土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

モスク百景(No.1)

2009-11-24 01:39:21 | ヨルダン
 皆様お変わり御座いませんでしょうか。再び投稿を開始致しますので宜しく叱咤激励、ご鞭撻並びにコメントをお願い申し上げます。先回コメントがあり「国別のカテゴリー分け」にしましたので、ご覧になりたい国をクリックすればその国にアクセスできる様にしました。  さて、
 機会がありて中東はヨルダン国に来ました。ご存知の様にヨルダン川西岸は「パレスティナ自治区」とそれを囲むようにイスラエル国、北はシリア国、東はイラク国及び南はサウジアラビア国と接し、ヨルダン川東岸に位置します。JORDANと書いてヨルダンと日本人は発音しますが欧米人はジョルダンと発音しているようです。国土の8割が土漠(砂漠ではなく土)です。筆者は初めての中東の地で、幾度に亘る中東戦争、湾岸及びイラク戦争でこの地に逃れたきたパレスティナ難民やイラクからの避難民をヨルダン国は引き受けており国際社会から暖かい眼差しで見られております。歴史はおよそ50万年前の石器時代から遊牧人種がいたという記録があり、紀元前(今後はBC)1万年前にはヨルダン川流域には人類最古の農業が行われたと記されています。後日掲載しますが、古代ローマ時代の遺跡等、多くの歴史や文化が複雑に点在する古代文化の交錯を感じさせる国です。
 さて、下記写真はヨルダン国最大のモスクである「キング・アブドウッラー・モスク」です。対になった尖塔とブルーのタイルに覆われたドームの形状から「ブルー・モスク」と呼ばれています。



 「ブルー・モスク」ドームのマジョリカブルーの美しいタイル。



 「ブルー・モスク」の先頭部分です。夜はライトアップされます。おおよそ1ha(100mX100m)にこういうモスクと尖塔があり、全方向に拡声器が設置され、所定の時間になると大きな肉声でコーラン(イスラムの聖典)が響き渡ります。本当に敬虔なイスラム信者のように思えます。以前、東南アジアに行った時にはお酒は自由に飲めたのですがここは完全に禁止です。一部の最高級ホテル等ではもてなしていると聞きますが、その理由の真偽は分かりません。



 拡声器部の大写し。何だかここだけを見ると要塞を思い浮かべます。やっぱり威厳を大切にするのでしょうね。


 首都アンマン市の旧市街のアシュラフィーエの丘の上にあり、白と黒の2色のブロック(タイルではない)で積み上げられたちょっと変わった「アブー・ダルウイッシュ・モスク」です。上記の「ブルー・モスク」同様、アンマン市に置いては至る所からその容姿を仰ぐことが出来ます。



 上記モスクの尖塔部。白と黒と拡声器の取り合わせは異様な感じを覚えます。



 上記しましたように、旧市街の「アンマン城」(後日掲載)から「アブー・ダルウイッシュ・モスク」の背部を望遠で撮っております。安息日以外の日は自動車の排気ガスや風の強い日は土漠の土が空を覆い大気が霞んで見えます。文化が進化するとは逆に環境は悪化するようです。



 旧市街(ダウンタウン)のランドマークの「キング・フセイン・モスク」。上記白黒モスクとアンマン城の谷間にあり、金曜日の安息日は車は通行不可です。ここダウンタウンは多くのアンマン人の生活を支えている市場ですので週日でも大勢の人々で賑わっております。



 同上「キング・フセイン・モスク」イスラム帝国AD640年のビザンチン時代に作られた大聖堂(カトリック)を改装してモスクにされ、ヨルダン国初代国王アブドウッラー1世によりオスマン建築様式にて修復されたと書物に記述されています。筆者は建築様式は分かりませんが、その石造建築のセンスには現代の建築には感じ得ない崇高な荘厳さが有り心が洗われる感じがしてきます。



 夕暮れのモスクの上に、雲で「世界地図が描かれていました」ので撮りました。珍しい光景です。世界は一つであれと言う神の啓示でしょうか。




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