おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

癖の話

2022-06-03 12:22:15 | 日記

 大気が不安定なのか、晴れていたかと思ったら、突然雨が降り出したり雷が鳴り始めたりする。今日もお昼頃には雷雨になるらしいというので、朝飯を食べた後はすぐに借りている駐車場で作業をした。カフェの立て札を個人名に変えたり、3台分借りていた場所を2台分に減らしたりと、雨が降る前に終わらせてしまう。

 本当なら自転車で近所をぶらぶらして絵のモチーフを探して来たいのだが、こう天気が安定しないんじゃ、のんびりうろつくことは難しい。仕方がないので読書をしたり、今年になって始めた習字の練習に打ち込む。

 今年の目標として始めた習字は、毎日1時間ほどこの5ヶ月間、ほぼ休むことなく続けている。一冊の習字のお手本を順番に書いて行き、今はひらがなの「そ」を練習している。

 お手本はネットで購入したが、時々「あんまり上手に見えないな」という文字もある。それでもなるべく忠実に、自分でおかしいと感じたところも無視して書いている。とにかく大事なのは、自分の癖を一度なくしてしまい、自分を白紙状態に近くすることなのである。お手本の字を見て、気に入ったとか気に入らないとか言っていることが、すでに自分の中で判断していることになる。これではいくら書いても、自分の字を超えていかない。

 癖字というやつは厄介だ。右上がりだったり右下がりだったり、あるいは丸っこかったり角ばっていたり、人それぞれに癖があり、それを「個性だから」のひと言で済ませてしまってもいいのだが、柔軟な脳みそを持ち続けたいと思えば、個性などというものに過度にこだわらないほうがいいだろう。

 こんな話を聞いたことがある。癖字というのは、手が覚えている癖だと思っていたら大間違いで、砂浜に行って足で自分の名前を書いても、利き手で書いた時とまったく同じ傾向の癖のある字になるという。つまり、癖とは手が持っているのではなく、脳みその持つ癖なのである。

 絵が下手くそな人というのも同じことで、対象物をよく見て描きなさいと言われても、自分の脳みそにあるイメージしか描くことができない。人物の顔が同じような顔つきになってしまうのは、脳が認識しているイメージを描いているに過ぎないからである。

 だから、癖を矯正するというのは難しい。スポーツ選手がちょっとフォームをいじろうとすると、途端にスランプに陥ったりするのは、体と脳が分離してしまうからにほかならない。自分を一旦白紙の状態に置くというのは、ぼんやりしていればいいということではなく、実は普段使っていない脳みそをフル回転させなければならない大変な作業なのである。

コメント
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