土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

聖母ピラール教会の涙雲

2008-10-22 18:36:50 | アルゼンチン
 コメントがあり拡大写真を送付いたします。お見苦しい点ご容赦ください。

ブエノスアイレスの港、鉄道そして空港

2008-10-21 01:08:04 | アルゼンチン
 厳重な港の入管検査を終えて港湾局の係員立会いで見学用?ワゴン車で、車から降りない、写真は撮らない約束で港を見学させてもらいました。ここブエノスアイレス港はラプラタと言う大河(≒海)を利用した河川港です。眼前のラプラタ河から航路を引き込んだ岸壁や広大なコンテナヤードがあり無数のコンテナが積み卸しの為にストックされており、ガントリークレーン(岸壁に設置されたコンテナ吊り用クレーン)も数台ありました。が全部は見せてくれず1/5位見たら終わりにさせられました。この写真は車の後部座席からくもり防止の黒いライン越に撮りました。日本や米国では100%見せてはくれないでしょうが融通をきかせてもらいました。中南米の人は本当に優しいですねー。(幾分かは私の人畜無害な品格を読まれていると勝手に思い込んでおります)


 コルドバ大通りとブエノスの銀座通りと言われています歩行者天国のフロリダ通りの交差点(日本で例えれば銀座4丁目交差点?)をラプラタ河に向かって歩いて行くと10分位で大通りにでます。この写真は南を向いて撮っています。(北側には大きなレティーロ駅や超高層ビル群があります。1985年から3年間(瑕疵期間も含め)隣国のボリビア~ブラジル間の鉄道を建設しましたので鉄道には特別な興味があるのですが、残念なことに今回レティーロ駅は行きそびれてしまいました。)写真左側の駅舎見たいで停留所みたいな所はモダーンな造りですが、写真の線路はメンテが足りていませんでした。ゲージ(軌間)は新幹線よりも少し広いなーと感じました。モダーン駅の前で行き止まりの線路は今回遭遇しませんでしたがモダーンな列車用との事です。写真の行き止まりでない線路は、車で港に行く時に日本で言う鈍行級の約10両編成の黒い色した列車がレティーロ駅方面に時速15km位で走行しているのを見ました。この国は道路が発達していますのでトラック輸送が主流でこの広軌の線路はあまり使用されていないように考えられます。またラプラタ河対岸のウルグアイ国へは船舶で行くそうです。ここでラプラタ河を見ると水平線しか見えません。ウルグアイ国と結ぶ橋はこの付近には出来ようがないと考えます。(河幅が余りにも長く島嶼はなく人口島造るには費用対効果のバランスが全く取れない。敢えて無駄は作らないのが中南米の生き方です。)


 ブエノスアイレスの空の玄関口エセイサ空港です。建築してまもない様な感じがしました。写真は出発のチェックイン場で、2階の隅にイミグレーションと税関があり搭乗口のある中もかなり広く機能的で気分の良い空港でした。到着した時は客引きのTAXI運転手が寄ってきて嫌な気持ちにさせられましたが今回は気分爽快です。中南米の空港は到着口にTAXIの呼び込みがいるのが普通で、一番安全な方法は税関出たらすぐの所にTAXI券売り場が数社あり、ここで行先により決められた値段の券を購入し半券を運転手に渡し指定の場所に連れて行ってもらうことです。この方法は決してボラレませんし、券売り場の売り子が指定した運転手が売り場まで迎えにきます。お薦めいたします。客引きのTAXIには決して乗ってはいけません。
今回でアルゼンチン国は最終回です。再び美味しい肉と上質なワインを嗜みに来られることを神にお祈りいたしました。
次回は国境のブラジル側からイグアスの滝を紹介いたします。


レコレータ(No.2)と気分を換えた写真

2008-10-19 17:02:17 | アルゼンチン
 最高級のステータスを得た人々の眠る棺の標準仕様(標準仕様と言っても立派で、この仕様の上下は大同小異でした。)中を見ることができました。


 千載一遇のチャンスで撮った或る人の棺



(気分転換に・・・)
 パリのオペラ座、ミラノのスカラ座とこの写真のブエノスアイレスのコロン劇場が世界3大劇場です。7月9日大通りに面してオベリスコから2ブロック北側にあります(≒近くです)。





 (記)
 次回でアルゼンチンは最終回です。その後ブラジルとパラグアイ→ペルーと他6ヶ国を掲載してまいります。

レコレータ墓地

2008-10-16 16:44:13 | アルゼンチン
 ブエノスアイレス市で最高級の地位を得た人々が眠る墓地。墓地と言うよりも建物の芸術性を競っておりました。階級差別があり人間の性が墓地にまで引きずって行くかと思うと 大変だなー と感じました。


 日本でもおなじみのミュージカル「エビータ」の墓の前は観光客と花が絶え間なく棺の中のエビータは以前同様アルゼンチンや世界中の人々に愛されております。
 エビータことエバ・ペロンは私生児として生まれ15歳でブエノスアイレスで働きます。美貌を売り物にさまざまな社会遍歴を経て女優になり1943年24歳で後の大統領となるファン・ドミンゴ・ペロン(当時は軍事政権の副大統領)と出会う。第二次世界大戦後の1945年10月米国の支援を受けたアバロス将軍のクーデターで職を奪われ軍事裁判で有罪判決を受け服役中に、当時ラジオで大衆の人気を博していたエバは国民に向かいペロンの釈放を呼びかけ、アバロスは大衆の反発を受け失墜しペロンは釈放されペロンと結婚するに至りました。ペロンは1946年3月に大統領に就任しエバはファーストレディーになったのです。が1952年33歳の若さで子宮がんで短い生涯を閉じました。(美人薄命もしかり自ら身を削って生き抜いてきた運命の結末と感じますが、それにしても凄い人だと感嘆します)ブルーカラーの多い=格差の大きい社会において不遇の生活時代から苦労して自分の手で大統領夫人まで昇りつめたエビータは今でもアルゼンチンの人気者です。


 エバ・ペロンの墓の前の墓碑。ガイドの女性の両側に数枚(12枚)の墓碑がありその内の1枚。

 
 レコレータ墓地の正門から入った右端に建つ聖母ピラール聖堂です。鐘楼はラプラタ河を航行する船舶の目印になっていたと言います。訪れた時は雲も涙をいっぱいためた珍しい光景でした。



ボカで有名な3人の拡大写真

2008-10-16 01:50:29 | アルゼンチン
 コメントが来る前に標題送付いたします。

タンゴ発祥地貧困層地区ボカ

2008-10-16 00:54:00 | アルゼンチン
 サッカークラブチームとして数々の優勝経験を持つボカジュニアーズのスタジアムです。マラドーナも憧れのチームであります(彼は1シーズンのみここでプレイし、主にイタリアリーグSSCナポリで活躍しました。)


 カミニートの中央付近にあるアルゼンチンでもつと有名な3人。
 右からディエーゴ・マラドーナ(パンツに10の番号がある)中央は次回説明しますエビータことエバ・ペロン、左側は多説ありますがここカミニートの産みの親であるボカ生まれの画家キンケラ・マルティンです。


 タンゴ発祥の地カミニート(Caminito)です。西語では道をカミーノ(Camino)と言いその小さいのを語尾にitoをつけて表現します。したがって小道及び小径の意味です。延長僅か100mの通りにはお土産物店やレストランがあります。また通りではタンゴの実演も行っております。

大聖堂の拡大写真

2008-10-15 17:19:21 | アルゼンチン
 コメントがあり標題送付します。
 

肉の味はやっぱり世界一のままだった

2008-10-15 00:40:11 | アルゼンチン
 ここアルゼンチンの人口は約4,000万人ですが、牛の頭数は6,000万といわれております。国土は日本の約7.5倍の広さです。食料自給率は90%超で、しかも鉱物資源や炭化水素系資源も豊かです。が、中南米の他の諸国同様に軍事政権が支配をし経済が悪化し1982年4月にフォークランド紛争(アルゼンチンではマルビーナス紛争と言う=イギリスの領土ではないと主張)を仕掛け約2ヶ月で降伏したのです。(政治不信への国民感情をこの紛争でそらしたいと言うのが本音だったのですが敗戦で政権交代が必至になりました)その後政権は民政化されたのですが積年の経済悪化のツケで国内資産が不十分な為、海外の投資に頼らずを得ず、多額の海外債務を抱えることになりました。1999年12月発足のルア政権は2001年11月に未曾有の金融・経済危機にて社会混乱を引き起こし任期半ばで失脚し、続いたサア、ドウアルデ暫定政権も退陣し、その間IMFとの合意に違反し対外債務の支払いを停止させ、それまでの兌換制(1US$=1PESOの固定相場)を廃止し自由変動相場へ移行しました。経済の安定が少しづつ回復基調になり2003年4月に繰り上げ大統領選挙の結果5月にキルチネル政権が誕生し強いリーダーシップの下、国民の結束も固め、経済及び社会的安定の回復を実現しました。一方債務返還は2003年1月にIMFと暫定合意しまああしたが2006年1月に対IMF債務全額返済したことからIMFとの合意プログラムがキャンセルになり公的債務問題解決の目処は立たなくなりました。2007年10月の大統領選挙ではクリスティーナ(キルチネル夫人)が当選し同年12月に大統領に就任したが、インフレの高進やエネルギー価格の高騰を抑制する為の財政支出の増大や輸出課徴金を巡る農牧団体との対立から経済状況や大統領支持率は徐々に悪化の傾向にあります。
 さて、牛の頭数の話がそれてここで美味しい肉の話に戻ります。
下記の写真2枚は羊の肉の炭火焼きです。脂が乗り、美味しくてついつい食べ過ぎになり食後に必ず胸焼けをしますので胃薬を持参しております。写真3枚目はアサドデティラ(骨付き炭火焼き肉)と言い、これで1人前です。骨付きで1kgあります。こちらは羊ほどは脂は乗っていませんが(日本人からみると相当脂は乗っています。噛めば噛むほどに良質の脂が出てきます) やはり美味かった。全部は食べきれなくホテルのドアボーイのお土産に持ち帰りました。肉の味は相変わらず世界一でした。明日からは美味しいものを食べた後の体の変化が心配です。寝る前に再度(胃薬+α)を飲むのを忘れないようにInputして高級レストラン(15US$/1kgの肉)を出ました。







5月広場と地下鉄丸の内線とクリープ

2008-10-14 14:56:49 | アルゼンチン
 アルゼンチンの数々の歴史を刻む5月広場です。
 一枚目の写真はラプラタ河に面しピンク色した建物の大統領府です。(その名もカサロサーダ(Casa Rosada)=ピンク色の家)です。撮影場所はラプラタ河とは反対側で朝の通勤が始まる前に撮影致しました。6月で真冬なので、南風が吹き、皆さん厚着の服装で足早に会社に向かっておりました。(ここは南半球で南風=スル=Sur が吹くと寒い風の意味)
 二枚目の写真は大聖堂です。12本の柱とその上の芸術性豊かな彫刻は中南米の建物の原点である大聖堂の威厳さや崇高さを見せ付けられます。右端側には赤赤と燃える炎のトーチが幻想的で神秘的な雰囲気をかもし出しておりました。1827年の完成時から絶えることなく燃え続けているそうです。
 三枚目の写真は  ここ5月広場は地下鉄の発着点であり試しに乗ってみましたら、なんとどこかで見たことがある電車でした。やはり日本から中古を購入したとの事です。地球の対じ点で同じ模様の電車に遭遇するとは地球も狭いものですね。
 四枚目の写真こそ「5月革命」の独立宣言がなされた建物で「カビルド」と言います。2階は5月革命博物館になって公開されているそうです。
 この広場に居るだけで荘厳な感がして、体が次第に緊張しその後姿勢正しくなり体が収縮してきます。我々の業界用語ではストレスの後のこのひずみ現象を[クリープ]と呼びます。(コーヒーの添加物ではありません。)今後、流行てっも良い言葉だと思いますが。「ストレスの無いクリープはストレスでは無い」迷言か?
 話が逸れました。
 宿泊したホテルが7月9日通りから1ブロック入った所にあり、5月広場までは早足で約30分で着きます。次回記載予定である連日美味しい肉(15us$/1kg)を食べておりますので早朝散歩をし脂肪を落としておりますor落とさざるを得ない体型になりつつありますので・・。 










世界一幅広いと言われる道路

2008-10-10 00:28:57 | アルゼンチン
 ブエノスアイレスへは今回を入れて3回目の訪問になります。過去2回はハードスケジュールのため、見逃した場所が多くありましたので、今回は港の通関に時間が掛かる為、関係者のアポイント以外の時間及び休日は街の中心街は徒歩で、その他の著名地域は地下鉄やTAXIを使用し見て回りました。ここも他の中南米諸国と同様に街の中心は5月広場(Plaza de Mayo)です。ここを囲み大統領府や大聖堂等の歴史的、政治的に重要な施設が建ち並びます。この広場の由来は1810年5月25日にここにてスペイン領から独立を宣言し、ラテンアメリカ諸地域に起こった独立運動の大きな契機になった所謂「5月革命」の日なのです。この日は「革命記念日」として祝日となっております。(5月広場の写真は次回掲載します。)5月広場から斜めに延びる道路(名前もDiagonal---)の両側に立ち並ぶ格式のある古い建物を見ながら、白いオベリスコ(英語ではオベリスク)を目指してゆっくり歩いて約10分でたどり着いたのが標題の広ーい道路7月9日通りです。革命記念日から約6年後の1816年7月9日に独立国家として踏み出した日なのです。この日もまた「独立記念日」として祝日です。写真のように中央分離帯を挟み片側に7車線とその側道との間に中央分離帯よりも更に大きくしかも木々に埋もれた遊歩道を備えた分離帯があります。そこと歩道との間にも2車線の道路があります。都合両側で18車線にもなります。(車線数(18)や幅(100m以上)は正確には数えていませんので想定です。)今回、信号を渡る時間内に素早く撮影したのですが時間内には渡りきれず遊歩道のある分離帯で信号待ちとなりました。なんだかカーレースのスタートを思い浮かべる光景を異様に感じるのはパタゴニア帰りのせいもあるでしょうが脅威の広さの道路に横たわる文明の利器,進化or生活のあわただしさを眼前に見せつけられたからでしょう・・・か?
 この白いオベリスコは高さが約70mあり街のランドマークになっております。
 (写真をクリックして2回拡大し世界一の道路をご覧ください。どうですか脅威です。)