アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20190209 金沢市街地にF104ジェット機が墜落から50年を想う

2019年02月09日 | 小松基地(事故、緊急着陸)
50年前のこの日に―F104ジェット機が墜落から50年を想う

 昨日(2月8日)は小松基地所属のF104ジェット機が、金沢市泉2丁目に墜落して50年目の日であった。この日は雪がちらつく寒い日であったが、墜落現場の念西寺を訪問し、4人の犠牲者のための慰霊碑に手を合わせてきた。

  

 1969年、50年前のその日、私は金沢大学構内にいたが、墜落の知らせを聞いて、現場に向かった。あちこちにジュラルミンの機体の破片がバラバラにちぎれて、散らかっており、火は消えていたものの、あちこちから白煙が立ちのぼり、全域に焦げ臭い異臭が漂っていた。

 当時の私達は、ベトナム戦争に加担する佐藤政権とのたたかいに明け暮れていたが、2・8ジェット機墜落の現場を見て、戦時の爆撃とはこういう状態なのかと、ベトナム人民の怒りと苦しみを肌で感じる事件だった。

 その後、金沢大学学生運動は小松基地撤去闘争を現実的な課題にしはじめた。20歳そこそこの私達にとって、小松基地の歴史など皆目知らず、まずは北國新聞社の資料室を訪問して、小松基地関係の新聞の切り抜きを閲覧し、戦前戦後を通じての小松基地について調べることから始めた。これが、私が侵略出撃基地・小松第六航空団にこだわる第一歩だった。

 今朝(2/9)の新聞報道によれば、念西寺(泉2丁目)で追悼法要が営まれたが、基地関係者の出席がなかったという。 小松基地(日本政府)にとっては50年もたてば、忘却の彼方か、法要にさえ姿を見せなかったが、被害者とその家族はいつまでも忘れることが出来ないのだ。50数年前に、日本政府が米軍のベトナム侵略戦争に協力して、その結果、どれ程のベトナムの人々が死傷したか、決して忘れてはならないことである。

 日本政府の最近の戦争政策を列記すると、特定秘密法、安全保障関連法、新日米防衛力の指針、辺野古新基地建設などをごり押しし、集団的自衛権=侵略戦争を実行できる国(軍隊=自衛隊)へと変身させている。さらに、今年は9条改憲へと突き進もうとしている。F104墜落50年を節目にして、心を新たにしたい。







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 20190208 本土からこそ、沖... | トップ | 20190211 羽田弁天橋から50年 »
最新の画像もっと見る

小松基地(事故、緊急着陸)」カテゴリの最新記事