が訪ずれたのは閑散期でしたので観光客はまばらでした。観光ガイドブックに観光客風やジョッギングの服装した強盗がいるので一人での街歩きは避けた方が良いと書かれており、まして私はフロッピー内臓式の大きなデジタルカメラを持っていますので散策を自粛し早々に立ち去りました。カメラを持たなければ逆の見方をされたかも知れません・・・。


 コパカバーナの遊歩道は白と黒の花崗岩のブロックをモザイク張りにし「波模様」を描いております。右側に見えるのは高級ホテルや高級アパート群で1階にカフェ店、レストランや観光客用の商店を併設した建物もあります。撮影の高さは目線が一番綺麗なように設計されていると思いました。上から見ると波のうねりが鮮明に見え綺麗でしょうがこの時間に開いてる高級レストランは無いでしょうし雨降られると困るし、まして尚更、スーパーの買い物袋、野球帽子、ジョギングパンツ及びシュウズなので残念ながら断念しました。


コルコバードの丘からの写真

2008-10-29 00:31:17 | ブラジル
 前回掲載しました「砂糖パン」の山です。ここより左側に周長約143km,平均幅約19kmあるグアナバラ湾がありここが湾の入り口です。右側が有名な海岸通りで大西洋に面しております。ロープウエイは麓の建物から海抜220mの第一の山、それから海抜396mの第二の山「砂糖パン」に行く2WAY(上下線)です。


 「砂糖パン」の右横の小さなウルブ丘に囲まれた小さなベルメージャ海岸→ウルブ丘/レーメ丘→レーメ海岸で写真中央の丸いもっこりしたサンジョアン丘から右側が有名なコパカバーナ海岸(地区)です。


 コパカバーナ地区の右側にロドリゴ・デ・フレイタス湖があり写真の左側から突き出たカブリートス丘があり(アルポアドール海岸)→イパネマ海岸(地区)→レブロン海岸(地区)に続きます。


 イパネマ海岸(地区)とレブロン海岸(地区)はロドリゴ・デ・フレイタス湖から上の写真中央の小島の横から大西洋へ注ぎ込む運河で仕切られております。運河を挟んで左側がイパネマ海岸(地区)で右側がレブロン海岸(地区)です。この運河は湖の余水吐けの役目をしていると考えます・・。


 レブロン海岸(地区)は写真のブラジレイロ競馬場の右上の丘までです。競馬場の右横の森は植物園になっております。


キリスト像(リオデジャネイロ)

2008-10-28 20:43:39 | ブラジル
 国土面積は日本の約23倍で南米大陸の約48%を占め世界で5番目の広さを持つブラジルです。1960年にブラジリア市に遷都されるまでの間ポルトガル国王直轄の総督府がおかれてから約200年間(1822年に独立してから186年間)首都であったリオデジャネロ市(リオ)です。写真の位置は下記の通りで世界の三大美港の一つであるリオのカリオカ山地の切立った断崖絶壁の最高峰(標高710m)コルコバード(通常コルコバードの丘と称します)に建つイエスキリスト像の上部拡大写真です。


 1924年着工1931年の完成で、その高さ38m、両手間幅28m、重量は約800ton(重量は諸説あります)の世界的に有名なイエスキリスト像です。グアナバラ湾の入り口に向かって建っております。中南米各地にはこれを真似た像がどの国にも多数あります。独立後100年の記念事業で建てられたのではないかと思われます。(事実未確認)


 イエスキリスト像の前の階段からリオの市街地を撮影しました。(上の写真の右側の白いシャツを着た男性の位置)写真中央に見える尖がった山はポン・ジ・アスーカル(砂糖パンの意)で麓からロープウエイで結ばれて、このロープウエイの中で1979年の007映画シリーズの撮影がありました。この場所の写真及び説明は後日掲載いたします。イエスキリスト像はこの「砂糖パン」を見て建っております。この「砂糖パン」の山の左側が広大なグアナバラ湾で旧市街があります。右端の小山から右方向が有名なコパカバーナ海岸→イパネマ海岸→レブロン海岸と白砂の海岸が続きます。これらの海岸は大西洋に面しており青い松はありませんがホテルが林立しております。ここも後日掲載いたします。

 
上記カリオカ山地の断崖絶壁最高峰コルコバードに建つイエスキリスト像です。街から肉眼では十字架に見えます。生憎天候が悪くまた画素数が少ないフロッピーメモリー型デジカメの10倍望遠で撮っておりますので見苦しい点はお許しください。


 上記写真を撮った建物の屋上の高級レストラン(12US$/肉食べ放題=店をシュハスカリア=ポルトガル語 と言い色んな肉の部位が次々に串刺しで来て欲しい量だけ指示し自身のトングでその切られる肉を支え保持し食べる) からのカリオカ山地とコルコバードの丘の遠景です。写真撮影の場所設定の動機が神様の涙を頂戴し空がにわかに曇ってきました。

首都アスンシオン(パラグアイ国)

2008-10-28 00:52:25 | パラグアイ
 今から目的地のペルー国リマに戻るのですが一番早い方法はボリビアのサンタクルス市乗り換えラパス経由です。シウダーデルエステ市からアスンシオン市に夕方到着し1泊しなければなりません。日系人経営の立派な高層建てのホテルに宿泊し街並み全景はそのホテルの屋上から撮影しました。このホテルの観光客や長期滞在者は殆ど(≒全部?)が日本人で日本食堂もあり日本の衛星放送も見られ自分が今何所にいるのかを忘れ何だか変ーな感じになります。さて写真はアスンシオンの玄関口シルビオ・ペティロッシ国際空港の到着口です。1988年に初めてアスンシオンを訪れた時の空港名はストロエスネル空港で名前の由来は1954年~1989年の35年間独裁政治で君臨した当時の大統領の名です。自身同様クーデターで政権を奪われ隣国ブラジルに亡命し一昨年(2006年)に家族だけに看取られ93歳で逝去しました。


 煙を吐いた赤い貨物船がいる川がパラグアイ川です。源流はボリビアとブラジルの熱帯雨林地帯で、そこがアマゾン河水系とラプラタ河水系の分水嶺になります。このパラグアイ川は南下しパラナ川と合流しラプラタ河(川が大河なので河と書いております)に注ぎ込みます。南米ではここパラグアイ国とボリビア国の2ヶ国のみ海を持たない内陸国でボリビア同様このパラグアイ川が港です。手前はアスンシオン湾で、ここに港があるそうですが今回はスケジュールがハードで街歩きは出来ませんでした。


 南米の至るところで見られるスペイン・コロニアル風の街並です。このあたり旧市街は以前来たときよりも高層ビルが増えておりますが川の向こう側は以前と変わらぬ大自然が残されておりました。以前にも記述しましたが中南米の旧市街は歴史的に重要な文化財や遺産的建築物がありここアスンシオンも然りで、段々郊外に新市街が拡がっているそうです。さて
アスンシオンからの航空(TAM)はほぼ定時にサンタクルスに到着したのですが乗り継ぎ便航空(LAB)が12時間遅れラパス空港内(標高4,100m)のラウンジで仮眠させられました。5時間の乗り継ぎ時間があり大半の方はここより標高の低いラパス市のホテルに下りました。少ない機材でヤリクリしていますのでこれは日常茶飯事でクレームつけても何も進展しないので腹をくくるしかないのです。中南米での旅行スケジュールは「時間」と「心の余裕」及び「体力」が必要です。

パラグアイ側国境の街

2008-10-27 17:01:11 | パラグアイ
 イグアスの滝からバスに乗りブラジル側国境の街フォスドイグアス市迄行き、そこからTAXIで国境の「友情の橋」を渡りパラグアイ側のシウダーデルエステ市に到着しました。国境なので入出国の検査があると思いきや両国ともフリーパスでした。この両市には「友情の絆」もあるのでしょうか。ここから世界最大規模のイタイプーダムにTAXIで行き15:00時頃に到着しましたが本日のダムと発電所内の見学ツアーは終了したとの事でした。(ガイドブックには15:30時が最終と書いてありました。前回1990年に来た時は建造されて間もなく大勢の観光客で混雑していましたが今回は5~6人位でしたので多分早めに切り上げたのでしょう=中南米では時々ありますので最低でも2時間位の余裕は必要と再確認させられました)シウダーデルエステ市の幹線道路脇に珍しい木がありました。多分「ボラーチョ」の木と思いますが(学術名は分かりませんがボラーチョは西語で酔っ払いの意=幹が飲みすぎで太っているのが語源)ボリビアの低地帯にもこれと似たような木がありましたが「トポローチ」と言っていました。「ボラーチョ」の方が「トポローチ」よりも太っているようです。(2枚目のピンク色の花が咲いてる木が「トポローチ」)

 ボリビア国熱帯地域ベニ州トリニダー市の「トポローチ」


 ダム見学が中止になりましたのでTAXIの運転手に連れていってもらった近場のダムに行く途中の道路で、橋の欄干が欠落していました。川の水はその落下地点で淀んでいましたので多分余計な費用が掛るしボロ車なので回収されなかったのと考えて車を降り確認したら橋脚がありました。多分この欄干は危険防止啓発のためにワザとそのままに放置されているのだと考えています。


 近場のダムの放水を見学。イタイプーダムの放水路(約100m位)を知っているだけに残念な思いでしたがそれなりに思い出になりました。

 

イグアスの滝(No.2)

2008-10-23 00:51:38 | ブラジル
 ブラジル側遊歩道から悪魔ののど笛方面の景色。この写真のイグアス川の左端の位置に悪魔ののど笛はありますがこの写真には写っていません。昨日掲載いたしましたアルゼンチン側滝の上流(左側)部分です。


 普段ですとここの踊り場が滝の落ちる様子をリアルに見たり、その音を聞いたりする展望台ですが、水の流量が多くて水しぶきがここまで覆い誰も近寄れない状態でした。この時の流量とその轟音の状態の形容は筆舌には尽くし難く、今の時点ではただただ自然の驚異に圧倒させられていたと言うのが感想のような気がします。人工的に造られた古代遺産も感動しますが、自然の造形物は感動も然り驚異を感じさせられる素晴らしさがあります。


 悪魔ののど笛を展望する桟橋を上方から撮りました。水しびきでピンボケ的写真になりました。先端の踊り場(展望台)に雨合羽をきた勇士?を数人見ました。日本であれば立ち入り禁止は当然でしょうが、ここの管理者は今までの経験から立ち入り許可を出したのでしょうか?or 黙って立ち入りをしていたのでしょうか?観光客の大半は中南米を含む欧米人で各自に自身の生命や生活管理が成される環境なかで生きている民族ですので、多分後者で勝手に入ったと思います。私は上記同様に自身が驚異の中の状況下でしたし、職業柄、自身の安全確保=危険回避 は常に意識しておりましたが他人の安全を確認するまでの余裕はない状況下でありました。
 1985年南米に初めて赴任して以来ここへは都合3回来ておりますが、今回のような異常な状況には初めて遭遇いたしました。良い経験をさせてもらったと思っております。

聖母ピラール教会の涙雲

2008-10-22 18:36:50 | アルゼンチン
 コメントがあり拡大写真を送付いたします。お見苦しい点ご容赦ください。

自然の造形は凄ーい(イグアスの滝)

2008-10-22 00:23:50 | ブラジル
 流域長さ約4km、高さ約90mで流量は雨季で約11,000m3/秒、乾季で約400m3/秒です。例えて言えば大型の10tonトラックの荷台に積んだ水が1秒間に雨季では1,100台分落ちて来るのです。全く人間の想像を超えた自然が造った光景です。ペルーのマチュピチュは人工でも驚きましたが、ここイグアスの滝は自然が何億年もかけて造ったもので、ただただ自然の力に驚異を感じ圧倒されるのみです。


 通常11月~3月が増水期なのですが、私が訪れた9月も気象異常で滝は写真の様に轟音を立てて流れておりました。水しぶきで滝つぼ(通称:悪魔ののど笛と言います)は見れず、上から約30mほどが見える状態でした。滝の音は約2km?先からも地響きのように聞こえ滝に近づくまでは何の音か分からず驚かされます。


 写真の桟橋の上側には通常は滝(悪魔ののど笛)を見る事ができます。その滝をみる為に造られた桟橋ですが、水しぶきで何も見えないにも拘わらずビニールの雨合羽をきた怖れを知らない or 度胸のある観光客が数人この上に居ました。通常ならばこの桟橋上は観光客で新宿駅並みの混雑です。


 こちらブラジル側には「悪魔ののど笛」に行くまでに約1km弱の遊歩道が設置されております。その対面はアルゼンチン側で写真のように無数の滝が数km続きます。(全長では4kmです)ここイグアス川はパラグアイ国との国境でパラナ川と合流し、更に南下しラプタラ河になるのです。 


ブエノスアイレスの港、鉄道そして空港

2008-10-21 01:08:04 | アルゼンチン
 厳重な港の入管検査を終えて港湾局の係員立会いで見学用?ワゴン車で、車から降りない、写真は撮らない約束で港を見学させてもらいました。ここブエノスアイレス港はラプラタと言う大河(≒海)を利用した河川港です。眼前のラプラタ河から航路を引き込んだ岸壁や広大なコンテナヤードがあり無数のコンテナが積み卸しの為にストックされており、ガントリークレーン(岸壁に設置されたコンテナ吊り用クレーン)も数台ありました。が全部は見せてくれず1/5位見たら終わりにさせられました。この写真は車の後部座席からくもり防止の黒いライン越に撮りました。日本や米国では100%見せてはくれないでしょうが融通をきかせてもらいました。中南米の人は本当に優しいですねー。(幾分かは私の人畜無害な品格を読まれていると勝手に思い込んでおります)


 コルドバ大通りとブエノスの銀座通りと言われています歩行者天国のフロリダ通りの交差点(日本で例えれば銀座4丁目交差点?)をラプラタ河に向かって歩いて行くと10分位で大通りにでます。この写真は南を向いて撮っています。(北側には大きなレティーロ駅や超高層ビル群があります。1985年から3年間(瑕疵期間も含め)隣国のボリビア~ブラジル間の鉄道を建設しましたので鉄道には特別な興味があるのですが、残念なことに今回レティーロ駅は行きそびれてしまいました。)写真左側の駅舎見たいで停留所みたいな所はモダーンな造りですが、写真の線路はメンテが足りていませんでした。ゲージ(軌間)は新幹線よりも少し広いなーと感じました。モダーン駅の前で行き止まりの線路は今回遭遇しませんでしたがモダーンな列車用との事です。写真の行き止まりでない線路は、車で港に行く時に日本で言う鈍行級の約10両編成の黒い色した列車がレティーロ駅方面に時速15km位で走行しているのを見ました。この国は道路が発達していますのでトラック輸送が主流でこの広軌の線路はあまり使用されていないように考えられます。またラプラタ河対岸のウルグアイ国へは船舶で行くそうです。ここでラプラタ河を見ると水平線しか見えません。ウルグアイ国と結ぶ橋はこの付近には出来ようがないと考えます。(河幅が余りにも長く島嶼はなく人口島造るには費用対効果のバランスが全く取れない。敢えて無駄は作らないのが中南米の生き方です。)


 ブエノスアイレスの空の玄関口エセイサ空港です。建築してまもない様な感じがしました。写真は出発のチェックイン場で、2階の隅にイミグレーションと税関があり搭乗口のある中もかなり広く機能的で気分の良い空港でした。到着した時は客引きのTAXI運転手が寄ってきて嫌な気持ちにさせられましたが今回は気分爽快です。中南米の空港は到着口にTAXIの呼び込みがいるのが普通で、一番安全な方法は税関出たらすぐの所にTAXI券売り場が数社あり、ここで行先により決められた値段の券を購入し半券を運転手に渡し指定の場所に連れて行ってもらうことです。この方法は決してボラレませんし、券売り場の売り子が指定した運転手が売り場まで迎えにきます。お薦めいたします。客引きのTAXIには決して乗ってはいけません。
今回でアルゼンチン国は最終回です。再び美味しい肉と上質なワインを嗜みに来られることを神にお祈りいたしました。
次回は国境のブラジル側からイグアスの滝を紹介いたします。


レコレータ(No.2)と気分を換えた写真

2008-10-19 17:02:17 | アルゼンチン
 最高級のステータスを得た人々の眠る棺の標準仕様(標準仕様と言っても立派で、この仕様の上下は大同小異でした。)中を見ることができました。


 千載一遇のチャンスで撮った或る人の棺



(気分転換に・・・)
 パリのオペラ座、ミラノのスカラ座とこの写真のブエノスアイレスのコロン劇場が世界3大劇場です。7月9日大通りに面してオベリスコから2ブロック北側にあります(≒近くです)。





 (記)
 次回でアルゼンチンは最終回です。その後ブラジルとパラグアイ→ペルーと他6ヶ国を掲載してまいります。