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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

中国の軍事大国化と日本   らくせき

2011年01月04日 10時13分35秒 | Weblog
中国の軍事大国化が日本にとって、どう影響するのか?
大きな問題となってくるのは間違いない。

簡単な数字の比較でいえば、兵隊の数。
中国は230万。日本は23万。ほぼ10分の1。
(韓国が60万。北朝鮮は120万。)

なぜ中国は軍事力を強化するのか?
経済大国化が、なぜ軍事大国化となるのか?

ひとつは軍部の強い要請。
中東への海の道を確保することも中国にとって
大きな課題で、軍事的な手を打ってきている。

その背景にあるのが、やはり軍事超大国のアメリカ。
そのアメリカへの対応の仕方を、中国は日本から学んだのでは?

日本は経済大国化した後、経済的に自立することに失敗。
アメリカへの従属から脱出できなかった。
その最大の原因は日本が軍事的に従属していたため。

少なくとも中国は、そういう教訓を得た。
日本は反面教師だった。

日本は経済大国化した時点で、対米外交を修正することも充分ありえた。
しかし日本の政治家は、それをしなかった。
だがアメリカの強い抵抗にあって、出来なかったのであろう。
国民も、一時的に、嫌米感情に身をまかせただけだった。

         

他の選択肢はなかったのか?

もう遅いのか?

大国ではなくなっていくのだから、また別の道がありうるかな?





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転変の重要官僚が語る「官の巻き返し」(前編) 文科系

2011年01月04日 05時33分52秒 | 国内政治・経済・社会問題
 時事ドットコムに、興味深い記事をみつけました。題して、【改革派官僚に聞く『やりたい放題の「官の巻き返し」を憂う』】。野党が、民主党の官僚改革後退を批判すべく政府参考人として臨時国会に出席させた古賀茂明氏のことです。鳩山民主党がその出発に当たって彼を重用しようとしたが、一昨年の12月に仙石大臣に更迭されたという問題の人物です。彼の言葉が、官僚制度改革の真の的を衝いているかどうかはともかくとして、官僚内部の一定の矛盾及び、民主党変質の一定の中身を知る参考にはなるのではないでしょうか。前後編2回に分けて投稿します。


改革派官僚に聞く
 『やりたい放題の「官の巻き返し」を憂う』
(時事ドットコムより)

 経済産業省から国家公務員制度改革推進本部に出向して内閣人事局や国家戦略スタッフ創設の立案などに従事し、鳩山内閣発足後は仙谷由人行政刷新相のもとで大胆な改革案を提議。しかし、2009年12月、仙谷氏により更迭されて経産省大臣官房付に――。かつてフォーサイトでも、その動向を取り上げたことがある「筋金入りの改革派官僚」古賀茂明氏(「ひそかに退職勧奨を受けた改革派官僚」参照)。その後も、経済誌への寄稿などで民主党による公務員制度改革の後退に警鐘を鳴らしつづける氏に、今の「政」と「官」が抱える問題点について聞いた。

――野党が10月、民主党政権の天下り対策を批判する古賀さんを政府参考人として臨時国会に出席させた際、仙谷官房長官は「彼の将来を傷つけると思う」と語り、野党から「恫喝だ」と批判されました。民主党は古賀さんの発言に神経を尖らせており、経産省も「自ら退職することを望んでいる」と報じられましたが、そうしたご自身の立場をどうお考えですか?
古賀 私にできるのは人事当局の判断を待つことだけです。人事は大畠章宏経産相の決断次第ですが、大臣も基本的には事務方に任せているようです。事務方は私に「辞めろ」と言うわけにもいかず、扱いに悩んでいるのではないでしょうか。私としては、当局の判断を待ちながら、その間は可能な範囲で情報を発信していくつもりです。このままでは日本はダメになる。思い切った改革が必要だという気持ちは変わっていません。

経済が拡大するという前提は崩れた
――このままではダメだということですが、具体的には?
古賀 バブルの頃まで、国の仕組みは経済が拡大・成長することを前提につくられていました。自民党は経済の拡大によって得られた果実を自らの支持層――たとえば農協や医師会など――に厚めに配分することで政権を維持し、官僚もまたその果実の上に自分たちの生活を守る仕組みをつくりあげ、それを維持してきたのです。経済が上向きであるなら、自民党の支持層以外にもある程度配当は行き渡りますし、官僚が果実の“上前”をはねても、つまりは税金をムダに、自分たちの利益のために使ってもまだ余裕はありました。しかし、バブル崩壊以降、経済が拡大するという前提は崩れ、果実は失われました。どこか特定の層に厚めに配分しようとすれば、一般国民が犠牲を余儀なくされます。その構造を変えなくてはならないのに何も変わらない、変えられない。これではダメだということで自民党はついに退陣を強いられ、政権交代へとつながったわけです。
 しかし民主党は、郵政民営化の事実上の棚上げ法案や農家への戸別所得補償や子ども手当の支給など、これから自分たちを支持してくれそうな層や人たちに対して手厚く保護する仕組みを構築しようとしました。旧い構造を断ち切ることを期待されながら、本質的には自民党と同じ利益誘導的バラマキの道を選んでしまったのです。「官」は「政」の本気度をよく見抜いています。官僚は民主党から「これはやれ」と言われたところに関しては形づくりにお付き合いしながらも、自分たちが守ってきた構造については「変えません。きっと大目に見てくれるだろう」という態度なのです。独立行政法人や公益法人、業界団体などに事業仕分けでメスが入っても、官僚は看板を掛けかえ、名目をかえ、他の事業につけかえたりして存続を図り、ゾンビのようだと評されました。それがいい例です。つまるところ、政も官もあまり変わっていない。中国はじめいくつかの途上国は著しい成長を遂げ、欧米もそれに遅れまいと懸命になっているにもかかわらず、日本だけが井の中の蛙のごとくです。このままではいけません。

民主党が犯した2つのミス
――民主党が掲げた「政治主導」がうまく機能しなかったということでしょうか?
古賀 民主党は政治主導のあり方について、2つのミスを犯したと思います。ひとつは総理主導を打ち出せなかったことです。
 憲法では、行政権は内閣に属すると規定されています。官僚はこれを「行政権は内閣にあるのであって、総理にあるのではない」「各省の事務を実施する権限は個々の大臣にあるのであって、総理にはない」と解釈します。これなら大臣ひとりコントロールしていれば行政の実権を握れるし、総理の“勝手なマネ”を抑止することができるからです。
 しかし、総理には大臣を任免できるという強い権限があるのです。方針に従わない大臣は罷免して自らが兼任するということも可能です。要は、総理の決意次第で、行政全般を動かすことができるのです。
 では、現実はどうだったでしょうか。長妻昭前厚生労働相のケースを見てみましょう。長妻さんはマニフェストに掲げたことを忠実に実現しようとしました。その一環として、役所の人事にも手を入れようとしたのです。大臣が仕事の目標を示し、それが達成できたか否かで信賞必罰を行なおうとした。天下りはまかりならんと宣言し、独法の役員を公募して、そこに官僚が応募してくると「これは天下り同然ではないか。ダメだ」と蹴飛ばし……。そういうことをひとりでやっていたのです。
 これは本来、内閣全体の方針として行なわれるべきでしたが、長妻さんは結果的に孤立しました。総理も官房長官も一切助け舟を出さず、最後は事実上の更迭という憂き目に遭いました。官邸が長妻大臣を支え、内閣に対して「長妻を見習え」と指示していれば、様相はだいぶ違ったと思います。
 もうひとつの間違いは、政治主導を「政治家主導」とはき違えたことです。政治主導とは「理念」であって、政治家は方針を示し、決断をし、責任をとるという意味合いのものであったはずなのに、民主党は「実体」として政治家が何もかもやるんだという次元の話にしてしまった。だから、予算案の策定にあたって政務三役が電卓を叩くなどという妙な光景が現出したのです。ロボットの頭脳の部分を政治家が担い、手足の部分を役所が担えばよかったのですけれど、政治家が自らなんでもやっていますというパフォーマンスに堕したのは、まさに本末転倒の事態だったのではないでしょうか。

見捨てられた長妻大臣
――なぜそこまで「官」の勝手なふるまいが許されているのでしょうか?
古賀 民主党は政治主導を掲げて勇躍、役所に乗り込んだものの、本気で官僚と対峙した大臣はサボタージュに遭って仕事が前に進まなくなった。長妻さんと厚労省がその典型です。しかし、役人を排除しては何もできず、長妻さんにいたってはその結果、更迭されるはめになりました。そうした経緯から菅政権では、官邸は官僚との関係を修復しようと努め、大臣もまた官僚と仲良くしようとしているのです。
 そのことは、様々な局面に現れています。天下りの容認もそう。事業仕分けにおいてもそうです。事業仕分けの場に政務三役が出て行って、蓮舫行政刷新相を相手に「事情を汲んでください」と言って、役所の立場を懸命に代弁しているでしょう。政治家の側にとって、その見返りはちゃんとあります。マスコミでは「霞が関の利益代弁者だ」と批判されても、役所では「大臣はさすがです」などと言って持ち上げられるし、関係団体からは感謝されるわけです。官僚はそのあたり、じつにうまく政治家を気分よくさせます。既存の政策を多少、お化粧直しして「大臣のために新しくしました」と言って提案してみせたり、海外から要人が来日した時にはマスコミを呼んで大きく報道させたり……。大臣も、役所の振り付けどおりにしていれば、気分がいいうえに間違いを犯さずに済みます。仮にミスをしても弥縫策や善後策を官僚が講じてくれます。反対に、振り付けにないことをすると、長妻さんのようにサボタージュに遭う。なんとも怖い話です。繰り返しになりますが、鳩山総理、菅総理はやはり長妻さんを助けるべきでした。結果的に長妻さんが内閣の反面教師になってしまったことが、今に悪い影響を残しているといえます。
(後編に続く)


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あの中国の報道官へのインタビュー    らくせき

2011年01月03日 12時56分10秒 | Weblog
中国外交部の姜瑜報道官(46)。テレビで時々、御目にかかる人。
中央日報がインタビューをしています。
テレビで見ていると、きびしい話し振りですが・・・


――今年質問が最も多かった事件は。

「なんといっても韓半島情勢と関連したものだ。
われわれがこの地域におり、中国がこの地域で重要な役割をしているためだ。
今の韓半島情勢は依然としてみんなが注目している」

――韓国を訪問したことがあるか。

「戴秉国国務委員に随行して11月末に初めて韓国に行った。
それ以前にも機会はあったが日程のため行けなくなることが多かった。

――平壌(ピョンヤン)にも行ってみたか。

「2年前に外務省の招きによりニュース交流の次元で行った。
韓半島の南北の住民が平和を渇望しているということを切実に感じた」


――3年4カ月間の報道官生活で最も記憶に残ることは。

「数年間仕事をしてきたがただの一度も簡単に終えられた記者会見はなかった。
経験があっても状況が随時変わるので熱心に準備しなければならない。
政策を発表する時にメディアが核心をよく把握できるようにするのがとても重要だ」

――中国人として感じる自負心は。

「自負心を感じると同時にさらに多くの悟りと負担を感じる。
中国は開発途上国として依然として国家を発展させなければならない任務が重大だ。
中国の発展は長く平坦ではない道だ」

――中国を批判する西側メディアの報道をどう思うか。

「鋭くない質問をするメディア記者は良い記者ではない。
鋭い質問をする記者は考える記者だ。
プロの職人としてする質問はすべてが正常だと考え私も開かれた姿勢で答える」

――昨年スペインのメディアによって“美女政治家”に選ばれたが。

「そのような評価には少しも意味を付与しない。
それでも中央日報国際部が私を“今年最も注目される人物”に
選んでくれたことはありがたく思う。」

このインタビューで姜報道官は韓国統一部のイ・ジョンジュ副報道官(38、女性)を
取り上げた。
姜報道官は、「放送を通じて韓国統一部の女性報道官を見た。
とても若くて自信があふれるように見えた。
同じ女性として本当にすごくて優秀だと感じた」と述べた。

 記者についての感想は、なかなかおもしろいですね。
 日本の記者さんたちは、どう思われているんでしょうね?
 あまり質問しないかな?


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 産経は「米軍広報」なのか?!  文科系

2011年01月03日 02時31分17秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 産経新聞に、米軍自衛隊合同演習関連でこんな記事が載ったそうだ。親米、反中国の彼らの立場への批判は今はおくとしても、何故これほどまでに米軍の立場を配慮して日本の東アジア友好を顧みず、かつ、民主党政権を貶めるのか。また同時に、こういう親米(軍)派の産経のような立場と民主党政権との間に、今なお一定の矛盾がうかがえて、興味深かったものである。日本の右翼勢力が、民主党政権をもっともっと親米・反中国に引っ張っていきたいということが示されているのだから。
 「自民・民主は同じ穴の狢」と語り続けて止まぬ勢力は、胸に手を当てて考えてみるべきだろう。これも、アシュラサイトから取った。


【 日本が対中配慮要請、米軍困惑 「尖閣奪還」演習(産経新聞)“骨抜き”を図った防衛省政務三役 
  投稿者 赤かぶ 日時 2010 年 12 月 31 日 11:42:32

 【ワシントン=佐々木類】日米両国が今月初めに実施した共同統合演習「キーンソード(鋭い剣)」の実施前、日本政府が尖閣諸島に特定した島嶼(とうしょ)奪還演習を行わないよう、米軍サイドに内容の変更を働きかけていたことが明らかになった。複数の米軍関係者が明らかにした。

 米海軍は海上自衛隊とともに、予定通り中国軍に不法占拠された尖閣諸島奪還を想定した演習を実施した。だが、中国への配慮を優先した日本政府の申し出に、「将兵の士気に影響が出かねない」(米海軍関係者)との受け止めと困惑が広がった、という。

 キーンソードをめぐっては、防衛省政務三役が「中国を刺激するような演習は控えるように」という指示を陸上自衛隊に出し、尖閣諸島奪還演習から「一般的な防御訓練」に名目を変更していたことが判明している。米軍関係者の証言は民主党政権が、陸自単独で行う演習だけでなく、米海軍と海上自衛隊が行う演習に対しても訓練の“骨抜き”を図ろうとしていたことを裏付けている。

 国防総省関係者は「演習では当然、中国軍を念頭に置いた。日本政府の意向は尊重するが、海自とは実質的な訓練を粛々と行った」と話している。】


『日本政府の申し出に、「将兵の士気に影響が出かねない」(米海軍関係者)との受け止めと困惑が広がった、という』
 これは何と不思議な表現であるか。産経新聞の立ち位置はそもそもどこにあるのだ。米軍にあって、日本政府にはないみたいだが。その内容も、今回のことでは中国と事を荒立てたくなかった日本政府に対して、産経がこう主張している。米軍の「仮想敵は中国」姿勢に政府は従え、中国と事を荒立てて良いのであると、産経はそう語っているのだ。

『訓練の“骨抜き”を図ろうとしていたことを裏付けている』
 これも同じことだ。中国を仮想敵にしないことが、“骨抜き”だと語っているのである。そもそも中国という国は、アメリカ以上に外国に攻めてくる国であるのか。実に好い加減な論議をする新聞だと思う。僕はアメリカの方が遙かに恐い。大量破壊兵器があるという嘘の理由をでっちあげて、国連の反対を押し切ってまでイラク戦争に踏み切った国である。
 なお、次の文章は、文民統制違反、その側面援助にさえ繋がるような不見識なものだと思うがどうだろう。
『国防総省関係者は「演習では当然、中国軍を念頭に置いた。日本政府の意向は尊重するが、海自とは実質的な訓練を粛々と行った」と話している。』
 日本政府が、米軍どころか、自衛隊にもなめられている証拠と言えるのではないか。大問題である。

 事ほど左様に、産経新聞とは、日本政府に抵抗を感じた米軍の言動をば常に熱心に、逐一報道する方針らしい。
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金さんの日々の一端    らくせき

2011年01月02日 19時34分34秒 | Weblog
中央日報がこんな記事を掲載しています。

昨年の韓米合同訓練の期間を前後し、金正日さんは、
9日間にわたり地下バンカーに隠遁していたという。
米空軍のステルス機F-22ラプターを恐れたため。

F-22が浸透する場合、現在の北朝鮮の通常のレーダーでは
近くに接近しなければ探知できない。
F-22の全面レーダー反射断面積(RCS)は鳥より小さくて
防空網で対応する時間はないということだ。

隠れた場所は明らかにされていないが、
地下バンカーであることは明らかとのこと。
ある予備役将軍は「金正さんの動きは24時間衛星で監視し
主に彼の特別列車に集中している。
動きがあいまいならば、盗聴あらゆるソースを通じて追跡されているという。

金さんは、たいてい20カ所余りの特閣と呼ばれる別荘を回ったり、
白頭山の最高司令部最後方指揮所に滞在しているとされる。

いや、なかなか大変だ、金さんも。






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忘れまい、村木厚子冤罪事件の「国策」性  文科系

2011年01月02日 09時10分08秒 | 国内政治・経済・社会問題

 村木厚子さんの免罪事件は、現日本政治情勢における最重大事件の一つだと言いたい。その次第を改めて示してみたい。

 このブログでこの事件は、遙か以前から扱われてきた。ネット虫さんが初めて転載紹介を行ったのが、去年の2月27日。拙稿が3月15、28、31日と4月の22日。この異常な事件は、その後に証拠ねつ造が発覚して、暮れの検事総長辞任まで続いた検察関係者懲戒処分などで決着してしまったかのように見える。が、そんなことで済む問題では到底ない。この事件の異常性(上記投稿参照)とはそもそも、その背景、動機の異常さから来ている。これについて、検察はもとより、煽り立てた大マスコミもその後一切口をつぐんでいるように見えるが、そもそもこんな事が許されるのか。裁判の判決でさえ、事実認定の後に、事実の動機、背景、計画性などからその悪質性が開陳されて、最後に判決に至るのではなかったか。そんなことは、検察官のイロハに属することだろう。

 さて、この異常な事件は、当時は「民主党シフト」、現在は「小沢喚問」と同根のものである。この事件が初めに新聞に載った時、「政治案件」の語が紙面に躍り上がり、政治家の介在が、具体的には民主党副代表・石井一氏の名前が騒がれた。石井氏が村木氏を強引に動かして莫大な郵便料金詐欺を仲介したものという構図を、マスコミも書きたてていたはずなのである。検察がマスコミを虚報で躍らせた責任は? 検察情報を鵜呑みにしたマスコミの「酷い書き方」、名誉毀損はそもそも一体どうなるのか。少しは反省されているのか。これが、皆無どころか、相変わらず陰湿に続いているのである。恥知らずとは、こういう奴らのことを言うのだろう。反省どころか今もなお、続いているのだから。これについては、最近の二つの拙稿を参照されたい。31日に記載した『ニューヨークタイムズも「小沢国策捜査」』、29~30日の『日本記者クラブ、この暗黒の権力者』、である。

 社会の木鐸を自認してきた大「新聞」と系列テレビ。社会正義の代理人「検察」。この二つが私利の下に野合した「国策捜査」の陰謀は、今後もここに書き続けていきたいと思う。関連して、昨年4月1日の拙稿を転載しておきたい。問題を一応認識した毎日新聞が、自己批判を展開して見せた2回連続の貴重な文章を扱っている。こういう当たり前の反省姿勢は近ごろ一体、どうなってしまったのだろう。朝日新聞の主筆も、あっさりと辞めたらしいけども。


【毎日新聞社の自己批判? 文科系
2010年04月01日 | 国内政治・時事問題 昨31日毎日新聞夕刊の最終面、テレビ欄すぐ下に与良正男論説委員の政治コラムとしては長い文章があった。題して 【「小沢氏報道」の消耗戦】! これが、なんとも奇妙きてれつな文章なのである。表題のことについて自己批判でもしているのかと思いきや、どうも持って回った弁解目的とでも読んだ方が良いと感じたもの。
 自嘲的にも、自己弁解的にも思える余りにも複雑過ぎる文章だから、これ自身のテーマ、問題意識をまとめてしまおう。僕流の要約だ。ただし、結論はまだ、以降に続く文章との予告が付いていた。次回が出たら、僕も自分のこの嘲笑の完結編を書きたいものだ。

 この1年、小沢の政治と金でマスコミ界が両極端に揺れた。一方は週刊現代などの特捜部便乗型報道、小沢逮捕近しと叫んだ類のもの。他方が、週刊朝日の「検察の狂気」。この激しいギャップ、揺れを指摘した上で、これについてこう語ってみせる。
『す、すごい。もちろんメディアは多様な方がいい。とりわけ特捜部批判を新聞がタブー視してきたのは事実で、「週刊朝日」がいち早くメスを入れたのは評価する。でも、私にはここまで書けない。実際、その後、小沢氏は逮捕されなかったし、狂気という言葉を平気で使うのもためらう』
 さらにこの背景について、筆者はこんなふうな歴史的概括にも触れている。
 政治権力と捜査権力。この真っ二つに割れて、マスコミ界が「過激競争」を演じてきた。両極端を売りにするように近頃振る舞ってきたじり貧のマスコミ商売が、ますます難しくなっている昨今において。そして、『行き着く先は多様性ではなくメディアの消耗戦。ますます、それに向かっているように思える』とも語っている。
 最後がこんな予告編だ。
『ふう。初回から、けんかを売ってしまった。当然、「では、あなたたち新聞は、そんなエラそうに言えるのか」と突っ込まれるだろうから、それは次回以降に』
 だってさ!

 お手並み拝見。どうせまた無自覚、無反省な文章が続くのだろうから、そしたらもっと笑ってやろう。
 と、こう書いてくると、与良論説委員氏に僕が乗せられてみせたようにも見えるなー。が、何にしてもこの間の新聞も、半世紀ぶりに交代した新政権の画期的施策新設や景気問題などをそっちのけにして、「政治と金」の検察情報を垂れ流していただけじゃないか。自民党よりは遙かに国民本位の新予算が始まる今になって「反省」? 足らん、たらん。だって新聞社も乗せられた(と自ら自白しているような)検察は、「狂気」じゃないのか! 『とりわけ特捜部批判を新聞がタブー視してきたのは事実で』と、その狂気に乗せられたと自ら認めているくせに、弁解がましい嫌な文章だよ、全く!! 女性秘書監禁事件はどうした!? 村木元局長冤罪事件はどうした?! 林谷検事の「証拠隠滅、偽証問題」は? 記者クラブ制度や、マスコミ集中排除問題にも触れろよな。「内閣記者会」は、もう解散、解散!! 新聞の酷さに輪を掛けた民放なんかも俺はもう全く観とらんのだから、BS放送などへの新規参入賛成も、あったり前のこと! 】

 なお、ここに予告された与良正男論説委員の『以降に続く文章との予告が付いていた。次回が出たら、僕も自分のこの嘲笑の完結編を書きたいものだ』については、この6日後、4月7日にここに載せている。 
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雪であけた日本列島   らくせき

2011年01月01日 11時43分50秒 | Weblog
今年もよろしくお願いします。
いい年でありますように。

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随筆 「死にちなんで」(もう一度リメイクしました)  文科系 

2011年01月01日 08時48分42秒 | Weblog
 この随筆、12月2日に初めて当ブログに投稿させていただいて、もう一度リメイク版を出させていただいて、またさらにもう一度と、大変失礼いたします。これが、同人誌の毎月の小冊子12月号(第229号です)に載せた最終版です。僕としての新年の決意は、いつもここにこそあると、そんな気持ちを込めています。



 随筆 死にちなんで  
                                  
 心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」。
 ところがなかなか眠りに入れない。眠っても、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、聞いていたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。

 小学校の中ごろ友人を亡くして、考え込んでいた。「彼には永遠に会えない。どこにいるのだ」。ひるがえって「僕もそうなる」。それ以来自分が死ぬということを強く意識した。ほどなくこれが「永遠の無」という感じに僕の中で育っていって、何とも得体が知れぬ恐怖が始まった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時はいつも、冷や汗がびっしょり。そしてこの「症状」が、思春期あたりから以降、僕の人生を方向付けていった。「人生はただ一度。あとは無」、これが生き方の羅針盤になった。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計まで含めて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと思う。四人兄弟妹の中で、僕だけが違った進路を取ったから、「両親との諍い」が、僕の青春そのものにもなっていった。世事・俗事、習慣、虚飾が嫌いで、何かそんな寄り道をしなかったというのも同じこと。自分に意味が感じられることと、自分が揺さぶられることだけに手を出して来たような。こうした傾向を、二十歳の春から五十年付き合ってきた連れ合いはよく知っており、「修業している」といつも評してきたものだ。
 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみがなくなるとしたらこんな良い終わり方はないと言えるが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし?」というような内容だったかと思う。この伝で言えば、僕のこの「症状」ははてさて、最近はこんなふうに落ちついてきた。
「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いも何もありゃしない」
 どうして変わってきたのだろうと、このごろよく考える。ハムレットとは全く逆で、人生を楽しめてきたからだろう。特に老後を、設計した想定を遙かに超えるほどに楽しめてきたのが、意外に大きいようだ。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、全部相当なエネルギーを費やすことができて、それぞれそれなりに楽しめてきた。中でも、ギター演奏、「音楽」はちょっと別格だ。自身で音楽することには、いや多分自分の美の快に属するものを探り、創っていく領域には、どういうか何か魔力がある、と。その魔力ぶりは僕の場合、こんな風だ。
 この二月から、ほぼある一曲だけにもう十ヶ月も取り組んできた。南米のギター弾き兼ギター作曲家バリオスという人の「大聖堂」。楽譜六ページの曲なのだが、ほぼこの曲だけを日に二~三時間練習して先生の所に十ヶ月通ってきたことになる。長い一人習いの後の六十二の手習いで上級者向け難曲。通常ならとっくに「まー今の腕ではここまででしょう。上がり」なのだ。習って二ヶ月で暗譜もし終わっていたことだし。が、僕の希望で続けてきた。と言っても、希望するだけでこんなエネルギーが出るわけがない。やればやるほど楽しみが増えてくるから、僕が続けたかったのである。「この曲はもっと気持ちよく弾ける……その為には」。ギターの構えから、長年の悪癖のいくつかまでを、この曲の為に苦労して修正してきたほどだった。こんな熱中ぶりが、自分でも訝しいのである。
 ギターを習い始めて、これと同類の事をもういくつか体験してきたように思う。

「何かに熱中したい」、「人が死ぬまで熱中できるものって、どんなもの?」若いころの最大の望みだった。これが、気心の知れた友だちたちとの挨拶言葉のようにもなっていたものだ。今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している。
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