土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

意欲に燃えたコロンブスが最初に発見した島、ドミニカ共和国

2009-03-12 00:05:30 | ドミニカ共和国
 この色をマリーンブルーと呼ぶのでしょう。この海は海賊で御馴染みの「カリブ海」です。この陸が突き出た半島がラス・アメリカス国際空港です。ここはコロンブスの第一回航海(1,492年)に発見されたイスパニョーラ島の右側2/3を占めるドミニカ共和国です。ドミニカ国と言うのもここカリブ海にありますのでドミニカ共和国と必ず言います。またサミー・ソーサーやペドロ・マルチネス等大リーグ野球選手を多く輩出した国でもあります。カリブ海の国ではキューバに次ぐ2番目に大きな島で、ドミニカ共和国自体は九州と沖縄を足した約48,500km2の大きさです。
 上記の様な由緒のある歴史の街、美しい海に囲まれたビーチリゾート地及びメレンゲの喧騒なダンスに象徴される陽気な人々が暮らす国なのです。


 他のラテン国同様、スペイン人が築いた旧市街と新市街とに区別されます。コロンブスは1,493年の第二回航海で島の北西部にラ・イサベラと最初の町を造り、彼の黄金を求めての探検が始まるのです。当初、彼らはスペイン国から西に行き黄金の国ジパング(日本)を求めバハマ諸島→キューバ→イスパニョーラ島に辿り着き、原住民が金の装身具を着けていたことからここをジパングと確信したと言われています。今でもカリブ海の地方を「西インド諸島」と言うのはコロンブスは西回り航海でインドを目指し現在のアメリカ大陸を発見し、そこをインドと思い込んだ事により由来すると言います。し又、そこの原住民をインディアンと名づけたとも言います。この写真は平たく言えば”ガッツポーズ”して「新大陸方向」を指差し、旧市街の大聖堂前のコロンブス公園の中央に鎮座するコロンブス像です。後方の教会が1,540年に完成した新大陸最初の教会でサントドミンゴ大聖堂です。

(Panoramioから写真引用)

 旧市街はカリブ海と空港からサントドミンゴの市街地に入る手前のオサマ川河口との一角に位置します。そのマレコンと呼ばれる海岸通りから見た東(空港)側の日の出です。写真中央の建造物はオサマ川河口東側の突端に立つサン・スーシーの灯台です。


 マレコン(海岸通り)と旧市街の境目に立つオベリスクです。この壁面の図柄は他の国とは異なっていますし、時々柄も変わります。陽気なお国柄であまりランドマークにはしていない様子です。


 1,492年から500年過ぎた1,992年に企画されその後建造されたマレコンに建つ「V Centenario」=キント・センテナリオ=5世紀 と言う名のホテルです。ドミニカ共和国にはラスベガス同様のカジノがあり海岸通りの高級ホテルは全てカジノを備えております。


 マレコン(海岸通り)です。道路を隔てて高級ホテル、ショッピングセンターやレストランが立ち並びます。海側はこのように遊歩道になっており途中にレストランもあり落ち着いて海を見歩きできるようになっています。


 旧市街のスペイン広場のオサマ川側(東側)に建つ「アルカサール」Alcazar de Colon です。コロンブスは1,496年に弟のバルトロメを臨時総督に任命し帰国しました。バルトロメは同年に新都ヌエバ・イサベラをオサマ川対岸(東側)に建設しましたが、1,502年のハリケーンで破壊され、また色々な諸問題が生じて新総督ニコラス・デ・オバンドに交替し、オバンドがここオサマ川西側に新都を造り直しました。アルカサールは1,496年にコロンブスの息子ディエゴが私邸として造らせた館で、全て石造建築であり、現在は博物館になっておりディエゴが使った家具等が有料で閲覧が出来ます。スペイン広場の中央にはニコラス・デ・オバンドの像が建っております。

(Panoramioから写真引用)

 スペイン広場の海岸側に建つ新大陸最初の日時計です。この前の通りはLas Damas ラス・ダマス=淑女と言い、当時、鮮やかな装いをした女性が往来したことから由来しています。オサマ河岸は要塞になっており、このように大砲が今も残されております。

(Panoramioから写真引用)