土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

天空都市(6)  不思議な自然、3大教会遠望と危機に紛する宝の山

2010-10-26 13:43:09 | ボリビア(2nd)
 ここ4,000m強の平原に2本だけサボテンが立っていました。通常サボテンは立っているとは言わず鉢に入っていると言う表現だと思いますが、これは幹?直径が約25cmで真っ直ぐに立っていました。周りは岩石山です。このサボテンは岩石の裂け目から力強くはいだしていました。岩石の周りには一切水は有りません。当地も地球温暖化の影響で乾季と雨季の季節の境目がズレて来ています。こんな空がきれいな場所も地球全体からみるとほんの一握りにしか当たりませんので影響を受けるのでしょう。
 10月に入り降雨が見られるようになりました。先月9月には頂上の白い花は咲いていませんでした。雨季の初めでそんなに雨量は無いのですが急に咲いた感じです。4,000m強の岩に咲くとても美しいサボテンの花は不思議で初めて見ました。



 上記の場所から約200m位離れてもう一本、高さ約2mのサボテンが上記同様に岩石の裂け目から力強く立っていました。こちらの花はピンク色です。どうして色が異なるのか不思議です。きっと女性と男性に分けてくれたのではと思っています。
 花同士も片方に負けないように華を競っています。白い羽毛に見えるのが棘です。
 こんな弱弱しく見える棘でもチクリときます。標高4,000m強の自然界で戦っていくために、羽毛状の棘になったのです。上記同様このピンクの美しいサボテンの花も初めて見ました。



 上記白い花の大写しです。無数の花弁に覆われ何と潔白で美しい花なのでしょう。来週行く機会が有れば他の蕾も見てきます。



 こちらはピンク色の花の方です。白に負けず美しく咲いていました。



 花弁の中の胞子を覗きました。花のパーツの名前は分かりませんが、無数の胞子が円形状に並んでいました。下記参照下さい。



 上記を上から撮りました。見事です。



 雨季に入ると標高4,000m強の道路上にはとてつもない大きな雨雲が平原を覆うのですね。
 この雲の向こうは晴の様です。こういう自然現象はもきっと高地だから見れるのでしょう。  今後、雨季も本格化すればもっとこれ以上大きな雨雲も見る事ができると思います。



 上記雨雲を通り過ぎると道路を覆うように大きな雲の連なりになっていました。山の天気の移ろいには圧倒される感じです。この写真では雲の大きさは見当つきませんが下記の写真を見てください。



 上記の雲の左側部です。何と大きな雲の大きさなのでしょう。


 
 大きな白い雲と青い空。でも刻々と山の天気は変化します。





 大平原にポッカリ浮かぶ雲。撮影場所の標高が富士山と約同じ標高3,800mです。
 以前にも掲載しましたが当国の北側ペルー国境チチカカ湖からここ南側チリの国境までアルチプラーノ(Alti Plano)と呼ばれ大平原が続いております。



 標高約4,000mの大平原Alti Planoに浮かぶ雲。



 この夕日に写し出された大きな雲の中央にある雲の形はどこかの大陸に似ていませんか?



 そうですアフリカ大陸です。九州にも似ています。今後も色んな形の雲をお見せできればと思っています。



 これは「きのこ雲」と言うのでしょうか。



 標高5,000m級の懐に静かに眠る緑色の湖。



 標高約3,500mに生育するシダ科の植物。道路沿いにあり鋭い棘があります。



 上記と同じ位置で道路から奥まった所に生育している上記と同じ種類の木ですが、棘がありません。自然界の不思議な現象です。



 標高約3,000mの植生限界に咲くアジサイとバラ。天空都市では見られません。



 これはスープです。が、スープの表面に噴火口見たいのがあります。



 スープを飲み干しました。中から黒い塊が現れました。何でしょうね。



 石です。鉱山の街だからわざわざスープにも石を入れたのでしょうか。
 石は焼けていて、上記写真の噴火口は煮えたぎって沸騰してい状態だったのです。
 これも初めての体験です。名前はKALAPURKA(カラプルカ)と言います。
 ここの鉱山街独特のスープです。ちょっと辛い味でした。
 4,000m以上の鉱山で働く鉱夫にとっては仕事の間に暖をとる手段だったかも知れません。
 営業時間は何故だか9:00~12:00迄の午前中だけです。訳は後日お知らせいたします。



 さー、今から世界遺産の空中都市の建造物を紹介します。取り敢えず今回は遠望で、なるほど世界遺産とお分かり下さればと願います。詳細写真は後日掲載いたします。
 この教会の名前はラ・カンパーニャ・デ・ヘスス(La Campañia de Jesús) n の上には^がつきニャと発音します。Jesús のuの上には´が付き強く発音します。1728年建設で鐘楼からは街が一望できます。この建物の裏は観光案内所になっております。ここの長が筆者が関わっている仕事も兼務しているので、赴任の挨拶時はタダで鐘楼まで案内してくれました。その時はまだ日本人でしたが今は日焼けしてボリビア人になっております。(関係ない話で申し訳ありません)
 その後ろに見える白い建物が征服者が自国へ銀貨をもって帰る為に造った造幣局(Casa de Moneda)跡で、現在は博物館(Museo)になっており、造幣機械や当時の銀貨が無数に陳列されたおります。
 こちらの詳細も後日掲載します。



 こちらは中央広場前に立つ大聖堂(Catedral)です。1572年建造で現在修復中で中には入れません。中央広場を囲み県庁舎や市役所があります。スペイン風のCafé店もあります。後日紹介いたします。



 上記カンパニャデヘスス教会、貨幣博物館とカテドラルは同じ通りにほぼ隣接しております。



 教会と修道院が隣接して建つサンフランシスコ教会・修道院(Iglesia y Convento de Sa Francisco)です。1574年建造です。
 花崗岩で造られた勇壮な建造物です。こちらも詳細は後日掲載します。
 以上3教会は空中都市では特に目立っております。
 その他教会は市中心部に約30近くありますので後日掲載いたします。



 ここ4,000mに国際試合が可能なサッカー場があります。天空都市にもクラブチームはあります。心肺能力が高いので強いと思いきや、運動量の豊富なサッカー選手となれば何処の場所でもその機能は同じ様です。



 やはりこの「宝の山」は目立ちます。
 灰色部分の上下左右にいくつもの坑口があります。約5,000以上と言われています。
 掘りすぎて陥没の危機に面しております。
 標高は約4,800mです。








天空都市(5) ジャカランダ百景&他

2010-10-10 06:52:53 | ボリビア(2nd)
 ジャカランダ(Jacarandá)の植生は標高約3,000m位までです。ゆえに天空都市には有りません。本写真は天空都市から政経上の首都SUCRE迄の道中並びにSUCRE市におけるものです。
 この写真は中央広場=5月25日広場のカテドラル前に咲く清純で美しいジャカランダです。やはり心を落ち着かせてくれます。西語では「ハカランダ」です。



 同上。カメラアングルを振り、カテドラルの鐘楼を入れました。メキシコで見たジャカランダは桜の花のように一面に咲き誇っていましたがこちらは少し小ぶりに見えます。



 カメラを右に振りました。カテドラルの東門の前です。こちらは少し開花しているように見えます。きっとこれからもう少し咲くのでしょう。同地域なのに場所により咲き具合が違います。気温の変化の著しい高地ならではの現象だと考えます。



 さらに右に振りました。以前見たジャカランダの様相です。花に隠れて県庁舎がありボリビア国旗の大きなレリーフがあります。SUCRE編を参照ください。



 上記の写真の横は中央公園の遊歩道になっております。そこにベンチがあり観光らしき人々のみが景色に憩いをついております。現地の人は見慣れているのでしょうか、足早に通り過ぎて行きます。それとも今から咲くのを待っているのかも知れません。花を見ながら一杯という習慣もない様です。日本ならこんな美しい花(桜)なら通りすぎないと思うのは私だけでしょうか。でも、企業戦士として働いていた往時は花見も月見も見る余裕がなかったような気もしています。



 この教会はSUCRE編では掲載しませんでしたが市街地を見おろす丘の上に建っています。La Recoletaラ・レコレータ修道院です。ここで一生を捧げた乙女たちが修行を積んだと言われております。



 上記ラ・コレータ修道院の前は広場になっており、写真を撮っている場所には長い回廊があります。出来れば広場一面にジャカランダを回廊のように咲かせてもらいたかったのですが南側の学校の前(つまり校庭でしょうか)だけでした。



 上記の大写しです。美しく清楚です。貧困な国にはそれなりに人々の心を癒す物を神は与えてくれたのでしょう。が、貧困者にとってはそれを見る余裕すらないと思います。インフラの整備、特に生活用水、電気、学校、病院、道路に加え貧困民が自給自足できる、例えば農作物を作る灌漑施設等が彼らを支援する喫緊の課題だと考えています。



 上記長い回廊です。写真左側にSUCREの市街地側で崖になっているので手摺がついています。 右側がラ・レコレータ修道院です。白いアーチが特に目を引きます。美しい教会を見ながら、こういう所でハンモックを吊ってくつろげればと、天空都市とは違い熟睡できると、つい邪念が脳裏を過りました。まだまだ未完の修行僧です。上記の乙女たちは青い空から苦笑いをしているでしょう。帰り際に修道院の前で十字を切り懺悔の意を込めジャカランダの落葉をたむけました。



 この小さな教会は天空都市からSUCRE市内に入る所にあります。ちょうど結婚式が行われて新郎新婦に花束ではなく白い紙を細かく切った物を、粉雪が降るように投げかけていました。参加者は10人ちょっとの程度の質素なものでした。ちょうど神父の前で永遠の愛を近い、祝福されて出てきた所です。



 上記、教会の右側にジャカランダの並木がありました。こちらはまだらに咲いていました。これらのジャカランダが咲くと見事でしょう。ちょうど咲いている頃、来る機会が有れば良いのですが。やはり標高4,000m強から2,750mに下りれば空気(酸素)の濃さを実感します。



 上記を別アングルから撮っております。電線が入ります事ご容赦ください。とにかく貧困国は電線が目につきます。



 天空都市からSUCREに下りてくる国道沿いの民家の庭(駐車場)に咲いておりました。その後ろに玄関がありジャカランダが見える所の2階はバルコニーになっておりました。川沿いに建ち別荘風でした。貧富の格差を感じます。



 標高約3,000mの山岳地帯にひっそりと咲いていました。可憐で綺麗でした。



 これこそメキシコで見たジャカランダです。このように群生?していました。色が違えば桜に見えませんか?上記と同じ標高約3,000mに位置します。



 一般的には民家があり、その玄関先等に植えられているようです。念をおしますが一般的にです。単独で悪環境にも耐えて美しい容姿を表現しているものも沢山あります。



 こちらは一本だけ堂々と立っています。



 こちらは険しい岩石の山肌にしっかり根付いていました。アンデスは海が隆起したもので山脈の中には数多くの滞水層が見られ、貴重な水資源になっております。



 こちらも山肌に立っていました。気候の違いにより木の形も違っております。



 以前掲載しました吊り橋の周りにも健気に咲いておりました。 



 PILCOMAYO大河の右岸側の岩石山の中に咲いていました。川の水が上がってくるとは考え難いので、滞水層や伏流水が岩石の割れ目を伝わって花を咲かせているものと考えます。



 ちょうど沢になっている所です。一生懸命花を咲かせています。健気です。雨季前に花が散るのでしょうね。



 ジャカランダではなく以前コスタリカ編で掲載いたしました「フランボジャン」だと思います。そうだとしたらまだまだ真っ赤に色づきます。



 上記同様です。標高約3,000mの山肌に咲いていました。



 見ての通りROSEです。西語ではROSAです。



 葉の形からバラでは有りません。ブーゲンビリアです。西語ではブーゲンビレアと呼びます。標高約3,000mにも咲くのです。一般的に民家の軒先や塀に沿って咲いております。自然の中では見かけません。



 上記同様標高約3,000mに咲くブーゲンビリアです。ここも民家の塀伝いに咲いておりました。



 上記同様ブーゲンビリアですがSUCRE市内に入る民家に咲いておりました。



 最初見たときはユリだと思いました。ラ・レコレータ修道院の1クアドラ下の民家の塀に咲いていました。雄しべが6本あります。何の花でしょうか?



 上記同じ場所に小さな花が何枚も重なり合いアジサイのように咲いておりました。何の花でしょうか?現地人の若い連中は花の名前が分からない人が多く、年寄りにきくと「ケチュア語」で答えてきますので花の名前が分からないままになっています。でも上記同様に可憐な目を引く花でありました。
 ちなみにボリビアの公用語は西語、ケチュア語及びアイマラ語の3種類有ります。
 若い人は殆どが西語ですが、アンデス山脈の北側チチカカ湖付近はアイマラ語でアンデス山脈南側地方はケチュア語です。年寄りの大半はは現地語です。現地語を話す人々は殆どがインディヘナです。
 蛇足ですが、インディヘナと征服者スペイン人の混血をメスティーソと言います。ブラジルではムラータです。リオのカーニバルに出てくるスタイルの良い踊り子達は殆どがムラータです。




天空都市(4)   とにかく働き者の女性達&ノスタルジア

2010-10-03 12:32:28 | ボリビア(2nd)
 人口約20万人を擁するP市の家庭生活を支える食材や日用用品の店は市中心街に食材を扱う「中央市場」と日用品や雑貨を扱う「路地通り商店街=露店」がありますが、土・日曜日は市街地の北側のはずれの鉄道駅に並行して約1.5kmの露店が、何処からともなく現れ商店街を作ります。P市は「宝の山」を頂上にそこから市街地を抜けて鉄道駅やバスターミナルへと北側に向けて急勾配で下がっております。どういう訳か「働いているのは殆どが女性です」。
 男性は「宝の山」で年中、宝探しをしているのでしょうか。それとも出稼ぎに他県に行っているのでしょうか。多分に後者だと考えています。この店は女性用用品店です。非常にカラフルです。



 赤子を抱いた女性が商売をしています。同じ用品を扱っていますが、こちらは風及び日除けのシーとは全面覆っていません。店により差があります。こうしてひねもす無言で商売しております。が周りの店の様子は一切きにせず、ここにいてこういう風にしているのが楽しみのように見えます。



 洗剤やの横がパスタ屋です。どういう取り合わせなのでしょうと言う詮索は一切無用です。
 ラテン系の民族は必ずスープの中にパスタを入れます。
 街にはピザ屋はありますがパスタレストランは見受けられません。自分らの家庭で作るパスタが一番美味しいのです。



 野菜屋です。肉同様にkg単位でしか売りません。アンデスが原産地の野菜が並びます。
 それにしても働いている女性は体格が良いですねー。余った物は家で食べているのでしょうか?(失礼ながら憶測でものを言っております。)



 ここも野菜や果物を売っております。店が競合しても他店の状況はお構いなしです。
 じっと座って客を待っています。広大なアンデス同様に自然にまかせて生きているのでしょうね。



 対面の店も野菜や果物を売っております。どういう訳か、一応は種類別に店が立つているのが形式のようです。競合や競争はここでは無関係です。



 こちらの女性は生きたニワトリを売っています。そういえば3食の食事には鶏肉が入ったスープが必ず出てきます。ニワトリを捌くのも女性です。売った鶏は用意した段ボールにいれ売買成立です。



 これは何屋だと思います。南米人にはとにかく辛いものが大好きです。どんな料理にもこれらを調合し汁状にしたものを掛けて食べます。ワサビの辛さをはるかに超越しています。特にアンデス山脈に居住しているインディヘナの物は数段辛さが強くしてあります。やっぱり寒さに耐える為の知恵なんでしょうね。ここに並べられているものは全て香辛料です。



 ここは靴や通りです。運動靴から履物は何でも有ります。運動靴は高級品で通常はサンダル履きです。運動靴はサッカーするために必要ですので男性にとっては高価な買い物です。



 日用雑貨品通りです。何処から、土・日曜日だけに、ここの露店にどういう経路で運んでくるか不明です。金曜日の夜から運んでいると聞いています。



 同上日用雑貨店です。手前は化粧品です。化粧は女性のたしなみなのでしょう。



 ここの人々は以前はインディオと呼ばれていましたが、前にも記述しましたが、これは蔑視語で正確には「インディヘナ」と呼びます。この店は女性のスカートを売っております。スカートは何枚も重ねて(十二単みたいに)はきます。きっと寒いから厚着をするのでしょうか。



 スカート店の角を曲がった所にも洋品店?がありました。歩道に陳列?しきれず、他人の家の壁が朽ちた所に並べておりました。ここの女性はカメラを気にし木の陰に隠れておりますし、シートで顔を隠しました。何か気味の悪い奇妙な者を見たのでしょうか。



 本屋です。娘さんが留守番をしておりました。中央に座って店の本をただ読みしていました。本屋は全分野、何でも揃っています。ただあまり売れてないようでした。理由は文盲率の高さと庶民には買える値段ではないからです。



 奥の露店はサングラス屋です。何しろ標高約4,000m強ありますので日差しが強く、サングラスは必需品ですがUV仕様などと言う物は有りません。だから日焼け防止に帽子を被っております。そういえば女性は大半がシルクハットみたいな帽子を着用しています。生活の知恵なのでしょうか?



 場所取りが出来ない女性は一輪車で物売りしています。でも坂道ですから重労働でしょうけど元気な女性でした。こちらは一個でも小売りをしてくれます。



 この女性は教会の瓦を張り替えていました。高さは20m位あります。本当にすごい女性です。男性は何をしているのでしょうか。きっと昔からの風習なんでしょうか、それとも別な理由があるのでしょうか。



 洗濯はたらいで手洗いです。この二の腕で絞られたら、汚れも落ちるけど、繊維もほころびそうです。



 前記しましたが体格が良いのはただ太っているだけではなく働き者で筋肉質なのかも知れません。



 最初は洗濯板(今はセラミック製)のたらいで洗剤と水でそれこそゴシゴシ何回も汚れを落とします。この後、濯ぎも何回も行います。



 このお母さん(黒い服)と娘(手前の白い服)は何をやっているのでしょうか?サーカーゲーム機の上のシートをばらしていました。今日はお祭りで目の前の通りでダンスパレードが始まります。



 この貨物列車は停止しています。機関士や乗組員はダンスパレードを見ているのでしょうか?



 上記の母と娘のゲーム機が列車妨害をしていたのです。ゲーム機を動かし、列車は通行しています。のどかな風景です。運転手はもちろん、周りの人間も我関せずでいました。



 この黒装束の女性は泥棒では有りません。橋梁に使用する鉄筋の錆を磨いていました。
 本当にここの女性たちは何でもするのですね。男には任せてやれないと言う感じです。



 上記写真の脇を下校中の兄妹がそこそこと帰宅していました。お兄ちゃんの方はあちこちよそ見をしていましたが、ちゃんと妹について来ていました。妹の方がしっかりしています。筆者も昔はこうだったのではと自然に頬が緩んできました。遠い昔の話です。



 こちらは下校中にサッカーゲームを興じる小学生。やっぱり南米はサッカーしかないですよね。筆者の下校中には何をやってたか分かりませんが、真っ直ぐには帰宅してなかったように記憶しています。



 この景色はこの街を訪れる訪問者は必ず写真に収めます。アーチ門を通して「宝の山」を望んでいます。でもこのアーチ門は「宝の山」で働く鉱山労働者居住区との境界だったのです。アーチ門の手前に征服者達が市街を築き、鉱山労働者はアーチ門の向こうに住んでいました。



 アーチ門の鉱山労働者居住区です。今で約650年経過しています。昔の悲惨な時代の面影も残っています。



 「宝の山」に向かい道路が造られ、日干しレンガで造られた居住区は今は2階建になり、今でも住民が居住しております。



 昔は瓦は無かったのでしょうね。今は電気や水道が引かれ居住地となっています。



 同上。2階建てになっただけ生活が豊かになったと考えられます。



 南米の10月は春(日本の4月)です。咲きました紫色の「ジャカランダ」の花が。
 自然だけは人々の心を古の時代から変わらずに癒してくれたのです。
 「ふるさとは花ぞ昔の・・にほひける」でしょうか。