土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

わぁ サボテンが・・・(2)

2011-10-23 04:46:05 | ボリビア(2nd)
 ここのところ、晴れたり、曇ったりそして少雨だったり
天候が二転三転しています。・・・と、先週申し上げました。
 今週も同様ですが二進一退し本格的な春を迎えているようです。

 「宝の山」も大きな雲がかかったり、青空だったりしています。
 現地時間20日は雲がかかっておりました。19日は晴れで、18日は少雨でした。

 何か胸が騒ぎます。

 行きました。

 ・・・・・・・・・・

 先週、咲いていた2つと半分の花は萎んでいました。

 やっぱりパッと咲かせてパッと散るのでしょうか。

 せっかく何十年間?かけて頑張って咲いたのに、

 何で、何で、自分をもっと鼓舞しないのでしょう?

 何で、何で、慎ましく、慎ましくふるまうのでしょう?。

  
 前置きはさておき、

 ところが!!!!!

 以前咲いていた同じサボテンに接した裏側に

 新たに2つ咲き、さらに新しい蕾が2つ芽生えていました。

 こんな岩だらけで、草木の生えない広大なアンデスの荒野の中に

 ひっそりとその美しい白い花を新たに咲かせていたのです。

 すごい生命力です。

 崇高な感じがします。

 ・・・・・・・・・・

 昔、 昔の  「竹取物語=かぐや姫」が思い出されました。

 その咲いてた花は、きっと、ここ天空都市の銀河の中に帰って行ったのでしょう?

 ・・・・・・・・・・

 一瞬だけでも逢わせてくれて、

 本当に「ありがとう」

 ・・・・・・・・・・

 
 来年はここにはこれないが、きっと他国で、このような

 美しい、光輝く、透き通った、白い花に出会えることをお願いしました。




 天空都市にも大きな白い雲がかかっています。

 同上、カメラアングルを右に振りました。
 「宝の山」にも大きな雲がかかっています。

 このアーチ門は観光スポットです。
 アーチの中に「宝の山」入れて撮影します。
 ここの観光ガイドブックには必ず紹介されています。
 このアーチの宝の山側が征服者時代の植民地でした。
 宝の山の鉱山労働者が住んでいました。

 アーチ門をくぐり、植民地と「宝の山」を見ています。



 昨年白い花をつけたサボテンは相変わらず
 花が咲く気配がありません。

 が、咲いてもよそうそうな感じです。私の感じです。


 
 見つけました。出会いました。後述、先週の花はしぼみ
 その裏側に2輪咲いていたのです。

 同上。先週の萎んだ花が左側に2つとその上1つ見えます。

 同上。近づいてみました。蕾も花も透き通って本当に崇高な美しさです。

 同上。苛酷な環境のなか、本当に健気に咲きます。
 周りの大きな岩の間に、ひっそりと。

 同上。言葉は要りません。
 見てください。その美しい容姿を。

 同上。

 同上



わぁ サボテンが・・・ 

2011-10-10 00:53:21 | ボリビア(2nd)
  ここのところ、晴れたり、曇ったり、少雨だったり
 天候が二転三転しております。
  吹く風は肌にやさしく温かく、青い透き通るような空と
 真っ白な雲が次第次第に見え始めてきました。
  確実に季節は春本番を迎えつつあります。

  昨日と本日、天空都市から約50km先のウユニ塩湖方面に
 行く機会に恵まれました。
  仕事で行ったのですが、内心は昨年に、岩石の中に
 白とピンクの可憐な花をつけていたサボテンが気になっていました。
 ・・・・・・・・・・
  道中、天空は青い空と白い大きな雲で覆われ、
 その青い空はどこまでも果てしなく突き抜けているようでした。
  昨年の10月もこのような天気の時に
 サボテンの可憐な花が咲いていたと記憶しています。

  でも、でも、
 昨年のピンクの花をつけていた約2m位の背丈のサボテンは
 無残にも朽ち落ちて倒れていました。そこから右方向に約100mにある
 以前、約1m位の透き通るような白い花をつけていたサボテンのところに行きました。
  それも今年はまだ開花する気配はありません。
  その蕾が見えないからそう考えます。

  ああー今年はサボテンには会えないのかぁ と
 もと来た道をゆっくりと戻り約2mの朽ちたサボテンの
 近くまで来ました。一旦、戻りかけて、名残惜しさに何気なく振り向き、
 その約3-40m先を見ました。
 (振り向きなさいと誰かが顔を押したように感じ自然に振り向いた気がします。)
 
  そしたら、そしたら、何かサボテンの上に白いものが見えるのです。
 「ひょっとしたら」とはやる気持ちで駆けて行きました。
 
  
  あったのですよ。見つけたのですよ。出会ったのですよ。
  あの可憐な白い花に。
 
  大きな岩石の横に、ひっそりと 可憐な白い花を一輪つけてたサボテンが・・・・・・。
  上記の2mの朽ちたサボテンの約30m谷側にです。
  大きな岩があり見落としていたのです。
 
  それは、本当に ひっそりと 目立たないように 咲いていました。

  こんなに美しい花を咲かせているのに、
 何でひっそり 咲いているのでしょうか?
 ・・・・・・・・・・
  白い街のジャカランダは「どうか私を見てくださ」と年に一度の晴れ姿を披露します。
  その紫色の花を鼓舞するかのように、枝を大きく伸ばし、空が隠れるほどに咲いて
 人々を楽しましてくれるのに。
 
  何でなんでここのサボテンはこのように自分を鼓舞しないのでしょうか?
  ・・・・・・・・・・
  ここは標高約4,250mあります。
  雪を抱いた5,000m超の山々が眼前にあります。

  厳しい、苛酷な 自然環境の中で必死に生き抜いてきたのです。
  本当に 必死で、必死に 生きているのでしょうね。 ここの人たちのように。

  じっと見つめていると花弁が風でゆれ垂れてありがとうと、
 「見つけてくれてありがとう」と言っているように感じました。
  本当に健気です。
 

  次の日、また行きました。
  なんと三輪の白い花が咲いて迎えてくれました。
  なんと美しいのでしょう。

  そういえば天空都市から白い街へ下りる途中に
 群生した約20cmの花弁をつけたサボテンを見たときも
 「美しい」と言う言葉が素直に出てきました。美しいのです。他の言葉は出てきません。
  次回はいつ下りれるかは未定ですが、彼女たちも人には知れず咲いているのでしょうか。
  ここ岩石の中のサボテンと同様に、毎年は同じサボテンに花は咲かないかもしてません。
  が、
  その 「気品に満ちた清楚で美しい」 容姿をもう一度見たいと願っています。
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
  私は、ここ天空都市、 酸素は少ないけれど
 純朴な人たちや、自然が豊かなこの街が大好きです。
  が、来年はいません。 去り難いけど致し方ありません。
 
 
  日曜日に教会に行き、キリストとマリアさまに 会えたことのお礼を言うとともに
 ぜひ下のサボテンにも会う機会を作ってください と お願いをしてきます。
 ・・・・・・・・・・
 


 さぁ 天空都市を出発します。「宝の山」の上も白い大きな雲が覆っています。
 空は青くどこまでも突き抜けているようです。 

 同上。青い空白い雲。

 同上

 同上。雲にも目が2つあるんですね。

 同上。中央の雲の境目の右側の雲の左端は 犬の顔ですよ。よーくご覧ください。ねぇ、そうでしょう。
 犬雲と言うんでしょうね。

 青い空白い雲アンデスの荒野の大地。

 同上。

 同上。

 同上。

 もうすぐ目的地に着きます。



 大きな岩の横にありました。

 高さ約1mで、親子連れです。
 水もない岩の中から母体は出てきています。
 以前も申しましたように1mで100年生きています。

 「美しい」ですね。この繊毛は棘です。他の動物から身を守ります。
 よってリャマも寄り付きません。

 蕾があと2つあります。いつ花を咲かすのでしょうか?

 上記大写し。純白な花弁は透き通っていて本当に美しい。

 同上

 こちらは昨年は白い花をつけていました。

 今年は咲かないようです。

 上記サボテンの前方は柱状節理の火山岩です。

 今にも落ちそうな不思議な岩がありました。

 同上大写し。バランスをよく保っていますね。

 そこにある青い空と白い雲。

 同上

 サボテンはこのように朽ちていきます。
 水分の補給が足りなかったのが原因と考えます。



 翌日行きました。

 なんだか白い花が増えたように見えます。

 三つ咲いていました。

 正確には2つと半分でしょうか。
 半分は明日咲くと思いますが。
 3日続けて標高4,250mで距離約50kmにいくのははさすがに息が切れます。
 来週行ってみたいと考えています。

 同上。

 さらに近づきました。

 同上。




 

栄華を尽くした「ヴェルサイユ宮殿」

2011-10-02 06:02:57 | パリ(,France)

                                                (ラトナの泉水)
 パリ市街地から南西方向に約25kmあり、車で約40分で行きます。
 電車で行く方法もありますが、最寄りの3駅から少し歩かなければなりません。
 ゆえに値段は高いのですが観光バスで行きました。

 宮殿の建物形状は 「凸」 になっており、
 それぞれ左側から 南翼殿、真ん中の突き出た部分を中央殿および北翼殿と呼びます。
 面積は800haでほぼ山手線の内側部と同じ広さです。

 建物内部はルイ14、15、16世および16世の王妃マリー・アントワネット
 により絢爛豪華に飾られ、それらの絵画、彫刻および家具調度品は、その当時、
 世界中から調達された最高級の材料および画家、建築家および造園技師により
 建造されました。

 また、宮殿前に広がる壮大な庭園(苑)には泉水、噴水、緑の絨毯のような芝生、
 数十万本の木々、庭園、運河および彫刻(像)があり、目を奪われるような光景です。

 中央棟の前から見るこれらの建造物は本当に素晴らしく一日そこにある階段に
 座り、眺めていても飽き足りないようです。
 ここに1日ボーとしていれば至福の時間が過ごせるようです。
 
 蛇足ですが、この文言もどこかで使いました。
 ペルーの「空中都市マチュピチュ」です。
 リャマの横でボーと眺めていました。 が、
 電車の時間があり(ホテルの数が少なく予約できませんでした)後ろ髪を
 ひかれる思いで立ち去りました。
 ・・・・・・・・・・
 造形美もそれはそれで素晴らしいのですが、
 やはり私は自然が、日々織りなす 山、川、天空、星、雲
 および 動、植物の 「自然美」のほうが、より感動を覚えます。

 閑話休題
 この壮大な庭園の自然も造られたものではありますが本当に素晴らしいものです。
 一方、宮殿の装飾品は贅沢の限りを尽くし、 以前に投稿したように、
 これらは国民の血税が使われており、この浪費がやがて1,789年7月14日の
 「フランス革命」につながって行き、王政は滅亡の道を招いたのです。
 同年10月5日暴徒化した民衆が怒涛のごとくヴェルサイユ宮殿に押し入り
 一切の傑作や調度品は持ち出されたいったのです。建物は残りました。

 さて、建造の歴史ですが
 1,623年 ルイ13世が狩猟用別邸として建造を命ず。
 1,661年 ルイ14世が最初の増築工事を着手。
 1,710年 宮殿内の礼拝堂の開会式。
 と、ここで主建造物は完成。それは、莫大な国費を注ぎ込み
 約半世紀に亘って造られたのです。
 そのごも修復作業は施工され1,966年ころいったん終了しました。

 私が訪ねたときは、ちょうど
 2,004年からさらに17年間かけての(2,020年までの予定)修復が行われていました。
 掲載写真は2,011年6月末のものです。

 
 なにはともあれ、ご覧ください。



 冒頭写真の大写しです。
 緑の絨毯、彫刻、運河および木々。
 「角刈り」および「左右を対称」に造るのは「フランス庭園」の特徴だと思います。
 著名なところはどこ行っても「角刈り」で「左右対称」です。


 上記写真の反対側に宮殿があります。
 外壁は落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
 建物内部は絢爛で豪華過ぎて、私はちょっと違和感を感じますが。
 今回で2回訪れました。3回目は庭園のみにしましょう。


 上記写真の南翼(写真右側)前に広がる「南の苑」


 同上


 中央棟の上記庭園に面した「鏡の回廊」
 長さ73m、幅10m、高さ12.5mあります。


 以上。プロローグ。 
 ・・・・・・・・・・

 さー中に入りましょう。
 正面入り口に鉄柵の門がまずあります。


 鉄柵門から反対側をみています。
 前に見える建物は厩舎です。
 往時は6,000頭の馬がいたそうです。


 上記鉄柵門をくぐると遠くに金色した門があります。
 舗道は石畳です。


 「王の格子門」と呼びます。
 何か崇高な外壁の建物とは調和してない感じがします。


 「王の格子門」をくくると「王の内庭」です。
 舗道は大理石張りに替わりました。修復中の建物が見えます。
 宮殿内建物の見学順路としては向かって右側の北翼→中央棟→南翼 or 庭園です。


 まず通されるのが「ヘラクレスの間」と呼ばれる
 15mx15mくらいの大きな部屋で、側面とや天井全面に彫刻や絵画が貼られています。
 柱はアカンサス模様のコリント様式です。その柱頭や柱脚は
 大理石や金箔の青銅が用いられています。
 天井画にも圧倒されます。


 円形浮彫には棍棒をもったヘラクレスが表されています。


 「ヘラクレスの間」次の間が礼拝堂の階上入り口で
 礼拝堂が見渡されます。
 ルイ16とマリー・アントワネットの結婚式はここで催しされました。
 当時ルイ16世は16才、マリー・アントワネットは14才だったと言います。
 この解説は無料のヘッドホーンを貸してくれ、
 日本語放送のダイヤルに合わせて聞いています。


 同上。天井画は目を見張る素晴らしいものでした。
 とにかく見学者が多く、彼らも写真を撮っていますので
 一所に立ち止れない状態です。


 礼拝堂から中央棟へ行くには先ほどの「ヘラクレスの間」を通ります。


 ここは「豊穣の間」とよばれ、奥に楕円形の円形浮彫の
 豪勢の像があります。


 豊穣の間の天井画です。


 「豊穣の間」の隣が「ウエヌスの間」です。
 ウエヌスとは「神々と精霊を支配に従える者」だそうです。
 ルイ14世の立像です。


 ルイ14世=太陽王の紋章です。


 「ウエヌスの間」の次が狩猟と航海の女神「ディアナの間」です。
  英語では「ダイアナ」です。


 ブルボン家の紋章アイリス=あやめ です。


 「戦争の間」の天井画。この位置が中央棟の北側端です。


 この赤い靴はいた人物こそ「ルイ14世」です。
 「アポロンの間」太陽神アポロンと同一化したといいます。


 上記からみた北の苑。


 同上 


 敵を打ち破り栄光の女神から冠を授けられる馬上のルイ14世の
 楕円形の浮彫。


 上記 鏡の回廊。


 鏡の回廊の中ほどにある「円窓の控えの間」
 下記「王の寝殿」の隣にあり、王の日常生活の延臣たちが
 起床の儀や就床の儀に参列すための部屋。
 ルイ14世はこのように細かなことでも儀式化したと言いいます。 


 「王の神殿」ルイ14世がここを寝所と改築しました。
 内庭と庭園に面した明るいところで、
 以前はルイ13世の、小さな城の大サロンでした。


 中央棟の左端=南翼側の「平和の間」右端の「戦争の間」と対をなしています。
 「戦争の間」は鏡の回廊中央部の「王の寝殿」への通路であり、ここは
 「王妃の寝殿」への通路をなしています。
 緑色大理石の暖炉の上の楕円形の絵の主は
 ヨーロッパに平和をもたらすルイ15世が描かれている。


 ここが「王妃の寝殿」です。
 カーテン、寝台・椅子の掛布は季節ごとに替えられたそうです。


 銀細工の食器が配された王妃の食卓。


 「王妃の貴族サロン」
 中央の肖像画はルイ15世。


 マリー・アントワネットと3人の子供たち。
 実際は4人で次女は1歳で逝去。長男と次男も7歳と10歳で逝去。
 残されたのは長女マリー・テレーズ王女のみでした。


 中央棟と南翼の接点が「載冠式の間」
 この絵画はナポレオン1世の載冠式であり
 これはルーブル宮にあるもののコピーです。
 この絵にはローマ法王ピオ7世に背負向けたナポレオンが描かれている。
 ナポレオンの支配力を示すものと言われている。


 上記の大写し



 さー庭園に出てみましょう。
 中央棟の左右に配置された池の内、左側のもの。


 手前は「ラトナの泉水」。前記しましたように、ここの階段に座り
 ボーとするのは至福の時です。


 同上。至福の時間を味わっている人たち。


 同上


 中央棟と北翼。


 中央棟と南翼。


 南翼の前面にある「南の苑」


 南翼前から「南の苑」の右半分を望む。


 同上、左半分。対称形です。


 同上、右半分の手前を見ています。
 建屋地面高さとは段差があります。


 南翼前の花壇


 同上


 同上。メンテナンスをする人
 
 
 ここで一応終わりです。


 見つけました。
 耳みたいなバックミラーの観光バス。


 同上


 同上


 ヴェルサイユの目抜き通り。


 同上
 中央分離帯の木は菩提樹だと思います。


 セーヌ川を見ながらパリに戻ります。


 セーヌ川を渡ります。


 生活河川なので積み込みようの建設資材が見られます。


 この写真のグルネル橋とこの先のビル・アケム橋の間は中の島になっており
 アメリカに贈った「自由の女神」縮小版があります。(写真中央に)


 上記、ビル・アケム橋です。
 2層構造の併用橋になっており、下層は車道と歩道
 上層はメトロ6号線が地上に出ています。


 上記の橋を過ぎるとエッフェル塔が見えます。


 オルセー美術館です。この橋の名はレオポール・セダール・サンゴールで
 歩行者専用になっています。


 これから観光バス終点のジャンヌダルク像のある交差点に向かいます。
 お疲れ様でした。