土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

天空都市(1)への中継地--憲法上の首都--白い街SUCRE(No.1)

2010-07-05 06:00:39 | ボリビア(2nd)
 ボリビアの世界最高所4,070mのEL ALTOエルアルト国際空港です。中央看板の下には冠雪を抱いた山が見えます。



 ボリビア多民族国(2009年3月にボリビア共和国から改名)の政経上の首都ラパス市です。首都としては世界最高所(3,650m)です。アンデス山脈の谷間にありスリ鉢状の底に都市が広がります。
 中央がイリマニ山6,402mです。谷底には20~30階建ビルが林立しています。土地がないので上へ伸ばすしかないのです。



 スリ鉢の底から崖を見ています。底には高層ビルが林立し崖には低所得者層の住居が張り付いています。



 崖に張り付いた家です。一部山が崩落しています。その崩落の下にも家があります。
 見ているだけでゾットします。近年レンガ造りの家が目立ちます。以前はアドベ造りでしたが。これらの家々は柱の鉄筋だけを出していて資金が貯まれば上へと重ねていきます。鉄筋は風化して錆ついていますがお構いなしです。



 ラパスの市街地。とても標高3,650mにこのような近代的なビルがあるとは想像がつきません。



 谷底は空気が濃いので住居は満杯状態でスリ鉢の縁へとせり上がり、スリ鉢の頂上が上記一枚目の写真、飛行場があるEL ALTO市で、アルチプラーノと言うアンデス山脈(ペルー,ボリビアとチリは東西にアンデス山脈があります)の間にできた大平原地帯です。約400mの高低差の崖に住居がはりついています。撮影地点がEL ALTO市で約400km?の延長、標高約4,000m前後で大平原が続きます。空気が薄く貧困者層が暮らしています。街は汚いのですが蚊、ダニ、ゴキブリ、カラスや蠅も生息していませんので彼らにとっては住みやすいと聞いています。住まざるを得ない境遇ですから致し方ないかもしれませんが。



 ラパスで1泊し目的地「天空都市」P市と向かうのですが、空路はなく、約550kmの陸路ですし、日本から約20時間飛行機の中で過ごし大抵の人は高山病に罹ります。よって飛行場のある最寄りの都市である標題の憲法上の首都、白い街SUCRE市(2,750m)にて息を整えます。



白く落ち着いた街で空気は澄み、濃くかつ美味しく、市街地はユネスコの世界遺産に登録されております。



 飛行場から下りて来る丘から市中心部を見ております。後述の大聖堂の鐘楼と県庁舎のドーム屋根の前が5月25日中央広場です。
 ここから約160kmの標高4,070mのP市に1,545年に大銀山が発見され征服者たちは本土スペインに送る為の中継地点がSUCRE(当時はラプラタ市=銀の都市)でした。銀の財力により建てられた建造物は目を見張りますが、一方、光と影の格差はあまりにも大きすぎるようです。



 中央広場前に聳える大聖堂です。1,580年から1,633年の約50年かけて建設されたものです。



 大聖堂の大写しです。各鐘楼階の四隅には聖人像が見守っています。都合16人います。



 同上



 鐘の吊り具は繊維ロープで欠損しているのもあります。メンテをやって次第にロープ束が増えていったのでしょうね。



 中央広場に面する大聖堂の東門です。柱頂部はアカンサスの模様が入っていました。



 大聖堂の内部です。ミサまでまだ2時間あるのですが、徐々に人々が入ってきています。



 上記写真の左手前の部屋にあるまばゆいばかりの聖母マリア像です。上記銀山の繁栄にて造られた金銀で覆い尽くされ、ダイヤモンド等の宝石も飾られた衣装をまとっています。顔は実寸で頭物いれると約2mの高さがあります。



 上記写真とは反対側の入ったすぐ右側に十字架を背負ったキリストの写真があり、その下部になぜか不思議な模様の徽章がありました。何の意味があるのでしょう?



 大聖堂の北側に隣接する県庁舎です。



 ボリビアの正式な国旗です。略式には横式の上から赤、黄色と緑のトリコロールです。この模様は黄色の中央に描かれます。太陽と冨の山(西語でセロリコと言い、この山がボリビアの歴史の変遷を反映しています。)あとはコンドルやリャマ等所縁のあるものです。



 5月25日(25 de MAYO)はスクレにとっては重要な日です。1810年にスペインから自由を勝ち取った日なのです。SUCRE,AQUI NACIO LA LIBERTADの意味です。



 この一見何でもない二階建の家が「自由の家」と言い、ここで前記独立宣言文の調印がなされました。



 国事を制定する儀式はここで行われます。



 同上



 「自由の家」の前の通りには多数の衛兵が周囲をガードし実施されます。



 この赤い絨毯の上をアカデミー賞さながら、主賓者がしめやかに通り「自由の家」に入ります。



 白い街CIUDAD BLANCA=シウダーブランカ(市の条例で壁を白く塗るようにきめられている)が街を一層清楚な造りにしています。遠くの教会はLA MERCEDラメルセー教会です。



 自由の家の前は中央広場で1837年に首都と制定され、初代大統領Jose de SUCREの名にちなんで付けられました。広場の中央に彼の像があります。



 同上大写し。


 
 公園には色んな種類の花や木が植栽されています。この白い花は匂いで分かります。
 ジャスミンです。



 同上



 この木はフランボジャンで火炎樹と思います。今は真冬ですので春には赤色の花をつけますので、その時にはその美しい写真を掲載します。



 これは桜に似た木ですからハカランダ(ジャカランダ)と思います。これも春先に紫色の花をつけますので、前記同様その美しい写真を掲載します。



 上記白い街シウダーブランカの街並みです。



 同上。出窓はコロニアル様式の特徴です。



 憲法上の首都の所以は「自由の家」と、ここに「最高裁判所」があるからです。



 同上。



 最高裁判所の裏側に立つSANTA BARBARAサンタ・バルバラ教会です。



 上記、丘の上から市街地を望んでいます。鐘楼の美しい教会がありました。



 SANTA CLARA CONVENTOサンタ・クララ修道院です。かつてはここで修業した修道女たちは南米諸国へ布教奉仕へと出向いて行ったそうです。



 同上。



 またも木々に囲まれた目を引く教会がありました。



SAN LAZAROサン・ラサロ教会です。前記のSANTA CLARA CONVENTOも美しいファサードを持っていましたが、こちらはそれ以上に荘厳さを感じます。



 鐘です。上記同様ですが、いずれの教会も夜はライトアップされます。



 この教会も目を引きます。SANTA MARIA AUXILIADORAサンタマリアオーキシリアドーラ教会です。



 同上大写し。



 聖母マリアの大写し。本当に慈愛に満ちたお顔をなされています。



 が一方、街には子供が街角に座っております。人が通ると手を差し出します。本人のせいではなく生まれた時からこのように貧困なのです。



 この老婆はもうあからさまです。本当に生活がかかっているのです。



 こういう風に街角で親子で物乞いをしています。



 夜は寒いので何枚も着込んでいます。大聖堂の前にいました。



 この老婆は十字架に頬をつけつぶやいていました。物乞いではなく信者だと思います。この光景は初めてみました。