九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

新聞の片隅に載ったニュースから(番外編)    大西五郎

2012年05月09日 09時20分52秒 | Weblog
大西さんの、新聞の片隅に載ったニュースから(番外編)です。らくせき

テレビ局はもっと良い番組を(2012.5.8毎日新聞「みんなの広場」)

「先日第3シリーズの放映が終了したNHK総合テレブ「ブラタモリ」を
毎週楽しみにしていた。スイッチを切りたくなるような番組が多い中で、
楽しく見ることができ、かつ何か得をした気分になる内容だった。

出演者が主に東京都内を散策しながら、それぞれの街の歴史やエピソードを
分かりやすく紹介していた。それぞれの場所で昔から続く人々の営みがあり、
それが今につながっていることを実感させてくれた。
視聴者の嗜好が影響しているのかもしれないが、最近は内幕ネタなどで人を
中傷したり、ののしって笑いを取るようなバラエティーが数多く放映されていることに
落胆している。琴線に触れる、感動を与える番組とまでは言わないが、
楽しく、ほっとして、そして少しためになるものを望む人は多いのではなかろうか。
テレビ局に一考をお願いしたい。」(長崎県 団体職員 59歳男性の投書)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   

 「新聞の片隅に乗ったニュース」とは違いますが、放送の仕事をしてきた身として、
また「新聞の片隅に乗ったニュースから」の送信先に放送関係の方が多いこと。
またそれ以外の人でも、最近マスコミの報道やテレビの番組に不満をもっておられる
方が多いので、毎日新聞の「みんなの広場」に載った投書を紹介しました。

 投書者が紹介した「ブラタモリ」は私もよく視ました。
番組の中に「へぇー そうだったのか」と思わされる情報が詰まっていたりする
知的エンターテイメントでした。ところが最近の、例えば今週の民放のテレビ番組を見
てみますと、1チャンネルのTHKでは、コントグループのネプチューンチームと
ゲストチームが超常識問題のクイズの回答と自分たちが面白がっているト
ークの「ネプリーグ」(7日月曜日)。
4チャンネルのCTVはお笑いタレントのイモトが珍獣や猛獣を探し、
危険な目に遭うのが売りの「世界の果てイッテQ」(6日日曜日)。
5チャンネルのCBCが、「超もてもてナインティナイン!
(今週はTV史上最もガチなお見合い大作戦)」(8日水曜日)。
6チャンネルの名古屋テレビでは、芸人のグループが居酒屋やファミリーレストラン、
中華料理店などへ行き、みんなでその店の売り上げベスト10の料理の順位を当てる。
当たるまでその料理を食べ続けるという「帰れま10」などのコーナーがある
「お試しかっ!」など、“おもしろおかしい”を狙った、
投書者が指摘するようにタレントの裏噺を暴露したり、下手なギャグで
無理に笑ったりするような番組が目白押しです。
あとは「旅とグルメとサスペンス」。そして最近は「韓流ドラマ」ばかりです。

 ジャーナリズムとしての役割や文化を守り広める役割、健康な娯楽の提供と
いう放送が果す番組が少なくなり、ひたすら視聴率稼ぎ、制作費安上がりの
番組づくりばかりが追求されていることに放送に関わった人間として意見を言い、
視聴者はもっと怒るべきだと思います。
                                       大西 五郎
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         思いがけぬ新手を得ての、原子力ムラの総反抗       只今

2012年05月08日 17時59分07秒 | Weblog
     ● 中日=東京新聞に栄えあれ!
       5月5日の『さよなら原発集会』で挨拶したチェ・ヨル(韓国環境財団代表)さんは、最後をこう呟いて締めました。
       “ トウキョウシンブンを おうえんしてまーす ”
 
       寸前に挨拶したフクシマの女性が、“有楽町で反原発を訴えてきましたが、寂しい思いをすることしばしば。
       それで思ったことは、もうマスコミに期待するのではなく、クチコミでしっかり対抗しなければということでした”
       という発言があったばかりなので、チェさんの一言には意表をつかれました。
       【未来のための原発ゼロ】と一面に大きく掲げた『中日・東京新聞』は今や、外国にまでその名を馳せている!
       
        だから、そのこと脅威千万許すまじ、と嘆いたのが江川祥子氏。
        瀬戸内寂聴氏に、“もう少し勉強してほしい”とツィッターして話題になったばかりですが、
        “東京新聞は反原発の機関紙のようだ”と恥も外聞もなんのそのの狂った発言。

     ● 二つのスローガンが一緒に叫ばれた。
       チェ・ヨルさんが呼びかけたスローガンは“ノーモア、ヒロシマ・ナガサキ。ノーモア、フクシマ”
       このスローガンに私は胸をうたれました。
       それは「ヒロシマ・フクシマ」が並んでいたからです。
       
       これまでの反核運動では、原爆と原発は切り離されてきました。
       原発を原子力の平和利用という観点からとらえることに警告を発したのは森滝市郎・原水禁理事長=1970。
       これに対して、「脱原発派は、核と人類は共存できないと主張していますが、わが党の立場は原子力の発展
       は人類の英知の所産だということです」というのが高原晋一・日本共産党副委員長=1989。
       この流れを今も引き継いでか、5月6日東京を出発した恒例の「国民平和大行進」のスローガンには、
      (脱原発)という文字はみられません。
       原発問題は、昨年暮れに結成された「原発なくす全国連絡会」が担当するということですが、
      この連絡会所属の団体は、相変わらずの金太郎飴? と思うのは偏見でしょうか。        
                    






       
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                〈偽装停電の夏〉をくいとめよう!      只今

2012年05月07日 21時00分08秒 | Weblog
●とりあえずは全原発停止。その内祝いとして高木守道クンに関する落首にうつつをぬかしていましたら、
 田中優(坂本龍一との共著『非戦』あり)さんから、「偽装停電の企みが進行しています。この不安を聞いてください」
 とのメルマガがやってきました。その大要を紹介します。
 
  =電気は足りる、という思いを横において、電気が足りない、という話にのって考えてみる。
   電気消費量のうち、家庭のそれは22パーセント。
   そして電気が足りなくなるというのは〈夏場・平日・日中〉のごく一時的なことであり、
   そのピーク時には家庭の三分の二は不在で、家庭の消費量の割合は一割に過ぎない。
   だから節電すへきは格安料金で受けている〈事業者〉であり〈家庭〉ではない。

    しかし大阪の橋下市長は、「橋下市長、経産幹部と密会。再稼働で意見交換。民主幹部同席」
   との4月26日付『毎日新聞』見出し記事によれば、

   『橋下市長は再稼働しない場合、「ピーク時にみんなで我慢できるかどうか。 
    それが無理なら原発を再稼働するしかない」と述べ、〈原発か節電か〉の二者択一を住民に訴える考えを示した。
    橋下市長はこれまで安全性を確認する手続きが不十分なことを理由に再稼働に反対してきたが、
    「理想論ばかり掲げてはだめ。生活に負担があることをしっかり示して府県民に判断してもらう」と強調した』。
 
   このように橋下市長は上のように主張を変え、市民のライフスタイル論に責任をなすりつけている。  
   すでに大阪市を手伝っている市民活動家は梯子を外されている。
   ここは市民の伝達力と、原子力マフイアの伝達力の勝負。彼らのもくろみを失敗させよう=

   
●以上が田中優さんの訴えですが、大阪市の顧問である古賀茂明さんと飯田哲也さんはこう言っています。
    古賀茂明= 再稼働する理由は、20年、200兆円かかる廃炉を先延ばしするためです。
    飯田哲也=(1)揚水発電 (2)他の電力会社からの融通(3)需給調整契約
            (4)自家発電など余剰電力の活用で、電力は充分に賄える。

    この二人を、橋下市長はどうする積もりでしょうか。

  
  
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おめでとう!ピース愛知5周年!         あんころもち

2012年05月07日 10時55分03秒 | Weblog
 名古屋市名東区の平和資料館「ピースあいち」が5周年を迎え、館内をリニューアルしたり、さまざまな催しを開催しています。
 この施設は、80代の夫人の個人資産の寄付を基に、ほとんど無給のボランティアの活動によって維持されてきたもので、子供たちを始め若い人達にかつての戦争の実態を示し、その反人道的な様相を資料を元に展示し、平和の大切さをつぶさに知らせてきました。
 本来なら、国や各自治体が設置すべきものなのですが、それが叶わぬ今、こうした施設が民間の有志によって維持されているのは貴重なことといわねばなりません。
 5周年を迎えたものも、今後の運営は決して楽ではありません。
 私もそれを見守りその維持のために微力ながら応援したいと思っています。
 また、ここをご覧の方もとりあえず一度足を運びになることをおすすめします。

   〒465-0091 愛知県名古屋市名東区よもぎ台2-820
            戦争と平和の資料館ピースあいち
                  電話:052-602-4222


 スタッフのみなさん!
 5周年、よく頑張りましたね。
 皆さんの後に平和を愛する人達が続くことを信じ、お祝いとエールを送ります。

 新聞休刊日のようですが、デジタル版「中日」に記事が掲載されています。
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改めて「サッカーは論理的なゲーム」!   文科系

2012年05月07日 00時21分12秒 | スポーツ
 僕はスポーツを、野球や相撲のように興業、マスコミ素材の側面を第一にして、プロ本位なものには見ていない。それどころか、野球にしても相撲にしても、興業主義、プロ主義がこれを毒してきた面があるのであって、スポーツにはもっと「スポーツを行う側に立つ」、身体芸術として社会がこれを遇するべき面があっても良く、マスコミももっとそう言う側面を強めるべきだと考えてきた。ヨーロッパのサッカー論壇には、はっきりとそう言う潮流が歴史的に存在する事が確認できる。スポーツ論壇にはこのように、もっとシリアスなモノも存在して良いはずだ。スポーツを行う無数の青少年の健全な全面的発達の為にも。そんなことで、そんな観点、姿勢から僕はここにサッカー評論を書いてきたつもりだが、今回も極めてシリアスなモノを書いてみたい。
 今日本のサッカー界に、Jリーグ発足以来初めての大事件が起こっている。そして僕は、それに今、心を振るわせているのだ、と。こんな風に。

【 表題のことを、改めて噛みしめている。その視点は、今年のJ1の予想のこと。評論家たちはみんな、ここ数年の順位などを判断材料にしていた。従来型思考が材料にならない事態が起こっていると、ほとんどの人が考え及ばずに。ところが、従来順位、チーム力量が今後の予測の当てにならぬと「論理的に証明できる資料」が、厳然と存在していたのである。

 10年までJ2にいた柏の優勝。リーグ戦と同様に重視されるトーナメント戦、天皇杯が、J2同士の決勝になったこと。09年までJ2にいた仙台が11年には4位になったのだが、その武器がダントツの最少失点であったこと。なんせ、2番目に少ない名古屋よりも11点も少なかったのである。
 これらの事態を論理的に考えられる頭脳があるならば、こう判断するしかなかったはずなのではないか。
「従来とは違う、何か全く新しい事態がJリーグに起こっている」
 確かにこんな事態のトータルな眺望は、J発足20年初のことであった。でも「初のことが起こっている」と、認める人がいなかったというのは、惰性の思考しかできなかったという証拠でもある。そういう意味では、今現在において将来を見ると、こんな重要な予測、仮説も成り立つのではないか。

「J1常連チームの中で、この事態にいち早く対応できつつあるチームは、フットボールの原則にこれまでも忠実であったか、監督が(対応)能力がある有能な人であるか、あるいはこの両方かということだ」
 この現状分析、判断、予測に該当するチームは例えばまず、清水とゴドビ監督、広島と森保監督あたりだろう。逆に、このままなら期待できない監督の筆頭が、グラのピクシーである。なお、他の従来の強豪は、鹿島もガンバも横浜も、既に旧監督が淘汰されてしまった。これ自身も今思えば、何か重大な変化が起こったことを示していたのだ。
 さてただし、かってなく全体が急変する時は、まだまだ変わりうるとも言える時である。つまり、現在の監督などの力量変化もプラスマイナスに関わってきて、深浅両様に行き着く先がどこまでか分からない時とも言える。

 ともあれ、興奮するような興味深い事態が起こっているし、この1年さらにこういう変化が見られるだろうということだけは、確かだと愚考している。そして、僕は日本サッカーの変化に心を振るわせている。】

 なお、この変化の中身、そのさらなる深化などについては、ここに何度も書いてきたとおりである。
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  人間的な「瞬間湯沸かし器」か、沈着非情な「瞬間接着剤」か        只今

2012年05月06日 11時10分43秒 | Weblog
      ● こんなこと言われて、やってられるか!
       ベンチに戻った高木守道に水原監督が言った。“飛び込んだら、捕れたんではないか?”
       すると守道は、傍らの板東英二に「自分で捕ってみろ」との呟きを残してベンチ裏に消えた。
       やがて守備する段になったが、二塁に守道の姿がない。彼はとっくに球場を後にしていた。
       
      ● 人を頼るな、自分でなんとかしろ!
       下手投げの小川健太郎が何度も牽制球を投げてきた時、スパイクでそれを受けた。
       バッターを討ちとればいいんだ、というのが守道の理屈。
        このときの監督は与那嶺。与那嶺は優勝した原因の一つに次のことを挙げた。
       “高木守道と星野仙一は、叱るとふてくされる。だから放っておいた”
        このことに文句を言ったのが、近藤貞雄コーチ。
        後に野武士軍団と称されたチームを率いて優勝。
        このとき近藤監督は、登板を迫る星野にそれを許さず、引退に追い込んだ。
        しかし片や、コーチ時代に権藤を酷使し、投手生命を絶ったことを自省し、分業制度を確立した。

      ● サインは出さん、勝手にやれ!
        この四日の阪神戦、勝ゲームもサインが伝わらなかったとコーチを叱責。六回からサイン放棄、会見も拒否。
        翌日は勝ゲームを同点にされ、ファンから浴びた野次に「なにぃ、何言っとるんだ」と返す。
        翌々日は大敗も、会見も穏やか。板東が電話したのだろうか。

      ● 貴方はどう思いますか?
       このような高木守道の熱血型には、金田正一、近藤貞雄、星野仙一と挙げることができるが、いずれも投手出身。
       一方、沈着冷静型としては、川上から始まって森、野村、落合と幾人かいて、どちらの型も優勝している。
       優勝すればいい監督、というわけでもなさそう。
       優勝するかしないかでなく、好き嫌いを尺度にして監督を見たいと思うのですが、皆さんはどうでしょうか。
       以上、全原発停まるの状況を心祝いする落首まで。
          
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書き下し小説 「読者って、いじわる」(3)  文科系

2012年05月05日 11時15分06秒 | 文芸作品
 さて、このギター友だちK氏との会食前夜、彼へのメールをいつものように連れ合いに見せた。「家出に限る」自身と、これを同人誌月例冊子に載せたという事実とも、全て読みとれるメールだ。読み終わった彼女は、全くの無返答。これも僕の体験上想定内のことではあったが、流石にちょっと驚いた。「文芸作品とは、随筆でさえ事実かフィクションかとかは度外視可能なもの」とわきまえた態度だと、これがまず僕の脳裏に浮かんだことだった。まー40年も高校の国語教師をやってきたのだから不思議な応対ではないのだが、討論を避けたというのも明らかだろう。もっとも彼女が作品内容上の問題提起や討論を避けるのはいつものこと。そう思い出せば、やはり不思議なことではないのである。たとえ「家出に限る」が、30年に一度の出来事を描いたものであるとしても。

 翌日、とある和食屋の明るい個室。K氏との会食は初めから「僕の相談、彼の応答」という展開になっていった。もちろん僕が、そのように準備して臨んだからだ。
「連れ合いとのことは驚かせたようだけど、最近の僕はどうも度外れに熱くなると言うか、怒るようになったなという事件がいくつかあってね。それもどうも、年のせいだけじゃないみたいで、ちょっと整理してみたかったんだよね」
「ブログの討論でもみんなとよく喧嘩してるようだし、メールにもあった随筆の同窓生飲み会にケンカを売った事件も、その口かな? 他にもまだあるの?」
 散歩とゴルフとかで焼けた顔をほころばせて、そう応えた。なんせ彼は、僕のブログ記事を全部読んでいるのだ。コメントも含めてすべてと、よく豪語している。
「うん、同人誌の会合でもよく『意見を押しつける』と言われるしね。あー君もギター談義の、その練習法なんかで、僕の押しつけをよく指摘するよね。同人誌では、先日もこんなことがあったよ」

 それは、2ヶ月前の月例会で、初めての孫について書いた「何処より来たりしものぞ」という僕の作品への合評の時のことだ。問題の発端は、主宰のN氏がこう言われたことにある。この題名が、万葉歌人、山上憶良の長歌「子を思う歌」の長歌に由来することは作品中に書いてあるのだが、これに関わってN氏がこう質問された。
「この『子を思う歌』が、我が子が死んだ時に作られた歌だということを娘さんが知っていたら、果たしてどう思うでしょうね」
 この質問に僕はカチンと来たのである。思わず、ちょっと大きなつぶやきのように、こう口走っていた。
「そんな縁起物みたいな話、どうでもいいですわ!」
 小声ではあったが、小さな部屋で皆に聞こえたのは明きらかだ。一瞬座がしーんとなったことでもあるし。もっともその直後に誰かが何か言いだして、別の話題に移っていったのだったが。あの言わば方向転換にも見えたものは、誰かが気を遣ってのことだったのか。
 この時の僕の心中はこういうものだったと言える。正直に言うが、この歌を長歌・反歌ともに全て暗唱できるほどに親しんではきていても、そういう背景は知らなかった。だが、娘が例えこれを知っていたところで、何か気持ちを悪くするような類の人間ではないという確信だけはあったのである。「白銀も黄金も玉もなにせむに」という我が子が「どこから来たのか」と、それだけで十分なのであって、N氏の態度は「娘に縁起論理様のものを持ち込んで一種の批判を展開する、そんな為にする批判をやった」というわけである。まーイチャモンの類と捉えたということだ。「僕なら嫌ですね」と言われただけならば、僕にも何も文句はなかったろう。が、「娘さんが」というのにカチンと来たのである。「『俺は』気分を悪くするね」と「『人は』気分を悪くするもんだ」とは、僕にとっては全く重要度が違うのである。

 例会後にいつもある有志の飲み会でこの問題を取り上げてみたが(ちなみに、N氏は最近欠席されている。80半ばを過ぎられて、心臓病を抱えておられる)、皆の反応はどうもはっきりしない。いろんな側面から何度か説明してみても、みなさん返答の口を濁される。N氏の言葉へのご自分の解釈は語られず、僕の解釈にただなんとなく不賛成という感じを示し続けている。
〈こんな易しい論理が通じないって、いったいどういうことなのだ!〉
 こういう時の僕は口調、表情だけでなく、身振り手振りまでも熱くなる。特にその夜は、溜まってきた日ごろの鬱憤をはき出すようにして喋り続けていたはずだ。日ごろの僕と会とのすれ違いへの思いなど知る由もない皆からすれば、今振り返れば熱くなりすぎているだけでなく、異常なほどにちょっと激しすぎると見えたことでもあろう。

(続く) 
  
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新聞の片隅に載ったニュースから(15)    大西五郎

2012年05月04日 14時58分24秒 | Weblog
大西さんの、新聞の片隅に載ったニュースから(15)です。(らくせき)

豪州がF35調達を延期(’12.5.4読売新聞)

「オーストラリア政府は3日。最新鋭ステルス戦闘機F35の調達を
延期する方針をあきらかにした。政府は早期の財政黒字化を目標に掲げており、
国防費も削減対象にする考え。
F35は日本でも航空自衛隊の次期主力戦闘機に決まっているが、
価格上昇などへの懸念から調達計画を見直す国が相次いでいる。

地元メディアによると、オーストラリア国軍が調達予定の14機のうち、
米国内での訓練用の2機を除く12機の納入を2年遅らせる。
当初は2015~17年の納入を予定していたため、19年ごろまで遅れる可能性がある。」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 たまたまこの記事を読んだ直後の4日正午からのNHKニュースが
日本が購入予定のF35の購入費が当初予定より非常に高くなるという
ニュースを伝えていました。インターネットでNHK オン ラインを
呼び出してニュースを確認しました。それによりますと、

「アメリカ国防総省は、日本政府が次期戦闘機として最終的に42機を
購入する予定のF35戦闘機について、交換用の部品やパイロットの訓練なども含めた
総額は100億㌦、日本円でおよそ8000億円になるという見通しを議会に報告しました。

日本政府は今年度予算に、F35を1機当たり99億円として4機分の購入費を
計上しています。
アメリカ国防総省の報告を1機当たりの費用に換算すると、
価格は現在機体だけで計上されている予算の倍近い、
およそ190億円に上ることになり、今後、F35の購入を巡る日本国内の議論にも
影響を与える可能性もでています。」ということでした。

 今、日本では財政赤字が問題となっており、国債など国の債務残高は約1千兆円、
国民1人当たり800万円近くになります。
これは歴代政府が経済成長のためと称して大企業への税制優遇をする一方
大型公共事業に大盤振る舞いをし、防衛費、アメリカ駐留軍へのおもいやり予算などを
どんどん増やしてきた結果です。
今、消費税値上げが政府から提案されています。社会保障費を確保するためだと
政府はいいますが、財政赤字の補填にするためではないかという批判もおきています。

 EU加盟国の間で財政破綻が問題となって、次々にいろいろな国の国債の格付けが
切り下げられたりしています。「次は日本が危ない」という声も出ていると云われます。
それにもかかわらず、国の予算編成では防衛費は聖域とされているのです。
戦力の不保持(第9条)という憲法を持つ国が、
どうして1機190億円にもなるという戦闘機を42機も購入しようとするのでしょう。
日本政府はオーストラリア政府を見習うべきです。
                                       大西 五郎
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3日は世界報道自由デー(World Press Freedom Day)    らくせき

2012年05月04日 08時51分21秒 | Weblog
ドイツのテレビニュースを見ていたら、3日は、
世界報道自由デー(World Press Freedom Day)だそうです。

1993年の国連総会で制定されたもので、
民主主義にとって表現の自由は必要不可欠なものであり、
表現の自由の侵害に対して抗議行動を起こすよう世界に呼びかける日。

ドイツのテレビはアゼルバイジャンの報道弾圧を紹介していました。
日本は戦前や、敗戦直後のような検閲はありません。
これも現在の憲法のおかげです。
いま放送中の朝ドラのせりふを借りるなら
「戦争で死んでいった人たちの贈り物」。

その直後の韓国のテレびニュースは狂牛病がアメリカで発生。
調査団が訪米しているニュースをとりあげていました。
日本のマスコミでは、あまり注目されていません・・・

編集権という名目で知るべきニュースが小さく扱われるのは
まだしもとりあげられないのでは・・・
ちょっと困ったものです。

中日新聞が今日で25000号。
一番最初の号には戦争協力を宣言した社告。
1942年9月1日、二つの新聞社が国の政策により合併されられた日。

あれから70年、自民党は再び、国の権力を強化しようという
憲法案を発表。歴史は螺旋階段のように・・・

憲法記念日。報道の自由についての雑感でした。

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     関電は、はっきり言った。「再稼働と電力不足は関係ない」       只今

2012年05月03日 10時11分57秒 | Weblog
   ●先日開催された〈大阪エネルギー戦略会議〉で、テレビ・新聞は報じませんでしたが、   
    表記のことが、『モーニングバード〈玉川総研〉』で明らかにされました。

    関西電力は次のように発言。
                 ↓
        “原発の再稼働は、夏場の電力需要とは関係ありません”
 
    原発稼働は電力が不足するからではないことが、はっきりしました。
    では何故、再稼働を焦るのでしょうか。
                 ↓
        “約9千億円の原発関連資産がなくなるからです”=古賀茂明氏。
        “原発利権を受けてきた、いわゆる原子力ムラの人が困るからです”=河野太郎議員。

    ここではっきりしたことは、仙石議員が言った「再稼働しなかったら集団自殺」する人は、原子力ムラの住人だということ。

     
  ●「モーニングバード」はまた、経産省前の「原発阻止テント」を映しました。
    ハンスト参加の瀬戸内寂聴さんは言いました。 
                 ↓
        “今は戦争中よりも悪い時代。この国は滅びつつある”
        “しかし、こうした人たちを選んだ私たちにも責任がある”
   
   この寂聴発言をどう思いますか? と問われた玉川氏。 
                 ↓
        “今日は憲法記念日ですが、一部の人たちがまたこの国を戦争が出来る国にしたがっている
         そうしたことにも敏感であらねばということを、改めて思います” 

      
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新聞の片隅に載ったニュースから(14)   大西五郎

2012年05月02日 15時03分02秒 | Weblog
大西さんの、新聞の片隅に載ったニュースから(14)です。らくせき

空中給油機(のトラブル)で申し入れ(’12.5.2朝日新聞)

「名古屋、春日井、小牧各市と豊山町は1日、航空自衛隊小牧基地に対し、
4月27日に起きた空中給油機KC130のトラブルの原因究明と再発防止を
求める申し入れをした。浜松市沖で訓練中だったKC130は給油ホースが
巻き取れなくなり、ホース部分を海上に投棄した。
小牧基地によると、KC130はC130輸送機を改造し、
2010年5月に実用試験を開始。米軍の同型機では同様のトラブルはあるが、
空自では初めて。今回は給油ホースの動作をコンピューター制御する装置に
異常があったことがわかり、さらに原因を調べているという。

※ 見出しの(のトラブル)は筆者が補足しました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 記事中に「米軍の同型機では同様のトラブルはあるが」とありますが、
その内の一つが2005年2月に沖縄の米軍嘉手納基地で起きたトラブルです。
普天間基地所属のKC130空中給油機1機が右翼側エンジンが停止した状態で
嘉手納飛行場に着陸しました。同機左翼側の燃料タンクの空中給油用ホースが
収納されず、機体から約20メートルにわたってホースをぶら下げたまま
着陸したということを、琉球新報が伝えています。
それから7年も経っているのに、トラブルの原因究明と対策がとられていなかった
のでしょうか。

 記事は空中給油機のトラブルに対する周辺自治体の航空自衛隊への申し入れを
伝えていますが、そもそも航空自衛隊が空中給油機を持つことが
憲法9条との関係でどうなのか(許されるのか)には触れていません。

 空中で給油するのは、戦闘機など軍用機の航続距離を延ばすためで、
国外の敵の陣地などを攻撃することを可能にし、周辺諸国に脅威を
与えることになります。ですから1973年、当時の田中角栄首相は
「空中給油機は保持しない。空中給油の演習、訓練もしない」と
参議院予算委員会で政府としての見解を明らかにしました。

 ところが、いつの間にか憲法9条を遵守するという政府方針が投げ捨てられ、
空中給油機が導入されました。そして昨年10月に日米軍事当局が結んだ
空中給油についての覚書では、自衛隊が米軍機にも給油できるようになりました。
またアメリカがNATO諸国と交わしている訓練手順書にもとづいて
訓練を行なうことも決まりました。
しかし防衛省はこのことを明らかにしていませんでした。
国民には内緒で集団的自衛権の行使につながる覚書を交わし、
訓練も行なっているのです。
マスコミは単に基地周辺自治体のトラブルの影響防止の申し入れだけを
伝えるのではなく、このことをもっとよく国民に知らせるべきです。
                                       大西 五郎
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書き下し小説 「読者って、いじわる」(2)  文科系

2012年05月01日 00時04分43秒 | 文芸作品
 
 この作品「家出に限る」は、ある人から見ればこんな感想になろう。「こんなことをなぜ書いたのだろう」。あるいは、こういう人、感想があることも今までの体験から承知している。「正直な人なんだ!」。ところで、こんな事ばかりを気にしている同人誌活動など、僕にとって面白いわけがない。自慢をしていると見られた批評にはウンザリなのだし、かと言って「正直な人ね」と褒められるのも、どういうか嫌だ。太宰治の作品を「こんなに正直な人がいる!」と仰ぎ見る人々も多いようだが、そんなのは芥川賞をもらいたくて陰で彼がどんな立ち回りをしていたかなどが見えていないボンボンかお嬢様の批評を喜ぶようなもんでもあるのだし。
 こんなような事から、今後の同人誌活動をどうするかをあれこれと悩んでいた末に、世間をよく知っているある親しいギター友だちに、メールを出すことになった。ちょっとしたお決まりの挨拶のすぐ後にまず「家出に限る」を載せた上で、その本文はこうだ。

【 世の中難しいもん、そういう話を一つ。
 昨年12月27日ブログの随筆「音楽の幸せ」の合評が、昨日同人誌例会であったのね(この前僕らのブログで、君にも見てもらったが、僕のギター生活、その喜びを書いた作品ね)。こういうのを大抵、自慢と取られるのですよ。僕は自分の一番楽しいことを表現したいだけなのにね。そしてこんなことまで聞いてくる。「定年後に習ったんでしょ?それで、ここまで行くかしら?」なんてね。僕が自分に楽しいことを書くと、大抵このように語る人、思う人がいるわけ。それでね、楽しいこと(「自慢」)と違うことも書いてやろうとして、わざと違う随筆を書く心境にもなってくる。ちなみに、上の作品、「家出に限る」がそれね。
 ところで、文学らしい喜怒哀楽の良い方を書くと自慢で嘘が入っている、って? 悪い方を書くと「こっちは本当だろう。正直な人ね」、って? 後者では「正直な人」が、前者では「嘘も入って」って、なんか世の中おかしくない。また、こんなことばかり考えとると、妙に神経が過敏になってねー。人のちょっとした言葉にも引っかかるようになるし、多くなった強い自己主張の語調もどんどん厳しくなってくる。果ては「押しつけがましい人」とも言われるしね。そんなことをこの頃特に良く思う訳。「年取って短気になってきた」だけじゃなくってね。上の作品の中の連れ合いとの喧嘩でも多分、こういうすれ違いがありそうなのね。世の中難しいねー! 】

 このメールにさて、翌早朝、折り返しで返事が来た。
【 (前略)昨夜のメールを読んで言葉を失った。ギター教室発表会欠席(あなたには全く珍しいことだ!)の理由は分かったがとても驚いた。余程腹に据えかねた末のことだとは思うが、暴力はどうだったのだろうか……。
このメールに書きたいことが一杯あるが、やはり会って話した方が良いと考えた。
明日27日(金)11時30分からレッスンがありますか? もしあるのなら、私がその前だから一緒に昼食は如何ですか?
レッスンがなくても私のレッスン(10:30-11:30)終了後にお宅周辺で会ってもいい。
返事を待っている。】
 なんと親身な応えではないか。この友人、何故か僕のことをとても大事にしてくれていると感ずるのだが、「居ても立ってもいられない」という気持ちさえ伝わってくる。そこでかえって心配になって、こんな返信となった。
【 レッスンに行きますから、その後で。
 ただね、夫婦にはそれぞれ、とんでも無い組み合わせや歴史があるもの。僕らの50年も、一般的な話で手に負えるものではありません。僕らは本当に正反対の生い立ちなのに、お互い性格が激しすぎる。僕は、「世界を狭くした話」(これも、やはり読んでもらったはず。数年続いた高校同窓生の飲み会に腹を立てて退席し、以降自分からは抜き差しならず、何人かが助け船を出してくれてやっと復帰した事があってね、その体験を、随筆にした話)のような男だし、連れ合いは実は、そんな僕に輪をかけた激しさ。結婚するまで6年間が良く続いたなと思うほど、あらかたの喧嘩は済ませたつもりだったんだけどね。以降のそれを全部見てきた娘はこう言いますよ。「カーさんの過干渉、押しつけの激しさは家族の誰もが猛反発してきたように前から強烈だったけど、最近はトーさんがそれを拒絶するようになったから、激しくなったんだよ」。この話は止めておいた方が良いと思うよ。僕に隠すものは何もないけどね。】
 折り返しの返信はこう。
【 連絡、ありがとう。
それじゃ~、明日はあなたのレッスンに同席させてもらおう。その後に一緒に昼食を楽しもう! そして今回の話は止めておこう。 】
 これへの僕の返事はこう。
【 「レッスンに同席」、大歓迎だね。有り難う。先生との合奏が3曲、レッスン曲が2つある。いや、先週やったのであなたの知らない名曲を一つ増やして、三つにしようか。うち一つはセゴビア編集のソル練習曲集から17番で、もう1曲は隠れた名曲と言えると思うが、メルツの「ロマンス」。この後者は多分、僕の「大好きな曲・暗譜群」に入れる。】

 さて、こういうメールやりとりの中から、この二人の会食に向けて僕にある思惑も湧いてきた。我が人生の多分、最後の中間総括の第一歩の機会にしてみようというのだ。中長期総括・計画が無い会社などは今のような時代にはすぐに潰れるように、これのない人生など納得できるものになるはずなどないではないかと、若い頃から幾たびかやってきたことだ。もっともこんなことを語っていても、人生の転機がいくつかあって必要に迫られてこれをやってきたに過ぎず、そのつどの計画が基本的に上手く行ったなどと語る積もりなど、全くない。誰の一生でもない、自分だけのたった一度の人生。これを計る物差しなど何処にも、何もないのだから。ただ、間違いなくこうは言える。こういう事どもを経てきたからこそ、口うるさく、押しつけがましく、他人の言葉に色々引っかかるようになったことは確かだと思うのだ。でも、総てにどこか小さくないあるボタンの掛け違い、自己錯覚があったみたいだと考え始めていた。連れ合いとの喧嘩の激化、同人誌での居心地悪さ、同窓飲み会全員にけんかを売ってのっぴきならなくなった事件などなどを並べてみると、そんな思いがして仕方なくなっていたのだ。
(続く)
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