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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

12・18 尹奉吉義士84周年チェサ(祭祀)

2016年12月20日 | 尹奉吉義士
12・18 尹奉吉義士84周年チェサ(祭祀)

 12月18日午後1時30分から、師走の金沢野田山墓地で、尹奉吉義士84周年のチェサがおこなわれました。暗葬之跡に30余人が集まり、月進会日本支部、尹奉吉共の会、沖縄からの発言のあと、読経のなかを各々が1輪の花をささげて、84年前に野田山の土に還った尹奉吉義士に思いを馳せました。

 チェサ後、月進会日本支部が準備したクッパやチジミを味わいながら、冷えた身体を温め、歓談し、時を過ごしました。2人の発言要旨(文責当会)を下記に記します。

月進会日本支部
 今年は申年で、猿は昔から長生きと健康の守り神なんです。尹奉吉義士は1908年申年に生まれ、事件を起こし処刑された1932年も申年なんです。干支でいうと、尹奉吉義士はふたまわりして、短い生涯を終えました。

 朝鮮にサプルサということわざがありまして、漢字で表すと「死不死」と書きまして、日本でいうと不死鳥という意味で、永遠になくならないということです。韓国の国歌に「東海が乾き果て、白頭山が磨り減る時まで、神のお護りくださる我が国」という歌詞があるのですが、まさに尹奉吉は韓国があり、民族があり、地球がある限り、永遠に生き続ける方だと思います。

沖縄から
 沖縄から来ました。私は12年前から辺野古の海でカヌーに乗って基地建設阻止をたたかっています。なぜ朝鮮人が沖縄でたたかっているのかということですが、わが国は38度線で分断されています。辺野古新基地が出来ることによって、その矛先がわが祖国朝鮮に向けられます。この米軍基地を撤去させることが朝鮮統一の最大の近道だと思って、たたかってきました。

 尹奉吉義士は私たちの誇りです。私は在日2世ですが、1世のアポジ・オモニの想いをつなぐためにやっていきたい。

『尹奉吉全集』第5巻所収『新韓民報』の日本語訳に期待する

 2012年に発行された『尹奉吉全集』(全8巻)の第5巻に、1932年5月5日から1945年3月1日までの『新韓民報』が復刻されています。『新韓民報』は日本帝国主義による検閲も圧伏もないアメリカ・サンフランシスコで発行されていた週刊新聞でした。

 復刻されている記事は4・29上海爆弾事件に関する記事であり、その中に、同時代、同時刻に生きた朝鮮人の心の底からの快哉と日帝植民地支配にたいする怒りが表明されています。サンフランシスコでの第1報は「1932年5月5日【號外EXTRA!】青天の霹靂の尹奉吉義士の爆弾一つが非道な日本人の暴行者たちを懲罰!」となっています。

 当時、日本国内や朝鮮では、尹奉吉義士のたたかいに心を寄せていても、公然とは同調することが出来ない暗黒の状況であり、『新韓民報』こそ、当時の韓国人の意志を把握する貴重な資料です。
 2016年秋から月進会日本支部が日本語訳をおこなっており、今後印刷物での発表に期待したいと思います。
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