土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

世界最大「ウユニ塩湖」

2011-08-29 05:01:47 | ボリビア(2nd)
 立春も過ぎ、春一番も吹き去り、夜は冷え込んできました。
「花冷え」と言うのでしょうか。
 そうであるなら、早く「白い街」へ下りなければ
一年間待った大好きな「ジャカランダの花」が散ってしまいます。
 ・・・・・・・・・・
 8月6日はボリビアの独立記念日で6,7日に、天空都市から約200kmに
位置する世界最大の「ウユニ塩湖」に行ってきました。
 ウユニ側は未舗装のため、車で約4時間かかります。が、
道中の景色は素晴らしく、また、牧歌的で、心ウキウキの道程でした。
 天空都市には見られない、「ビクーニャ」にも遭遇しました。
 「ビクーニャ」はリャマを小型にしたものですが、
リャマよりも容姿は端麗です。
 アンデス山脈の約4,000m~5,000mに棲息し、その体毛から作る
ウールは「神が与えた糸」と言われ、最高級の繊維です。
 蛇足ですが私のマフラーはアルパカ製で、約50US$で購入しましたが
ビクーニャのそれですと多分500US$はすると思います。
 ・・・・・・・・・・
 さて、ウユニ塩湖ですが面積は約120km x 100km =12,000km2あります。
 標高は富士山とほぼ同じです。その面積を例えれば、
東京都、千葉県、神奈川県と埼玉県の半分を足した広さです。
 見渡す限り真っ白な塩原で雪原と見間違うほどです。し、
雪同様太陽の照り返しが強くUV対策が必要となります。
 ・・・・・・・・・・
 ここは大平原(アルティプラーノと言います)で、その全域の標高差が
たったの「1m未満」≒ フラットであり、地平線が見渡され、
また、この塩湖に注ぎ込むおよび流出する河川がなく、

(注)この文言、どこかで使いましたよね。
 記憶していますか。世界一最低地ヨルダンの「死海」です。
 ここも流出する河川がなく水が蒸発し海水の塩分濃度が高く
寝ながら本を読めると、 記憶にあります。参照してください。
 多分「モーゼ終焉の地ネボ山」です。ネボ山から死海に行きました。
 ただし「死海」は流入する河川があるので塩湖にはなりません。
 
雨季にはどこまでも果てしなく降雨は滞水します。
 その時期には、よく言う「逆さ富士」で、湖面が鏡になり、
湖面を境に対象物が対称形になります。
 雨季は2月~4月ですが、今回はそのほんの一部、見れました。
 というのは、
 塩湖の入り口付近で塩を採取していますので、その一帯が掘削され
低くなっており滞水していたからです。
 ・・・・・・・・・・ 
 この塩湖の形成は
 アンデス山脈の隆起により大量の海水が上記河川のない、
大平原に溜まり、天空都市同様に乾燥したおよび太陽の熱射により、
水が蒸発し、塩分だけが残留したからです。
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 ところが、近年、希少鉱物(レアメタル)「リチウム」が発掘され、
世界から注目を集めています。
 その量は世界の埋蔵量の約50%以上あると推定されています。
「リチウム」からできる「リチウム電池」はガソリンに替わる
新しい「動力源」になるからです。
 しかも、鉱物ですので環境に優しく、所謂「クリーンエネルギー」です。
 ・・・・・・・・・・
 今では「ニッケル電池」や「水素電池」とガソリンとを動力源とした
ハイブリッドカーはありますが、「リチウム電池」は、
それのみで「動力源」になります。
 まさに、次世代のエネルギーなのです。
 ・・・・・・・・・・
 何はともあれ、ウユニの旅に行きましょう。




 天空都市から約50km地点。この付近は断層になっており崖がそそり立っています。


 同上


 以前は天空都市とウユニまでの鉄道はあったのですが、現在は廃線です。
 ただこの先20kmところにPORCO鉱山がありそこと天空都市への貨物列車は走っています。


 同上、落石防護工など施されていません。

 同上。道床は土です。通常はバラスト(一定の粒径の砕石)をいれ、
 クッションにします。さぞかし乗り心地が悪いでしょうね。
 通常カーブ部分は脱線防止に安全レール、また私が立っているところは
 踏切なのですので、ここも安全レールがなくては、レールの破損につながります。
 大型の通行車両も少ないので、破損したときにメンテするのでしょうねー。
 真相はお金がないからです。

 同上、高山を走る列車。機関車は当然ディーゼルです。
 時速15kmくらいでしょうか。私が走れば多分、追い越せます。

 
 途中のアドベ造りの家。この街道はウユニまですべて、この造りです。

 
 リャマたちが車道を横切りますので、一時停車が原則です。
 農民たちの貴重な生活資源なのです。

 牛たちも貴重な生活資源です。


 これは水辺で草をはぐくむリャマです。

 これです。アンデスの希少動物。「ビクーニャ」

 同上

 同上


 ウユニ駅です。

 同上

 同上。この台車みたいなのは手動式メンテ車です。
 人力で上部の棒を動かし車輪を回転させます。

 列車時刻表です。上方のSALIDAは「出発」LLEGAは「到着」です。
 下方は左から「列車名」、「列車等級」、「運賃表」です。
 ここから、チリ国境やアルゼンチンの国境に行けるのですね。
 上の表から真夜中出発で朝に到着します。景色は期待できませんし
 列車の中は凍りつくような寒さでしょうね。

 多分この列車が「EJECUTIVO」で上級車でしょうね。
 バラスト道床でした。でも枕木が見えません。
 「遊間=レール間の継ぎ目の隙間=これは気温の差により、調整するようになっています。
 レールが曲がったり、隙間ができたりでガタンガタンとします。
 多分「ボロ隠し」と考えますが。


 ウユニ塩湖の入り口200m手前に到着です。
 塩でできたホテルがあり、その内部です。壁、床と天井すべて塩造りです。

 同上

 同上。でもテレビやINTERNET接続はなく、ただ寝るだけです。


 ここが塩湖の入り口です。滞水しているには塩を採取したからです。

 同上、遠くに採取した約1mの高さの塩の小山が見えます。

 さー出発します。水がありますので、4輪駆動車でないと無理です。

 同上

 これぞ逆さ富士です。雨季には絶句するほど素晴らしい景色と聞きます。

 採取された塩。

 同上

 同上

 人力でトラックに積込み運搬します。

 どこまでも塩原が続きます。雨季は雲や遠くの山が「逆さ富士」になります。

 塩湖の中に建物があります。唯一のホテルです。

 ここも椅子、テーブルおよびベッドも塩造りです。

 同上

 世界中から来る旅行者はここで一休みします。
 車には調理道具一式と食料品を積み込んであります。

 塩の上で遊ぶ子供たち。

 同上、遠くの山の雪を持ち上げてる大人。


 さーさらに奥に行きましょう。雨季はさぞぞかし・・・・・・。
 想像してください湖面が鏡となり湖面上のものがすべて対称形で見れるのです。

 同上

 何やら島が見えてきました。何の形に見えますか。
 私はクジラだと思いましたか、現地人ガイドは「魚」と答えました。
 なぜかと言うとこの島の名前は「魚の島」=Isla de Pesca と言うからだそうです。

 なんだか無数に突っ立っているものが見えます。
 何でしょうね。

 サボテンです。「魚の島」ならず「サボテンの島」です。

 同上。しかもどれも巨大です。

 同上

 これで優に3mはあります。

 この魚の島の高さは約50mくらいです。上ってみましょう。
 途中から塩湖を撮りました。

 これは4mくらいあります。子供をおんぶしているようです。

 途中からの風景。

 指みたいなサボテン

 途中からの風景

 同上

 頂上からの風景

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 さー、下りましょう。下り口は上りとは違う経路です。
 なんと素晴らしい景色なのでしょうか。

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 きわめて高いサボテンがありました。7-8mはあります。
 後述しますが1mは100年経過していますので700-800年です。

 親子サボテン、また見つけました。

 まさしく火山岩です。

 このサボテンは9mあります。
 その根元に看板があり、そう書いてあります。

 「9mあり約900年経過している」と書いてあります。

 途中から見る風景。

 同上

 塩湖上に到着。リャマが迎えてくれました。

 テーブルはすべて塩造りです。ここに管理小屋や展示場があります。

 さー美しい風景を見ながら戻ります。

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上。塩の小山が見れると塩湖の入り口です。

 同上


 

 

 「花冷え」 冒頭に記述しました。 
 8月24日に「白い街」へ下りました。
 待ちに待っていた「ジャカランダ」の花は半分以上
散っていました。あと一週間早ければと惜しまれてなりません。
















 ここのジャカランダ並木は覚えています。下記見てください

 初々しい新郎新婦が祝福されていた小さな教会です。
 その右側に上記がありました。

 カテドラルの前も散っていました。

 天空都市への帰り際に見つけました。

 ありました。



 おまけです
「はみ出た看板」と写真屋に群がるインディヘナの山高帽を被った女性たち。





 おまけです 2.
 天空都市に戻る途中、国道を封鎖しカーレースが催しされていました。






 LLEGADA=到着=Goalです。


 次回からの掲載予告
 1.エッフェル塔、パリ交通事情、ベルサイユ宮殿、モン・サン・ミシェル修道院
 2.ボリビア、天空都市、高原都市コチャバンバ市
 3.チリ・サンチャゴ市
 4.バルセロナ、ガウディの傑作 サグラダ・ファミリア聖堂、他
 5.ベルギー、オランダ
 6.ドイツ ケルン大聖堂およびハンブルグ
 7.マドリッド、南部アルハンブラ宮殿 
 

エトワール凱旋門ーシャンジェリゼーチュイルリー公園ーカルーゼル凱旋門

2011-08-06 13:05:20 | パリ(,France)
 標題は、パリにおける数々の歴史の舞台となった
建造物、記念碑、美術館や公園(以前は宮殿)が存在し、
清楚な佇まいを醸し出しており、歴史を感じさせる
パリならではの場所です。
・・・・・・・・・・
 それゆえ「パリの歴史の軸通り」とも呼称されています。
・・・・・・・・・・
 ルーブル美術館(以前は宮殿)の中庭「カルーゼル凱旋門」
→チュイルリー公園(以前は宮殿)→コンコルド広場
→シャンゼリゼ大通り→エトワール凱旋門(通常に凱旋門と
言うとここを指します)→大陸軍大通り→セーヌ川を渡り
近代都市ラ・デファンスのグランド・アルシュ(新凱旋門と言っています)
までの一直線で約8kmの区間です。
・・・・・・・・・・
 ルーブル宮は「コ」の字型に3つの宮殿からなり、
北側をリシュリュー宮、中央をシュリー宮で南側をドノン宮と呼ぶ。
 上記「歴史の軸」は一直線で、基軸の左右は対称の建築物が
配置されています。が不思議な事に「コ」の字型のルーブル宮は
歪になっています。
 正面から見ると分かりませんが、上空から見ると
中央棟と南棟は約6°20′南西に傾いており
北棟のリシュリューだけが基軸と平行です。
 きっと当時の測量のミスと考えられますが・・・・・・。
 それゆえに西端のラ・デフェンスの新凱旋門を同角度に傾け
恰好を整え「歴史の軸」を帰結させたと考えられています。

 なんと「粋な計らい」なんでしょうか。

 閑話休題、
 シャンゼリゼ大通りは朝9:00から車の大渋滞で、
時代の急速な流れを感じます。 が、
道路の側道部分はマロニエの並木となっており、それを境に
大遊歩道が緩やかの勾配を持った車道の両側にあり、
そこには、カフェテラスや数々の有名な商業店舗が並んでいます。
・・・・・・・・・・
 この遊歩道は並木で隔離されているため、独特の優雅な環境を
造りだしており、そこにいるだけで気分が爽やかになるようです。
 それは古い建物のショウウインドウに陳列された洗練された商品や
(商品と言うより展示品のほうが的確な表現かもしれません)
歩道にせり出したカフェテラスで、ゆったりと飲むカフェや
その前を洗練された着こなしで歩く「紳士淑女」を見るにつけ
その優雅な雰囲気は、以前とあまり変わっていないように
感じ取れるからだと思います。また、
 屋根やテラスの色はフランス国旗トリコロールの赤、青と白に
統一されているのも整然差を感じさせます。
・・・・・・・・・・
 さて、パリは20区あり、元は王宮だったルーブルを1区とし
北側に2区とそれから時計回りに渦を巻きながら配置されています。
 凱旋門(高さ49.54m)より高いビルを建てるのは「条例で禁止」
されていると聞いております。
 それゆえ地形上丘の上に建てた凱旋門の屋上からは
パリ市街20区をすべて見渡すことができます。
・・・・・・・・・・
 なにはともあれ、まず、凱旋門に上り、市街地を360°見渡してみましょう。





 コンコルド広場から望むシャンゼリゼ大通りと
エトワール凱旋門。マロニエの木は「角刈り」されています。
 エトワール凱旋門のアーチの中に新凱旋門が見えます。

 
 エトワール凱旋門(以降「凱旋門」と呼ぶ)。エトワールとは仏語で「星」の意味です。
 現在12本の道路が放射線状に出ていますが、以前は5本の道路でした。
 そこからエトワール広場となずけられました。
 現在はシャルル・ド・ゴール広場と改名されています。


 ナポレオン(ボナパルト)の凱旋を記念し1、806年工事が開始され
 ナポレオン失脚後工事は中断し1,832年から再開し1,836に完成されました。
 ナポレオンは1、821年にイギリス領南大西洋の孤島セントヘレナで死去、
そのために凱旋門の完成は見ることができませんでした。
が、1,840年遺骨となり帰還しこの門をくぐったのです。


 高さは49.54m、横幅は44.82mあります。


 左右の柱には彫刻が施されています。それぞれに意味があります。
 1,810年の勝利で、勝利の女神から桂冠を授かるナポレオンです。


 これは「義勇軍の出陣」を描いており1,792年祖国の危機を救うため
 マルセイユからやってきた兵士たちです。
 兵士たちは「ラ・マルセイユ」を歌いながら行進してきたのです。
 この勇ましい歌「ラ・マルセイユ」がフランスの国歌となっています。 


 1,890年アブキールの戦いでトルコ軍に勝利したもの。


 「マルソー将軍の葬儀」ナポレオンがイタリア遠征時の将軍。1,896年戦死した。


 最上段に並ぶ丸型の模様の盾は、ナポレオンが勝利した戦いの名前が刻印されている。


 さあー、屋上に上りましょう。この螺旋階段は上まで284段あります。
 朝10:00から開門でもう100人前後の観光客が並んでいました。
 天空都市で鍛えた成果で休んでいる人を追い越し、
息せくことなく一気に上りました。


 凱旋門に向かって立つ建物は同じデザインの建築物にて統一されています。
 それゆえ一見するとどこの通りか迷ってしまいます。
 これは東側方向、シャンゼリゼ大通りです。
 遊歩道が広くカフェテラスがセリ出ており、
 遠くにコンコルド広場のオベリスクがみえます。
 シャンゼリゼ大通りは約2kmの長さです。
 朝の10:00ちょっとすぎですか車道は渋滞です。  


 オベリスクとルーブル宮を撮りました。


 右下のドーム状のガラスの屋根は1,990年のパリ万博のメイン会場として建てられた
グラン・パレ国立ギャラリーです。左がルーブル宮で右奥はノートルダム大寺院です。


 カメラアングルを右側(南東側)に振りました。
 左側の黒いビルは駅周辺再開発にて建てられたモンパルナス・タワービル。
 右側は(南側)はご存じのエッフェルタワーです。(後日詳しく掲載します。)


 同上


 モンパルナスタワーの大写し。59階建てです。
 金色に輝くドームはアンヴァリッドと言い、ルイ14世が負傷兵の
収容設備として建てたものです。ナポレオンの墓所としても有名です。


 エッフェル塔です。

 晴れた日に撮ったエッフェル塔。


 右に振りました。街路樹はマロニエとプラタナスで時々菩提樹も見受けられます。


 さらに右へ。フランスが生んだ大作家ヴィクトル・ユーゴ通りです。


 さらに右へ。フォシュ大通りです。突き当りが広大なブローニュの森です。


 凱旋門のシャンゼリゼ大通りとは反対側の大陸軍大通りです。
 遠くに見えるのが近代都市ラ・デファンス地区です。
 中央に見える大きな門がグランド・アルシュです。
 これは、新凱旋門と言っていますが、正確には
凱旋門ではありません。パリには他、4つの凱旋門があります。


 上記大写し。基軸に対して傾いています。


 凱旋門の下方から大陸軍大通りを見ています。この先にラ・デファンス地区が見えます。


 凱旋門を大陸軍大通りから撮っています。
 凱旋門に行く道はこの地下道と、反対側の地下道だけです。
 シャルル・ド・ゴール広場は車の往来が激しく横断は至難の業です。

 
 右に振りました。


 同上 

 
 遠くの小高い丘の上に何か見えます。


 モンマルトル丘にあるサクレ・クール寺院です。


 これで一回りです。


 凱旋門前の中央分離帯からコンコルド広場を望む。
 シャンゼリゼ大通りは渋滞です。


 同上、奥にはルーブル宮が見えます。


 同上


 同上。逆向きに撮っています。


 シャンゼリゼの大遊歩道。


 同上


 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上


 同上


 同上逆向き


 マロニエ並木


 マロニエ大写し。5月は白やピンクの花が咲きます。


 もうすぐコンコルド広場です。


 コンコルド広場のオベリスクが見えてきました。
 凱旋門から約2km地点です。


 上記の場所から斜向かいのグラン・パレ国立ギャラリーを見ています。


 同上シャンゼリゼ大通りを見ています。


 コンコルド広場からシャンゼリゼを見ています。


 コンコルド広場の中央にはエジプトから贈られた神聖文字が浮かび上がる
オベリスクがあります。先回掲載したようにフランス革命時は
ルイ16世やマリアントワネットへの斬首が行われた刑場でもあります。
 1,795年コンコルド広場と名づけられました。


 広場はオベリスクを中心に左右に噴水が設けられている。


 オベリスクからシャンゼリゼ大通りを望む。


 同上


 同上


 オベリスクから東側ルーブル宮を望む。
 池がある場所はチュイルリー公園。歴史の基軸を挟み
すべてが左右対称に造られています。


 チュイルリー公園。木も左右対称に植えられています。


 チュイルリー公園からオベリスクと凱旋門を望む。


 同上、ルーブル宮を望む。


 カルーゼル凱旋門からチュイルリー公園を望む。
 左右対称に配置されています。


 先回掲載したカルーゼル凱旋門の後ろ側。


 同上


 ルーブル美術館。左右対称に見える。ピラミッドが基軸上です。
 これも基軸からは同角度傾いています。


 北側リシュリュー宮です。


 南側のドノン宮です。左右対称に造られています。


 さて、コンコルド広場に戻ってきました。
 基軸に対して直交する道路があります。
 中央にはギリシャの神殿を思わせる建物があります。
 1,842年建造のマドレーヌ寺院です。


 同上


 2枚上の写真の左側の建物は改装中です。
 竣工図(絵)が描かれていました。


 マドレーヌ寺院とコンコルド広場を通して反対側=南側には
マドレーヌ寺院にそっくりなブルボン宮(国会議事堂)があります。


 同上。


 ブルボン宮の東側にはオルセー美術館があり
ミレーの「晩鐘」、クールベの「画家のアトリエ」マネ、
ルノワール、ゴッホやゴーギャン等の傑作が展示されています。


 コンコルド広場とマドレーヌ寺院の間に先回掲載したリヴォリ通りがあり
そこをルーブル美術館の北側棟リシュリュー宮=チュイルリー公園の北側へ歩いていくと
左側にブロンズ色の円柱の記念碑が見られる。


 同上。ここがパリでも特に美しい広場、ヴァンドームである。
 中央の記念碑はナポレオンがオステルリッツにおける三帝会戦の勝利を記念し
ロシア軍から奪った大砲133砲をつぶし造られたと伝えられている。
 頂上にはローマの方向を向いたナポレオン像がある。


 同上。ナポレオン像


 同上。台座


 同上。円柱


 広場の周囲は世界でも著名な高級ホテルや高級店舗で囲まれています。


 その高級店舗の壁にショパンが住んだ家があり
その壁に フレデリック・フランソワ・ショパン
1,810年2月22日 ポーランド・ジェラゾヴァ・ヴォラに生まれ
1,849年10月17日 ここの住居にて死す。(多分そう書いてあると思います)


 ヴァンドーム広場をさらに北に行く通り(平和通り)から
ヴァンドーム広場とチュイルリー公園を望む。


 上記をさらに北に行くとパレ・ガルニエ=音楽、舞踏の殿堂「オペラ座」に当たる。


 同上。


 同上。


 オペラ座の前のオペラ通りからルーブルのリシュリュー棟を望む。


 オペラ通りからリシュリュー棟への途中に奥行きの長い教会が
目についた。サン・ロック教会でなんと1,653年に工事が開始され
途中資金がショートし中断し1,719年に完工した。


 バロック様式の丸天井。


 天井の絵画が見事でした。


 リヴォリ通りのリシュリュー棟に出ました。


 リシュリュー棟の角はチュイルリー公園を横切りセーヌ川に続いており
そのコーナーに金色に光る騎馬像があります。


 何か女性のような容姿です。誰でしょうか?


 オルレアンの乙女=ジャンヌダルク です。


 
 

天空都市(12)「天空都市」に戻る

2011-08-01 06:48:15 | ボリビア(2nd)
 空は果てしなく高く、薄い青色のベールにて
見渡す限りどこまでもどこまでも広がっています。
 春に向けて空は、次第次第に鮮やかな青色に模様替えをしていこうと
しております。
 もうすぐ立春を迎え、徐々に風が吹いてきました。
 春一番の到来もまじかのようです。
・・・・・・・・・・
 降雨は一滴もなく、寒さは峠を越したとは言え、
吹く風は、凍てつき、射すように体にしみてきます。
 空気は乾燥し運動しても汗は出ず、車のドアに触れるたびに
ビリツーとします。
 日中の気温はは15℃で行き来し、陽ざしの中では快適な状況ですが、
いったん日陰に入ると、アルパカのマフラーをしておかないと
凍てつくような寒さです。
・・・・・・・・・・
 天空都市はいつもと同じ百代の過客のように、時はゆっくりと流れ
街ゆく人は相変わらず寡黙で、車のタイヤが時折、石畳の舗道に擦れて
軋んだ音を奏でて通り過ぎていきます。
・・・・・・・・・・
 文明の発達した国から戻ると、停電やら断水やら日常茶飯事で
生活環境の利便性ははるかに劣りますが、それゆえ、
それに対処するため、生活の知恵を出し合って生きている
人々の温かさや優しさをはるかに感じます。
・・・・・・・・・・
 さして生活物資もないこの街の暮らしは本当に質素です。
 時折、ここの人たちは民族衣装を身にまとい、楽器を奏で
街を踊りながらかけて行きます。
 何もないここでは歌と踊りは自然に習得するように思います。
・・・・・・・・・・
 フォルクローレ(南米アンデス地方のフォークソング「コンドルは飛んでいく」に
代表される)の店からは、ケーナ、チャランゴやサンポーニャの音色が聞こえ
シンガニ(ぶどうで作った焼酎)を片手に、何とも言えない「哀しい旋律」に
人々は耳を傾けています。
・・・・・・・・・・
 平凡に見える平凡な毎日ですけど一生懸命に生きてる実感が感じとられます。
・・・・・・・・・・
 今晩は、私がここでお世話になっている上下水道公社建屋の落成式で
プラサ(中央公園)近くに来ています。
 ボリビアではつと有名な歌手が招待され、ラテン音楽=愛の歌を
ギターを抱え、男ながらも甘い声で熱唱していました。
・・・・・・・・・・
 屋上に上れば満天の星空で、教会はイルミネーションに飾られ
夜空に輝き、「宝の山」もイルミネーションが施され、美しい
稜線が描き出されていました。
・・・・・・・・・・
 この街にいるとなぜだか感傷的になります。
 酸素濃度は薄いのですが、それを補って余りある美しい自然や
擦れていない純粋な心を持った人々の温くもりがここにはありました。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・ 
 つい室生犀星のあの詩が思われます。
「故郷は遠きにありて想うもの」
 遠い遠い日本の炭鉱の街の故郷や、
 千葉の利根川沿いの
いまだに自然が息づく佐倉や佐原のにおいがしています。







 エルアルト国際空港標高4,070mに到着。
 空は少し曇っていました。


 機中からみたイリマニ山標高6,402m。


 1543年に建造のラパスのランドマーク「サン・フランシスコ教会」


 ラパスの街並み。標高3,650mの世界一最高所の首都で
バレーボールに興じる学生。


 昔懐かしい「ポンポン菓子」売り。時々つまみ食いをしていました。


 エル・プラド大通り。


 翌日は快晴でした。
 ビルの谷間からイリマニ山を望む。


 同上 


 同上


 貧困者は酸素の薄い崖に張り付いて生活しています。



 同上


 溶けているようなこの建物はカーテンウオールで
下方の景色が窓に映っています。


 さあー 「白い街」へ到着しました。ここは憲法上の首都で、
1825年に独立宣言がここでなされました。
 今週8月6日はボリビアの独立記念日です。
 飛行機の昇降タラップを手押ししています。


 荷物の台車もです。


 同上


 中央公園に立つ「カテドラル」


 中央公園


 サン・フランシスコ教会


 「白い街」から「天空都市」へ向かいます。
 途中、道路が通行止めされていました。


 タンクローリー車がカーブを曲がりきれず
空荷のタンクが投げ出されています。
 幸いに対向車がいなく大惨事ではないようです。


 牛の売買がなされています。
 牛だけではなくリャマもそうです。


 アンデスの山々。


 同上。リャマも希少な草を探して食べています。


 同上


 同上


 同上


 岩石からの湧水に覆いかぶさる氷柱。


 同上


 奇岩群


 同上


 同上


 同上


 同上


 同上


 同上


 同上


 同上


 同上


 同上


 「宝の山」が見えてきました。


 街中心部のカテドラル。


 同上


 ラ・カンパニーアデヘスス教会と
その右横の白い建物が「旧国立造幣局」


 サン・フランシスコ寺院


 「宝の山」


 このアーチ門の向う側が植民地で、
こちら側に征服者の住居が立ち並ぶ。


 アーチ門をくぐり「宝の山」を望む。


 市街地


 同上


 同上


 天空都市から約40km離れた鉱山に行く貨物列車。
 以前はここから世界最大のウユニ塩湖まで貨車が運行されていたが
道路が舗装され廃線となっている。


 民族衣装をきた子供たちの踊り。


 同上


 フォルクローレのお店。

 
 左がケーナ(縦笛)でその右がサンポーニャ。


 落成式。正面の壁からは水が落ちている。


 愛の歌を熱唱する歌手。


 同上


 夜のサント・ドミンゴ教会 


 ラ・コンパニーアデヘスス教会


 サント・ドミンゴ教会


 サン・フランシスコ教会


 カテドラルは現在、改装中です。


 「宝の山」