豊下楢彦『尖閣問題とは何か』(2012年11月岩波文庫)を読んで、私(達)が、この40年間いかに不勉強だったかを思い知らされました。豊下さんが「竹島(独島)は日本の領土」論に立っているとはいえ、それでもその中に私たちが重視すべき重要な事実関係が含まれています。
この本の中の「歴史問題としての竹島問題」(116P~)「竹島問題の大胆な打開策」(129P~)をレポートします。重要論点は、米国では、1849年にフランスの捕鯨船が発見したときから独島(竹島)は韓国領であり、戦後、領有権を韓国から日本に移行したのはアメリカの都合(安全保障上の配慮)であったということです。(青色は本書の小見出しです)
★マッカーサーライン
1943年11月 カイロ宣言「領土不拡大原則」→「朝鮮(については)自由且つ独立のものにする」
と明確に規定
1945年09月 日本が降伏文書に調印
1946年01月 連合国最高司令官訓令第677号「(日本に対し)日本国外(において)政治上又は行政
上の権力を行使することをすべて停止する」と命令。
「日本の範囲から除かれる地域…欝陵島、竹島、済州島」と明記し、独島(竹島)
を日本による権力が停止される地域に指定した。(付記:領土の確定とは別扱いとする)
1946年06月 連合国最高司令官訓令第1033号では、日本漁船の操業区域に関して、「日本の船ま
たはその人員は竹島へ12マイルより近くに接近しない、またその島とのいかなる接
触もしない」と規定され、独島(竹島)は日本漁船の操業区域外におかれた。(付
記:領土の確定とは別扱いとする)
1946年06月 米国の国務・陸軍・海軍3省調整委員会の報告書では、独島(竹島)が済州島、巨文
島、欝陵島とともに朝鮮の領土と明記された。
「カイロ宣言は、朝鮮の自由と独立を要求している。済州島、巨文島、欝陵島竹
島、及び朝鮮の全ての沖合小島は、歴史上且つ行政上朝鮮の一部で、主に朝鮮人が
居住しており、朝鮮の一部として考慮されるべきである」
1947年3月~1949年11月までの5つの草案では、独島(竹島)は日本が放棄する対象として明記されていた。
1949年11月 ウイリアム・シーボルト駐日政治顧問の修正提案「竹島は日本に属する旨、明記
することを提案する。…米国の利害に関係ある問題として、安全保障上の配慮から
この島に気象及びレーダー局を設置することも考えられよう」
「安全保障上の配慮」とは冷戦の激化と中国革命の成功などにより極東情勢が
「米国の不利な方向に大きく変化してきた」こと。
★「ラスク覚書」の論理
1951年06月 講和条約草案「済州島、巨文島及び欝陵島に対する権利を放棄する」と規定され、
日本が放棄する対象から独島(竹島)が外された。
これに対して、韓国政府は直ちに意見書を提出し、日本による放棄の対象に独島
(竹島)を明記するよう求めた。
1951年08月 ディーン・ラスク国務次官補覚書「独島は…我々の知り得た情報によれば朝鮮の一
部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管
轄下にある」と述べ、韓国の主張を拒否した。
この覚書は、沖縄や北方領土が講和条約によって日本から分離されたことと矛盾
する。→米国の戦略的利害
1952年01月 韓国李承晩政権…海洋主権宣言→「李ライン」
1965年06月 日韓基本条約
1965年08月 韓国外務部長官「これ(日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文)には独島問題が
含まれていないことを、椎名悦三郎外相及び佐藤栄作首相は了解した」…日本側の抗議
★なぜ植民地問題か
1904年08月 第1次日韓協約…実質的に韓国を保護国化、事実上日本の占領下
1905年01月 日本が独島(竹島)の領有を閣議決定
1905年11月 第2次日韓協約…韓国の外交権を剥奪
★従軍慰安婦問題
1941年 夏 関東軍特殊演習
原善四郎参謀「兵士35人につき慰安婦1人と計算して、朝鮮総督府に2万人の女性急募」
★譲渡または放棄
芦田健太郎の提言…韓国民に対し反省と心からのお詫びの気持ちを表明した上で、将来の世代のために、日本は竹島(独島)を韓国に譲渡または放棄し、竹島(独島)にたいする韓国の主権を認める。
★自ら突き詰める問題
日韓条約、日中共同声明…実質的に歴史問題や領土問題は棚上げされ、日本への賠償請求は「玉虫色の決着」か放棄された。
ドイツから学ぶ…松村史紀ら…法的な問題は別にして、領土問題が植民地問題のシンボルとなっている以上、まずは日本がイニシアチブをとらねばならない。
★米国の地名委員会
米国では、1849年にフランスの捕鯨船が独島(竹島)を発見したときから韓国領とされている。2008年7月米国地名委員会が独島(竹島)を韓国領と表記していることが政治問題化したときに、町村信孝官房長官は「米政府の一機関のやることに、あれこれ過剰に反応することはない」と述べた。→国際社会は事実上その認識を認めたものと受け止めている。
★防衛協力の障害
日韓軍事情報の保護協定…2012年6月署名延期→9月以降の日韓防衛交流の中止
野田政権フロンティア分科会…集団的自衛権を提起→韓国主要紙の非難
原子力基本法の改正…原子力の利用目的に「安全保障に資する」→韓国メディアの非難
防衛白書、外交青書…「竹島は日本の領土」と主張→韓国を刺激
この本の中の「歴史問題としての竹島問題」(116P~)「竹島問題の大胆な打開策」(129P~)をレポートします。重要論点は、米国では、1849年にフランスの捕鯨船が発見したときから独島(竹島)は韓国領であり、戦後、領有権を韓国から日本に移行したのはアメリカの都合(安全保障上の配慮)であったということです。(青色は本書の小見出しです)
★マッカーサーライン
1943年11月 カイロ宣言「領土不拡大原則」→「朝鮮(については)自由且つ独立のものにする」
と明確に規定
1945年09月 日本が降伏文書に調印
1946年01月 連合国最高司令官訓令第677号「(日本に対し)日本国外(において)政治上又は行政
上の権力を行使することをすべて停止する」と命令。
「日本の範囲から除かれる地域…欝陵島、竹島、済州島」と明記し、独島(竹島)
を日本による権力が停止される地域に指定した。(付記:領土の確定とは別扱いとする)
1946年06月 連合国最高司令官訓令第1033号では、日本漁船の操業区域に関して、「日本の船ま
たはその人員は竹島へ12マイルより近くに接近しない、またその島とのいかなる接
触もしない」と規定され、独島(竹島)は日本漁船の操業区域外におかれた。(付
記:領土の確定とは別扱いとする)
1946年06月 米国の国務・陸軍・海軍3省調整委員会の報告書では、独島(竹島)が済州島、巨文
島、欝陵島とともに朝鮮の領土と明記された。
「カイロ宣言は、朝鮮の自由と独立を要求している。済州島、巨文島、欝陵島竹
島、及び朝鮮の全ての沖合小島は、歴史上且つ行政上朝鮮の一部で、主に朝鮮人が
居住しており、朝鮮の一部として考慮されるべきである」
1947年3月~1949年11月までの5つの草案では、独島(竹島)は日本が放棄する対象として明記されていた。
1949年11月 ウイリアム・シーボルト駐日政治顧問の修正提案「竹島は日本に属する旨、明記
することを提案する。…米国の利害に関係ある問題として、安全保障上の配慮から
この島に気象及びレーダー局を設置することも考えられよう」
「安全保障上の配慮」とは冷戦の激化と中国革命の成功などにより極東情勢が
「米国の不利な方向に大きく変化してきた」こと。
★「ラスク覚書」の論理
1951年06月 講和条約草案「済州島、巨文島及び欝陵島に対する権利を放棄する」と規定され、
日本が放棄する対象から独島(竹島)が外された。
これに対して、韓国政府は直ちに意見書を提出し、日本による放棄の対象に独島
(竹島)を明記するよう求めた。
1951年08月 ディーン・ラスク国務次官補覚書「独島は…我々の知り得た情報によれば朝鮮の一
部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管
轄下にある」と述べ、韓国の主張を拒否した。
この覚書は、沖縄や北方領土が講和条約によって日本から分離されたことと矛盾
する。→米国の戦略的利害
1952年01月 韓国李承晩政権…海洋主権宣言→「李ライン」
1965年06月 日韓基本条約
1965年08月 韓国外務部長官「これ(日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文)には独島問題が
含まれていないことを、椎名悦三郎外相及び佐藤栄作首相は了解した」…日本側の抗議
★なぜ植民地問題か
1904年08月 第1次日韓協約…実質的に韓国を保護国化、事実上日本の占領下
1905年01月 日本が独島(竹島)の領有を閣議決定
1905年11月 第2次日韓協約…韓国の外交権を剥奪
★従軍慰安婦問題
1941年 夏 関東軍特殊演習
原善四郎参謀「兵士35人につき慰安婦1人と計算して、朝鮮総督府に2万人の女性急募」
★譲渡または放棄
芦田健太郎の提言…韓国民に対し反省と心からのお詫びの気持ちを表明した上で、将来の世代のために、日本は竹島(独島)を韓国に譲渡または放棄し、竹島(独島)にたいする韓国の主権を認める。
★自ら突き詰める問題
日韓条約、日中共同声明…実質的に歴史問題や領土問題は棚上げされ、日本への賠償請求は「玉虫色の決着」か放棄された。
ドイツから学ぶ…松村史紀ら…法的な問題は別にして、領土問題が植民地問題のシンボルとなっている以上、まずは日本がイニシアチブをとらねばならない。
★米国の地名委員会
米国では、1849年にフランスの捕鯨船が独島(竹島)を発見したときから韓国領とされている。2008年7月米国地名委員会が独島(竹島)を韓国領と表記していることが政治問題化したときに、町村信孝官房長官は「米政府の一機関のやることに、あれこれ過剰に反応することはない」と述べた。→国際社会は事実上その認識を認めたものと受け止めている。
★防衛協力の障害
日韓軍事情報の保護協定…2012年6月署名延期→9月以降の日韓防衛交流の中止
野田政権フロンティア分科会…集団的自衛権を提起→韓国主要紙の非難
原子力基本法の改正…原子力の利用目的に「安全保障に資する」→韓国メディアの非難
防衛白書、外交青書…「竹島は日本の領土」と主張→韓国を刺激