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アジアと小松

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小松基地問題研究会

『琉球王朝のすべて』(2012年6月)

2012年12月21日 | 沖縄基礎情報
『琉球王朝のすべて』
(2012年6月 河出書房新社)著者は喜納大作さんと上里隆史さん

目次は、
 ようこそ琉球王国へ 
 第1章 王宮・首里城の秘密 
 第2章 琉球王国の政府「首里王府」のしくみ
 第3章 国王と士族、庶民のくらし 
 第4章 琉球の神様と文化、風俗のふしぎ 
 終章 王朝の終焉と波乱の歴史>

 最近、韓国ドラマ「マイプリンセス」を楽しく見ました。コミカルな他愛のないラブストーリーですが、タイトルが示しているように、韓国李朝最後の純宗の孫が見つかり、皇室を復活させるというストーリーです。現代韓国に、このような世論があることに意外でしたが、李朝を自らの力で打倒したのではなく、日本によって強制的に絶たれたところに、反日的感情を込めた「李朝復活願望」があるのでしょうか。

 『琉球王朝のすべて』を読んでみても同じような意志を感じます。琉球王国が日本によって強制的に廃絶され、その後100年以上にわたって差別され、抑圧され、犠牲を強いられている沖縄県民にとって、琉球王朝への望郷と独立論が起きてくるのは当然のことでしょう。

 この本は図書館の中学生向けの書棚にあり、大人向けの学術書ではなく、くだけた読み物ですが、沖縄に近づくには適当な本だと思います。ぜひとも読んで欲しい1冊です。

 一部を紹介しますと、沖縄の歴史には、日本史の時代区分が通用しません。私が長年愛用してきた帝国書院発行の「新世界史地図」の巻末にある年表の「東アジア(中国、朝鮮、日本)」の一覧表には琉球の項目がないことに気付きました。うかつでした。

 沖縄には古墳を作る文化がなかったので、「古墳時代」と呼ばれる時代がありません。日本史の縄文時代から平安時代にかけては、沖縄では「貝塚時代」と呼ばれ、狩猟採取の時代が長く続きました(それほど豊かだったということです)。

 12世紀頃に農耕文化が本格的に始まり、そのころ「按司」と呼ばれる地域のリーダーが現れ、勢力争いをくり返し、1429年に中山王の尚巴志によって統一されました。しかし、64年後にはクーデターが起きて、第2尚志王朝が始まり、1879年まで(約380年間)続き、日本によって廃絶されました。

 沖縄の階級(身分)制度は士族と百姓(農工商全般)に、大きく二分されていました。両者の区別はそれほど厳格ではなく、士族から百姓になったり、百姓から士族になったり、また、下級士族の多くは百姓の仕事をして生活をしていました。

 1632年の琉球の人口は10万8958人で、士族はその5%(1690年)ほどでした。1879年の人口は31万545人で、士族は37%(1873年)に増えました。そして、士族の中にも階級があり、全士族中の80%がヒラ士族でした。

 このように見てくると、沖縄の社会的発展はずいぶん日本のそれとは違っており、また、「原始共産制~古代奴隷制~封建農奴制~資本主義」の定式とも違った様相を示しているようです。この本はハウツー物なので、この辺は「重い学術書」を開かねばならないのでしょう。

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