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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

困った金親子     らくせき

2010年11月25日 19時45分24秒 | Weblog
北朝鮮が韓国の島を砲撃。
衝撃の事件でした。

そのわりに日本国内は平静です。
金親子の火遊びだと感じているからでしょうか?

しかし、困った金親子です。
これで東アジアは、ますます平和から遠ざかり、
ナショナリズムが力を増すことも考えられます。

ここは、中国頼みの外交ではなく、
9条を錦の御旗にして
積極的に平和を訴えていく外交をやって欲しいものです。

もちろん、今の外交路線もそれなりの意味はありますが、
そこは9条の国。
菅さん、宝の持ち腐れにしないように。
9条を掲げても一文の損にはなりませんよ。

二刀流でいきましょう。
いまは北朝鮮を非難しつつ、
9条を使って、不戦を訴えるのも良いかも。

これなら米も中国も文句はないでしょうよ。

田中宇さんの解説の一部です。

私の見方では、北が異様に激しい砲撃をしてきたのは、
北の「宗主国」である中国が台頭し、
韓国の「宗主国」である米国が衰退する流れの中で、
北の激しい攻撃に対して、
米韓がどのくらいの強さで北に報復・制裁してくるのか、
確かめるのが目的だ。
案の定、米韓は、激怒するそぶりを見せつつも、
国連での北朝鮮制裁を強めることに消極的だ。

つまり、落日のアメリカ、日の昇る中国という新しい事態に
金さん親子のほうがいち早く反応したということ。

日本のマスコミが、中国の動向に注目しているという
報道をし、菅さんも中国に期待するのは
もうアメリカには頼れないことを感じているから。

韓国と日本は、9条を表看板にして新しいカンケイを
つくっていく時期にきているのでは?
モチロン、アメリカの同意を得て。









コメント (8)
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立ち止まって考える   只今

2010年11月25日 17時44分41秒 | Weblog
大相撲中継の画面に、「裁判員裁判で少年に初の死刑判決」というテロップがながれました。
 そこで思いだしたのは、昨年の三月に開かれた日本ペンクラブの「死刑を考える」シンポジュウムでのこと。
 死刑には反対という瀬戸内寂聴に、「大量虐殺した戦犯にも反対するか」と問われ、寂聴はこう答えました。
 「人それぞれ考え方の違いがあっても、死刑ということについて立ち止まって考えることがだいじなこと」で、「大量死刑と同じ戦争に反対して、一緒に牢屋へ行く友人の一人に瀬戸内寂聴がいる、と鶴見先生に仰有っていただいたが、私も88歳、惜しくない。ものを書く人間は想像力が命であり、その想像力で死刑囚のことを考えたい」。

 これに応えた処刑寸前の死刑囚の詠んだ句。
 「冬晴れの天よつかまるものが無い 尚道63歳」身を委ねる何もない冬晴
 
 「水ぬるむ落としきれない手の汚れ 公洋28歳」汚れを自覚している
 
 そして死刑執行は今日か明日かと30余年心揺れる大道寺将司の句。 
 「時として思いの滾る寒茜」 
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。「庶民革命」(今日の『中日』三面大見出し)をつまぜかさないためにもと、区役所に行ってきました。 

2010年11月25日 16時21分32秒 | Weblog
  署名を求めた人は誰か、と聞かれたが、「誰か判らない」という個所に丸を打つと無効になるかも知れないと「受任者」という個所に丸を打ってしまった、と昨夕言ったおばさんに、朝のゴミ出しに会ったので言いました。
 「確認するために、一緒に行ってあげてもいいですよ」。するとおばさんは、「大儀だし、それに私、嘘をついたのだから、もういいです」。
 そうですよね、大儀ですよね、と私は大きく頷きましたが、散歩の足を伸ばして区役所に行きました。

 縦覧場所には6人の係員が応対しており、順番待ちが3人程。
 私の前の人は、「有効」と知って頭を下げ、ついでに聞いていました。
 「私たち夫婦は、同じ所で一緒に署名したんですが、調査票が来たのは私だけ。妻にはなぜ来なかったのでしょうか」。
 すると係員は、「その事情は、ここでは判りかねます」と言い、言われたその人は、「こなかったことは、有効ということですよね」と自分に言い聞かせるようにして席を立ちました。
  
 私の番になったので、「アカの他人の署名確認はできますか」と問うと、
 「個人の秘密に関わることなので、それはちょっと」と当然の答えが返ってきたので、前の人を見倣って素直に引き下がりました。
  
 このように会場は、「あぁ、よかった」という人、「そんなー」という人など多くの人がいるにもかかわらず、とても静かな雰囲気なのです。
 かってのこのような場では、その昔、政党関係・労組関係の人たちと係員との間に激しい理詰めのやりとりかなされてきたように思っていた私にとって、昂ぶりのみられない会場は、いわゆる普通の市民が多いことの反映だろうと、とても印象的でした
 
 
コメント (2)
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随筆 「 ”何処よりきたりしものぞ”騒動」  文科系 

2010年11月25日 15時31分14秒 | 文芸作品

 初めての孫が生まれた。生まれただけではなく、娘家族三人、ウィークデーは我が家に同居中である。直線距離三百メートルほどのアパートに住んでいる彼ら、金土以外は母子ともに我が家で寝泊まりだ。夕食も、ほとんど我が家。両家族四人で作り、食べ、後片付けと、毎日適当に分担しあっている。

 さて、ベッドでもぞもぞしているモノを見た第一印象が、これだ。「何処よりきたりしものぞ!」。山上憶良の有名な短歌「シロガネもコガネも玉も」の前に置かれた長歌の一節である。このモゾモゾ、一体どこから来たのかと、それが実感だった。こんな成長も想像したりするから、なおさらのこと。こんなモノが一年も経つと片言をしゃべり始め、三年も経つとペラペラになるなんて信じられんな、などと。ちょっと前の外出でしばらく観察していた三歳児なんて、すでに立派な人間なのである。ワガママもリクツもちゃんと主張していた。我々老人は、一~二年では何も起こらないというのに(いや、急に老けたりは、するか?)、すぐに、どんどんあんなふうになっていくモノ! そんな人間が、一体どこから現れ、もぞもぞとここにいるのだ?!
 さて、今は生後二ヶ月に近く、笑い出した。モナリザみたいな意識した微笑みはちょっと前から気付いていたし、顔面がそう動いてしまった「ニカッ」は生後すぐにもあったが、今は何かちょっかいを出すとはっきりとニカッとする。人間の笑いは、類人猿にはない高度な段階の技能なのだそうだ。こんなに無力なくせにすでにそんな凄い力を持っているこいつは、すでに人間になっている! そんなわけで今は僕とも、こんなつきあいになってきた。わざとらしく泣いている時などに抱き上げてやると、ぴたっと止まり、モナリザの微笑み。そこでもう一つ何かをやってやると、ニカッ。とても面白い。飼っている黒猫・モモのクールさに比べれば、はるかにホットなのである。そう言えば世界に名だたる「クールジャパン」の営業マンの売りが、このニカッであったな、なるほど。気分が良くなるせいで、こんなことまでを思い出させてくれるニカッなのである。

 こんなに楽しくなってきた時に、さてさて、実につまらないことが起こった。つい昨日のこと、連れ合いと娘が始めたケンカの結末として、娘が自分の家へと出て行ってしまったのである。「私の言うことが聴けないなら、もう面倒みたくないから、家に帰りなさい」。それで、日々新たに好奇心をつついてくれたこの楽しみが、ちょん! ただの里帰り明けならば我慢もしようが、例によって発端はくだらんもの。ただ双方が気が強かっただけ。連れ合いの沈鬱、憮然を観察しつつ、僕もこんな思案に暮れる真っ最中なのである。
「いずれ厳しい共働き子育てが始まる。この機会に親子三人で修業をつむのも大事。幸い彼は、俺よりもずっといろいろやってくれてるんだけど、娘は俺に似て仕事を始めるのが遅く、時間の計算も弱すぎる。それに、もう、こんな約束も出来とるんだしな。月二回の日曜日午前に、俺と三人で散歩しよう、と。彼も参加したいとか、注文しとったな。我がお連れ合いさんは、どうするんだろう? そっちは、彼女の遅蒔きの修業」
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