土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

ドミニカ共和国(No.3)

2009-03-24 00:28:21 | ドミニカ共和国
 訪問時期は2004年の4月と9月でちょうど大統領選挙の前後に当たりました。ここは旗の色で政党が分かります。今回は紫色のフェルナンデス氏の第二回目の大統領が決まりました。(ちょっと定かではないのですが、以前はサトウキビ畑で働く貧困者が多く文盲率が高いため投票用紙を名前ではなく色で選ぶ方法にしたと聞きました。)1990年代の後半まで中南米の諸国は米国の影響が強く米国の経済に大いに影響されます。2,000年初頭から南米ではベネズエラのチャベス、ボリビアのモラーレスやブラジルのルーラー大統領等また他国も、米資本系企業の自国での資源の享受に敵対感を抱き反米色を強く打ち出しております。ドミニカ共和国は親米ですので米国の影響をまともに受けます。2,004年はちょうど経済の泥沼の時期でありました。写真はサントドミンゴの市街地をちょっと出ると(国の南北は平均約100km,東西は約500kmの横長の国)そこは熱帯雨林地方の様な密林が茂っておりました。


 市街地の海岸通りから車で北へ約20分の所に広大な植物園があります。そこには上記亜熱帯地域の森林や花が生茂り園内は有料にて開放されております。その中に、一際目をひく「日本庭園」が、どういう訳かあります。 

(Panaramioから写真引用)
 
 この「日本庭園」はここの植物園の目玉の場所で現地人はもちろん、外国からの観光客で終日賑わっております。園内はディーゼルエンジン?のトラクターで牽引された約30人乗りのトロッコ車で観覧もできます。この「トレン」trenと呼ばれる貨車(西語、英語のtrain)では必ずこの「日本庭園」では乗客は下車して見学するようになっています。

(Panoramioから写真引用)

 2,004年はドミニカ共和国にとって経済的に建て直しを図るべくIMFとのスタンバイ(資金援助)協定に基づき財政、金融、インフレ抑制政策を着実に進めて来ました。2,005年からの経済成長は2桁に届きそうな値にまでになりました。が、現在は2008年の米国のサブプライムローン問題を端に発した金融危機にまたもや直面しているものと思われます。ちょっと市街地を離れるとインフラの整備が追いつかず川には汚物が漂っています。


 前回旧市街から見えたコロンブスのこの島の発見から500年を記念して建設された巨大な建物の正面(旧市街地側)の大写しです。下駄の形に見えますこの横幅は50mあります。高さは30mです。

(Panoramioから写真引用)

 横方向から撮りました。下駄の形の頭部から長い建物が横たわっております。長さは240mあります。 この建物は「コロンブス記念灯台」= El Faro a Colon と言い、中は博物館になっており、世界各国のブースがあり歴史や文化の紹介をしています。またコロンブスの遺志を受け旧市街の大聖堂に安置されていた棺もここに納められております。

(Panoramioから写真引用)
 
 上空から見た写真が無いので一見出来ないのですが、この構造物は上からみると十字架の形をしております。毎週週末に空に向けて光が放たれます。空が曇っていればそこには神秘的な「十字架の光文字」が現れます。

(Panoramioから写真引用)

 ラス・アメリカス国際空港の小さな半島のサントドミンゴ市とは反対側に位置(東側)するボカチカ海岸です。ここも民間ホテルがプライベートビーチを持ち「飲み食い放題」システムです。がその隣には一般人用の海岸もあり週末は家族連れで賑わいます。

(Panoramioから写真引用)

 ボカチカから約100km(サントドミンゴから約130km)更に東に行くとラ・ロマーナLa Romanaと言う町に到着します。ここの海岸沿いにこの国最大のリゾート地「カサデカンポ」Casa de Campo と言うところがあります。そこから海岸沿いを車で約20分位のところにある絵に描いたような「バジャイベ海岸」Playa Bayahibeです。

(Panoramioから写真引用)

 「カサデカンポ」にあるゴルフ場の名物Holeです。海の入り江越のショットになります。ここの海岸の地形を活かしたこういうコースレイアウトで世界百選ゴルフ場の上位にランクされております。コース内には近隣諸国からのボーイング727クラスの飛行機が離着陸する滑走路が横切っております。宿泊施設もいれ約28haあり東京ドームの約6倍の広大なリゾート地です。主として欧米人の避寒地となっております。自家用機で乗りつけるハリウッドスターもいます。

(Panoramioから写真引用)

 ラ・ロマーナから約40km更に東に行くと「サオナ島」があります。その周辺の海です。この付近の人々は大半が観光業に従事しています。以前は空港から東側はサトウキビ畑でキツイ労働を強いられていたと聞きます。が近年リゾート化が進み職業もシフトしております。

(Panaramioから写真引用)

 一方、サントドミンゴから北西の第二の都市サンチャゴ方面の途中の(サントドミンゴ市から約140km)山の方に目を向ければ、この国唯一の高原野菜を生産している市があります。東京の山手線内の面積が約6,000haですからその1/4の面積の約1,500haが畑地です。新鮮な野菜はサントドミンゴやサンチャゴ等主要都市に毎日運ばれておりこの国の国民の生活を支えております。

(Panoramioから写真引用)

 この畑は何?でしょう。葉はニンジンに似ています。中南米ではこれで作ったスープは格別な味です。「にんじん」ではありません。「アホ」といいます。「ソパデアホ」と言えばどんなレストランでも出してくれます。そうです「アホ」は「ニンニク」で「ソパ」は「スープ」です。つまり「ニンニクスープ」です。その他「パンデアホ」=フランスパン切片をニンニクで味をつけ揚げたツマミです。この高原で飲んだこのスープやパンの味は最高でした。主として日本人が生産しております。今から約53年前に移住された方々で今ではドミニカ共和国の経済や農業を支えて居ります。移住当時は大変な苦汁で冷酷な生活を強いられたと聞いております。中南米では多くの移住された方が、その勤勉さや誠実さで当該国の国民から敬われております。私みたいな短期業務従事者も”どこの国の人間か?”と訪ねられ「日本人」と答えると尊敬のまなざしで見られます。移住され、計り知れない苦労をされた皆様に敬意を表しますと共に感謝を致しております。今後とも宜しくご指導をお願いいたします。

(Panaoramioから写真引用)

 今回で中南米12ヶ国の掲載は終了します。
 次回からは中南米、特にカリブ諸国とブラジルのゲートウエイとなる米国のニューヨーク市と中南米西海岸と中央部のゲートウエイであるロスアンジェルス市を掲載し 一旦ブログを終了いたします。

ドミニカ共和国(No.2)

2009-03-17 00:13:17 | ドミニカ共和国
 前回の写真よりサントドミンゴ側です。マリーンブルーの海が続きます。このような美しい海が北側や東側の大西洋側岸にも延々と続き、観光立国としての地位を確保しつつあります。また農業国(砂糖・カカオ、コーヒー、タバコ等や最近はコショウや米も生産)としても自活の道を歩んでおります。この国の殆どのリゾートホテルはAll charges included でチェックイン後、手首にビニール製の輪っかをはめさえすれば飲み食い放題のシステムです。特に有名な飲み物は「ピーニャコラーダ」という当地産のラム酒にパイナップルジュースやシロップを加えたカクテルです。また「プレジデント」と言うビールは注ぎ方次第で粒状の氷になります。アルコール度が強く記憶ではラベルには7%以上と書いてあったような気がします。(通常は何%未満or何%と表示しますが)ここ熱帯海洋性気候地域の美しい海を見ながら飲むこのビールは格別な美味しさで病みつきになりますので痛風には大敵です。


 前回掲載しました海岸通りのオベリスク(オベリスコ)です。この奥(左上側)に旧市街があり突き当たりにオサマ川があります。オサマ川河口にそびえるサンスーシーの灯台も見えます。市街地に近づくと海のマリーンブルーの色があせてきます。原因の一つは下記です。

(Panaramioから写真引用)

 サントドミンゴ港(=オサマ港)です。オサマ川の河口に位置します。対岸の突堤は人工島で、サンスーシの灯台はこの突堤の左側奥の小さな半島の先端に位置しております。上流で雨が降ると川はこういう状態です。サントドミンゴ市は市の東側のオサマ川と西側のハイナ川(この河口には大きな港があり日本からの貨物はここに到着します)と2つの河川で囲まれていますが市上部の住宅地や工業地を流れるイサベラ川がオサマ川に合流していますので大半の降雨はここに流れますのでこの流域はこういう状態です。年間を通して降雨はありますが5月から10月は多く、またハリケーンも上陸します。そういう時は淡い黄土色の川ではなく泥色に染まります。経済成長にインフラ整備が付いていってない現状と考えます。

(Panoramioから写真引用)

 さて旧市街に戻ります。スペイン広場の海岸側のオサマ川岸に日時計がありました。その正面にこの建物はあります。ラス・カサス・レアルLas Casas Realesと言いコロンブスが発見した1,492年から英国、仏国や蘭国のカリブの海賊の侵攻をを受け、フランスがこの島の西部に侵入しスペインから侵入地域の割譲を受けその後1,795年に占領しました。1,804年にハイチが独立しハイチの支配下であった1,821年までの約330年間歴代の総督が住んでいた官邸で現在は有料の博物館となっております。ドミニカ共和国のハイチからの独立は1,844年2月27日です。空港からのラス・アメリカス道路がオサマ川を渡ってサントドミンゴ市街地に入り第二の都市サンチャゴ市に行くドウワルテ高速道路までの区間は街の幹線道路で2月27日通りとなっております。この博物館はコロンブスの大西洋航路を示す大きなパネル、帆船の模型や当時の日用品が展示されております。武器の部屋には何故だかその当時交流のなかった日本の甲冑や刀がありこれらはメキシコ人から買い集めた物と言われています。

(Panoramioから写真引用)

 日時計や王宮博物館から一区画ラス・ダマス通りを海岸方向に歩いた右側にあるパンテオンです。1,714年建造の教会で1,955年に現在のパンテオンとなり歴代の総督、大統領や国民的英雄が安置されております。衛兵の交替式が2時間おきに行われ見学はFREEです。この燃えている灯り絶える事は有りません。

(Panoramioから写真引用)

 パンテオンから一区画海岸通りに行ったオサマ川岸に建っております「オサマ砦」です。コロンブス家に変わりこの地を統治したニコラス・デ・オバンド総督が1,505年から1,507年にかけてカリブの海賊達から守るために築いた要塞で、写真は見張り用の建屋です。有料で上まで登ればオサマ河口やサントドミンゴ港を一望に見下ろせます。

(Panoramioから写真引用)

 日時計のある場所からオサマ川越に対岸を見ると、何やら巨大な白い建物がそびえております。先に掲載したように1,992年はコロンブスがこの島を発見して500年キント・センテナリオにあたります。その記念行事で6年の工期にて完成させた全長240m、幅50m、高さ30mの巨大な十字架の形をしたピラミッド風の建物です。この建物には夜になると面白い仕掛けが現れます。何でしょうか?次回紹介いたします。

(Panaramioから写真引用)

意欲に燃えたコロンブスが最初に発見した島、ドミニカ共和国

2009-03-12 00:05:30 | ドミニカ共和国
 この色をマリーンブルーと呼ぶのでしょう。この海は海賊で御馴染みの「カリブ海」です。この陸が突き出た半島がラス・アメリカス国際空港です。ここはコロンブスの第一回航海(1,492年)に発見されたイスパニョーラ島の右側2/3を占めるドミニカ共和国です。ドミニカ国と言うのもここカリブ海にありますのでドミニカ共和国と必ず言います。またサミー・ソーサーやペドロ・マルチネス等大リーグ野球選手を多く輩出した国でもあります。カリブ海の国ではキューバに次ぐ2番目に大きな島で、ドミニカ共和国自体は九州と沖縄を足した約48,500km2の大きさです。
 上記の様な由緒のある歴史の街、美しい海に囲まれたビーチリゾート地及びメレンゲの喧騒なダンスに象徴される陽気な人々が暮らす国なのです。


 他のラテン国同様、スペイン人が築いた旧市街と新市街とに区別されます。コロンブスは1,493年の第二回航海で島の北西部にラ・イサベラと最初の町を造り、彼の黄金を求めての探検が始まるのです。当初、彼らはスペイン国から西に行き黄金の国ジパング(日本)を求めバハマ諸島→キューバ→イスパニョーラ島に辿り着き、原住民が金の装身具を着けていたことからここをジパングと確信したと言われています。今でもカリブ海の地方を「西インド諸島」と言うのはコロンブスは西回り航海でインドを目指し現在のアメリカ大陸を発見し、そこをインドと思い込んだ事により由来すると言います。し又、そこの原住民をインディアンと名づけたとも言います。この写真は平たく言えば”ガッツポーズ”して「新大陸方向」を指差し、旧市街の大聖堂前のコロンブス公園の中央に鎮座するコロンブス像です。後方の教会が1,540年に完成した新大陸最初の教会でサントドミンゴ大聖堂です。

(Panoramioから写真引用)

 旧市街はカリブ海と空港からサントドミンゴの市街地に入る手前のオサマ川河口との一角に位置します。そのマレコンと呼ばれる海岸通りから見た東(空港)側の日の出です。写真中央の建造物はオサマ川河口東側の突端に立つサン・スーシーの灯台です。


 マレコン(海岸通り)と旧市街の境目に立つオベリスクです。この壁面の図柄は他の国とは異なっていますし、時々柄も変わります。陽気なお国柄であまりランドマークにはしていない様子です。


 1,492年から500年過ぎた1,992年に企画されその後建造されたマレコンに建つ「V Centenario」=キント・センテナリオ=5世紀 と言う名のホテルです。ドミニカ共和国にはラスベガス同様のカジノがあり海岸通りの高級ホテルは全てカジノを備えております。


 マレコン(海岸通り)です。道路を隔てて高級ホテル、ショッピングセンターやレストランが立ち並びます。海側はこのように遊歩道になっており途中にレストランもあり落ち着いて海を見歩きできるようになっています。


 旧市街のスペイン広場のオサマ川側(東側)に建つ「アルカサール」Alcazar de Colon です。コロンブスは1,496年に弟のバルトロメを臨時総督に任命し帰国しました。バルトロメは同年に新都ヌエバ・イサベラをオサマ川対岸(東側)に建設しましたが、1,502年のハリケーンで破壊され、また色々な諸問題が生じて新総督ニコラス・デ・オバンドに交替し、オバンドがここオサマ川西側に新都を造り直しました。アルカサールは1,496年にコロンブスの息子ディエゴが私邸として造らせた館で、全て石造建築であり、現在は博物館になっておりディエゴが使った家具等が有料で閲覧が出来ます。スペイン広場の中央にはニコラス・デ・オバンドの像が建っております。

(Panoramioから写真引用)

 スペイン広場の海岸側に建つ新大陸最初の日時計です。この前の通りはLas Damas ラス・ダマス=淑女と言い、当時、鮮やかな装いをした女性が往来したことから由来しています。オサマ河岸は要塞になっており、このように大砲が今も残されております。

(Panoramioから写真引用)