土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

帰国そして・・・

2010-05-04 00:04:45 | コンゴ民主共和国
 コンゴ民主共和国主都にある国際空港です。



 同上。国連(UN)の飛行機が大半を占有しています。



 日本への帰路の最短距離はケニア→バンコック経由です。道中は深ーい雲に覆われていました。



 ナイロビの国際空港です。雨季のこの季節はこのようにどんよりしています。



 乗り継ぎのためTRANSIT ROOMまでの廊下の両面にケニアの自然の写真が飾られていました。その中の一つでここサバンナで暮らす長身のマサイ族の写真がありました。



 バンコック国際空港です。乗り継ぎのため空港近くのHotelで約10時間強待機します。



 初めてタイには来ました。某国の有償で造られた大きくて立派な空港です。



 空港内部。まだ新しい空港です。整然としていました。



 同上。有償だから借金は返済しなければなりません。このような立派な空港の必要性は?と考えます。すべて供与国の国民の税金から融資・投資されております。便利性は向上しますがそれと反比例し道徳や倫理感が追従していない現状のような気がしております。少し位の不自由は必要だと思いますし、大国の都合でお金をうのみに受けるさせるのではなく、多少の自助努力を強いるような施策を考慮させるのも大国に与えられた責任と考えます。被供与国はそこまで考えることはしません。長期間・低金利で借りられのですし、政権は4~5年で交代しますので。また、逆に無償は自助努力は困難と考えますので、それを強いることは酷なように感じられます。何とか考えてもらいたいものです。



 空港の入り口のアーチの金ピカのゲートです。



 現在、某国の援助で空港までの鉄道が建設中です。必要性の感想は上記同様です。が、被供与国の政情は数年前から急激に不安定状態です。当然リスクのヘッジも考えてのことと思いますが、仕分けも必要に感じております。



 DAY USEにて待機したHotelでは子供達がタイの伝統楽器にて音楽を演奏しておりました。



 同上。



 伝統音楽を披露してくれた子供達です。



 Hotelのレストランにはスイカで繊細な彫刻が展示されていました。



 バンコック国際空港の管制塔の横に沈む夕日。コンゴ民主共和国の大きさにはかないませんが、こちらは何か希望の見える光景でした。でもこんなに立派な空港を持っているタイ国でも政争が過熱して外出街歩きは出来ませんでした。他国の政情には口は出せませんが、最貧国ではないので対話をし早く問題解決をしてもらうように努力をしてもらいたいと願います。この近隣国も一触即発の状態です。大国の思惑が見え隠れているような気もします。
 人それぞれに持ち合わせた人生はありますが、最低保障の「生きる」という事に関しては支援の手を差しのべ「平等」であってほしいし、それに対して尽力出来ればと思うものであります。



 上記大写し。
 次回からは南アメリカの人口約15万人の標高4,000m超の最貧国の市に長期滞在をし現地に根をはって貧困者支援に尽力する所存でおります。
 Adios=アディオス=さようなら=神の召されるままに。
 

当国第一の河川港と日本ーザイール(旧コンゴ)友好橋

2010-05-03 00:06:43 | コンゴ民主共和国
 宗主国により勝手に境界線が引かれたコンゴ民主共和国の一番大きなコンゴ河に位置する河川港です。ここから上流の400km先の首都までは急流や断崖があり溯上は不可能です。よって太平洋から約200kmのこの場所がやっと10,000ton級の船舶(喫水は10m)が入る限界です。ゆえに河川維持のため堆積する土砂の定期的な浚渫が必要となります。当初の計画は後述します。



 港の大写しです。10,000ton級船舶の係留桟橋は7ケ所あります。ただし最上流側は老朽化して小型船舶専用になっております。備え付けのガントリークレーンは吊り荷重(10ton)がなく、船内クレーンにて80tonまで相吊りで積み下ろし可能です。40FEETs(=約12m)のコンテナ船が主流です。



 港街の遠望です。写真の手前に港があります。中央の赤い屋根のあるカテドラルの場所が旧市街の中心です。



 カテドラルです。交通警察官が沢山張り付いて、管轄当局のご達しにより車内からの隠し撮影ですのでお見苦しい点、ご容赦願います。



 カテドラルの目の前から隠し撮りしています。



 泊ったホテルの従業員は朝7:00に礼拝を行っていました。貧しい国は敬虔なクリスチャンがいます。が、貧困ゆえ犯罪も絶えません。



 これが1983年4月30日に完工した「日本ーザイール友好橋」です。現天皇、皇后陛下(当時は皇太子及び皇太子妃殿下)が1984年に3月に訪問され先回掲載しました「火炎樹」の苗木を植樹されました。橋長722m、中央スパン(主塔間の区間)は520mある吊り橋です。



 主塔の高さは約100mで道路と鉄道の併用橋です。上部が道路用で下部が鉄道用です。



 吊り橋遠景。主ケーブルをまとめたアンカーの先端部に両国の国旗が描かれています。



 上記大写し。



 道路橋を撮影。この先の右岸下流側は飛び地の同国(コンゴ民主共和国)です。西欧の宗主国の身勝手な思惑で国境の線引きがされました。



 鉄道橋を撮影。元々は上記このコンゴ河右岸(港とは反対側)の大西洋のバナナ港から、この友好橋の鉄道で、この最大の港まで貨物列車で運び、ここから道路にて首都まで運ぶ計画でした。が、急激なインフレーションで物価が高騰し、当初予算では対応できず、鉄道は未だに敷かれていません。コンゴ民主共和国はここの最大の港(左岸側)で両岸に分断されています。それゆえ鉄道輸送が必要だったのです。この友好橋の下流左岸(港側)は別の国で、前述のように下流右岸側は飛び地(国)です。



 メインケーブル(橋桁をつっている主鋼線)のアンカー部。アンカー部の片側のコンクリート量は後楽園ドーム球場の外野フェンスの半分の約2mの高さが埋まる重量=25階建てビルがすっぽり入る容積です。



 アンカー部のメインケーブルです。56本のケーブル(ストランド)で構成されています。1ストランド何本?また1本の鋼線は何mm?また何本のより線で形成されている?は聞いたのですがその資料が手元にありません。


生きる(No.3)

2010-05-02 20:02:42 | コンゴ民主共和国
 一日の内の雲の変化は一定です。とてつもないほど大きな積乱雲が青空に発達します。感じとして東京の山手線内を覆うくらいの広さです。



 積乱雲は風に運ばれ複数の雲に形成されます。ここでまたアルゼンチンで見た雲を見ることができました。風に流され瞬く間に散らされていきます。



 再度、積乱雲が勢力をのばしてきます。今度は高さだけではなく幅も増長しています。



 ここまで空が覆いかぶされると黒い雲と突風が間もなくきます。



 黒い雲の集団がやってきました。大体、午後から夜間にかけて数回です。



 シャワー(一瞬の豪雨)で首都の通りは排水道路となります。左側のビルは前回掲載の銀行?の建物です。



 乗用車が立ち往生して渋滞が一時続きます。



 6月30日大通りの舗装区間は通行は平常ですが、激しい豪雨で車を叩きつけ、その跳水でしぶきになり、前方の視野が狭くなります。



 シャワー後のコンゴ河の湾口には浮遊物が滞留し、ちょうどその場所に2人乗りの小舟が獲物を(魚)を取りに集まります。常に2人です。一人は網ですくう掛かりです。



 流速が速いため、このような漂着船が岸部に乗り上げております。この中で複数の家族が生活をしております。



 漂着物は岸に上がり、それを生活の糧にしている人々も見受けられます。可哀相です。生まれてからこういう生活をしているのですね。



 国民にとっては喫緊の生活支援が必須です。が片や、自然、特に夕日の大きさはここ赤道直下では一段と大きく光を放っているように見えます。無情に・・・・・。



 同上。この夕日を心おきなくみることは何10年先のことでしょうか?



 同上。現地国民には日常の一輪廻でしかないこの夕日も筆者には憐憫に感じさせられます。



 同上。やはり短期派遣は心残りがします。次回の南アメリカの最貧国では最低でも1~2年は寝食を共にし、足を地につけて、一歩一歩、少しでも彼らの生活が豊かになるような知恵を互いに考え、貧困対策向上に寄与する事を、強く心に留め置きました。



 6月30日大通りに建つ国連の建物です。(手前側)



 同上。大きな看板が目につきます。この大きなビル全体が国連の建物です。



 どこからでもこの白い監視車は目に留まります。白い車が街を包囲し、国民は大きな動物園の柵(檻)の中にいるように感じます。