『現代キューバ経済史』(新藤通弘著)から学ぶ
11月25日カストロが死んだ。50年前、20歳の時に、岩波新書『キューバ』を読んで、心が動いた。キューバに関する書籍を図書館から何冊か借り出したので、読書ノートとして投稿していく予定だ。
まずは、『キューバ共和国憲法―解釈と全訳』(吉田稔/インターネット上)、『現代キューバ経済史』(新藤通弘著 2000年)、『近代日本総合年表』(岩波書店)をチェックした。
(1)キューバ植民地時代から2000年まで
1492年コロンブスがアメリカ大陸に到着し、キューバ先住民は絶滅され、スペインの植民地にされた。
1868年第1次独立戦争、1892年キューバ革命党が結成され、第2次独立戦争が戦われた。1898年4月に米西(アメリカ―スペイン)戦争が始まり、6月米軍キューバ上陸、12月戦争終結。キューバは合衆国に占領された。1901年に人権、三権分立を謳った本格的憲法が成立したが、人民は無権利のままだった。
1933年に革命政権が誕生し、1940年憲法が成立したが、1953年クーデターでバチスタ独裁政治が始まった。同年カストロらはモンカダ襲撃に決起し、1959年ついに革命政府を樹立した。1940年憲法を修正し、憲法制定会議を予定したが、完遂されなかった。
1975年キューバ共産党を結成し、1976年キューバ共和国憲法(社会主義型憲法)を制定した。1991年ソ連・COMECONが崩壊した。1992年―キューバ共和国憲法を改正し、第1章=抵抗権、信教の自由・政教分離、良心の自由、国有財産の不可侵の例外、国の貿易独占の廃止、合弁企業の承認へと舵を切った。
アメリカはトリセリ法(1992)、ヘルムズ・バートン法(1996)を制定して、キューバ経済封鎖(人権状況、1党独裁批判)をおこなった。2002年憲法改正(社会主義の政治経済システム、資本主義に戻らな)。
(2)1959年以前のキューバ経済
革命前のキューバ社会構造は①米帝による全産業の支配、②新興資本家―アメリカ従属、国民支配、③モノカルチャー(砂糖生産)、④極端な富の集中、⑤農民の3分の2が土地をもたない農業労働者、⑥アメリカの歓楽地=賭博、麻薬、売春の蔓延、⑦識字率57%以下、黒人への人種差別、人口600万人中10万人の売春婦、⑧汚職、腐敗の政治がおこなわれていた。
(3)初期カストロの主張
1953年モンカダ襲撃当時のカストロの主張は、「①人民主権確立、自由と民主主義、②多角的な工業化、電力・電話の国有化、③大土地所有の制限=土地の再分配、農業改革、④企業利益の30%を労働者へ=所得の再分配、⑤1世帯1住宅、家賃半減=住宅問題の解決、⑥教育・医療・福祉、⑦失業問題、⑧不正蓄財の没収、⑨民主的諸国民との連帯」を掲げていた。
(4)公約の実現
1959年1月バチスタ国外逃亡し、勝利するや、3月には電話料金の値下げ、家賃の30~50%値下げ、医薬品の値下げ。5月には400ヘクタール以上の大農地を接収(全耕地の67%が対象)し、10万人の無地農民に再分配、50万人の農業労働者を砂糖協同組合(国営農場)と人民農場に組織化した。土地の40%が社会的所有とされた。
1960年7月キューバ政府は石油資本エッソ、シェルを接収した。8月にはアメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社を国有化し、10月までには382の大企業の国有化、従業員25人以上の企業国有化がおこなわれた。革命は人民民主主義的性格から社会主義的性格へと転化した。
(5)アメリカの対キューバ政策
1959年12月、アメリカCIAがカストロ暗殺計画。
1961年1月アメリカはキューバ外交関係を断絶し、1962年2月には対キューバ貿易を全面禁止し、経済封鎖をおこなった。
1992年ヘルムズ・バートン法、1996年トリセリ法を制定して、キューバ経済封鎖(人権状況、1党独裁批判)をおこなった。
(6)1970年代以降のキューバ経済
1968年3月―工業、建築、運輸、小売、卸売など55000の私企業が国有化(国有化至上主義)された。国有化は米帝の干渉とたたかうための戦時総動員体制を目的としていた。
キューバの経済構造は①1次産品のモノカルチャー、②低い食糧自給率=55%、③高い輸入依存率=29.8%、④製造業の基盤弱であった。
経済システムをみると、①自由市場の不存在、小売流通機構の未整備、②過大投資―慢性的物不足、③闇市場の広範な存在、④租税体系の不備―政府財政の赤字、⑤労働に応じて受け取る=無視、⑥生産コスト計算が不正確、⑦物価統制―企業の赤字。
経済の実態をみると、①80年代半ばに経済停滞、②膨大な対外債務、③国家財政の赤字、④過剰通貨、⑤国営企業の赤字、⑥官僚主義、公害・環境問題―市民運動の不在。キューバ経済は非効率的で構造的問題(①国営企業=低生産性、非効率、②物価安定保障=賃上げの関心薄い、③労働者の雇用絶対保障、賃金格差なし―労働規律が低い、④法律上年間労働時間2000時間、実際には1700時間以下→赤字企業)を抱えていた。
(7)キューバの福祉政策
1959年以来、医療、教育などの国民の福祉、社会正義、社会的経済的平等主義を一貫して追求し、国民生活の向上をはかってきた。失業率は30%→6%。平均寿命・乳児死亡率=先進国並み。病気治療中の賃金補助(60~80%)など優れた社会保障が実現されてきた。
政治家官僚の汚職・賄賂、不正選挙、不識字、売春、賭博、麻薬、マフィアを一掃し、人種差別を消滅させ、女性の社会的地位向上が進んだ。
所得の再分配がおこなわれ、世界の貧富の差が1960年代=20倍から90年代=60倍へと悪化しているのに、キューバでは革命前=20倍から現在(2000年)4~6倍程度に改善差さている。低所得層30%の所得は1959年全所得の4.8%から1986年=10.5%へ、高所得層5%の所得は1959年全所得の26.5%から1986年10.1%へと改善された。
(8)政治制度
1961年4月「7・27運動」+人民社会党+革命幹部団による社会主義宣言が発せられた。1963年2月には社会主義革命統一党、1965年10月キューバ共産党が結成され、1975年12月第1回党大会が開催され、1976年キューバ共和国憲法が制定された。第6条には「キューバ共産党は…社会と国家の最高指導勢力である」という規定があり、5回大会までのキューバ共産党規約前文に「党は…フィデル・カストロの党である」とも書かれており、近代民主主義の概念になじまない1党独裁が承認された。カストロ個人が清廉な人物であるとしても、個=死としての限界は避けられず、思想と政治体制として確立すべきだろう。
1992年改正憲法では、「キューバ共産党は…社会と国家の最高指導勢力である」と、1党独裁が承認された。これは近代民主主義の概念になじまない。5回大会までのキューバ共産党規約前文に「党は…フィデル・カストロの党である」とも書かれている。
また、県議会・国会議員選挙は1名立候補による信任投票であり、複数の政党は存在しない。カストロは「複数政党制を導入することは人工的な亀裂を、国民の分裂を導入することである」「キューバにふたつの政党があるならば、1つは革命の党であり、もうひとつはヤンキーの党であろう」と言っており、アメリカ帝国主義包囲下のキューバ革命の深刻な位置を示している。
(9)経済危機の深化と政治改革
1990年以降のソ連・東欧危機がキューバに直接影響した。キューバの貿易はソ連に70%、東欧に15%依存していた。ソ連からの石油輸入激減が激減した。1991年のキューバ国内生産は10.7%もダウンした。1992年に入ると連日の停電、交通難、食糧不足、靴、石鹸、歯磨き粉、電球などの生活必需品、医薬品が欠乏し、経済改革を求める国民の声があふれた。キューバ政府は「平和時の非常時」を宣言した。
1992年7月憲法を一部改正し、①社会主義所有の不可逆性を削除し、民営化を容認し、外国資本の導入を図った、②貿易の国家的独占の廃止、③外国投資への保障、④信教の自由、差別の禁止、⑤ラテンアメリカ、カリブ海諸国との統合・協力、⑧国会議員、県会議員の直接無記名投票、⑪国家評議会議長に非常事態宣言の権限を与える、などの経済・政治改革をおこなった。
キューバ経済は1992年マイナス11.6%から1993年にはマイナス14.9%へと一層深刻さを増した。キューバペソは1993年8月1ドル=60ペソ、1994年1月80ペソ、6月150ペソへと、ペソ安がとどまらなかった。
キューバ経済の危機的状況を利用して、1994年8月5日にハバナ市内で騒擾事件が引き起こされたが、そのスローガンは「自由」「打倒カストロ」であった。しかし当時の市民の関心は「食糧」「停電」「交通」であり、内在的な反乱とは言えなかった。
(10)過渡期・キューバ
キューバ共和国憲法は社会主義を謳っている。第1条には「キューバは勤労者の社会主義国家、独立した主権国家であり、統一した民主国家として全国民によって全国民の幸福のために組織され、政治的自由、社会正義、個人及び集団の福祉、人びとの連帯のために組織された国家である」と規定されている。
マルクスは「労働の奴隷制の経済的諸条件を自由な協同労働の諸条件と置き換えることは時間を要する」と述べているが、著者(新藤通弘)は現在のキューバ社会を資本主義から社会主義への過渡期とし、社会主義社会の指標として、①労働者階級の権力樹立と政治過程への民主的参加、②生産手段の社会化と生産活動の国民の参加、③搾取の廃止と貧困の克服、④市場経済と結びついた計画経済、⑤労働に応じた分配、⑥人種差別、民族支配の決別を挙げている。
世界が資本主義に蔽われている時代において、キューバ社会主義を守るために、カストロは「経済的社会的発展を市場という法則に任せるわけにはいかない…しかし、何らかの形で、一定の形で、市場に適用することが出来ないことを意味するものではない」と述べている。アメリカの対キューバ経済封鎖の解除を求める国連決議は1992年には59カ国だったが、1999年には158カ国になっている。しかし、アメリカ(西側)は対キューバ経済封鎖を解かず、絞殺しかかっている(2015年米・キューバ国交回復)。
(12)キューバの展望
キューバは21世紀に向けての経済改革として、「①協同組合生産基礎組織の結成(国営農場の解体)、②自営業を拡大、所有制度の変革(非国有部門の増大)、③自営農拡大(所得格差の拡大)、④包括的社会保障制度→社会的弱者のための個別的社会保障制度」を掲げている。
1993年からの経済改革で、キューバの国内総生産は1993年に底を打ち、1994年反転し、1999年までに20.9%回復した。砂糖モノカルチャーからの脱皮も進み、農地の国有化率は75%(永代使用権=私的所有であるが)に下がった。経済改革(市場機能、競争原理の導入、外貨収入など)は市民の互助、連帯、献身性(企業内の汚職)と矛盾し、市民生活に精神的荒廃をもたらし経済犯罪、企業犯罪、麻薬が広がった。
1998年には約112億ドルの対外債務があり、国際収支は常に赤字で、外貨不足でキューバ経済発展の阻害要因となっている。外資導入によって高収益、高金利で収奪が拡大した。
著者は、今後のキューバは高齢化社会に突入し、2010年には社会保障の後退は避けられず、転換を強いられるとしている。今後の経済改革は、①企業改革→国営企業の非効率の克服(社会主義は正義、効率、品質)、②市場機能を経済活動の根幹に据えるとしているが、自営業、飲食業、海外送金を受ける層が増加し、ニューリッチ層を形成し、格差が広がることが危惧されている。
キューバはアメリカによる経済封鎖をはねのけて、21世紀をどのように乗り切っていくのか。次は、2016年に発行された『キューバ―超大国を屈服させたラテンの魂』(伊藤千尋著)を読む。
11月25日カストロが死んだ。50年前、20歳の時に、岩波新書『キューバ』を読んで、心が動いた。キューバに関する書籍を図書館から何冊か借り出したので、読書ノートとして投稿していく予定だ。
まずは、『キューバ共和国憲法―解釈と全訳』(吉田稔/インターネット上)、『現代キューバ経済史』(新藤通弘著 2000年)、『近代日本総合年表』(岩波書店)をチェックした。
(1)キューバ植民地時代から2000年まで
1492年コロンブスがアメリカ大陸に到着し、キューバ先住民は絶滅され、スペインの植民地にされた。
1868年第1次独立戦争、1892年キューバ革命党が結成され、第2次独立戦争が戦われた。1898年4月に米西(アメリカ―スペイン)戦争が始まり、6月米軍キューバ上陸、12月戦争終結。キューバは合衆国に占領された。1901年に人権、三権分立を謳った本格的憲法が成立したが、人民は無権利のままだった。
1933年に革命政権が誕生し、1940年憲法が成立したが、1953年クーデターでバチスタ独裁政治が始まった。同年カストロらはモンカダ襲撃に決起し、1959年ついに革命政府を樹立した。1940年憲法を修正し、憲法制定会議を予定したが、完遂されなかった。
1975年キューバ共産党を結成し、1976年キューバ共和国憲法(社会主義型憲法)を制定した。1991年ソ連・COMECONが崩壊した。1992年―キューバ共和国憲法を改正し、第1章=抵抗権、信教の自由・政教分離、良心の自由、国有財産の不可侵の例外、国の貿易独占の廃止、合弁企業の承認へと舵を切った。
アメリカはトリセリ法(1992)、ヘルムズ・バートン法(1996)を制定して、キューバ経済封鎖(人権状況、1党独裁批判)をおこなった。2002年憲法改正(社会主義の政治経済システム、資本主義に戻らな)。
(2)1959年以前のキューバ経済
革命前のキューバ社会構造は①米帝による全産業の支配、②新興資本家―アメリカ従属、国民支配、③モノカルチャー(砂糖生産)、④極端な富の集中、⑤農民の3分の2が土地をもたない農業労働者、⑥アメリカの歓楽地=賭博、麻薬、売春の蔓延、⑦識字率57%以下、黒人への人種差別、人口600万人中10万人の売春婦、⑧汚職、腐敗の政治がおこなわれていた。
(3)初期カストロの主張
1953年モンカダ襲撃当時のカストロの主張は、「①人民主権確立、自由と民主主義、②多角的な工業化、電力・電話の国有化、③大土地所有の制限=土地の再分配、農業改革、④企業利益の30%を労働者へ=所得の再分配、⑤1世帯1住宅、家賃半減=住宅問題の解決、⑥教育・医療・福祉、⑦失業問題、⑧不正蓄財の没収、⑨民主的諸国民との連帯」を掲げていた。
(4)公約の実現
1959年1月バチスタ国外逃亡し、勝利するや、3月には電話料金の値下げ、家賃の30~50%値下げ、医薬品の値下げ。5月には400ヘクタール以上の大農地を接収(全耕地の67%が対象)し、10万人の無地農民に再分配、50万人の農業労働者を砂糖協同組合(国営農場)と人民農場に組織化した。土地の40%が社会的所有とされた。
1960年7月キューバ政府は石油資本エッソ、シェルを接収した。8月にはアメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社を国有化し、10月までには382の大企業の国有化、従業員25人以上の企業国有化がおこなわれた。革命は人民民主主義的性格から社会主義的性格へと転化した。
(5)アメリカの対キューバ政策
1959年12月、アメリカCIAがカストロ暗殺計画。
1961年1月アメリカはキューバ外交関係を断絶し、1962年2月には対キューバ貿易を全面禁止し、経済封鎖をおこなった。
1992年ヘルムズ・バートン法、1996年トリセリ法を制定して、キューバ経済封鎖(人権状況、1党独裁批判)をおこなった。
(6)1970年代以降のキューバ経済
1968年3月―工業、建築、運輸、小売、卸売など55000の私企業が国有化(国有化至上主義)された。国有化は米帝の干渉とたたかうための戦時総動員体制を目的としていた。
キューバの経済構造は①1次産品のモノカルチャー、②低い食糧自給率=55%、③高い輸入依存率=29.8%、④製造業の基盤弱であった。
経済システムをみると、①自由市場の不存在、小売流通機構の未整備、②過大投資―慢性的物不足、③闇市場の広範な存在、④租税体系の不備―政府財政の赤字、⑤労働に応じて受け取る=無視、⑥生産コスト計算が不正確、⑦物価統制―企業の赤字。
経済の実態をみると、①80年代半ばに経済停滞、②膨大な対外債務、③国家財政の赤字、④過剰通貨、⑤国営企業の赤字、⑥官僚主義、公害・環境問題―市民運動の不在。キューバ経済は非効率的で構造的問題(①国営企業=低生産性、非効率、②物価安定保障=賃上げの関心薄い、③労働者の雇用絶対保障、賃金格差なし―労働規律が低い、④法律上年間労働時間2000時間、実際には1700時間以下→赤字企業)を抱えていた。
(7)キューバの福祉政策
1959年以来、医療、教育などの国民の福祉、社会正義、社会的経済的平等主義を一貫して追求し、国民生活の向上をはかってきた。失業率は30%→6%。平均寿命・乳児死亡率=先進国並み。病気治療中の賃金補助(60~80%)など優れた社会保障が実現されてきた。
政治家官僚の汚職・賄賂、不正選挙、不識字、売春、賭博、麻薬、マフィアを一掃し、人種差別を消滅させ、女性の社会的地位向上が進んだ。
所得の再分配がおこなわれ、世界の貧富の差が1960年代=20倍から90年代=60倍へと悪化しているのに、キューバでは革命前=20倍から現在(2000年)4~6倍程度に改善差さている。低所得層30%の所得は1959年全所得の4.8%から1986年=10.5%へ、高所得層5%の所得は1959年全所得の26.5%から1986年10.1%へと改善された。
(8)政治制度
1961年4月「7・27運動」+人民社会党+革命幹部団による社会主義宣言が発せられた。1963年2月には社会主義革命統一党、1965年10月キューバ共産党が結成され、1975年12月第1回党大会が開催され、1976年キューバ共和国憲法が制定された。第6条には「キューバ共産党は…社会と国家の最高指導勢力である」という規定があり、5回大会までのキューバ共産党規約前文に「党は…フィデル・カストロの党である」とも書かれており、近代民主主義の概念になじまない1党独裁が承認された。カストロ個人が清廉な人物であるとしても、個=死としての限界は避けられず、思想と政治体制として確立すべきだろう。
1992年改正憲法では、「キューバ共産党は…社会と国家の最高指導勢力である」と、1党独裁が承認された。これは近代民主主義の概念になじまない。5回大会までのキューバ共産党規約前文に「党は…フィデル・カストロの党である」とも書かれている。
また、県議会・国会議員選挙は1名立候補による信任投票であり、複数の政党は存在しない。カストロは「複数政党制を導入することは人工的な亀裂を、国民の分裂を導入することである」「キューバにふたつの政党があるならば、1つは革命の党であり、もうひとつはヤンキーの党であろう」と言っており、アメリカ帝国主義包囲下のキューバ革命の深刻な位置を示している。
(9)経済危機の深化と政治改革
1990年以降のソ連・東欧危機がキューバに直接影響した。キューバの貿易はソ連に70%、東欧に15%依存していた。ソ連からの石油輸入激減が激減した。1991年のキューバ国内生産は10.7%もダウンした。1992年に入ると連日の停電、交通難、食糧不足、靴、石鹸、歯磨き粉、電球などの生活必需品、医薬品が欠乏し、経済改革を求める国民の声があふれた。キューバ政府は「平和時の非常時」を宣言した。
1992年7月憲法を一部改正し、①社会主義所有の不可逆性を削除し、民営化を容認し、外国資本の導入を図った、②貿易の国家的独占の廃止、③外国投資への保障、④信教の自由、差別の禁止、⑤ラテンアメリカ、カリブ海諸国との統合・協力、⑧国会議員、県会議員の直接無記名投票、⑪国家評議会議長に非常事態宣言の権限を与える、などの経済・政治改革をおこなった。
キューバ経済は1992年マイナス11.6%から1993年にはマイナス14.9%へと一層深刻さを増した。キューバペソは1993年8月1ドル=60ペソ、1994年1月80ペソ、6月150ペソへと、ペソ安がとどまらなかった。
キューバ経済の危機的状況を利用して、1994年8月5日にハバナ市内で騒擾事件が引き起こされたが、そのスローガンは「自由」「打倒カストロ」であった。しかし当時の市民の関心は「食糧」「停電」「交通」であり、内在的な反乱とは言えなかった。
(10)過渡期・キューバ
キューバ共和国憲法は社会主義を謳っている。第1条には「キューバは勤労者の社会主義国家、独立した主権国家であり、統一した民主国家として全国民によって全国民の幸福のために組織され、政治的自由、社会正義、個人及び集団の福祉、人びとの連帯のために組織された国家である」と規定されている。
マルクスは「労働の奴隷制の経済的諸条件を自由な協同労働の諸条件と置き換えることは時間を要する」と述べているが、著者(新藤通弘)は現在のキューバ社会を資本主義から社会主義への過渡期とし、社会主義社会の指標として、①労働者階級の権力樹立と政治過程への民主的参加、②生産手段の社会化と生産活動の国民の参加、③搾取の廃止と貧困の克服、④市場経済と結びついた計画経済、⑤労働に応じた分配、⑥人種差別、民族支配の決別を挙げている。
世界が資本主義に蔽われている時代において、キューバ社会主義を守るために、カストロは「経済的社会的発展を市場という法則に任せるわけにはいかない…しかし、何らかの形で、一定の形で、市場に適用することが出来ないことを意味するものではない」と述べている。アメリカの対キューバ経済封鎖の解除を求める国連決議は1992年には59カ国だったが、1999年には158カ国になっている。しかし、アメリカ(西側)は対キューバ経済封鎖を解かず、絞殺しかかっている(2015年米・キューバ国交回復)。
(12)キューバの展望
キューバは21世紀に向けての経済改革として、「①協同組合生産基礎組織の結成(国営農場の解体)、②自営業を拡大、所有制度の変革(非国有部門の増大)、③自営農拡大(所得格差の拡大)、④包括的社会保障制度→社会的弱者のための個別的社会保障制度」を掲げている。
1993年からの経済改革で、キューバの国内総生産は1993年に底を打ち、1994年反転し、1999年までに20.9%回復した。砂糖モノカルチャーからの脱皮も進み、農地の国有化率は75%(永代使用権=私的所有であるが)に下がった。経済改革(市場機能、競争原理の導入、外貨収入など)は市民の互助、連帯、献身性(企業内の汚職)と矛盾し、市民生活に精神的荒廃をもたらし経済犯罪、企業犯罪、麻薬が広がった。
1998年には約112億ドルの対外債務があり、国際収支は常に赤字で、外貨不足でキューバ経済発展の阻害要因となっている。外資導入によって高収益、高金利で収奪が拡大した。
著者は、今後のキューバは高齢化社会に突入し、2010年には社会保障の後退は避けられず、転換を強いられるとしている。今後の経済改革は、①企業改革→国営企業の非効率の克服(社会主義は正義、効率、品質)、②市場機能を経済活動の根幹に据えるとしているが、自営業、飲食業、海外送金を受ける層が増加し、ニューリッチ層を形成し、格差が広がることが危惧されている。
キューバはアメリカによる経済封鎖をはねのけて、21世紀をどのように乗り切っていくのか。次は、2016年に発行された『キューバ―超大国を屈服させたラテンの魂』(伊藤千尋著)を読む。