九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

                       橋下市長を押しとどめている4人衆     只今

2012年05月16日 15時05分47秒 | Weblog
 △橋下市長が、「節電に住民の支持が得られない場合は、再稼働を承認せざるを得ない」
  と語って、再稼働やむなしへと舵を切り替えようとの魂胆を暗に匂わせたのは4月26日。
 ▽しかし現在も、橋下市長の立場は、「再稼働認めず」。
  橋下市長をこの立場に繋ぎとめているのは、大きくは「節電するよ」との大方の市民の声であり、
  身辺状況的には、顧問の古賀茂明・飯田哲也両氏と、京都・滋賀両県知事の4方によるといってもいいのではないでしょうか。
 
            ● 【滋賀県知事が、脅された!】
             上は『日刊ゲンダイ』5/10 の見出し。その大要は
                    ↓              
  = 嘉田知事は七日の講演で、こんな話を暴露した。
    「関電や官僚からは、病院の電気が止まったらどうするんですか、と毎回のようにおどされています」。
    官僚の一人は資源エネルギー庁次長の今井尚哉氏。安倍元首相の秘書官で、
    叔父は財界の重鎮である今井敬経団連名誉会長=
   
            ● 【経済界VS嘉田知事の “節電バトル”】
             上は『産経新聞』5/2 の見出し。その大要は『京都新聞』から
                    ↓
  = 嘉田知事は、今夏の電力需給状況について、経済団体と意見交換をした。
   「原発の再稼働がないと、小規模事業者にしわ寄せがくる」商工会連合会
   「再稼働なければ、大手企業は海外に出ていく」経済同友会
    これに対して嘉田知事は、「もちろん経済大事ですが、住めなくなったら何ともならない」=
 
 ★ 孤立必ずしも、孤絶ならず。
   嘉田知事は2006年の県知事選に、「あれもつくる、これもつくる」というこれまでの公約に代わって
   「新幹線の新駅建設凍結」というシングルイシューと、「もったいない」をワンフレズとして立候補。
   全政党に推薦依頼するも社民党だけが支持。泡沫候補扱いされるも、自公民推薦現職と共産推薦候補を破って当選。
   2期目も、自公推薦と共産推薦の候補を大きく引き離して当選。

   ☆ 嘉田由紀子氏は、これまで何をしてきたか。いま何をしているかの詳細は
                    ↓
         『知事は何ができるか』(「風媒社」発行)
  



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訂正です。                あんころもち

2012年05月16日 13時46分06秒 | Weblog
 5月14日付で、おおい町が原発再稼働を承認した記事を載せた折、「13人の決断?おおい町の場合」としましたが、私の数え間違いで、町議会の議決は11:1だったそうです。
 従いまして、正確には「11人の決断?おおい町の場合」とすべきでした。

 しかしながら、事故の際には何十・何百万人に類が及ぶことを、11人の決断で決めさせてはならないという趣旨には変わりありません。 
 また、「地元」が、原子力ムラの構造的支配のなかで、原発に頼らざるを得ない体質になってしまっていることも、「反原発」を進める上で今後の課題として考慮せざるを得なくなる段階が来るだろうと思います。
 もっともこのことは、「反原発」の手を緩めるということではなく、あくまでもそれを進めてゆく上での問題だと思いますが…。

 ついで原子力ムラは、福井県の懐柔に全力を傾注するでしょうが、この段階でも有効なアゲインストが必要であることを改めて訴えたいと思います。
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小説 「母が僕らに遺したもの」①  文科系

2012年05月16日 00時40分24秒 | 文芸作品
 3回続きの小説で、確か04年に書いたものです。よろしく。


小説 「母が僕らに遺したもの」

 母が死んだ。僕ら夫婦の退職を待っていたかのように死んだ。左脳内出血の突発以来五年三か月と四日。右半身麻痺、感覚性全失語症という後遺症と闘い、麻痺はほとんど消えて、一時はほぼ自立というところまで持ち直したこともあったのに。歩行訓練や起立訓練など周囲が課すことにもちゃんとついてきて、母らしく頑張ってきたのに。僕らも同じ年月を、共働きを続けながら一緒に努めてきたというのに。僕らが定年を過ぎて同時に退職して十二日目で、居なくなった。
 こんな母の声が聞こえてくるようだ。
 「お前も随分、家事に慣れてきたねぇ。体が自然に動くようになったもの。それを生かして、けんかを少なくして、自由になった時間を二人で楽しく暮らしていきなさい」
 九十二歳と七ヶ月ちょうど。人は大往生と言い、僕らもいちおう覚悟はしていたものの、死などというものはやはりどこまでいっても「突然」という他には表現のしようがないものだ。いわゆる痴呆ではなかったし、つい二日前までは僕と簡単な会話も交わしていたのである。病院生活などで家にいない期間が長かったからまだどこかに居るような気がして、朝の寝床で「さあ母さんとこ行かなきゃ」などと一瞬構えている僕が居る。生きている方からは、死んだ者への様々な「構え」がいつまでたっても抜けないようだ。

 二人分の年金があり、借金がないこともあって、働く気はもともとないから、いくつかの活動を準備してリタイヤー生活を手ぐすねひいて待ち構えていた。さらに、通夜、葬式、支払い、答礼、相続手続きの相談、母の持ち物の整理開始などなど、こんな一切が済んで、さて、一日平均して四時間ほどになっていた通院までが消えていた。ちなみに、母の所へ行くのは実子である僕の方が良いという決まりが五年間実行されてきたが、この仕事が突然なくなったというわけだ。こういう新生活になってから、以前より増えていったのがギターを弾く時間だった。
 退職の半年ほど前から、ぼろぼろになったカルカッシ教則本を引っ張りだして、昔から時々思い出したようにやってきた下手な一人習いのおさらいを始めていた。そして、この退職前のいわば準備段階で既に左手が故障した。指先はもちろん、関節や掌まで痛んで、マッサージをしたり、氷で冷やしたりしながらだましだまし弾いてきた。特に悪いのは左手薬指で、朝起きるとスムーズに動かず、延ばす時のある時点でバネが働いたような感じに跳ねる。母のことが済んで、まず早速医者に行った。薬指内側の付け根に注射を打たれ、その翌日からは、多少の違和感以外は全て何ということはなし、憂いなく続けた。もっとも、それまでに身につけてしまった音の悪さや雑音の多さは自分でもどう直して良いか分からないという悩みはあったけれど。
 母に会いに行く時間が全てギタ-に消えていったという程度ではない。一日平均すると約五~六時間にもなろうか、それを二回ほどに分けて弾く。一日三回のときなど、八時間を越える日もあった。仕事がギター練習に転じたみたいなこんな生活がもう半年近く続いている。連れ合いからは「ちょっとおかしいんじゃない?」と言われ始め、あげくの果ては「どっか感情が狂ってるんだよ」と不思議がられても、「別に悪いことしとるわけじゃない。今日の家事はすんだよ」と答えては、そのまま続けるという調子だ。「日頃掃除し残した家の恥部のような部分も順番にぴかぴかにしたし、食事作りやその片付けなども二人並んでやってるんだから、その上でこれほどに魂が入った芸術活動、むしろ魅力と言ってほしいね」という、そんな積極的反論も言行ともに備えてあった。こうして、僕なりに、本当に僕なりにということなのだが、過去一番の腕前になったとは言える。しかし、そこでさて、考え込んだことがある。
 〈それにしても、今までに覚えもないこの熱中。一体なんなんだろう?〉
 僕は確かに、この素朴で、憂わしい音色に引かれてギターを始めた。このたびはさらに、この音色を生かした和音や分散和音をよく聞きながら励んで、この多彩な六弦の協力のようなものにまた新たな良さを見つけられたような気もする。「なるほど、フラメンコダンサーがこの楽器を侍らせるわけだ!」とか、「ベートーベンが小さなオーケストラと呼んだ楽器だそうだが、わかるなー」とか、改めてつぶやいたりもした。しかしこれらだけなら、「感情の狂い」と診断されるまでには至らなかったと思うのだ。
 こういった自問自答の中から、ふっと浮かび上がってきた映像があった。母が八十歳近くまで三味線の発表会に出ていたときの、背中を丸めて小さく座ったその姿である。〈あれほど練習して、回りの人に四苦八苦でなんとかついていく。「生きなきゃー」って感じだなー〉と当時は見えたものだ。加えてもう一つの感慨、〈それにしても八十だ。いくつになっても「鑑賞」じゃ済まなくて、自分で「表現」して前進を確認していきたい人なんだなー〉。こんなふうに見えた昔の母と対照したとき、初めて今の自分が分かるような気がした。「時間さえかければ、まだまだなんとか」と、母を破壊し尽くしてきた老いの兆しを自分に見つけだしては、それを懸命に払い除けようとしているといった感じだろうか。それにしても、両手十本の指の速く、細かい動きから老いを払い除けて、「まだまだなんとか」を実証するのは、なかなかの骨だ。だから時間がどんどん飛んでゆく。それも七月に入ったころ全てテンポが遅すぎると気付いて、メトロノームのせめて八十ぐらいにはと改造作業が続いている、その真っただ中。さらに際限もなく時間が飛んで行き、挫折かさらなる前進か、こういった現在というようにも見える。
 これら全てが、母がいなくなったのと定年退職との前後のことなのだ。「感情の狂い」という連れ合いの診断はあながち的外れではないのかも知れない。そんな彼女が最近はこう宣告する。「ギターなんて細かい動き、そんなことすぐ進まなくなるよ。悲嘆に暮れてる貴方が見えるようだ」。それを聞いた僕、今度は一曲終えるごとにそれをテープに残し始めた。その時初めて意識したことだが、〈そう言えば、母自身の三味線稽古テープも十本くらいはあったかなー〉。

 リタイヤーに備えたもう一つの「表現活動」は、所属同人誌の文章創作だった。こちらは当初、僕にとっては全く未経験の白紙分野、この十年かけて準備してきたものである。これにちなんでも当然、母との想い出は多い。真っ先に浮かんだのはこんな場面だ。
 広島の江田島から原爆を見た後、僕ら家族は父だけを彼の職場に残して、母の故郷へ疎開した。僕の四歳の時、故郷とは渥美半島の田原である。三軒家と呼ばれたど田舎の森の中の家、裸電球の下、七歳と五歳(もうちょっと後だったかも知れないが、その後数年で名古屋に来たから、いずれにせよそんなころからのことだ)の少年が二人、ちょこんと座って母の読み聞かせにぽろぽろ涙をこぼしている。読まれた本は「小公子」、「小公女」とか「家なき子」とか、僕の文字、読書に関わる原風景で、年下が僕である。
 その後小学生の間、なぜか読書から遠ざかって年齢より三歳くらいは幼いような文章しか書けなかった僕を、この原風景に押し戻してくれたのが、また母だった。中学生の頃、日記を書く習慣を励ましてくれた。この習慣は、とぎれとぎれではあっても、基本的には今現在まで続いている。漫画でない読書の習慣が現れたのは他人よりも遥かに遅くて中学生後半だが、子どもの本は母が最も出費を惜しまない買い物の筆頭だった。
 僕自身のいままでの文章生活がこんなだったから、母の関与がどれか一つでも欠けていれば、やがて五十を越えて同人誌活動に加わるなどということは、まずなかったろう。これらも、この数年に母とのことを振り返ってみて、初めて気付いたことだ。親とは損なものである。ちなみに悪い親ならば、得しちゃったということも多いのだろうか。
 なお、僕の作品をこの世で最も熱をこめて読んでいたのが、発病前までのこの母だった。これは断言できる。僕の作品のみならず、僕の同人誌の全作品をなめるように読んでいたと思う。彼女がことさらそう報告したわけではなく、日常会話の話の端々にそのナメテイル様子がうかがわれて、驚くことがあった。気に入った同人の、性別、年齢、時には名前まで出てくることがあったのだ。

 リタイヤー生活に備えたもう一つの活動は、スポーツである。これも母と似て、「鑑賞」だけでなく「表現」であって、ここ五年ほどは年齢相応にランニングとスポーツサイクリングという有酸素運動の形で、現在の日常生活の中に残っている。ランニングはジムに週二回ほど通う。なんとか十キロ走って、最大五百メートルほど泳いで一回分、僕が泳ぐのは走り続けるためだ。自転車は一人でまたは仲間たちと、月に一、二日、三十キロから百キロほどロードレーサーをころがす。こういう僕のスポーツ活動にも母が関わってくるが、今度は「敵」、反面教師としての関わりである。
 四人兄弟のなかで、兄も弟も僕の記憶に間違いなければ、高校の時いったん入ったクラブを間もなく止めさせられている。確かそれぞれボート部と卓球部のはずだ。こんなに時間を取るのでは学業に障りがあるからということらしい。妹は卓球部をずっと許されたが、女だからということだろうと僕は解釈した。これも何か両親らしい。両親と言ってもこの場合、主導したのは父だ。母は消極的に父に賛成した。庇ってくれたこともあったから、そう感じた。確かめたわけではないが、まず間違いないだろう。
 さて僕の場合、山場では夜毎にけんかである。父の手が出たことも一度ではないといった、激しいけんかだった。そんな時の母は、僕と父との周辺を心配そうにただうろうろしていた。結局僕は、バレーボールを三年間守り通して、大学でも一年でレギュラーになった。その年、愛知の大学バレーボールリーグ一部中位に属するけっして弱くはないチームで。こうして当時の僕にとってバレーボールは、家からの『自立』であったと同時に、大きな誇りにもなった。ただそんな僕もスポ-ツを、今理解するような意味において捉えることはできていなかった。奇妙な表現だけれど、僕の頭の中では、僕の感情や行動におけるほどにはバレーボールを大切なものと意識してはいなかったのである。すごく好きだったし、行動上の熱中度も周囲の他の誰にも負けないという自信があったのだけれど、意識の上では当時それを、僕にとって数少ない「面白いこと」の一つと観ていただけだった。今だったらこんなスポーツ観を付け加えることができる。
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ちょっと気になる動き     らくせき

2012年05月15日 09時38分29秒 | Weblog
アメリカが韓国に核を配置する、という動きがあります。
北朝鮮の核武装を念頭に置いた動きですが、これらの動きは
日本の核武装論を勢いづかせる恐れも指摘されています。
朝鮮日報の記事です。

 日本は憲法で「戦争と武力行使の放棄」を定めている。
1968年1月には「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という
「非核3原則」を発表し、これを守ってきた。
日本が数千個の核兵器を製造できる約50トンのプルトニウムを保有しながら、
核開発に着手しないのはそのためだ。

 ところが最近、日本の非核政策に変化が表れ始めた。
次世代の政治指導者として頭角を現している橋下徹・大阪市長は
「強い日本をつくるためには核武装が必要だ」と主張している。
また、日本の代表的な右翼政治家、石原慎太郎・東京都知事も
日本の核武装を強く求めてきた。石原知事は今年1月のインタビューで
「(結成を推進している)新党への参加は、核兵器の模擬実験の実施を
提唱することが条件だ。
それが駄目なら、スーパーコンピューターを通じてでも模擬実験が
できるようにすべきだ」と語った。右派政党の支持率の上昇を意識した
自民党などでも、憲法改正論議が活発に行われている。
韓国政府は、米国議会で韓国への戦術核再配備を主張する声が出てきたことが、
日本の右派を刺激しかねないとの見方を示している。

北朝鮮の金王朝の核問題は、21世紀の東アジアの危機の種と
ならないように・・・・拉致問題、戦後賠償と一挙に解決する時が
すこしづつ近づいているかも。
政治の出番なのですが・・・




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書き下し小説 「読者って、いじわる」(5)最終回  文科系

2012年05月15日 09時17分49秒 | 文芸作品
 書き下し小説「読者って、いじわる」(5) 文科系

 Kさんとの昼食会を終えて帰宅し、ブログを開いた。そこにも載せていた「家出に限る」に対して、ある機会を捉えて、文字通り非難ごうごうが始まっていた。ペンネームAさんがこんな事を語ったのが、始まりだ。
『前にたしか自分のことを小説家だともおっしゃっていましたが、(中略)奥様の言論に対してドメスティック・バイオレンスを振るい、それを得々として述べませんでしたか?
 それに対して、私は驚いて「それはフィクションで事実ではないでしょう?」という質問を差し上げましたがそれにはまったくお答えになりませんでしたね。私はそれでもって事実をお認めになったと判断いたしました』
これに僕が応戦すると、今度はDさんの参戦、こんな言葉で。
『それにしても、「世間を狭く」する数々の所業にめげず、じたばたされる行為には感嘆します。
 お連れ合いに暴力振るわれたこと、このことだけなら、なんとも懦夫としか申せませんが、家出したのはお連れ合いでないということは、少なくとも「出ていけっ」との卑劣な言動はなかったものと推察し、頬緩む次第です。
 しかし、(中略)お連れ合いは、なんと言われたでしょうか。このこと、叱られませんでしたか?』
 このDさんがその後も改めて重ねられた、同じ質問は、
『肝心なことを逃げてはいけません。(中略)お連れ合いには、いつも見せられているようなので聞いたのです。お連れ合いは、何と仰有いましたか?』
 これらの遣り取りが何往復も続いた末に僕が最後の方でやったまとめ様のものは、いかに頭に血が上っていたかを示している。
『元々僕はピエロ覚悟でここをやってきたもの。「その人が入っていない社会・政治論など抽象的活動家然と喋って、何が面白い?」と、書いてきたとおり。
 対して、人の権威を借りたデバガメなり、誠実な回答もきちんと書けない無頼漢なりが、何を覗こうが何を言おうが、僕はただ思い感じたことを正直に答え、書いていくだけ。必要な謝罪などいくらでもできますしね。そもそもそういう覚悟がなければ、あんな随筆などを以前から載せているはずがないということです。ここにと言うよりも、人生に臨んでいる覚悟が違うのですよ。と、こー、かっこよく言っておきます』
 最後の最後では、Hさんのこんな諫言というか、もう、嘆きというか。
『覚悟して望んだ結果ならば何故もう少し余裕を持った態度をとれないのでしょうか。野次馬、デバガメと書く様子からは、批判に対して過剰に反応しているようにしかみえませんが』
『貴方がズレてるかひねくれてるだけではないですか。「僕はこんなに正直なのに誰も分かってくれない!」と、何だか幼児が駄々をこねて悪態をついているような印象しか受けませんが 』

 さて、ここまでの僕が全て本当の姿なら、この後一転した僕もまさにそうなのである。ただ振り返れば、この二つ、あまりの変転に今はただ驚いているし、何故こうなったのか、いまだによくは分からない。が、精一杯事態の描写に努めて、今後への戒めとしたい。そういう義務を上の皆さんに対して僕なりに果たしたいと思い立った。
 そのコペルニクス的転回は、こんなことを考えていた時に、始まった。
「そんな縁起物みたいなこと、どうでもいーですわ」。主宰先生に面と向かってこう毒ついても、その場を納めてくれた同人誌例会。酷いDVがあって、やった方が人生初の家出を敢行しても、辛うじて何とか持っている我が夫婦。娘夫婦もこれを静観しているらしいし。
 これらに対するに、このブログの光景はどうだ!
 この程度の「文章だけで」良い紳士たちが巣から一斉に飛び出しあった蜂(失礼)。売り言葉に買い言葉とどんどん煽りあうその火蓋を切った俺はハリネズミと化し、あちこち突き出し続けた毒針が1本の蜂よりも遙かに多いと来ては、「駄々をこねて悪態をついている」幼児なんてもんじゃないぞ。その親でさえ捨て置いたフリして物陰から長く様子を見るしかないのであって、それが大人なのだから完全な決裂と言いうるだろう。もっとも、この「完全な決裂」もすべて言葉の上の事なのであって、もともと見ず知らずの間柄間の出来事。これは一体そもそも、何という光景であるのか!
 無限定の見知らぬ人々を知人のように巻き込み、スピード豊かにかつ相乗的に展開されてゆくこの壮大な世界は、実は幻にも等しいものなのだ。言葉を言葉で「実証」するしかない世界なら、そんな比喩しかないではないか。幻の大風車に闘いを挑んでも勝利なんてあるわけないし、そもそもこの闘いはどうあがいても実戦にはなりえないのである。それを、実戦よりも大事なものと見ていたなんて!

 ふっと、同人誌の人々が懐かしくなった。子供心に残った田舎家の縁側のように。恥ずかしいけれど言うのだが、連れ合いを愛しいものに感じた。そして、キッチンを振り返り、流しに立っている彼女の横に立ったら、こんな言葉が口を突いて出た。
「『世界を狭くした話』って、覚えてるだろ。あの、随筆合評のまとめって、まだ報告してなかったよなー。今読み上げたいので、聞いてくれるかなー?」
 忙しいからとかなんとか拒んでいた彼女を無視して、強引かつ一方的に、早口で読んだ。
【親しい同級生仲間との亀裂。作者の態度が礼を失するのは事実。が、それも個性ですと押し通す作者の独りよがりともいうべき強さと潔さに拍手。お連れ合いの達観視した意見も好感がもてる。後に仲間とほぼ元通りの関係にと聞き、友情に乾杯】
 彼女がどんな表情になったかは、俺は俯いていても分かった。
 そして俺は、この随筆の結びの一節を想い出している。
【さて、僕の中でことが一段落したある夜、この始終をそのままに連れ合いに持ちかけてみた。考え込む風もなくすぐに、こんな答えが返ってきたものだ。
「あなたのアイデンティティー絡みなのだから、譲りたくなければそれでよし。というかあなたにはむしろ、外って置く方を勧める。ただ、もし向こうが改めて出ろよと言ってきたらどうするの?」
 僕は一瞬、彼女の目を見直した。こういうときの連れ合いの迷いのなさには時に驚くことがある。がすぐに、僕への忠告含みとも受け取ることができた。一種自分を譲りすぎて誤解とか損とかを招いてきた僕を知り抜いているからだ。そこで僕は、こう答えた。
「だったら出席して、あの随筆を読み直すよ」。
 こんな人間がいると主張し尽くすのも良いことかもしれない。特に、日本の男たちには。】
 この時の彼女の答えの「言葉」は、無限の重さを持っていたのである。

終わり
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13人の決断?おおい町の場合。        あんころもち

2012年05月14日 15時24分04秒 | Weblog
 福井県の大飯原発の地元、おおい町が正式に再稼働を承認しました。
 TVでその様子を見ていたら、議長を含め14人の出席者で、そのうち一人は反対のようでしたから、結局13人の判断で再稼働が承認されたわけです。
 ひとたび事故が発生すれば当然、十万・百万単位の人びとに被害が及ぶ事態の決断が13人でなされることの不合理さを改めて確認しました。

 こうなったら、ここでも度々指摘されているように「地元」という範囲そのものを考えなおさなければなりません。近辺だけでいっても、半径10キロ以内には「地元以外」の小浜市民の70%が含まれ、その人口は当然おおい町よりもはるかに多いわけです。
 また、滋賀、京都、大阪、岐阜、愛知などからも不安の声が上がっていることは、琵琶湖が関西の水瓶となっている事実や、日本海から吹く風が伊吹おろしとなって到達する地域としては当然なのです。

 しかし、私たちはおおい町を一方的に責めるわけには行きません。
 例え、町長一族が関電の下請けで利益供与を受け、町議らもまたほとんどが関電依存であったにしてもです。

 そうした生産性の低い土地に、札束で頬を張るようにしてできたのが原発であり、シャブ中のように原発なしでは生活できないようにして維持されてきたのが原発なのですから、原発自体が差別の構造に依拠したものであり、住民もまたその構造に巻き込まれた存在であるわけです。

 原子ムラによる無言の恐喝は、すでにここで指摘されているように、地元以外へは「電力が足りなくなってもいいか!」というものであり、一方、「お前ら生きて行けなくなってもいいのか!」というのが地元民に対してなのです。

 
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    もう騙されまい、言葉の魔術に。      只今

2012年05月14日 14時46分14秒 | Weblog
◆今日の『中日新聞』一面は、「動いていなくとも一年間の維持費一千百億円」という(核燃料処理再処理六カ所村工場)の記事。
  1日当たりにすると、3億円である。
  同様に、約十兆円を費やして建設したが、1時間動いて直ぐ停まり、
  それから15年停まったままで、一日当たり5千5百万円を要しているのは (もんじゅ)
 
 ●誰が考えてもオカシイと思うこのことについて、政府は何と言っているか。
  文科省のHPの「費用対効果の妥当性」(※1)でこう記している。 
  《世界でも数少ない(※2)国際的な開発拠点であり、
   実用化されれば85年程度といわれているウラン資源を数千年にわたって利用することが出来る」
    (※1) 無駄遣いになっているのではないか、との批判に答える項目として設定されたと推定。
    (※2) 欧米諸国は、「これは無理」と早々に撤退。
 
◆東電・電気料金値上げ。新聞・テレビの見出しは、東電発表の紙に書いてあったと同じ→
  「平均10、28%。標準家庭は、6、9%」というものでした。

 ●東電のいう標準家庭は、日中家に居ない共働きの夫婦で、その電気料金を東電のHPで見てみると、
   30アンペアで現在の電気料金6973円が7453円と値上げは6、9%。
   夫婦と子ども二人の家庭は、現在料金1万2702円が1万4183円とアップ率は11、7%。
   商店などは、現在電気料2万5993円が2万9230円となり、14、4%のアップ。
         
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ついでにと言っては何ですが  文科系

2012年05月14日 02時39分12秒 | 文芸作品
 本日直前のエントリーに関わって、作品中にある随筆「世界を狭くした話」の実物を再掲いたします。去年11月30日当ブログに載せたままを再掲いたします。観られるとおり、僕らの同人誌の月例冊子11月号に掲載した原文のままとも、注釈が付いているものです。

【 随筆 「世界を狭くした話」(最終版です)  文科系
2011年11月30日 | 小説・随筆・詩歌など
 以下は、前に掲載した習作を、同人誌月刊冊子に向けて改作した、最終版です。ご笑覧あれ。なお、これを息子に見せたら一読こんな感想が返ってきました。「意味が分からん!」。そんなものかなーと驚いたものです。

 世界を狭くした話  

 やってしまった。十数回続いた同級生飲み会の席に捨て台詞のようなものを残し、お金を机の上に叩き付けるようにして帰ってきてしまった。交通機関を使う気分にもなれず三キロほどを歩いて帰る道すがら、怒りのやり場に困っている自分しか見えなかった。

 中学と、それに連結した高校の同級生八名ほどで、一昨年からやってきた飲み会がある。常時参加者は約七名ほど。女性が一人で、呼びかけ人は僕ともう一人の昔の親友だ。そこに僕は、去年の秋頃だったか、個室でやった機会にギターを持ち込んだことがあった。許しを得た一曲目も後半からもう聴いていず、てんでに声高なお喋りが始まった。このときは、興味がないのだなと了解できて、すぐ止めにした。次に先日、ある随筆を読んでみた。「僕にとって大事なモノで、今後のここの話の種にもして欲しいから」と前置きをつけて。ものは「死にちなんで」。一度きりの人生への僕のまー長年かけた覚悟を描いた書のようなもんだ。読み始めて三分の二ほどは聴いていたが、その後がいけない。そこで冒頭に述べたような態度に出てしまったのだ。さて、それからは迷った。親しい連中とのこの場所に出ないことになるならば、みんな親しい百五十人ほどで構成する同期会自身にも出辛いことになるし、普通に考えれば僕の態度が礼を失することも明らかなのだし。
 ここに加えるに、僕とともに呼びかけ人をやってきたKくんから、五日たって手紙が来た。この会の成り立ちを振り返り、「ジェントルマンであるのが、最低のルールです」と諫めた上で、次回○日には「皆さんの元気なお顔を期待しています」とあった。さらにまた悩むことになったが、K君の手紙十日後に、僕はこう返信した。

 『こういう手紙、ご案内をいただいたことに、まず心を込めて感謝したいと思います。「昔の友達」なればこそと、ね。あーいう非常識な去り方をした以上そちらからはほかっておかれても普通だと、今なら僕も思いますから。(中略)
 今後はそこには出ません。そして、同窓会も出ないと決めました。理由をどう分かっていただけるかと考え抜きましたが、まーこんな風に説明するのが分かりやすく、ありのままの心を素直に受け取ってもらえるだろうと、考え至った所を述べさせていただきます。
 僕は一種のオタクなのです。今の毎日の生活が、こうですから。
 大学時代の友人二人と六年ほどやってきたブログは、そこに書く為の勉強も含めて一日に使う時間が四時間ではきかないでしょう。おかげでこのブログ、週延べアクセス数二千人、閲覧数一万五千回ほどにまで育ちました。現役時代から準備していて定年後教師についたギターを日に二~三時間弾いています。(中略)この二つだけで人の一労働日近い時間を費やしているでしょう。他に、同人誌の活動があり、月に一冊の小冊子を編集・印刷し、年一冊の同人誌本を編集しています。
 そして何よりも、それらすべての背後に、この前読みかけた随筆の「生き方」が横たわっています。つまりこの「生き方」がオタクということです。上に時間数やいろんな数字などを細々書いたのは自慢のためではなく、その度合を示したかったということ。一人のあるオタクがいたとして、昔慣れ親しんだ仲間と何回も飲む場があったとしたら、彼のオタク性が出てくるのは彼にとっては望みであり、自然なことであろう、と。(中略)
 〇五年にオーストラリアに三か月ホームステーした時、毎日の練習のためにギターを持って行って、ホームパーティーなどでよくやりましたし、ギター付きのパーティー、ホームコンサートみたいなものは我が家でも他でもよくやります。普通の生活の中に文化、趣味を持ち込みたい人間なんです。ホームパーティーでの僕は、随筆も読みますし。「あの時」も、その延長のような積もりだったんです。これが、まさに僕のオタク性。(中略)
 まー僕もすごく短気になりました。人生が短くなるごとに、生き急いで、見ている世界が狭くなっているのでしょう』

 さて、僕の中でことが一段落したある夜、この始終をそのままに連れ合いに持ちかけてみた。考え込む風もなくすぐに、こんな答えが返ってきたものだ。
「あなたのアイデンティティー絡みなのだから、譲りたくなければそれでよし。というかあなたにはむしろ、外って置く方を勧める。ただ、もし向こうが改めて出ろよと言ってきたらどうするの?」
 僕は一瞬、彼女の目を見直した。こういうときの連れ合いの迷いのなさには時に驚くことがある。がすぐに、僕への忠告含みとも受け取ることができた。一種自分を譲りすぎて誤解とか損とかを招いてきた僕を知り抜いているからだ。そこで僕は、こう答えた。
「だったら出席して、あの随筆を読み直すよ」。
 こんな人間がいると主張し尽くすのも良いことかもしれない。特に、日本の男たちには。】
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書き下し小説 「読者って、いじわる」(4)  文科系

2012年05月14日 00時18分41秒 | 文芸作品
 書き下し小説「読者って、いじわる」(4) 文科系

「それで、終わり?」
 この「何処より来たりしものぞ」騒動を一通り語り終えた事を確認して、K氏が最初に出した言葉は、こういうものだった。
「まず、Nさんが指摘した娘さんの読み方、感じ方は訊いてみたんだろ? そして、娘さんのことでついでにもう一つ訊いて良ければだけど、『家出に限る』のことは、娘さんは知ってるの?」
「うん。二つとも、僕が思っていたよりもはるかに簡単な話だった。前の話は特に簡単。僕がまず、こう言い出しただけで済んでしまったよ。」

 僕が娘宅でその話をした夜、目の前のハーちゃんを指さしてこんな尋ね方で切り出した。この手の話はいつもお婿さんのいる前でやることにしているのだが、その時もそうだった。娘の依頼でその夜僕が作りに出向いてやったブリ大根を食べ終わりつつ、彼は細面の顔を時折僕らに向けて父娘の話に耳を傾けていた。話し好きの人柄であって、人というものに関わっては特に聞きたがり、話したがりで、感受性も強そうだから傷つきやすい人なのだろうななどと、勝手に想像してきたものだ。僕は、彼のそういうところがどういうか、好きである。

「この子のことを書いた随筆『何処より来たりしものぞ』は覚えとると思うけど、その合評がこの前あってね。その時N先生が質問したことなんだけど、お前あの憶良の歌が、彼の子どもが死んだ時のものだと知っとった?・・・・」
 その瞬間にもう、話を中断させる勢いで、彼女が口を挟んだ。
「あっ、そうなの。私も知らなかったけど、それが問題になったのなら、私は、全く、ノープロブレム。この、玉のように可愛い子は一体どこから来たんだ、で、おしまい。それより父さん、その話がこれで良いなら、そろそろ美味しいお茶出してよ。今日も、花見団子がちゃんと買ってあるから」

 現役時代の職業、立場の上で身につけたものではあったにしてもその聞き上手には驚かされてばかりのKさんは、相変わらず黙って聞いている。彼は僕と違って、自分とかなり違った人物をもありのままに観察する力があるみたいだと、このごろはっとさせられる時があるのだ。僕は、続けた。
「あなたにも昨夜大変心配かけたような『家出に限る』の事件は、作品ができるずっと前にもう娘夫婦には話してあるよ。いつものことだけど、あの随筆もできてすぐに渡してあるしね。もっともこれを渡したのは、お婿さんの方へだったけど」
 こちらの話には娘は、『仲良くしてよー』とかなり心配そうな顔を今も向けてくる。事件後約一か月余、事の余韻、成り行きをまだ心配しているのは明らかだ。が、それだけ。まー静観というところなのだろう。この大問題への娘の対応には、そのはじめから僕もちょっと驚いた。なんせ僕は、大変な不安に駆られながら彼女にこの報告を切り出したのだから。彼女は多分、我々の夫婦喧嘩について、どちらかと言えば僕寄りの分析をしているのだろう。あるいは、DVは論外と観ても、自分が介入できるものではないと割り切っているのかも知れない。

 こんな僕と娘関係の回答を聞いてから、Nさんはいきなり次の質問へと話を移行させる。何か、色々あちらこちらと今日の為に考えてきたみたいだ。彼にはいろんなメールを出してきたからな-と、その時僕は振り返っていた。家族以外では、最近の僕のことをほとんど知っている大親友である。大体、僕の大事な事はほとんど僕のブログに書いているのだが、その最大のファンでもあるし。
「・・・・じゃ今度は、同人誌自身の方のことを聞くけど、今後どうするつもりー? 辞める方に傾いてるみたいだけど、それならそれで僕は良いと思うが、一つ訊かせてくれる? 例えば、『自慢癖の悩み』とか『世界を狭くした話』とかに、合評会での皆の反応はどんなふうだったのかなー?『家出に限る』の方は、まだ合評に掛かっていないと思うけど」
 この二作品について、前者への合評内容はもう忘れてしまっていると、その時初めて気付いた。ということは、間違いなく批判的なものは皆無であって、単なる慰めか褒め言葉のような僕にとって何かリアルでない内容だけだったに違いないのである。だから、覚えていた「世界を狭くした話」の「合評まとめ」を話すことにした。同人のS・Yさんが当番としてまとめたそれは、このようになっていたはずだ。それにしても、毎回ほとんど随筆合評が作品合評ではなくて、そこに書いてあることを百%事実と観て、その「事実」の感想話だけになっていくのは、いつも僕は大不満と感じているのだけれど。

【 親しい同級生仲間との亀裂。作者の態度が礼を失するのは事実。が、それも個性ですと押し通す作者の独りよがりともいうべき強さと潔さに拍手。お連れ合いの達観視した意見も好感がもてる。後に仲間とほぼ元通りの関係にと聞き、友情に乾杯 】
 
(続く)
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     嘘であっても、それによって生じる責任は、騙された自分にもある。     只今

2012年05月13日 19時55分28秒 | Weblog
   ● 《関西圏 電力不足の危機感足りぬ》
    との見出し新聞は、『産経新聞』(5月14日付)。その内容は→
    「原発がこのまま稼働せずに一昨年のような猛暑を迎えた場合、突発的な大規模停電も起り得、大混乱は必至」

   ● 《猛暑なら電力不足は14%》との画面見だしのテレビはNHK。(5月12日)
     「医療現場に不安高まる」というコメントに呼応して、《医療・介護の現場に危機感》の見出しを掲げた新聞は、
     『医療介護CBニュース』その内容は→
     「“われわれは患者の命を預かっている。電力不足を軽く考えないでほしい”と、病院経験者は訴える」

   ★ 一方、電力不足のために原発稼働を急ぐのではないと説明してきた関電は「需給検証委員会」(12日開催)の席上で、
    「再稼働すれば、不足は0、5%となり、それも揚水発電でゼロになる」と説明した。

   ☆これまで関電が発表してきた不足電力量は、
     去年の11月→ 25、0%
     今年の3月→  13、9%
      4月9日→    7、6%
      4月13日→ 16、3%
      5月7日→  14、9%
                   これが、信用できるだろうか。

   ◆ 誤魔化されてもいい、足りないとしよう。
     しかし、その足りないとされる時間(ピーク)は →
     31℃を越える夏場の2時~3時頃までの、ほんの一時である。

   ◇そのいっ時は、例えば大阪府市統合本部のエネルギー戦略会議で検討されている様々な工夫でも越えることは可能。
     政府の有識者会議で提示された
     (1)大飯原発の再稼働  (2)計画停電、電力使用制限令、に対して、 
        大阪は【第3の案】の提示。
             ↓
      ◎ピーク時の数時間を休業とする「シェスタ休暇」の導入。
      ◎中電などからの電力融通
      ◎大口需要企業の輪番創業 等々。
  




    
       
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ザックジャパン(33) 香川と細貝のホットニュース  文科系

2012年05月13日 13時04分27秒 | スポーツ
 香川と細貝について、以下のように、非常に面白いニュースがサッカーキングという雑誌に載っていたらしい。らしいというのは、MSNスポーツニュースから取ったからだ。

香川の移籍に理解示すクロップ監督「彼が影響を受けてきたのはプレミア」

 日本代表MF香川真司のプレミアリーグへの移籍が連日報道されているが、12日に行われたドイツカップ決勝のバイエルン戦に5-2で勝利し、ブンデスリーガとの2冠を達成したドルトムントのユルゲン・クロップ監督が、試合前にドイツ紙『Suddeutschen Zeitung』のインタビューに答え、香川の去就に触れている。

 クロップ監督は、「私たちはシンジの少年時代や日本の文化を拭い去ることはできない。彼が影響を受けてきたのは、ブンデスリーガではなくプレミアリーグなんだ」と話し、香川にとってドルトムントが通過点であるとの見解を述べた。

 また「シンジが我々に対して非常に難しい決断を下そうとしていることはわかっている。ここを離れていった誰もが、自分の選択が正しかったのかどうか悩んでいるんだ」と続け、移籍は避けられないと見込んでいる。】

 それにしても、ドルトムントは強い。チャンピオンズリーグ決勝戦を控えたバイエルンを、去年に続いて一蹴してみせるとは。そこのエースとしてこれだけの配慮をなされるというのが、まさに彼の今の立場なのだ。それも、世界二百カ国など以上が連なるフットボールランキングで第2位のドイツにおいて確立した立場というのだから、完全に世界トップ選手に仲間入りしたということだ。因みに、今期ドイツのミッドフィールダーとしては第2位の評価とのこと。第1位はドイツ代表ゲッツェである。

 次に、細貝のニュース。
「(昨シーズン)2部で半年プレーしていたときも、『1部に上がったときに必ずおまえの力が必要になる』と監督が言ってくれていた。今シーズンの始めは、自分を含めて、1部を知らない選手が多く、最初は思うようにゲームを運べなかったが、時間の経過とともに自分たちで試合をコントロールする時間が増えた」
「2部ではロングボールが増えてしまい、自分のところを超えてしまうことが多かったのでやりにくさを感じることもあったが、1部になって相手の技術、レベルが上がると、自分の前というか、相手も中盤のところでゲームをコントロールしようとしてくるので、近い距離でプレスを掛けにいったりできるようになった」

「(手応えをつかんだ時期は)最初の何試合かは思うようにいかないこともあったけど、試合を重ねていくごとに自分の感覚も良くなっていったし、半年が過ぎたころ、折り返しのあたりからチームも自分も良くなっていったと思う」
「試合に出なければ分からないことはたくさんあるので、コンスタントに試合に出たことで、ピッチ上での自信、以前に比べて『できる』と感じることができた」

「ガツガツ行きたいと思っている。周りの選手もそうだし、それに負けないようにというか、向こうの選手からも『あいつはガツガツしている』と言われるように、意識してプレーしていた」
「(Jリーグとの違いは)まず体が大きくて、フィジカルも強い。そういう選手が多い中で、ある程度、激しくいってもカードもなかなか出ない。自分には向こうのリーグが合っていると思う」
「(レヴァークーゼンへの復帰は)まだ正式には契約をしていないが、レヴァークーゼンからは最大限の評価をしてもらっているし、新たな舞台に向けて、自分のステップアップとしても、そこでプレーできる自信はある」
「アウクスブルクでプレーを続けて、コンスタントに試合に出続けることもひとつの選択だと思うが、もっと厳しい環境に行くことで、ポジションを奪わなければならない環境、試合に出れるか出られないかという環境の中でしっかりと自分のポジションを奪っていく努力をしながら前に進んで行ければと思う。(レヴァークーゼンには)ドイツ代表の選手がボランチにいるし、自分もボランチで勝負したいと思っているので、そういった選手がライバルになってくると思う。まだ正式には決まっていないが、自信はある。うまくまとまればいいと思っている」】

 彼の正しかったと示された苦闘の後が非常によく分かるニュースと読んだ。が、次の苦闘はもっともっと大変だ! 
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     ニュース写真の裏には、こんなことがありました。    只今

2012年05月13日 11時13分08秒 | Weblog
   新聞・テレビで報じられて多くの人が見た 〈原発の是非を問う住民投票条例請求署名簿を、市民グループ東京都に提出〉 
   という情景の裏側にはこんなことが起っていました。

  法定数を約十万超えた署名簿は段ボール箱で120個。それを女性が殆どの市民グループは山の形に積み込んだ。
  積み終わってみると、その最上段には〈石原都知事へ〉、二段目には〈323076〉という署名数、
  その下の段には、〈都民の願い!〉という文字が浮かび上がった。

  すると、文書課の職員が飛び出してきて言った。
  “この「都知事へ」という段ボール箱は外していただけませんか”
  何故か、との問に、“規則ですから”。
  ではそれはどんな規則ですか、と問うと、“そうなっているものですから”
  こんなやりとりにたまりかねてか、3、11以降初めて街頭に出たと覚しき女性グループが
  “判りました。積み直しましょう”と言って山を崩し始めた。
  それまで見守っていた運動の事務局長・今井一氏が大声を出した。
  “ダメだという規則を見せてください。でなければ、駄目です”
  すると、課長らしき人物が出てきて言った。
  “前のままで結構です”
  
  私たちが目にした写真は、こうしたことがあった後のものだったわけです。
 
  ところで、石原知事は、「センチメントの域を出ない」との反対意見を付けて議会に送付する見通し。
  大阪市の橋下市長の意見は、「再稼働は時期尚早と表明しているし、投票にかかる費用大きく反対」                                                        これを受けて、維新の会は反対。
  当初 “反対する理由は見当たりません” と表明していた公明党は、採決の段になって投じたのは、反対票!    
   
   =以上は、『kinkin tv』「愛川欽也パックイン・ニュース」と今井一氏談から=
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続・ドキュメンタリー賛歌          あんころもち

2012年05月12日 22時01分53秒 | Weblog
 5月9日、らくせきさんが大西五郎さんを引用して最近のテレビの動向について触れていらっしゃって、私も「ドキュメンタリー賛歌」というタイトルでコメントを付けさせていただいたのですが、そこで紹介した東海TVの阿武野克彦さんが今年、芸術選奨文部科学大臣賞をお受けになったことと関連して、「朝日」の12日付夕刊の「ナゴヤカルチャー」欄にドキュメンタリーについてお書きになっています。

 「ドキュメンタリー 世に問い続けて」と題した短い文章のなかで、氏は、「現実に働きかけて、その関係性を映像で描くこと」をもってドキュメンタリーだと規定しています。ここで浮かび上がる「関係性」こそが私たちの観るべきところでしょうね。

 ところでそうした信念のもと懸命に作ったものが残念ながら全国放送にならず、限られた人たちにしか観てもらえない現実があるようです。そこで、氏たちは昨年から、それらの作品をリメイクし、映画用に編集したものを全国の志のある館で上映することを始めています。
 私が先のコメントでも述べ、その試写に招待していただいた『青空どろぼう』もまさにその一環だったわけです。

 ところで、氏らがカメラを向けるのは必ずしも万人に肯定される綺麗なものばかりではありません。むしろ暗部といっていいものも含みます。「なぜ反社会的なものをも撮るのか」という問いに氏は答えます。
 「反社会的でもそれは社会の一部で切り捨てたり排除するだけでは世の中は良くならない」のだと。

 この短い文章での氏の結語部分はこうです。
 「テレビに愉快なものばかり求め過ぎではないでしょうか。自分の考えとは違うものは観ないとか、その裏返しに、批判にさらされるから表現を控えるとか…。不幸な回転をし始めると、テレビは堕落します。」

 原発問題を始めとして、日本の現実には目を離すことができない事態が目白押しです。氏を始め、その他の地方局でドキュメンタリーに携わっている皆さんが、今後ともにそれらの現実の「関係性」を白日のもとにもたらしてくれることを期待したいと思います。
 また同時に、私たちも「テレビに愉快なものばかり求め過ぎ」ることなく、それらの人たちの努力を応援し続け、もってテレビの「不幸な回転」を押しとどめたいものと思います。
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中国、フィリッピンを威嚇     らくせき

2012年05月12日 11時34分37秒 | Weblog
朝鮮日報によれば、中国はフィリッピンとの間に
武力行使もいとわない、と威嚇を強めており、
経済の面でも、締め付けを行っているという。

これについて、香港の衛星テレビ局、鳳凰衛視(フェニックステレビ)の解説者、
傅暁田氏は「中国がフィリピンを軍事的に攻撃すれば
『10歳の男の子が5歳の坊やを殴って、けがをさせた』
と言われるはずだ」と述べ、中国国内の過熱したムードに懸念を示した、という。

尖閣列島での日本とへの威嚇。他人事ではないですね。
中国は韓国、ベトナムとも摩擦を起こしています。
いよいよ大国・中国の時代がやってきました。
元寇の時、日本は抵抗勢力との連携を断ったそうですが、
今の外交は、この外交音痴時代とあまり変っていないかも・・・

ちょっと心配。
三国志を見ていますが、中国は曹操のようです。
劉備と孫権は組んで曹操を破りました。
この故事から学ぶことはあるのでは?



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         こんなにもある! 地震予知の研究機関          只今

2012年05月11日 16時55分35秒 | Weblog
   5月11日付『中日・東京新聞』は、一面に、「浜岡防潮堤の安全判断をする審査委員に中電が寄付」とのスクープ。   
   中電の言い分は「地震予知総合研究振興会に依頼した結果のメンバー選定なので当方は関与せず」   
    この地震予知総合研究振興会なる団体は、電力会社、文科省、経産省から得た収入で運営されている団体とのこと。 
    
    では、地震予知をする公の機関にはどんな団体があるか、調べてみた。
    文科省→ 地震調査研究推進本部。 
    国交省→ 地震予知連絡会。防災情報センター。地磁気観測所。 
    文科省所管法人→ 地震予知総合研究振興会。防災科学技術研究会。
    国交省所管法人→ 地理地核活動研究センター。
    経産省所管法人→ 活断層・地震研究センター。 
    そして『地震予知総合研究振興会』傘下に、
       「地震調査研究センター」「地震防災評価機構」「東濃地震科学研究所」等々
  
     ★昨日、富士山近辺に活断層発見と報じたのは、東大地震研究所(地震予知研究センター)。
      同様の地震予知研究センターのある大学は、北海道大、東北大、東工大、名古屋大、京大、九州大、高知大、鹿児島大。
      
      
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