土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

首都アスンシオン(パラグアイ国)

2008-10-28 00:52:25 | パラグアイ
 今から目的地のペルー国リマに戻るのですが一番早い方法はボリビアのサンタクルス市乗り換えラパス経由です。シウダーデルエステ市からアスンシオン市に夕方到着し1泊しなければなりません。日系人経営の立派な高層建てのホテルに宿泊し街並み全景はそのホテルの屋上から撮影しました。このホテルの観光客や長期滞在者は殆ど(≒全部?)が日本人で日本食堂もあり日本の衛星放送も見られ自分が今何所にいるのかを忘れ何だか変ーな感じになります。さて写真はアスンシオンの玄関口シルビオ・ペティロッシ国際空港の到着口です。1988年に初めてアスンシオンを訪れた時の空港名はストロエスネル空港で名前の由来は1954年~1989年の35年間独裁政治で君臨した当時の大統領の名です。自身同様クーデターで政権を奪われ隣国ブラジルに亡命し一昨年(2006年)に家族だけに看取られ93歳で逝去しました。


 煙を吐いた赤い貨物船がいる川がパラグアイ川です。源流はボリビアとブラジルの熱帯雨林地帯で、そこがアマゾン河水系とラプラタ河水系の分水嶺になります。このパラグアイ川は南下しパラナ川と合流しラプラタ河(川が大河なので河と書いております)に注ぎ込みます。南米ではここパラグアイ国とボリビア国の2ヶ国のみ海を持たない内陸国でボリビア同様このパラグアイ川が港です。手前はアスンシオン湾で、ここに港があるそうですが今回はスケジュールがハードで街歩きは出来ませんでした。


 南米の至るところで見られるスペイン・コロニアル風の街並です。このあたり旧市街は以前来たときよりも高層ビルが増えておりますが川の向こう側は以前と変わらぬ大自然が残されておりました。以前にも記述しましたが中南米の旧市街は歴史的に重要な文化財や遺産的建築物がありここアスンシオンも然りで、段々郊外に新市街が拡がっているそうです。さて
アスンシオンからの航空(TAM)はほぼ定時にサンタクルスに到着したのですが乗り継ぎ便航空(LAB)が12時間遅れラパス空港内(標高4,100m)のラウンジで仮眠させられました。5時間の乗り継ぎ時間があり大半の方はここより標高の低いラパス市のホテルに下りました。少ない機材でヤリクリしていますのでこれは日常茶飯事でクレームつけても何も進展しないので腹をくくるしかないのです。中南米での旅行スケジュールは「時間」と「心の余裕」及び「体力」が必要です。

パラグアイ側国境の街

2008-10-27 17:01:11 | パラグアイ
 イグアスの滝からバスに乗りブラジル側国境の街フォスドイグアス市迄行き、そこからTAXIで国境の「友情の橋」を渡りパラグアイ側のシウダーデルエステ市に到着しました。国境なので入出国の検査があると思いきや両国ともフリーパスでした。この両市には「友情の絆」もあるのでしょうか。ここから世界最大規模のイタイプーダムにTAXIで行き15:00時頃に到着しましたが本日のダムと発電所内の見学ツアーは終了したとの事でした。(ガイドブックには15:30時が最終と書いてありました。前回1990年に来た時は建造されて間もなく大勢の観光客で混雑していましたが今回は5~6人位でしたので多分早めに切り上げたのでしょう=中南米では時々ありますので最低でも2時間位の余裕は必要と再確認させられました)シウダーデルエステ市の幹線道路脇に珍しい木がありました。多分「ボラーチョ」の木と思いますが(学術名は分かりませんがボラーチョは西語で酔っ払いの意=幹が飲みすぎで太っているのが語源)ボリビアの低地帯にもこれと似たような木がありましたが「トポローチ」と言っていました。「ボラーチョ」の方が「トポローチ」よりも太っているようです。(2枚目のピンク色の花が咲いてる木が「トポローチ」)

 ボリビア国熱帯地域ベニ州トリニダー市の「トポローチ」


 ダム見学が中止になりましたのでTAXIの運転手に連れていってもらった近場のダムに行く途中の道路で、橋の欄干が欠落していました。川の水はその落下地点で淀んでいましたので多分余計な費用が掛るしボロ車なので回収されなかったのと考えて車を降り確認したら橋脚がありました。多分この欄干は危険防止啓発のためにワザとそのままに放置されているのだと考えています。


 近場のダムの放水を見学。イタイプーダムの放水路(約100m位)を知っているだけに残念な思いでしたがそれなりに思い出になりました。